訃報
―熱い…熱いよ…母さん…!
周囲を炎に囲まれ、身動きが取れずにいた正義は、燃えている”それ”から目をそらすことができずにいた。
「ま…さ……は…く…にげ…ろ」
絞りだされる声は、とぎれとぎれになってだんだんと意味をなさなくなっていく。
焦げた臭いが体を包み始める。服に火が燃え移っている。
「来るな!お前なんて死んじゃえばいいんだ!」
炎に包まれた”それ”が、両方の目をしっかりと見開いて正義を見つめる。瞳から涙がこぼれたように見えた。
「まさよしっ!」
悲鳴にも似た母の声が聞こえ、次の瞬間、天井が崩れ落ちてきた。熱さと痛みで全身が激しい痛みに包まれていた。
炎が燃える音と、崩れ落ちた天井が床にたたきつけられる音、体に張り付いて溶けていく服の臭い…
「うわああああああああっ…!」
まただ。最近あの日の夢をよく見る。
全身汗でぐっしょりだった。
夢の中で感じた背中がひりつく感覚がまだ残っていた。
ゆるゆると起き上がると冷蔵庫から水を取り出し、一気に飲み干した。汗でぬれたTシャツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びようとした時だった。玄関のドアをたたく音がした。
ドアスコープから外をのぞくと、見知った顔がこちらを見ていた。
「正義君、美津江さんの、君のお母さんのことで来たんだ」
それは、あの日、父が死んだ火事の時、捜査をした刑事、秋月だった。
正義がドアを開けると、秋月は中の様子を窺うように部屋へと入ってきた。床に座ると部屋を見回すと言った。
「久しぶりだね。しばらく見ないうちにすっかり大人になったな」
口元は笑っているが、眼光は鋭い。あの日の火事は酔った父の火の不始末として処理をされていたが、秋月は最後まで母を疑っていた。夫婦の関係がうまくいっていなかったのは周知の事実だったし、殺すほどの恨みを持っていてもおかしくないと考えられていたからだ。しかし、出火時刻、自宅にいたのは死んだ父と正義の二人だけで、母は不在だったと正義の証言があり、それを裏付けるように、アリバイもあったことから、結局は不審火ではあるものの母の容疑は晴れたのだった。
秋月とはそのころからの付き合いになる。表立って疑っているそぶりは見せず、一家の主を亡くしたかわいそうな母子に、なにかと便宜を図ったり、折に触れては訪ねてきた。火事の直後、そのショックからか、心を閉ざしてしまった正義は養護施設に一時預けられていたが、秋月は定期的に様子を見に行っていた。目の前で父親が燃えていく様を見ていた恐怖は想像もできないほどだったろう。そう考えると、秋月は正義が不憫でならなかった。体に残ったやけどの跡も、あの日のことを忘れさせないだろう。いまだに心の底からあの火事の事件性に対する疑念が消えたわけではなかったが、それよりも目の前の少年のことのほうが気がかりだった。
「それで、何の用ですか。おじさんが来たってことは、何か事件ってことですか」
正義は麦茶を注いだグラスを差し出しながら、秋月を見据えて言った。
「ああ。実は、君のお母さん、美津江さんが見つかったんだよ。ただ…」
グラスの麦茶をひと口飲み、言い淀む秋月を見て、正義は不安に包まれた。
「その、お母さんは亡くなられたんだ」
窓から差し込む夕日がグラスに反射した。
正義はじっと秋月の言葉を反芻していた。




