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92.侯爵令嬢と騎士隊長と烏

お待たせしました。

よろしくお願いします。

アヤメ…。


アヤメ…わかるか…?


柔らかな温もりの中まどろんでいた意識が呼ばれる声にゆっくりと引き上げられる。ふわふわとした穏やかな揺れと、それでも不安を感じる事なのいほどしっかりと包んでくれる大きな腕のなか、ゆっくりと瞼を開ければ漆黒の瞳が私を見下ろしていた。


「…?」

「…アヤメ?大丈夫か?」


低く囁かれた声に、覚醒した頭が一気に回りだした。


「テオ隊長っ!?え、な、私…え?寝てた…?!」


そうだ!

私、テオ隊長に抱えられて….…それで、いつのまにか寝てたの!?

見れば、テオ隊長の騎士の制服の上着に包まれたまま、彼の腕にお姫様抱っこされている状態だった。自分の現状を理解した瞬間から一気に羞恥が込み上げて、身動きの取れないテオ隊長の腕の中で顔にじわじわと熱が集まっていく。


「…大丈夫か?」

「は、はい…すいません…。私、その…すいません。」


何を言っていいのかもわからず、バカみたいにすいませんを繰り返して赤くなった顔をくるまれている上着に隠せば、そこからテオ隊長の匂いがして余計に熱がひどくなった。ドキドキとうるさい鼓動がテオ隊長に聞こえないように必死で抑えていると低い声が降ってくる。


「…気にするな。侯爵家に到着した。歩けそうなら降りるか?無理ならこのまま寝室まで運ぶが?」

「いえ、その大丈夫です。お、下ろしてください。」


蚊の鳴くような小さな私の声に頷いたテオ隊長が、そっと丁寧に下ろしてくれる。少し、左足が痛んだがそれでも歩くのには支障がない。そのまま支えてくれているテオ隊長にお礼を言って上着を返そうとしたが、無言で制されてありがたく借りておくことにする。この下は薄いワンピースで、カインとケインの血が付いているから、きっと酷い状況だろう。両親と使用人たちならまだしも、現場にいなかった騎士たちの姿もあるこの場ではありがたく使わせてもらおう。

そう思いなおして、上着を羽織りなおせば、静かにテオ隊長がそっと背中に手を当てた。その手に促されるように、視線を向けた先には………お父様とお母様が二人並んで玄関ホールに立っていた。


「アヤメッ!!!」


大きな声で私を呼んだお父様が両手を広げてこちらに駆け寄ってくる。

……お父様が…泣いている…?

そう思った次の瞬間には、強い力でお父様に抱きしめられていた。

広い胸の中、突然の事に驚けば、ポタッ…と頬に温かな雫が落ちた。それを追うようにして顔を上げれば、お父様が顔をくしゃくしゃにして、歯を食いしばり泣いていた。声も出さずに、ただ、何かをかみしめるように涙を流し続けるお父様に熱いものが込み上げた。


「ただいまっ……戻り、ました…っ。」


泣きながら嗚咽が漏れそうになるのを何とか堪えてそう告げれば、背中に回された腕の力が強くなる。それに応えるように私も背中に腕を回す。昔はあんなに大きく感じた背中は…やっぱり今でも大きいけど、それでも昔よりずっと近くなった。そして、昔と変わらずに優しくて、温かい。

そうしてしばらく抱きしめてくれていたお父様が、手を緩めて振り返る。私も合わせるように手を離してお父様の視線の先を見れば…


お母様が自身の細い体を抱きしめるようにして静かに泣いていた。


その姿に動きが止まる。

お母様の泣き顔を正面から見たのは初めてだった…。

治癒魔法を使えない私を産んでしまったこと、そのせいで私が傷つけられたことで自分を責めて泣いていたのは知っているが…その時に見ていたのは、震える小さな背中だった…。お父様がこちらに招くようにお母様に手を伸ばせば、不自然なほど真っ直ぐに伸びた背筋のまま震える手をお父様の手にのせた。お兄様とよく似た美しい顔を赤く染め、涙に濡らして…ゆっくりと私に歩み寄る。


「お母…様…、た、だいま…戻りました。」


とめどなく流れる涙をぬぐうこともせずにお母様に言えば、私の目の前に来たお母様の白い手が頬に触れた。そのまま、スルッと首に落ちたところで止まれば、次第に触れられた手がフルフルと震え、美しい顔がぐしゃっと歪んだ。


「よく、よく無事で…っ…!」


そう言ったお母様は、それ以上は言葉にできないようで、代わりに細い腕を回して抱きしめてくれた。背中に回された腕は、その細さからは考えられないほどの強い力で私の体を、まるで引き合わせるように抱きしめる。


「つら、辛かった…で、しょ…。怖かっ…たでしょう…っ。」


そのまま、背中に回った手が頭を何度も撫でてくれた。

怖かった…。寒くて…痛くて…悲しくて…怖かった。

現場では自覚することのなかった恐怖や不安が、お母様の腕の中ではっきりと感じる……それにまた涙があふれた。

「お母様…。お母様。」と子供の様にその細い体に腕を回して、細い肩に頬を摺り寄せれば、お母様はギュッと一度強く抱きしめなおしてくれた後、少し体を離して私を覗き込んだ。


「怪我は…?」

「大丈夫、です。ほとんどクエルト叔父様が治してくれたので。」

「…そう…よかった…。」


そう言ったお母様の視線が私の首元に向けられる。…さっきも首元を見ていたような…?

