困惑
享司が亡くなってから数か月が過ぎた。火事でひどい火傷を負った正義は何とか一命はとりとめたものの、背中から左腕にかけて醜く引き攣れた傷跡が残ってしまった。住むところも失った美津江と正義は、享司の死の事件性を調べていた刑事秋月の世話で、一時期は母子支援施設で暮らしていた。美津江はふさぎ込み、働くこともできずにいた。正義は火事のショックからか笑うことも泣くこともせず、そんな美津江のそばから離れようとしなかった。
同じ施設に暮らす、夫のDVから逃れてきたという千佳は、何かと美津江たちを気遣ってくれたが、美津江はなかなか心を開かなかった。
そんな時、千佳はほかの入所者から美津江たちのについての噂を耳にした。
「本当は、暴力をふるう夫を殺したかもしれないんだって」
「ほら、たまに刑事が来てるでしょ。疑われてるみたいよ」
ひそひそ話をする女たちを見ていると、千佳はだんだんとイライラしてきた。
自分たちだって、大して変わらない境遇のやつばっかりのくせに、人のうわさ話に花を咲かせて、自分のほうがマシって優越感に浸りたいんだろう。
「いい加減にしなよ。こんなとこにいる時点であたしたちは世間一般からは外れてんだよ、人のことより自分のことだろ。そんな暇があったら、さっさと仕事でも探しなよ」
千佳が怒鳴りつけると、女たちは黙ってそそくさとその場を離れた。
美津江はその様子を黙って眺めていた。
「あんたも、そろそろ前を向かなきゃね。かわいい息子がいるんだから」
美津江の隣には正義がぴったりとくっついて、不安げに見上げていた。千佳はその様子を微笑みながら見つめると、そっと正義の頭をなでた。
「まーくんも、たまにはお外の空気を吸ったほうがいいよ。おばちゃんと散歩する?」
正義はかぶりを振った。
「もうすぐ入学式でしょ?お母さんと学校への道を歩いてみるのもいいんじゃないかな」
千佳は優しく微笑むと、もう一度正義の頭をなで、部屋を出て行った。
「そっか、もうすぐ4月なんだね」
美津江はそっとつぶやくと、正義のほうに顔を向けた。ギュッとしがみつきながら、不安げに見つめる正義を、美津江は抱きしめると、わっ、と泣き出した。
「ごめんね、お母さん、しっかりしなくちゃね」
その日を境に、美津江は気力を取り戻した。まずは仕事を探そう。
そんな時、施設に親子連れが尋ねてきた。秋月に知らされてきたのだという、その女の顔を見て、美津江は驚いた。
「一体、何しに…」
「はじめまして。私、町田香織と言います。亮ちゃん、いえ、享司さんとは幼馴染でした。享司さんが亡くなったと聞いて…」
美津江はうっすらと涙を浮かべる香織を憎しみのこもった目で見つめた。
「何をいまさら…享司さん、あなたと浮気してたんでしょ?それにその子…」
美津江は香織の傍らにいる少女を指さすと睨みつけた。
「え?ちょっと、まって、何か誤解してるわ。享司さんとは全然そんな関係じゃ」
「え?だって、あいつが…」
美津江は青ざめて口元を手で覆った。
「享司さん、たまたまうちの店の常連さんだったけど、あなたが思うような関係じゃなかったわ」
「それじゃ、その子は…享司さんの子じゃ…」
「ちょっと待って、この子の父親は交通事故でこの子が生まれる前に亡くなってるのよ。いったい誰がそんなでたらめを」
「それじゃ、それじゃあ、私…ああ、なんてこと…」
美津江は取り乱し、泣き崩れた。
香織は困惑したまま、そっと美津江の背中をなでた。




