25話 連絡網
趣味がてらに書いてみました
戦国時代にネットショッピングを持っていたら、こうするだろうなと思って書きました
楽しんで頂けたら幸いです
1564年の正月となった
国中から諸将が躑躅ケ崎に集まった
そして、今年も評定が行われた
それは去年とあまり変わらない風景だ
功のある者が表彰され金を与えられた
大河も箕輪城攻略という長年の悲願を達成したとのことで表彰された
「「「あれが大河どのか。箕輪城を1兵も失わず攻略したとか」」」
去年参加しなかった者、少ししか顔を合わせなかった者達が噂をしていた
そして、評定は今後の方針へ移っていった
「去年の目標は達成された。皆の者、大儀であった。今年は内政と調略を進めようと思うておる」
「ははっ」
「そこでだ。先ずは大河が持っておるトランシーバーを使用し、我が領土全域に連絡網を作るつもりだ」
「お館様」
と大河は言った
「何だ?」
「はっ。トランシーバーよりも長距離の通信が可能な無線機というものがございます」
「ほう。続けよ」
「はっ。その無線機を各地の主要な城に置き、そこから定期的に連絡を取り合うのです」
「なるほど」
「その主要な城への連絡はトランシーバーを使うというのは如何でしょう?ただし、山などの障害物がある場合は通信できないこともありますので、その場合は山に通信基地を作った方が良いでしょう」
「相分かった。(望月)千代女!」
「ははっ」
と突然、忍び装束の女が現れた
「大河の協力を得て、国中に連絡網を作れ」
「ははっ。承知仕りました」
と今年は内政の年かと大河は思った
評定が終わり、宴会が始まった
「大河よ」
「これは信廉様、お久しゅうございます」
「米の事、儂には荷が勝ち過ぎるぞ」
「いえ、信頼できる人というのが一番重要でありますれば、信廉様しかおりません」
「むぅ。やってはみるがの」
と信廉は気が重いようであった
「大河どの」
原虎胤が声を掛けてきた
「原どの。ご病気はどうでしょう?」
「大河どののお陰でだいぶ良くなりましたぞ。感謝致す」
そう、原虎胤は肺炎に掛って床に伏せっていたのだ
それを信玄から見て欲しいと言われた大河は、虎胤を訪問した
その症状から肺炎と判断した大河は、痰を出しやすくする薬、せき止め、解熱剤を処方した
後は本人の体力次第と言って退去したのだった
登城してきたということは、治ったのだろうと大河は判断した
「良かったですね」
「このご恩は忘れませぬぞ」
と言い頭を下げた
とそこに
「大人気じゃな」
と幸隆が大河に近寄った
「お恥ずかしい。おや?そちらは?」
と大河は聞いた
幸隆の隣に幸隆に似た立派な男が立っていたからだ
「これは、儂の倅、昌幸じゃ」
「お初にお目にかかる。昌幸と申す」
「これはご丁寧に。大河と申します」
「大河どのは、我が武田家にとってかけがえのない御仁。その知恵、技はお主にとっても有益となろう」
「分かりましてございます父上。大河どの。よろしゅう願いたてまつる」
「同年代ですし、そう硬くならずとも良いですよ」
「なんと!同年代であったか!」
「とてもそうは思えなんだが、大河どのはまだ17であったか」
「そうです」
{精神年齢は40ですが}と大河は思った
こうして大河は武田家の次世代を担う人物達と既知を得ていくのであった
そして、宴会の席で信玄に
「今年は安くて美味い酒を用意せよ」
と言われた
「えっ?」
大河は、脆くも信玄に高い酒で稼ごうという策を見破られてしまっていたのだった
初めて投稿致します
拙い所もあると思いますが、広い心でお読みいただければと思います
誤字脱字、歴史考証の不備など歓迎いたします
しかし、物語優先で時代考証は完璧にしようとは思っておりませんのでどうぞよろしくお願いいたします
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