そこまで考えて、ハッと思い出し慌てて首元を隠した。きっとお母様は首元についていた枷の跡を見たんだ。治癒魔法は怪我は治せても、痣は消せないから。


「…すいません。見苦しくて…。」

「そんなことないわ。…こんなに跡が付くほど…。」

「でも、もう大丈夫です。」


お母様を元気づけるように明るい声で言えば、隣にいたお父様が私の背中に触れた。そして、反対の手をお母様の背中に同じように伸ばしてぎゅっと三人で抱き合った。

帰って来た…。帰ってこられた……。

二人のぬくもりに包まれながらそう実感すれば、言いようのない安堵が込み上げて涙腺が崩壊した。




「…兄上…。」


しばらくお父様とお母様と抱き合っていると、控え目にクエルト叔父様の声が掛った。

そうだった!まだ、クエルト叔父様や騎士たちがいたんだった。自分たちの世界に入ってしまった事を恥ずかしく感じながらゆっくりと体を離して、クエルト叔父様のほうへ向き直る。そして、お父様がクエルト叔父様と騎士たちに向かい合った。


「クエルト…テオ隊長…誇り高き騎士たちよ…娘を無事に救い出してくれたこと、心から感謝する。…ありがとうっ…!」


そのまま深々と腰を折って頭を下げたお父様にお母様が続けば、控えていた使用人たちも同じように頭を下げた。


「…兄上…どうか頭を上げてください。」


少しの間を置いた後、クエルト叔父様がお父様の肩に手を置いた。それに促されるようにお父様が上体を起こせば、クエルト叔父様はクシャリと涙を溜めた瞳で顔を歪ませた。


「あの時の様に…辛い思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。」


静かに紡がれた声が震えていた。

それに目を見開いたお父様は一瞬息を詰めた後、グイッとクエルト叔父様を抱き寄せる。


「馬鹿な事をっ…。あの時つらい思いをしたのはお前も同じだろうがっ…!」

「くっ…っ。」


お父様の絞り出したような言葉にクエルト叔父様は顔を伏せる。

『あの時』…二人が言っているのはきっと亡くなってしまったジュリエ叔母様の事だろう…。そのことを思えば、胸がきゅっと苦しくなった。


「だが、あの時とは違う。…アヤメはっ…無事に戻って来た。…それはっ、ほかならぬお前たちの力だ…っあり、がとうっ…。私たちの、大切な者を再び失わずに済んだっ!」

「…っは…いっ…。」


涙にぬれたお父様の声にクエルト叔父様が小さく返す。二人がこんなふうに抱き合って涙を流す姿を見るのは初めてで呆然とその光景を見ていると、ヒガサと呼ばれた烏の獣人さんがこちらにやって来た。それに気が付いたお母様が涙をぬぐい柔らかく微笑む。


「ヒガサ…ありがとう。」

「…礼には及ばん。…疲れているようだが、大丈夫か?」

「ええ。…大丈夫よ。」

「アヤメも無事に戻ったんだ。ゆっくり休むといい。屋敷のほうはしばらく俺が警邏しておこう。」

「ふふふ、昔から働きものね。あなたもゆっくり休んでよ?部屋なら用意しているから。」

「ずいぶん用意周到だな。」

「嫌じゃないくせに。…あ、そうだわ、アヤメとはもう話した?」

「…少しなら…。お前、俺の事を何かアヤメに言ったのか?」


烏の漆黒の瞳が私に向けられた。その視線の強さに少しだけ恐怖を感じるが……やっぱり…間違いない。この人は…


「ヒガサおじさんですよね?」

「…俺を知っているのか?」

「ふふふ、私が教えたのよ。それに、あなたもアヤメの幼い頃に何度か覗きに来ていたでしょう?」

「…覗きではない…誤解を招く言い方はするな。」


お母様がどこか楽しげに言えば、ヒガサおじさんは苦虫をかみつぶしたように嘴を揺らして視線を逸らした。


ヒガサおじさん。

お母様がイスラ王国に留学したときに知り合った友人で命の恩人。そして、お母様と同じイズミ様を師事するお母様の兄弟子だ。直接顔を見て話すのは今日が初めてだが、その存在は幼い頃はとても身近に感じていた。


