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91.それぞれの夜明け

「アールツト侯爵令嬢無事に保護完了!!

容疑者3名確保、いずれも重傷を負うが侯爵令嬢の処置により命に別状なし。

これから帰還します。」


伝令の知らせを聞いたオッドは騎士団長室の椅子にゆっくりと背中を預けた。それと同時に、深く長い息を吐く。すぐそばにいたインブルも、無造作に髪をかき上げて静かに首を回した。


「何とか間に合ったな。」

「…そうだな。」


あと一時間遅ければ騎士たちを招集し、捜索の規模を広げる所だった。捜索につく騎士の人数が増えればそれだけ人目につきやすくなる。そうなれば、民やネーソス帝国の人間にもアールツト侯爵令嬢が行方不明になったと知られる可能性は高くなってしまう。民の混乱やさらなる犯罪の増長につながるようなことは何としても避けたかった二人は、朝日と共に届いた吉報に心の底から安堵していた。


「これから、容疑者三名の護送の為に馬車を出す。重傷を負っているという事だから、救護棟の地下を用意しておくように伝えてくれ。」

「わかった。ところで、容疑者を治療したのはアヤメ嬢なのか?自分の事を誘拐した犯人を普通治療なんてしないぞ。」

「…まぁ、そこは、アヤメ嬢だからな。」


眉間のしわをもみ込みながら言ったオッドにインブルは声を出さずに笑って「確かに。」と頷いた。


「それよりも、私が気になるのはヒガサ殿だ。」

「ああぁー、そうだな。あの方も来ていたのだったな。」

「まさか、このタイミングであの方が我が国にいるとは思わなかった…今回は大人しくしていたようだが、もし単独行動でもとられていたら…考えただけで胃が痛む。」

「ん?お前が心配していたのは毛根ではなかったのか?」


楽しそうに頭に視線を向けたまま言ったインブルはオッドに鋭く睨まれ、大げさに肩を落とした。


「まぁ、今回はクエルト隊長がいたからな。ヒガサ殿を止めることができるのは我が騎士団ではクエルト隊長だけだろう。」

「隊長とつけて呼ぶと、怒られるぞ?」

「…長年の癖はいつまでたっても抜けんよ。たとえ、役職が上になろうと、私の中で隊長と本当の意味で慕えるのはあの方だけだ。」


遠い目をして話すインブルに、何も返さないまま心の中でオッドも静かに同意した。


「…今でも、クエルト隊長との組手は恐ろしいしな。」

「くくく…同感だ。」


ふと思い出すように言ったオッドの肩をインブルが笑いながら叩いた。先ほどまでの重苦しい雰囲気が和らぎ朝日が差し込んだ部屋は、穏やかな空気に満たされつつある。


「さて、これからまた忙しくなるぞ。」

「ああ、そうだな。もし…今回の件で処罰を受けるつもりなら、一言声をかけてくれよ。私も半分は背負おう。」


思いもよらない発言にオッドがインブルを見上げる。

今回の誘拐事件は自分が管轄する騎士団の敷地内発生しており、しかも騎士団の従者に犯人が紛れ込んでいた。それは明らかな自分の監督不行き届きだ。この後、アールツト侯爵家と、上層部にも報告と謝罪にいく予定だ。フェアファスング宰相は悪くないと言ってくれたが、オッドはその言葉を額面通りに受け取るつもりはない。たとえ、命じられなかろうとも、騎士団長としてしかるべき処罰を受ける決意でいた。もし、自分に何かあった場合はインブルに騎士団を任せようと考えていたこともあり親友ともいえる彼の発言を納得できなかった。


「…お前まで巻き込むつもりは無い。お前までいなくなったら、誰が騎士団を纏めるんだ。」

「そこは、ほら、我らがクエルト隊長がいるし、ストーリアやアンモスたちだっているさ。それに、私達が居なくなったからといって崩れる様な弱い騎士団を作り上げてきたわけじゃないだろ?」

「…。」


確かにそうだ。自分が作り上げてきたのは、民と王族を守り、この国を守る誇り高き騎士団だ。騎士団長と副団長が居なくなったからと言って総崩れになるような騎士たちではない。

自分よりも自分をわかっているような、親友にオッドはゆっくりと眉を下げた。本当に、昔から…お前にはかなわない。


「…済まない。」

「そこは、「ありがとう」と言ってほしかったな。」

「…う…む。」


インブルの言葉に恥ずかし気に顔を逸らしたオッドを見て、今度こそ彼は声をあげて笑った。不器用で、でも真っ直ぐで、優しくて…。そんなオッドだからこそインブルは彼を支えて行こうと決めたのだ。まぁ、一生言うつもりはないが…。


