推理
美津江の死から半年が過ぎた。季節はとうに冬を迎えていた。記憶を失くした正義の代わりに、香織は美津江の火葬から納骨までを済ませていた。郊外にある墓地は高台にあり、晴れた日には富士山が見えるというが、享司も眠るこの場所を訪れる日は、いつも雨が降っていた。
今日も朝から空はどんよりとし、今にも泣きだしそうだった。今日は雨ではなく、雪になるかもしれない。凍えながら供花を携え、ひとり墓参りを済ませ、帰ろうとすると、見知った顔が現れた。
「よう。墓参りか」
同じく花を携えた秋月がいた。
「まさか、こんなところで会うなんてねえ」
香織はふっと微笑みながら言った。
「もう帰るのか。車で来てるから、よかったら、送って行こうか」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
秋月のお参りが終わると、香織は秋月の車に乗った。
「正義くんは、まだ記憶が戻らんようだな」
「ええ…」
「ここからは、刑事としてじゃなく、ただのお節介なオヤジの話だと思って聞いてほしいんだが」
妙に改まったような、それでいて奥歯にものが挟まったようなはっきりとしない様子で秋月が言う。
「美津江さんの遺書を読んだとき、ヤツが言った言葉が忘れられなくてな」
「まーくんが?なんて…?」
『違う!違う!だって、あの時、母さんは…違う!』
秋月は、半狂乱になってそう叫びながら気を失った正義の姿を思い出していた。
「何が違うっていうんだ?父親を殺したのが自分だと告白する母親の手紙を読んで、あんなに取り乱して記憶まで失くしちまうなんて…」
香織は助手席でじっと耳を傾けていた。
「俺はな、あれは今でも事故なんかじゃなく、放火だと思っている。幸か不幸か当時、犯人が目撃されず、幼い子供とはいえ、正義くんの証言もあって、酔った享司さんの火の不始末が原因、ということになったわけだが、どうにも不可解だったのは確かなんだ」
赤信号で止まると、秋月はため息をひとつついた。
「美津江さんが心中したと思われる相手の男、あれは昔美津江さんをストーカーしていた男だった」
「え?」
「最近の足取りを調べたら、失踪してからどうやらふたりで暮らしていたようなんだ」
「そんな、バカな…だって、美津江さんは…」
「やっぱり、お前さん、何か知ってたんだな」
秋月は、苦笑いをした。香織は、はっとして口をつぐんだ。
「さっきも言ったように、今は刑事としてじゃなく、ただのお節介オヤジとして話してる。いまさら、どうこうするつもりはねえよ」
香織が気まずそうにうつむくのを見て、秋月は言った。
「美津江さんの遺書には、自分があの日、享司さんを殺した、というような内容が書かれていたんだが、おそらく、本当の犯人は、あの男なんだろうよ」
香織は身じろぎもせせず、秋月の話を聴いていた。
「どのタイミングで放火して逃げたのかはわからないが、あの日の夜、本当の犯人は酔った享司さんに火をつけた。おそらく、享司さんを殺して、美津江さんと一緒になるつもりだったんだろう。だけど、美津江さんを連れ出すことができず、しばらくは身を隠したほうがいいと判断し、連絡もせず、様子を窺っていた。幸い、あの火事は火の不始末ということで片付けられたから、あとはほとぼりが冷めたころを見計らって、美津江さんを迎えに行けばいいと考えたんだろうな。ところが、美津江さんは母子支援施設に入っていたから、その行方を探し出すのに手間取って、やっと見つけたのが、あの失踪したころのことだったんだろう。美津江さんにとっては、忘れたいし、隠しておきたい過去が再び現れたことで、せっかく落ち着いてきた息子を守るためには、自分が男を始末しなければ、と思った。だから一緒に失踪し、男を油断させ、殺した挙句自分も命を絶ったんだ」
信号が青に変わった。車を発進させると、秋月はしばらく黙り込んだ。
沈黙を押し破るように香織が口を開いた。
「だとしても、亮ちゃんを殺したのは、その男で、美津江さんは何も悪くないじゃない!」
「未必の故意、って知ってるか?」
「ミヒツノコイ?」
「 難しく言うと、”結果発生の可能性を認識しながらも、それを容認して行為に及んだ場合に認められる故意”ってことなんだが、簡単に言えば、何かをしたことに対して、結果の発生そのものは、漠然と認識しているってことだ。まだわかりにくいか。早い話、火をつけたら焼け死ぬ、ってことはわかった上で、あえて、火事が起きるような状況をつくるとかそういうことだ」
香織は秋月の横顔をじっと見た。




