23話 今川家の滅亡
趣味がてらに書いてみました
戦国時代にネットショッピングを持っていたら、こうするだろうなと思って書きました
楽しんで頂けたら幸いです
天下の堅城、小田原城を1月足らずで落城させた武田を他家は恐れた
連絡兵
「報告致します。小田原城が落城し北条が滅びましてございます」
今川氏真
「な、なんと言ったでおじゃるか?!」
氏真は連絡兵の言葉が信じられなかった
あの巨大な堅城、小田原城がこんなに早く落城するとは信じられなかったのだ
謙信率いる10万の軍ですら跳ね除けたのだ
武田軍8万でも落とすことは無理だと思っていた
その小田原城が落ちた
そんな馬鹿なと氏真は思った
「それは真でおじゃるか?!」
と氏真は聞いた
「真でございます。総構えの堀と小田原城の堀を1月足らずで埋め、降伏させたのことでございます」
「あり得ぬでおじゃる! 城からの攻撃を凌ぎながら埋めたとでも申すでおじゃるか?!」
氏真は聞いた
「鉄の化け物を動かし、埋めたとのことでございます」
「武田は鉄の化け物を従えておじゃるか?」
「間違いないかと思われまする」
「か、勝てぬでおじゃる! た、武田に従属する使者を出すでおじゃる!」
「ははっ」
小田原城落城が真実であると知らされた今川氏真は、直ぐに武田への従属を申し出た
しかし、信玄は首を縦に振らなかった
長男義信の事があったからだろう
真偽は分からないが、今川の関与があったことは間違いなく、それを信玄が恨んでいたのかもしれない
小田原城を落とした武田軍は暫くそこに駐留し、小田原城の修繕を行っていた
その間、信玄と幸隆は、今川家の調略を行っていた
風前の灯火になりつつある今川家では内応に応じる者達が続出していた
幸隆
「こたびの調略は簡単にございますな」
とニンマリしながら言った
信玄
「誰しも滅びたくはないものだ」
1569年2月
こうして調略を終えた信玄は駿府今川館へ向けて軍を向けた
その数総勢6万
元北条兵が2万、武田兵が2万5千である
更に、甲府から1万5千が駿府に向けて侵攻していた
連絡兵
「武田軍が我が領内に侵攻しておりまする」
氏真
「遂に来たでおじゃるか! 大宮城で迎え撃つ、出陣でおじゃる!」
と出陣の下知を下した所に連絡兵が来た
連絡兵
「殿、大宮城の富士信忠が武田に付きましてございます」
また、別の連絡兵が来て言った
「殿、大変にございます。東駿河の城主らがことごとく武田に寝返ってございます」
「なんと! それでは武田軍はここまで素通りではないか! 麻呂は逃げるでおじゃる!」
と氏真は朝比奈泰朝の居城である掛川城へ逃げたのであった
こうして、武田軍は何の抵抗もなく今川館を占拠し駿河を手に入れた
――武田軍が駿河に侵攻すると同じ頃
徳川家康は遠江国の今川領へ侵攻して曳馬城を落城させた
そして、氏真が掛川城に逃げ込んだ直後、掛川城を包囲したのだ
武田が大きくなり、徳川家康ももう後が無かった
その為、少しでも戦力を大きくすることを望み遠江国へ侵攻を行ったのだ
兵数に差があったこともあり、家康は氏真の身の安全の保証と引き換えに掛川城を開城させた
これで、家康は遠江国を完全に支配下に置いた
こうして、全ての城を獲られた今川家は滅亡した
しかし、漁夫の利を攫って行った徳川家康に信玄は怒り心頭であった
「家康め、美味しい所を掻っ攫っていきおった。許さぬぞ!」
怒り心頭の信玄であったが、奪った北条と今川の領地を掌握することに忙しく、軍を動かすことはできなかった
新たに得た港の収益の把握、家臣への領地の配分、年貢量の把握など、やる事は多かった
信玄は、甲府から内政官を呼び寄せ掌握を開始した
また、今川館を改築し始めた
そして1年後、改築された城を駿府城と改名した
更に北条、今川の家臣を吸収し武田家に組み家臣団を再編した
武田は上杉、今川、北条の家臣団を吸収したことにより、その規模は10年前の4倍となっていた
また、大河は、甲斐、信濃、上野に跨る道路網の建設を急ピッチで進めていた
初めて投稿致します
拙い所もあると思いますが、広い心でお読みいただければと思います
誤字脱字、歴史考証の不備など歓迎いたします
しかし、物語優先で時代考証は完璧にしようとは思っておりませんのでどうぞよろしくお願いいたします
また、告知なしでの変更等がありますことをご了承ください
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