「謹慎になったら、久しぶりに手合わせでもするか?」

「やめろ、他の騎士たちに見つかったら面倒だ。何よりもクエルト隊長が指導と銘打って参加しかねない。」

「そうだな…それは危険だ。というか…お前も隊長呼びになっているぞ?」

「うるさい。」


新人騎士の時、隊長になった時、団長になった時、節目ごとになぜかクエルトと手合わせさせられた二人には、未だしっかりと彼の鬼のような強さがしみついていた。


「…ところで、クエルト隊長とヒガサ殿だったらどちらとの手合わせのほうが勝てると思う?」


そろそろ部屋を出るために書類の束を抱えて、騎士の制服の上着を肩にかけたインブルが冗談交じりに聞けば、オッドは一瞬考えた後、こめかみを抑えて溜息を吐いた。


「…やめろ、俺はまだ死にたくない。…だが、まぁ…わずかな可能性があるのならクエルト隊長だろうな。」

「そうか。ならばそれをクエルト隊長に伝えておこう。ヒガサ殿が長く滞在してくれるのであれば、ぜひ騎士たちの為にもご指導願いたいからな。その際は騎士の見本として、ぜひ団長には体を張ってもらいたいものだ。」

「!なにっ!?おい、冗談だろうな?!」


慌てて椅子から立ち上がったオッドにひらひらと手を振り返して、部屋出ればその顔は騎士団副団長の物へと変わった。そして、オッドの毛根と胃によく効く薬でもないか今度探してみようと、気を抜けば緩みそうな頬に力を入れて足を進めた。




「旦那様、奥様!お嬢様が無事騎士団に保護されたそうです!!ワイズ達も無事だとっ。今、騎士団から報告がっ!!」


朝日と共に談話室に飛び込んできたブレッグは大声でさけんだ。その知らせに、ヒルルクとフェルが同時に立ち上がる。ブレッグの執事としては問題のあるふるまいに、いつもなら苦言を呈するスチュワートもその知らせに珍しくカチャンと音を立ててカップをソーサーに置いてしまっていた。


「っ…そうかっ!!そうかっ!」

「アヤメの怪我は!?あの子は…なにもっ!?」


二人同時にブレッグに詰め寄り詳細を求めるが、グレッグがそれ以上の事は分からないと告げると、フェルがフラリと体を揺らした。


「フェルッ!?」

「奥様っ!!」


すぐさまヒルルクが支え、そのままスチュワートがソファへ誘導する。

ヒルルクの手によってソファに身を横たえたフェルはかすかに瞼を開いて、愛する夫を見上げた。


「…申し訳ありません。」

「気にするな。一晩気をつめていたのだし、アルの解毒もあった。疲れが出たのだろう。」


そっと妻の前髪を払うその手をゆっくりと細い指がからめとった。その瞳が不安に揺れていてヒルルクはそっと小さな額に口づける。


「大丈夫だ。私たちの娘は強い。…きっとクエルトやヒガサ殿、騎士団の騎士たちが守ってくれたさ。」


フェルの感じる不安の理由を正確に読み取ったヒルルクの言葉にフェルは小さく頷いた。婦女子が誘拐された場合、絶対ではないがその体に一生の傷を受けることがある。まして、アヤメはアールツト侯爵の娘。アールツトの血の為にそういう目的で攫われる可能性が高い。同じ女として、その危機を敏感に感じていたフェルはヒルルクの腕の中でそっと身を震わせた。


「何があっても、あの子の味方でいてあげて下さい。」


静かに紡がれた言葉にヒルルクは強く頷いた。

もちろんだ。と声にすることなく強く決意する。何があろうと、たとえアヤメがどんな状態だろうと必ず救って、治療してみせる。心の傷が残るのならば、何年かかろうともその傷も癒してやる。あの子は、私の愛おしい娘なのだから。


「申し上げます。クエルト様よりご連絡がありました。お嬢様を連れて現場からこちらへ直接向かわれているそうです。お嬢様が疲労により眠ってしまわれたため、寝室の用意を…と。」

