89.侯爵令嬢と…
*身体欠損、流血などグロテスクな表現があります。苦手な方はご注意ください。
★登場する医療記述、およびその他はすべて作者の想像であり、実在する物とは異なりますのでご注意ください。
パッ…とスローモーションのように目の前に鮮血が飛んだ。それと同時にドサリと重たい音を立てて床に赤毛が散る。
「…うっ!?」」
「カインッ!!」
振り降ろされたナイフは私ではなく、カインの右肩を切り裂いていた。思わず駆け寄ってすぐに止血の為に手を伸ばす。幸いにも大きな血管は傷つけてはいないようだが、切り裂かれた皮膚からはじわじわと血が溢れて、彼の服を赤く染めていた。すぐに破れたシャツの袖を引き千切り、患部を圧迫止血する。
「さぁ、治してみろアールツト侯爵令嬢殿?」
「…っなんてことをっ…!!」
「本当に治癒魔法が使えないのか、一応確かめたくてね。」
クソ野郎!!
ギリッと奥歯をかみしめて、ヤーコブを睨む。
「…治癒魔法は使えないわ。」
「本当に…?出し惜しみとかじゃないだろう、なっ…?」
ヤーコブがそう言った瞬間、今度はカインの太ももにナイフが突き刺さった。
「ぐあぁっ!!」
「カインッ!!?」
「それともこれくらいじゃ、傷の程度が軽いのか…?やっぱり、侯爵令嬢様だからやっぱり致命傷のレベルじゃないと、貴重な治癒魔法はこんなゴミくずには施してもらえんか。」
「嘘じゃない!私は本当に治癒魔法は使えないのっ!魔力が少なくて、膨大な魔力を有する治癒魔法を使役することはできないのよっ!!」
ナイフが抜かれたカインの太ももから噴水の様に血が噴き出した。まずい、大きな血管を傷つけた可能性がある。すぐに止血しなければ…。すぐさま、カインのベルトを抜いて傷口の上をきつく縛った。止血帯も包帯も、全部入っている医療バッグが目の前にあるのに、左足につながれた鎖のせいで届かない。
「うぐっ…!!」
苦痛に顔をゆがめるカインの頬に手を添えればうっすらと瞼が開く。
「ごめんなさい!…私のせいで…こんなっ…こんなっ…!!」
「…。」
自分のせいで誰かが傷つけられる…。目の前の事実がどんどん私の体温を奪っていくようだった。ヤーコブへの怒りと、私が治癒魔法を使えないことで傷つけられる目の前のカインに胸が押しつぶされそうなほど苦しくなる。ジワリと滲んだ涙を必死でこらえながら、カインの心拍を確かめるように手を動かせば、苦し気に寄せられた眉をそのままに、彼の瞳が真っ直ぐに私をとらえて、小さく首を振った。そして微かに彼の声が空気を震わせる。
「……、……____。」
え…?
思わず覗き込めば、カインは震える口で小さく口角を上げる。
『逃げて…ださい。弟が…くるから___。』
弟…?
「何をしているんだよっ!!?」
「カインッ!!」
ヤーコブの叫び声ともう一つ、聞き覚えのある声が重なって部屋に響いた。カインから顔を上げれば、ナイフを振り上げたヤーコブにかまわず、カインに向かって駆け込んでくる…「カイン」がいた。
「ケ…イン…。」
腕の中のカインが小さくもう一人のカインの名を呼ぶ。ケインと呼ばれたカインと瓜二つの青年は、ヤーコブを突き飛ばしてカインに飛び込んだ。突き飛ばされたヤーコブの体にぶつかってテーブルが揺れ動き、その上に乗っていた医療バッグが私の目の前に落ちる。鎖の限界で足が引っ張られて痛んだが、そんなことを気にする余裕もなく、私は必死で医療バッグに手を伸ばして引き寄せた。
やった!届いた!
「カインッ!カインッ!!?なんで?どうして…こんなことに!!」
「ごめんなさい。カインは私のせいでヤーコブに切られたの。でも、必ず助けてみせるから。」
「っ!!?…アンタっ!何して…!」
医療バッグから分厚いガーゼの束を取り出して太ももの傷に当て、首と手首をつなぐ鎖を払いのけながら、そのまま包帯を取り出そうとしたところで、グインッと強い力で足を引かれてバランスを崩し前のめりにバタンッ!と床に突っ伏した。
「っ!!」
「勝手なことされたら困るんだよ?!アールツト侯爵令嬢!!」
振り返れば、突き飛ばされたことで怒ったのか、先ほどの笑いも余裕もなくしたヤーコブが私の鎖を握り、床に叩き付けたところだった。その衝撃で、左足も床に叩き付けられる。
「いったっ…!」
「ヤーコブ様!!なぜ、なぜカインにこんなことをっ!?」
ケインがヤーコブに詰め寄るが、ヤーコブは躊躇いなくナイフを振り上げた。
「逃げてっ!!」
ザシュ!!!肉を切り裂く音と私の声が重なった。
「ぐあっぁぁ!!」
「ケインッ!!!!」
直後にケインの悲痛の声が上がる。見れば腹部を斬られていた。とっさに駆け寄ろうとするが、クンッと鎖が限界まで伸びてしまい思うように動けない。
クソッ!なんで!?何もできないなんて!!
