96.侯爵令嬢と家族と烏
屋敷に帰ってから誘拐による精神的疲労と薄着で監禁されていたことが原因で高熱を出し、寝込んでいた私がようやくお父様の許可が下りてベッドから出ることが許されたのはカインとケインがインゼル王国を出た後だった。見舞いに来てくれたクエルト叔父様からカインとケインの判決を聞いた時は驚愕したが、その反面、彼らが極刑に処されなかったことに酷く安堵した。せっかく自由の身になれたのだから、刑期が終わった後は自分の為だけに人生を謳歌してほしいと切に願う。
「それで、もう体調はいいのか?」
私の部屋のソファに腰かけたクエルト叔父様はアリスが入れた紅茶を飲みながら静かに尋ねる。テーブルを挟んだ向かいの1人掛けのソファに腰かけたまま、私は笑顔を作った。
「はい、もうだいぶ良くなりました。こんなに長く熱を出すのは初めてで…ずっとお休みしてしまって騎士団にはご迷惑をおかけしてしまいすいません。」
「気にすることはない。0番隊の騎士たちは皆アヤメの無事を喜んでいたし、騎士団長たちからも今はしっかりと養生するようにとおっしゃっていただいている。騎士団に迷惑をかけたと思うなら、今はしっかりと体調を整える事だけ考えるんだ。…少し痩せただろう?」
うっ…やっぱり気が付かれた。
熱を出して寝込んでいた数日は食欲もなく、ほとんどまともな食事をしていなかった。そのせいもあってだいぶ痩せてしまっていたが…気づかれないようにと厚着をしたつもりだったのに叔父様にはバレていたようでせっかく作った笑顔がしぼむ。
「…はい。」
「いつまでもそのままでは、兄上も義姉上もご心配されるぞ。それに…テオもな。」
グッ…ゲホッ!
思いもよらない名前に思わず飲み込んだ紅茶が気道に入りかけて軽くむせる。なぜ、今その名前を出すの!?アリスが差し出したハンカチで口元を押さえながらチロリと叔父様を盗み見れば、そこには楽し気に微笑む顔があった。
「テオの制服もまだ返していないのだろう?予備はあると言っていたがいつまでも借りっぱなしはよくないぞ?」
そう言った叔父様の視線が部屋の奥にかけてある綺麗に洗濯され糊付けされた純白の制服へ向けられていた。テオ隊長の制服は私が倒れた後、侍女たちの手によって新品同様にピカピカに仕上げられて返ってきた。返しに行く時に畳もうと思い、皺がつかないようにハンガーに吊るしていたが、こんな事ならクローゼットにしまうんだった。
「一刻も早く体調を戻して元気な姿を見せてやってくれ。あまり感情や心情を顔に出すタイプの男ではないが、かなりアヤメの事を心配しているぞ。」
「…はい…。」
叔父様の言葉になんだか気恥ずかしくなって視線を膝に落とした。
当たり前だが、テオ隊長とは私を屋敷まで送り届けてくれた日以来会っていない。熱を出して寝込んだことは黙っているつもりだったのにさすがに隠し通すのは無理だったらしい。もしかしたら叔父様が教えてしまったのかもしれないが、できる事なら余計な心配をかけたくないから黙っていてほしかった。
「そう言えば、ヒガサには会ったか?」
お茶菓子として出されていたパウンドケーキをつまみながら叔父様が思い出したように口を開いた。甘いものはほとんど食さない叔父様だが、叔父様が幼少のころから屋敷に勤めている料理長はしっかりと叔父様の好みを覚えていたらしく、今日の訪問に合わせて甘さ控えめのブランデー入りパウンドケーキを焼きあげていた。
「いえ、私が屋敷に帰った日以来、お会いしていません。」
私が答える間に二切れ目を豪快に口に運んだ叔父様は「そうか。」とこぼし紅茶で口を潤した。
「何かありましたか?」
「いや、特に用はないんだが、明日の早朝に帰国すると聞いていたからな。その前に挨拶にでもと思ったんだよ。」
ヒガサおじさんが明日イスラに帰る!?