「疲労により眠った…?」

「ケガは…?」


思わず報告に来た使用人にヒルルクとフェルが聞き返せば、彼は僅かに緊張した面持ちで、手元のメモを読み上げた。


「はい。お嬢様は足に打撲を負っておりますが、他に目立つケガはなくクエルト様により治癒魔法を受けています。あと、その…容疑者の二人の手術をしていたと…。」


今度こそ、二人の目が丸く見開いた。そして、それを聞いていたスチュワートが静かに笑みを深くする。

やはり、お嬢様は…お嬢様だ。そして、あの三人もきっと…。

それだけ考えたスチュワートはすぐさま頭を切り替えて、これからやるべきことを使用人たちへ指示を出す。


「お嬢様の寝室の用意をアリスに。合わせて湯あみと消化のいい食べ物の用意を。」

「「承知しました。」」


返事をして部屋を出ていくブレッグ達を見送って、スチュワートは新たにポットを沸かし紅茶を淹れ始めた。


「旦那様、奥様。よろしければお嬢様がお戻りになる前にいかがですか?」

「スチュワート…。」


音もなくソファの前に置かれたカップにはいつもとは違う色の黄色みがかった紅茶が置かれていた。


「心を落ち着かせる作用と疲労回復の作用がある茶葉をブレンドしてみました。気休め程度にはなるかと。」


スチュワートの話にうなづいたヒルルクは「起きられるか?」とフェルに手を貸して、ゆっくりと彼女の細い肩を支えるようにソファに並んで座る。


「…お嬢様が無事でよかったです。」

「そうだな。…だが、容疑者を手術するなど…。」

「そこは、どなた様の血筋に間違いないかと…。」

「…俺じゃないぞ。」

「私…でしょうか…?」


そう言って顔を見合わせる主人たちの姿にスチュワートは「お二人ですよ。」と心の中で呟き、笑みを作り続けた。ふと見た窓の外は大分日が昇り、青い空が広がっている。まるで昨日の雲が広がった夜空が嘘のような快晴に目を細めた。年老いた目にはだいぶ強い色彩だったが。この中をお嬢様が帰ってくると思えば目を逸らす事などできない。


「お帰りをお待ちしております。マイ・リトル・プリンセス」


そう小さくつぶやいた言葉は誰にも聞かれることなく、差し込んだ日差しに消えて行った。






「そうですか!無事に発見されましたか!!」

「はい。」

「ケガや暴行の有無は?!」

「はっ、騎士団長の報告によれば、目立った外傷はなく、軽い傷はすべてクエルト隊長による治癒魔法で完治しているとのことです。現場から、まっすぐアールツト侯爵家へ向かわれるとのことでした。」

「…わかりました。下がっていいですよ。何かあればまた報告をお願いします。」

「承知いたしました。失礼いたします。」


報告に来た衛兵が退出するのを確認して、ユスティーツは王城の執務室の大きな机の上に力なく突っ伏した。はぁぁぁーー。と意識せずに大きなため息がこぼれる。

良かった。良かった。良かった。良かった。


「良かった…ヒルルク…。」


小さく囁かれた言葉は、彼にとって唯一の親友へ向けたものだった。誰よりも苦しく、つらい夜を耐え忍んだ友に、心からよかったという思いが溢れだす。そして、アヤメに対してもユスティーツは心を馳せた。14歳の少女が誘拐されて無事だったことは喜ばしい。しかし、彼女の心は大丈夫だろうか。身体的な傷や怪我はないというが…その心は?息子の命の恩人でもある少女がどうか健やかに、安らかに、過ごしてくれるようにと願わずにはいられない。

…アヤメ嬢が望むのであれば、あの話を検討してもいいかもしれないな。

ふと、数日前の上層部会議でイスラ王国から送られてきた書状の内容を思い出した。が、今は考えるべきではないと頭から追い出す。

…どのみち私一人では決められないし、アヤメ嬢と家族の同意が必要だ。だが、もし本人が望むのであれば…協力は惜しまない。……誰にも文句を言われず、怪しまれず、気づかれることなく…___完璧に……。


そこまで考えてユスティーツは思考を手元の資料に戻した。

それよりも、今は…誘拐の主犯とされるヤーコブ男爵。実行犯のケインとカインの双子兄弟だ。すでに、カイン・フテクトに関連する資料はすべてそろえてある。もうしばらくすれば、小姓がヤーコブ男爵に関する調査報告書を持ってくるはずだ。


そして…ハサン外交官。

昨夜の話では嘘をついているようには見えなかったし、主犯は我が国の人間だった。


だが…。

昨夜尋ねた時のハサンの言葉がどうにも引っかかる。


あれでは…まるで………______。


そこまで考えて、再びノックされたドアにユスティーツは思考を戻す。


「侯爵令嬢並びに騎士隊がアールツト侯爵家に到着されたそうです。合わせて、オッド騎士団長がお目通り願いたいと。」

「わかりました。通してください。」


ユスティーツは騎士団長の訪れに合わせて、散らかった机の上の書類をまとめ始めた。



……


長い夜だった。


それぞれにとって長くて苦しい夜が今、やっと明けたのだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

「活動報告」に今後の連載予定を記載いたしましたので、良ければご一読ください。


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