隠蔽
香織が享司の死を知ったのは、秋月の聞き込みからだった。
享司の身辺を調べている時に浮かんできたのが、香織の存在だったからだ。男女関係のもつれ、などというありふれた原因で命を落とす人間は思いのほか多い。だから、浮気相手の香織が享司を恨んで殺害をたくらんだとしても何ら不思議はないと思った。ところが、享司と香織の間にはそんなあからさまに殺意を抱くような関係性はなく、当然その日のアリバイも確定していたため、これでまたひとつ事件の可能性は消えたのだった。
初めに享司の死を伝えると、香織は驚いたまま言葉を失い、見た目にもわかるほど取り乱していた。
「それで…ご家族は?無事なんですか?」
必死に絞り出した声は震えていた。
「奥さんは比較的軽症でしたが、息子さんのほうがひどい火傷を負って入院しています」
すぐにでも駆けつけるべきだろうか。そう思ったのだが、なぜか少し後ろめたい気持ちが心の片隅に湧きあがった。
「生前、折原さん、いや、享司さんからご家庭の事情など伺っていませんでしたかね」
秋月が問うと、香織は一瞬口ごもったが、答えた。
「亮ちゃんは、仕事でつまずいて、それからも結構苦労したようで、そのことが原因で夫婦仲がうまくいっていなかったとは聞いていました。そうはいっても、夫婦なんだから、奥さんとうまくやるようにって言っていたんです」
「ほかには何か、知りませんか?享司さんに恨みを持つような人間がいたとか」
香織は秋月をじっと見ると、探るように
「奥さんからは何か聴いてないんですか?」
と言った。
「いえ、奥さんからはまだ何も言質が取れてないんですよ。何せ、ことがことだけに、ショックが大きかったようで」
答えながら、秋月はこの女、何か隠してるんじゃないか、と思った。
「そうですか。私は特に何も知らないです」
犯人ではないにしろ、この女、何か重要なカギを握ってるのじゃないか。秋月はそっと香織をチェックリストに入れた。
それからしばらくして、正義が退院し、美津江と母子支援施設に入所したと聞き、香織は美津江たちのもとを訪ねた。
美津江は香織を見ると取り乱し、罵ってきた。
「享司さんはあなたと浮気してたんでしょ!その子だって!」
どうやら誤解されているようだった。 そう思われても仕方がなかったかもしれない。確かに、享司は足繫く店に通ってきていたし、幼馴染の気安さもあり、心を許しあっていたのも否めない。そして、実際、享司は一線を越えようとしていたのじゃなかったか。自分も心のどこかで、受け入れてしまいそうだったのではなかったか。でも、それは実際には起きなかったのだ。何も後ろめたく思う必要などない。
「享司さん、たまたまうちの店の常連さんだったけど、あなたが思うような関係じゃなかったわ」
必死に誤解を解いて、なんとかわかってもらえたと安堵したのもつかの間、美津江はさらに取り乱してしまった。
「それじゃ、それじゃあ、私…ああ、なんてこと…」
それから美津江は、涙ながらに、仲違いしてきた数年の夫婦の話を語り始めた。それは享司から聞いていた話とも重なっていた。だが、決定的に抜け落ちている話があった。それは、美津江に付きまとっていた祐介の話だった。享司からは美津江が男に付きまとわれ、乱暴され、息子が生まれたが、自分の子どもではないかもしれないことを悩んでいると聴いていたのだが、美津江からはその話は一言も触れられなかった。
火事についても、自分が家に帰ったらもうすでに部屋が燃え始めていて、逃げるのに必死だったという。それはとても嘘をついているようには見えなかった。
香織は泣きながら話す美津江を見て、あの火事は、本当に事故だったんだろうか、秋月はどこまで知っているのだろう、と考えていた。