ただただ、何もできない自分への無力感と腹立たしさが募っていく。あんなに騎士団で、戦闘訓練をしたのに、「攻略」の特殊能力も持っているのに…。クソッ…!!!
何もできずに、ヤーコブとケインを見る私の目の前で、ゆっくりとヤーコブがケインに近づいていく。
「ゴミくずが…。誰に向かって話しかけているんだよ?誰が、話しかけていいと言った?!ああぁ??」
「やめてっ!!」
そのまま腹部を抑えて前かがみになるケインをヤーコブがけり飛ばした。ガダンッ!と音を立ててテーブルの上に勢いで乗り上げたケインに、さらに追い打ちをかけようとヤーコブが足を進めた時、アオーォォォゥ!と遠吠えが響く。
かなり遠いところから聞こえるけど…この声は!!
「な、なんだ?犬か?」とヤーコブが気を取られた瞬間をついて、首元に下げていた犬笛をとりだした。枷を付けられた時に外されていたかとも思ったが、それはいつもの通りそこにある。そして、小さなそれを口にくわえて息の限り吹き続けた。
人間には聴き取りづらいけど、彼らならこれでわかるはず、だってこの遠吠えは…タケの声だもの!
タケがいるということはウメも近くに居る。そして、タケとウメだけが街中に解放されるとは考えられないから、恐らくは…クエルト叔父様と騎士団が動いてくれている。
私を探しに来ている人たちがいるという確信が、鎖でつながれた体に力を宿していく。
許せない。
許さない…。
こんなクソ野郎に、これ以上好きにさせてたまるか…。
蹴り飛ばされたことで私に近づいてくれたケインを庇うように突然の遠吠えに怯んでいるヤーコブの前に立つ。鎖のせいで、このクソ野郎に攻撃することもできないが、ギリギリカインの体の半分は隠せる。大事な商品の私がいれば下手に刃物は振り回せないはずだ。
「あ、アンタ…なんで…?」
「邪魔だ、アールスト侯爵令嬢!どけぇっ!!」
いきり立って叫ぶヤーコブを前に、私は一歩も動かず、クソ野郎をにらみつける。たかが、遠吠えごときでビビるような情けない男のくせして…!偉そうに、簡単に人を…傷つけるなんて許さない!
「どかない…あんたこそ、何してるのよ?仲間を傷つけるなんてっ…。」
「…仲間?…このゴミくずたちがか?」
「ゴミくず」彼らをこいつがそう呼ぶたびに胸が痛む。
…そう呼ばれる悲しみを私も知っているからこそ、他の人間がそんなふうに呼ばれるのは耐えられなかった。でも…
私には、私をゴミくずではないと伝えてくれる人達がいる。
だから…彼らにも知ってほしい…。
「…「ゴミくず」なんかじゃない。カインもケインも立派な人間よ!」
そう訴えれば、ヤーコブはブッと吹き出し、やがてハハハハハッと声を上げて笑い出した。
「何がおかしいのよっ!!」
その姿に思わず声を荒らげれば、心底楽しそうな顔をしたヤーコブが私越しにケインと、床で倒れているカインを見た。
「こいつらは、今まで人間だったことは一度もない。」
「な、に…?」
「カイン、ケイン。命令だ。お前たちは自分たちがどこで生まれてどんなふうに育ってきたかこの、世間知らずのご令嬢に教えてやれ。」
そんな命令聞かなくていい!そう伝えたが、カインもケインも「命令」という言葉には逆らえないようで、斬られたところを痛そうに抑えながら、カインはゆっくりと壁にもたれるようにして上体を起こし、ケインは何とか立ち上がった。そして、ヤーコブの声に、カインが血の気のない白い顔で震える声で話し始めたのは聞くに堪えない過酷な人生だった。
カインとケインはこの王都で産まれたが、産まれた場所は貧困層のスラム街の中でも劣悪な環境の家畜場だった。母親は2人を産んで、間もなく奴隷として売られて、カインとケインという名前だけ付けられた双子は、家畜の豚の乳を飲み、餌を食い、命をつないできた。そして、ある程度の年齢になってから食べていくために自ら奴隷に身を落として、様々な主人を経験し、ヤーコブに買われ、今まで彼に尽くして来たのだった。
「…始め…から、意味のない…じんせ…いだった…。」
「そうだ…。生きている意味も…価値もない…俺たちには、何も、ない。」
カインの言葉にケインが続ける。それを聞きながら涙が込み上げるのをグッと奥歯を噛んで堪える。強く拳を握りすぎたせいで、つながれた鎖がカチャカチャ音を立てて震えていた。
そんなこと…___!
