5話 王城の図書館にて(リディオ視点)
実を言うとリディオは王子の不貞の噂を知っていた。
というのも王城内にある騎士団の医務室に週2回ほど派遣の勤務医として勤務しているからだ。幼い頃からの婚約者がいるにもかかわらず王城内で人目もはばからず別の女といちゃついている、なんて話はよく聞いていた。正直何も関係なかったから興味もなかったけれど。
まさかその婚約者であるイリア公爵令嬢が自分の患者になるとは思わなかったが。彼女のことも王城内で何度か見かけたことがあった。
凛とした美しい少女だと思った。
「あれ……」
医務室のある騎士団の棟から王城内への移動中、ふと目に留まったのは庭園だった。いつも美しく花が咲き乱れ噴水の水の音が美しく響いているはずが、花はすべて落ちてしまっているし、水の音も聞こえない。妖精の力を借りた庭師がよく手入れしている庭園だったのだが。
(何かあったのか? いつもは感じる妖精達の気配も感じないが……)
医者も妖精達の力を借りて治療に当たるため、わずかではあるが妖精の気配を感じることが出来る。王城の庭園にはいつも楽し気な妖精達の気配がしていたけれど、今日は不自然なほど静まり返っていた。
リディオは使用人専用の出入り口へは向かわず城内を歩いていた。あまり人気のないそこは図書室だ。薄暗い部屋の中には天井まで届く本棚にびっしりと本が詰まっている。ここは公人以外も身分が証明できるものがあれば誰でも入れるのだ。
イリアの眠り病を治すため、何か手がかりはないかとやって来たのだが――。
「やあ、リディオ・カルダーノ医師」
「え……!?」
本棚を見上げていたら突然隣から声をかけられた。顔を上げるとそこにいたのは穏やかに微笑むカルロ王子だった。ぎょっとしていくつか持っていた本を取り落としそうになって慌てて抱え直すとリディオは一歩下がって頭を下げた。
「これはどうも、王子殿下……」
「いいんだ、固くならないでくれ。今日はちょっと君と話がしたくてね」
「話、ですか」
一体どうしてこんなところにカルロがいるんだ。
そもそも王城勤めとはいえ、リディオのような末端の人間の名前をどうして知っているのか。この時点でもう面倒な予感しかしない。
「イリア・セルラオ嬢は今どうしてる?」
「……どう、とは」
「ああ、誤解しないでくれ。詮索しようなんて品の無い真似はしないさ。ただ、彼女とはもう1か月近く顔を合わせていなくてね……。僕のせいで傷心しているかと思うと心配で」
ふわりと豊かな金髪をかきあげてカルロが言う。
どの口が、とリディオは唖然とした。誰のせいでこんなことになっているんだと。涙目で苦笑いしたイリアの顔がふと浮かんだ。こんな男のために長年努力してきたのかと思うと気の毒だった。
「どうしてそれを私に?」
「君がセルラオ家の屋敷に出入りしていると聞いたからね。まあ色々あってセルラオ卿に直接聞くのは少々憚られてね。彼女はどこか患っているのかい?」
「医者は患者のプライバシーを話すことはできません。それくらいはこの国でも常識では?」
「……この僕が聞いているのに?」
「ええ、医療の前では人は平等です。少なくとも私はそう考えていますので」
リディオの答えにすっとカルロはきらめく青い瞳から温度を消した。冷たい瞳に見下ろされて漠然とああもしかしたら今日で派遣医はクビかもなあと考えた。
カルロはすぐにまた穏やかな笑顔を浮かべた。その瞳は笑ってはいなかったけれど。
「そうだね。配慮が足らなかったよ。……そうだ、イリアに伝えてくれないか。この前は酷いことを言った。あれはちょっとした誤解だったんだ。だからいつ戻って来てもいいよって」
「……は?」
それだけ言うとカルロはくるりと踵を返し、図書室から出て行ってしまった。
自分から婚約破棄をしておいてなぜ今更そんなことを?
「……最近ルイーザ嬢と上手くいっていないらしいですよ」
立ち尽くしていたリディオに背後からぼそりと声がかかった。振り向くとそこにいたのはこの図書館の司書だった。
「そうなの?」
「ええ、婚約破棄の一件も国王陛下にずいぶんと叱られたようで。それに庭を見ましたか? 見事だったあの庭園があんな寂れた姿に……」
どうやら噂好きらしい司書の男の言葉にふむ、と少し考えてリディオは近くに座って声を潜めた。
「その話、もうちょっと詳しく聞かせてくれ」
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