初めて聞いた話に、飲もうと持ち上げたカップをソーサーに戻した。まさか、こんなに早く帰国されるなんて思わなかった。幼い時の感覚で、まだしばらくはいてくれるものだと思っていたのに…。
「まぁ、帰りにヒガサの部屋にでも寄ってみるさ。どうせ、いつもの離れだろう?」
叔父様の言葉に頷くことしか出来ない。
ヒガサおじさんとはもっと話をしたかったし、沢山の異国の話も聞いてみたかった。それに、今回の誘拐の件のお礼もまだきちんと伝えられていない。元気になったから、明日にでもご挨拶にと考えていたところに降って来た叔父様の話は寝耳に水だった。
「…アヤメ?どうした?具合でも悪いのか?」
急に黙り込んだ私に叔父様が心配そうな声をかけた時だった。
「何事だ?」
静かな声と共に空気が揺れたかと思えば、叔父様のすぐ後ろにヒガサおじさんが立っていた。
「ヒガサッ!!?」
「アヤメ?どうした?まだ具合が悪いのか?」
驚いて声を上げたクエルト叔父様を無視して私に近づいてくるヒガサおじさんに思わず目が丸くなる。
「お前は!どうしてそういつも突然現れるんだ?アヤメももう14歳だぞ?年頃の娘の部屋に勝手に入ってくるな。」
「うるさい。緊急事態ならば仕方あるまい。」
「たとえそうだとしても、せめてドアから入って来いよ!」
「ドアを潜る時間が惜しいではないか。そのわずかな間に何かあったらどうするのだ?」
「何もないだろう!?ここは戦場でも敵地でもないんだぞ?」
「甘い。クエルトは昔からそういうところが甘いのだ。」
「お前な…」
「ふっ…あはははっ…!」
突然現れたヒガサおじさんとそれに目くじらを立てて小言をいうクエルト叔父様。
いつも落ち着いて年相応の言動が多い叔父様がこんなふうに言い合うのは珍しい。それに、翼腕でクエルト叔父様を制しながら身を乗り出しているヒガサおじさんは初めて見る。そんな二人の言い争いを聞いていたら、なんだか無性におかしくなって思わず声を上げて笑ってしまった。
「な、なんだ?」
「どうした?」
突然笑い出した私に二人が言い争いを止めて揃って私に視線を向けた。青い瞳と漆黒の瞳。人間と獣人。見た目こそ違う二人だが私を見る顔はこんなにもそっくりだ。それがまた笑いを誘う。
「い、いえ。失礼しました。」
ひとしきり笑ってしまった後、何とか呼吸を整えて二人に告げれば、二人はそろってソファ腰を下ろした。
「…で、体調はいいのか?」
気を取り直したようにクエルト叔父様が尋ねてきたので、安心させるようにゆっくりと頷いた。
「はい、大丈夫です。すいません、ヒガサおじさんが明日帰国されると聞いて驚いてしまいました。」
「…すまない。」
「いえ、ヒガサおじさんは何も悪くないですから。私がただ…もっとヒガサおじさんと色々話をしたいと思っただけです。」
「話なら今すればいい。」
「ヒガサ、そういう問題じゃないだろう?」
「?…どういうことだ?」
純粋な疑問を浮かべたヒガサおじさんに肩を落としたクエルト叔父様を見て再び笑いが込み上げるが何とか堪えた。さすがに、二度も年上の二人を笑うのはいただけないだろう。
「もし、この後お時間があるなら是非、異国の話やお母様との昔話などを聞かせていただけませんか?それに、クエルト叔父様との思い出話等も。」
そう尋ねればヒガサおじさんは不思議そうに首を傾げた後、「アヤメが喜ぶような話などないぞ?」とド真面目に返されてしまう。それでもめげずに食い下がれば、クエルト叔父様からの助け舟もあって、ようやくぽつりぽつりとヒガサおじさんが話を始めてくれた。
そして、ヒガサおじさんの話はぶっきらぼうな語り口調ながらも時折クエルト叔父様からの突込みや補正が入ってとても面白く、時間が経つのを忘れて聞き入った。
「クエルト様、ヒガサ様、奥様より本日は御夕食を共にと申しつかっております。」
夕食時間になってスチュワートが呼びに来るまで話に夢中になっていた私たちは、そのまま移動した食堂でも昔話に花を咲かせた。今度はお母様とお父様が加わってさらに話は広がって、食後に談話室に移動しても話は尽きることはなかった。
「クエルト、お前今日は泊まっていけ。部屋はそのままにしてあるぞ?」
「いえ、私は騎士棟に戻ります。明日は朝の合同訓練がありますので。」
「ならば、俺が帰国ついでに運んでやろう。夜明け前には屋敷をでるからな。」
「ヒガサ殿もこういってくれてるんだ。たまには屋敷に泊まってもいいだろう?問題ないだろスチュワート。」
「はい、クエルト坊ちゃんのお部屋でしたらすぐにでもご案内できます。」
「スチュワート、坊ちゃんはやめろ。」
穏やかな笑顔と共に言ったスチュワートにクエルト叔父様が苦虫を噛み潰したような顔でスチュワートを睨みつけた。それを見たヒガサおじさんは隠すことなく笑い、私も釣られて笑ってしまう。
「坊ちゃん…ククク…。」
「ふふふ…。」
「ヒガサ!アヤメ!笑うな!!」
怒られても笑いを止められずにいれば、ついにお母様まで笑い出して、ついにクエルト叔父様の顔が赤く染まった。