それはいつも私が困った時や悲しい時に訪れるものだった。

広い屋敷で迷子になった時には、廊下に落ちた黒い羽根が帰り道を教えてくれた。

敷地内の森でけがをした時には、切り株の上に薬草と清潔な布を置いてくれた。

ベランダで一人シーツにくるまって泣いた後には、必ず綺麗な飴玉を一つ窓辺に置いて行ってくれた。


数々の出来事は今は朧げになってしまったが、その時の嬉しさははきちんと覚えている。

『妖精さんがいるの!』

度重なる不思議な出来事に、興奮した幼い私がそう言ったときにお母様はとてもやさしい顔で教えてくれたのだ。


『妖精さんじゃなくて、黒い烏さんよ。』

『からす?』

『そう。私のお友達で、とても強くて優しいの。アヤメの事が大好きだからいつもアヤメを助けてくれるのよ。』

『えー!!でも、会えないよ?出てきてくれないもん。』

『そうね…。その烏さんはとても恥ずかしがり屋なのよ。だから、顔を見るのは我慢してあげて?きっといつか会える時が来るから。』

『はぁい…。』


それから、お母様は烏さんの事を「ヒガサおじさん」と呼んでいた。

…ある日を境にぱったりとヒガサおじさんの気配を感じることはなくなってしまっていたのに、まさか…こんなふうに再会するとは思ってもいなかった。


「…幼い時から、何かと気にかけていただきありがとうございました。」


あの時のお礼をと思い頭を下げればヒガサおじさんの長衣の止め具に目が留まった。

袖のない長衣は腰の部分と胸の横で紐を結んで止めてあるが、胸の横の部分のひもには見覚えがある。


「これ…あの時の…?」


ポロリとこぼした声にヒガサおじさんの肩が揺れた。そして。気まずそうに頭の羽を掻きながらゆっくりと頷いてくれる。

それは、幼い私がいつも助けてくれる黒い烏さんへ送ったミサンガだった。何かお礼がしたいと思いついたのは前世で紛争地域の村へ行った際に若い女の子から教えてもらったミサンガの作り方だった。おぼろげな記憶をたどりながら、小さな手で必死になって編んだミサンガは今考えればどうみてもヒガサおじさんの腕には小さいし、そもそも翼腕では身に着けられるはずもない。そんなことも考えずに贈り付けたそれを……

まさか…今も身に着けていてくれるなんて……。


ヒガサおじさんの優しさに思わず頬が緩み、嬉しさが込み上げる。


「こんなになるまで大切にしてくれて…ありがとうございます。」


私が送ったミサンガは色褪せて、何か所か縫い合わせたような跡があり、大分痛んでいた。それでも大切に使ってくれていることが嬉しくてお礼を伝えれば。ヒガサおじさんはそっと鋭い爪ある指でミサンガを撫でた。


「幼いアヤメが俺の為に拵えてくれた物だ。当然だろう。」


少しぶっきらぼうに言ったヒガサおじさんにお母様と顔を見合わせて笑った。この方は今も昔と変わらずに…優しい…。

こうして私は束の間の再会をたのしんだ。



「では、我々は騎士棟へ戻ります。」


一通り報告が済んだ後、クエルト叔父様がお父様に騎士の礼を取る。二人ともまだ目が赤かったが、あまりここにもいられない。帰ったら容疑者たちの処置と騎士団長への報告があるのだ。


「皆様、本当にありがとうございました。」


騎士たちに向かって頭を下げた。ここにいるのは私の為に夜通し駆けまわってくれた騎士たちだ。彼らが来てくれなければ、私は無事ではすまなかっただろう。ここにはいない、レシ隊長達にも後日改めてお礼を伝えなくては…。


「俺たちの事は気にするな。とりあえず、今はゆっくり休むんだ。」

「はい…ありがとうございます。」


クエルト叔父様に返事をして、馬に乗ろうとしていたテオ隊長に視線を向けた。


「テオ隊長…ありがとうございました。」

「礼はいい。ゆっくり休んで、英気を養ってくれ。」

「はい。あ、制服は…」

「着ておけ。予備はあるから返却は何時でも構わない。」

「…はい。」


穏やかな声色にギュっと羽織っているテオ隊長の制服の前を両手で合わせた。それを見ていたテオ隊長の瞳が柔らかく笑う。


「…では、またな。」

「はい…また…。」


遠くなるテオ隊長達の後姿を見送りながら、私は彼の制服の詰襟に鼻をうずめた。まだ、テオ隊長の香りと温もりがかすかに残っていて、それに酷く安心した。

それと同時に意識が遠くなる。


あれ…?何だろう…?なんか、すごく、眠いな…。


「アヤメッ!!!??」

「アヤメッ!!」

「お嬢様!!!!」


遠くで私を呼ぶ声を聞きながら、私はゆっくりと意識を手放した。



誤字脱字報告ありがとうございます。お手数おかけいたします。

また、ブックマーク、評価、いいね等ありがとうございます。

すべてが励みです。今後ともよろしくお願いいたします。

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