「そう言う事だ。侯爵令嬢殿。こいつらの命も価値もそんなものは家畜と同じ、いや、それ以下なんだよ。だから、こんな奴がどうなろうと…」
「…を…が…っ!」
「は?なんか言ったか?」
食いしばった歯の隙間から漏れ出た声が聞き取れなかったのか、耳に手を当てて聞き返して来たヤーコブを正面から、鋭くにらみつける。
「命の価値をお前が決めるな、クソ野郎っ…!!」
それと同時に先ほど医療バックから抜き出し隠し持っていたメスをヤーコブの左腋窩動脈をめがけて突き刺した。攻撃はできないが私の手の届くところでは一番の急所。ここは腕を走る血管の中で一番太い動脈だ。すぐに止血をしなければ命にかかわることになるが…そのまま簡単には抜けないように、グリッとひねって力の限り押し込む。刺し傷は深くなればなるほど重症になる。私の行動を見ていたケインとカインの目が驚き大きく見開いていた。声も出す事もできないようで、ただ二人とも同じ顔でこちらを見ている。しかし、次の瞬間私に大きな影がかかった。
「ぐあぁぁぁっ!!侯爵令嬢ぅぅぅぁぁッ!!!!」
激しい痛みに耐えかねたのか、それとも気が触れたのかヤーコブが右手を大きく振り回し、彼に握られたナイフが私の目の前に振り下された。
しまった!!
攻略の特殊能力で難なくよけようとしたが足に鎖が絡まりバランスを崩してしまう。そして、ついに私の目の前までナイフが迫って思わず目をつぶろうとした時……
…___目の前に赤毛が揺れた…_____
グッとウエストに後ろから引き寄せられるのと同時に、ザッシュ!!!と肉が切れる音とドサッ…と何かが床に転がる音が響き…一拍遅れてブシャッ…と血の海が広がった。
「…え…__?」
そう一言、発するよりも早く、私のウエストからずるりと腕が落ちてそのままケインが床にぐずれ落ちた。
「ケイン!!」
「ケイン!?」
カインの掠れた声と私の声が響く。慌てて、ケインを振り返った私の足が何かにあたる。固くも柔らかい感触に思わず視線を落とせば、ケインの手が…手首から先が血の海に転がっていた。
「…ッッ!!!?」
「ケイン!!」
息をつめたカインを横目に、まだ間に合う!と反射的にケインの手を拾い上げた時、今度はドダンッ!バキッ!バキバキ!!という騒音と共に、私たちのいた廃墟の屋根が取り払われた。
とっさにケインの上に身を乗り出して彼を落ちてくる破片や埃から庇った時…__
「グギャー!!」
「お嬢様!!」「お嬢様!!」
…聞きなれた声が空から聞こえて目の前に、タンッと白銀が二頭降り立った。
「タケ…ウメ…。」
私が名前を呼べば、二頭が甘えるように顔をなめてくる。思わずその白銀の毛並みに頬を摺り寄せれば、シュパーンという音と共に照明弾が打ち上げられた。見上げれば、ワイズとポイズ、そしてエーデルがゲンとタビの背に乗っていた。
なんで、彼らがそこに!?幼い彼らがいたことには驚いたが、すぐに自分が抱えているものに気が付いて、ワイズ達に声を上げる。
「緊急オペをします!手伝って!!」
自分でも大きな声が出てびっくりしたが、それを聞いたワイズ達はすぐさまゲンとタビと共に建物の屋根に降り、そこから飛び込んできてくれた。
「…な、んだお前たちは?何勝手に入ってきていやがる!!」
急に部屋の隅から聞こえた低いだみ声に、ワイズ達が私を庇うように前に出て、さらにその前にタケとウメが唸り声をあげて威嚇する。見ればヤーコブが私が刺したところからおびただしい量の血を垂れ流しながら、ふらり、ふらり…とこちら向かってきていた。その右手には未だにナイフが握られている。
「なあんだ、こいつらっ…!…!?」
そう一言漏らした瞬間、ヤーコブは突然口を閉ざした。代わりに、彼の首にナイフを突き立てる漆黒の翼腕が一瞬にして現れる。あまりの早業に、私とワイズ達も息を詰めるが、翼腕の漆黒の烏の獣人は静かに告げた。
「動くな。動けば首を切るぞ。」
「!!?…なんだお前は…!?」
「お前には関係のないことだ。命が惜しけば大人しくしていろ。もしできないなら、その手足を切り落とす。」
「ひぃっ!!」
抑揚のない低い声にヤーコブの顔から色が消える。そしてガチガチと歯を鳴らし震え始めた。その様子を呆然と見ていると、漆黒の瞳がゆっくりと私を見つめる。
あれ…?その時、私を見る漆黒の瞳に急に既視感に襲われた。
この人…どこかで…?
