疑惑
正義は、父享司の変化が理解できなかった。あの日、父と二人で公園に遊びに行ってから、父は変わってしまった。
帰宅すると、いつもアルコール臭を漂わせ、千鳥足で部屋に入ってくる。正義が近づいても、まるで汚いものでも見るような目つきになり、手でシッシッ、と追い払う。母のことも大声で罵り、しまいには殴ったり蹴ったり、暴力をふるうようになった。
「やめてよ!お母さんが死んじゃう」
泣きながら父の足にしがみつくと、父は正義を振り払い、舌打ちをし、母を殴るのをやめた。
「寝る」
寝室のふすまをけたたましく閉め、父がいなくなると、正義はすすり泣く母に駆け寄って、抱き着く。正義を抱きしめながら、母は何度も謝り続けた。
「ごめんね…ごめんね…」
あんなのはお父さんじゃない。お父さんさえいなければ。
正義の中に憎しみが芽生えていった。
そうこうするうちに、父の態度が少し変わったように感じた。飲んで帰宅するのは相変わらずだったが、以前よりは酒の量も少なくなっているようだった。母への態度は冷たいままだったが、以前より暴力をふるう頻度は減っていた。それでも、ちょっとでも気に入らないことがあると、大声を上げ、暴力をふるうのは変わらなかった。
母はすっかりやつれてしまっていた。居間に飾ってある入園式の時の写真に写る両親の笑顔を見ると、正義は胸が痛くなった。ほんの数年前のことなのに、まるで遠い昔のことのようだ。
春には入学を控えていたが、いまだ入学準備もされていなかった。
年末も押し迫ってきたある日のこと、その日享司はまだ帰ってきていなかった。先に眠っていた正義の耳に、母が誰かと言い争う声が聞こえてきた。
「もう二度と会わないって言ったじゃない!早く帰って!」
そっとふすまを開けて隙間から様子を窺うと、見知らぬ男がいた。
「やっと見つけたんだ。ずっと、ずっと、探してたんだ。あんただって、俺のこと忘れられなかっただろ?」
男は薄気味の悪い顔でニヤニヤしながら美津江に迫っていた。
「やめて!もうあなたとは何の関係もないんだから!」
美津江は押し殺した声で必死に抵抗していた。
「冷たくしないでよ。俺はずっとあんただけを思ってきたんだ。俺の息子、大きくなっただろう?なあ、会わせてくれよ。奥にいるのか?」
男は正義がいる部屋のほうへと近づいてきた。
「だめ!お願い!その子は、あなたの子なんかじゃない!」
美津江は必死に男を押し返す。
「まあいいや。そろそろ旦那も帰ってくる頃だろうし。今日のところは退散するよ」
「いいえ、もう二度とこないでちょうだい!」
半狂乱の美津江をじっと見つめると、男はニヤニヤしながら言った。
「でもさー、旦那だって、うまいことやってるんだぜ?今だって、よろしくやってるんじゃないかなあ」
「え?どういう、こと…?」
男はおかしそうに顔をゆがめて笑うと、信じられないことを口にした。
「旦那さんはさ、駅前の香織って小料理屋の女将とできてるみたいだぜ」
美津江の顔からみるみる血の気が引いていった。
「う、嘘よ、そんなこと。あの人に限ってそんな」
「そうそう、可愛い娘もいたっけな。あれ、隠し子だったりして」
男は楽しそうに笑うと言った。
あまりのことに美津江は呆然とし、言葉を失った。
「そんなわけだからさ、また俺たちも仲良くしようぜ。俺があんたと息子を幸せにして見せるからさ」
そう美津江の耳元で囁くと、男は不敵な笑みを浮かべ出て行った。