「坊ちゃん…ふふっ。」
「義姉上!!」
「私のことも昔のように兄様と呼んでいいぞ?」
「呼びませんっ!」
こうして久しぶりのにぎやかな夜が過ぎて行った。
翌朝。
朝日が昇る前の空が黒から薄紫に変わり始めるころ、私はアリスと共にヒガサおじさんのいる離れを訪ねた。母家から渡り廊下で繋がった一軒家は普通で考えれば立派なつくりだが、果てしなく大きく豪奢な母家と比べれば、離れはこじんまりという言葉がピッタリだ。
離れの前には既にヒガサおじさんとクエルト叔父様が揃っていて、二人とも私が先に私室へ戻った後もお酒を飲んでいたのにタフだなと感心する。
「まだ、朝も早く気温も低い。こんなところにいては熱がぶり返すぞ。」
私の姿を見たヒガサおじさんは心配そうに言いながら、そっと私の頭を撫でてくれた。羽毛に覆われたその手は、とても暖かくて優しい。
「どうしても、お見送りしたかったんです。…この度は助けていただいてありがとうございました。私だけではなく、アルの事も…。」
アルはヒガサおじさんに発見されてから、すぐにお父様とお母様の治療を受けていたが未だに目を覚ましてはいない。お父様にもヒガサおじさんにもいつ目を覚ますのかわからないとのことだった。それを考えれば胸が切り刻まれたように痛む。
頭を撫でていたヒガサおじさんの手が急に止まった。そして、まるで私の痛みを感じたかのようにヒガサおじさんの眉間にしわが寄る。
「アルなら大丈夫だ。アルゲンタビウスは生命力が強い。必ず、目を覚ますだろう。」
「…っ…は、い…。」
静かに、でも強く響いた声に思わず胸が込み上げる。そしてヒガサおじさんは漆黒の瞳で真っ直ぐに私を見下ろした。
「アヤメは強い。俺の知らないうちにお前は強く、逞しくなった。…そんなお前を、誇りに思う。」
そう言ったヒガサおじさんは嘴の口角をぐっと上げた。
幼い時から私を見ていてくれた人。
人知れず何度も助けてくれた人。
私の『黒い烏の妖精さん』。
「私は影だ。…人間は嫌いだし、言葉もうまくないし、クエルトのような人望もない。人に恨まれる事はあれど、誇れるような人生ではないが、その中で唯一アヤメだけが俺の光であり、誇りだ。」
クッとヒガサおじさんが何かをかみしめるように嘴を一度鳴らした。
「ヒガサおじさん…?」
「影は、いつでもそばにある。俺はいつでもアヤメを…見守っている。」
そう言ったヒガサおじさんの肩越しにクエルト叔父様が一瞬笑ったように見えた。
「息災でな。」
言いたいことは言ったと言わんばかりに踵を返そうとしたヒガサおじさんを慌てて引き留める。今日はただお礼と見送りに来たわけではない。
「これを…。」
アリスから包みを受け取ってヒガサおじさんに差し出せば、烏の頭が視線を包みに向けたまま横に曲がった。
「これは…なんだ?」
「今までの分と今回の分の、その、…お礼です。」
「このようなものをもらうことはしていないが?」
「そんなことはありません。小さい時から、ヒガサおじさんには沢山助けてもらいました。…今回の件も合わせて、…大したものではないのですがぜひ受け取って下さい。」
そう言って大きな手をとり、持っていた包みを乗せる。おじさんの大きな手に乗せられた包みはすごく小さく感じた。ヒガサおじさんは包みと私の顔に何度か視線を動かしてから鋭い爪が付いた手で慎重に包みを開いてくれた。そして、中から出てきたものを見て漆黒の瞳を大きく揺らす。
「…これはっ…。」
彼に送ったのはミサンガだった。
昨日の夜部屋に戻ったから急いで作ったそれは、幼い時に贈ったものよりも大きく今度こそヒガサおじさんの手首にも回るはずだ。
「…私の瞳の色とヒガサおじさんと同じ私の髪の色の糸で編みました。」
包みからそっと摘み上げられたミサンガは紫と黒の糸で編まれている。めったに会うことができないヒガサおじさんに少しでも私の事を思い出してほしいというちょっとしたわがままと、異国へ赴くことが多いおじさんの旅の安全を願って作ったミサンガをおじさんは器用に片腕で左手首に着けた。ほどけない様にときつく結ばれたその結び目に「また会えますように。」とあの時と同じ願いを込める。
「ありがとう。生涯、大切にしよう。」
「ふふふ、大げさですよ。切れた時にはまた作るので…その時にはまた会いに来て下さい。今度は…ドアから…。」
昨日の件も含めて少しふざけて笑えば、カチカチと嘴を鳴らしてヒガサおじさんが笑ってくれた。初めて見たその笑顔は、とても優しくて…どこか懐かしかった。
昇り始める朝日に向かって飛び立ったヒガサおじさんとそれに乗ったクエルト叔父様を見送りながら、伸びてきた朝日に思わず目を細める。
また、いつか…。
小さくなって、やがて朝日に吸い込まれるように消えて行った黒を私はいつまでも見続けていた。
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