「アヤメ、こいつは、俺が見ておこう。お前たちはその双子を診るのだろう?」
それに、ハッと今やるべきことを思い出し、手にかけていたものを改めて握りなおす。この烏の獣人さんも気になるけど、今はやるべきことがあるんだった!
「ありがとうございます。そいつが私の誘拐の主犯です。よろしくお願いします。」
「…わかった。」
烏の獣人に頭を下げれば抑揚のない声が一言返って来た。それに頷いてくるりと向きを変える。そのまま三人に指示を出そうとした時…
「お嬢様。左手首結合、および、腹部縫合でよろしいですか?」
「麻酔薬用意完了しました。ロットも計算済みです。全身麻酔及び局所麻酔、どちらでも対応できます。バイタル正常です。血液型検査完了済みで輸血用のラインも確保しています。」
「床の方は応急処置、止血完了しました。同じくこちらも血液型検査完了済み、念のため輸血用のラインも確保しています。他、輸血、輸液及び血小板その他用意できています。」
いつの間にか、床に転がっていたケインはテーブルの上に乗せられ、手術の準備が行われていた。ワイズは、縫合と結合に処置に必要な器具を並べて、ポイズは麻酔用のチューブや気化した麻酔薬を詰めているタンクを用意し、常時バイタルチェックができるようにサーチェス様と開発した小型機械を設置していた。その少し離れた場所では、エーデルが私が中途半端にしたままだったカインの応急処置を完了していて、必要に応じてすぐに動けるように輸血や輸液、血小板のパックを並べていた。
他に、止血帯や包帯、消毒液など医療バッグから次々に、これから行う手術を想定した医療品が並べられていく。
3人の作業は早く、的確だった。そんな姿を見て…全身に鳥肌が立つ。あの時の焼け出された子供たちは、もういないのだ。
ここにいるのは私の夢を託した、共に肩を並べて歩いていく、「メディカルチーム」。
「準備完了しました。」
ワイズの声に、私は頷いて三人の顔を見回す。その顔は皆確固たる自信持ち、確かな知識と技術を身に着けた医療従事者の物だった。
「これから、左手首結合及び腹部切創の縫合手術を行います。同時に輸血を開始。麻酔の深さは約1時間で調整しなさい。…鏡視下手術・マイクロサージャリーで左手首を結合します。エーデル、手術用双眼顕微鏡をお願い。」
「はい。」
これから行う特殊な手術のために、サーチェス様お手製の特別なゴーグルをかけようとした私を見てワイズが声をかける。
「お嬢様、まさか…その状態でマイクロサージャリーを行うおつもりですか?!」
ワイズの言う「その状態」とは手首の枷と首の枷が鎖で繋がっている事だろうが、私は特に気にすることなく「そうよ。」と返した。それに、三人の顔が驚きに染まる。
「…私は医者よ。こんな鎖や枷を理由に命を救わないなんてできないわ。それに、あなたたちはまだマイクロサージャリーを実際に見たことはないわよね?今日しっかり覚えなさい。」
確かにやりづらかった。しかも、首と手首をつないでいる鎖は絶妙な長さで、手術中は邪魔になる可能性もある。だけど、ここは戦場の様に砲弾が飛んでくることもなければ、海上の様に高波で揺れることもない。地にしっかりと足はついているし、私はカインとケインのおかげで目立つケガもしていない。ならば…
「こんな鎖も枷も、何にも問題じゃないわ。」
そう自信をもって告げれば、ワイズ達はゆっくりと頷いてくれた。
そのままポイズに指示を出し、ケインに麻酔薬を吸入の指示を出したところで、静かな声がかかった。
「…や…めてくれ。」
それは、応急処置を受けたカインからだった。カインは床の上に力なく座りながら上体を壁に寄りかかるようにして、こちらに顔だけを向けていた。
「もう…余計なことは…ないで…。…死なせてくれ…。」
カインの言葉にエーデルが息をつめたのがわかった。カインの瞳は暗く濁り、そこには希望も生きる意志も感じられなかった。
「俺たちは…もう、死に…たいんだ…。もう…生きることに…つか…れた。」
そう言ったカインはヒューヒューと息をしながら、私にまるで助けを求めるような視線を向ける。でも、それは、命を助けてほしいとうのではなく…この命を終わらせてほしいと願っていた。
…その姿に酷く心が痛んだ。
彼らはきっと、私が想像もできないような過酷な人生を歩んできたのだろう。食べていくために奴隷に身を落とすなど考えられないし、絶対にやろうとは思わない。でも、そうでもしないと生きてはいけないほどに…彼らは苦しかった。
絶望感や孤独感…、怒りや苦痛…そんなすべての感情に支配され、苛まれ続けたカインもケインも、もう生きるということに希望など持っていないのかもしれない。
…でも…そうだとしても…
私には…死なせる事なんて…
「…できない。」
私は希望を失ったカインを見つめて強く告げた。そのとたん、私の言葉を聞いたカインの顔が悲壮にくれる。それでも、私はカインを見つめ言葉をつづけた。
「あなた達が今までどれだけつらい人生を歩んできたのか想像もできないし、つらかったのね。なんていう言葉で、簡単に共感できる軽いものだなんて思わない。」
彼らの経験してきた過酷さと比べることすら烏滸がましいけれど…それでも
「…だけど…『ゴミくず』と呼ばれる痛みは知っているから。」
私の言葉に、誰かの息を詰める声が聞こえた。
幼い頃からフォンダ叔父様に言われてきた。そして、『落ちこぼれ』『ポンコツ』と世間から蔑まれてきた。その時の痛みと悲しみは少しくらいわかってあげられるはずだ。
「昔は…よく、どうして自分なんかが生まれてきたのだろう。って泣いていたわ。生きる価値も意味も見出せなくて、この世からいなくなりたい…消えてしまいたいって思っていた。」
麻酔薬を完成させて初めてメスを握るまで、昔はよくそう思って一人で泣いていた。お母様に見つかれば自分を責めさせてしまうし、お父様に見つかれば悲しませてしまうから。だから、一人、部屋のベランダの隅でシーツにくるまって声も出さずに泣いていた。
「それでも…そんな私でも必要としてくれる人がいたから。」
お父様やお母様、お兄様、そしてスチュワート、アリス。
「そんな私でも認めてくれる人がいて、夢を共に追いかけて支えてくれる人たちがいたから。」
クエルト叔父様、騎士団の皆、コウカ国王陛下、イズミ様、ユザキ様、ワイズ、ポイズ、エーデル。
「だから、生きて行こうと思えるようになった。…自分が生まれた意味は分からないけど、それでも生きていくための理由を見つけることができたの。」
「…それは…アヤメさんが…恵まれていたからだ…。俺と、ケイン…にはそんなこと言ってくれる、人間…なんて…。」
「じゃあ、私がなるわ。」
!!?
カインの言葉にはっきりと告げれば、彼の目が大きく見開いた。
「カインもケインも私を守ってくれた。2人がいなったら、私は今頃ヤーコブに酷い傷を負わされていたかもしれない。でも、2人がいてくれたから、こうして無傷でいることができる。誰かのために凶器の前に飛び出すのは誰でもできることじゃない。そんな勇気ある2人を私は素晴らしいと思うし、心から二人には感謝しているわ。」
カインから麻酔が効いて静かに眠るケインに視線を移す。
本当に、見れば見るほどそっくりで、何もなければ見分ける事すら困難かもしれない。きっと二人は、生まれた時から互いにつぶれそうになりながらも支え合って生きてきたんだろう。『こいつがいる限りあいつは俺を裏切らない。』ヤーコブの言葉を思い出せば、二人の強い絆がはっきりとわかる。互いが互いに…命よりも大切な存在なんだ。
だったら、なおさら…気が付いてほしい。
「それに、カインを必要としてくる人なら…ずっと、いるじゃない。」
「え…?」
「そして、カインもその人を必要としている。…きっと…産まれる前から。」
私の言葉を聞いたカインの視線がゆっくりとテーブルの上のケインに向けられる。そして、その瞳からボロリと涙がこぼれた。
「だから、1人だなんて思わないで。カインは独りじゃないわ。あなたの傍にはケインがいる。そして、ケインにもあなたが必要なの。もし、それでも孤独だと思うのなら、…私もいるわ。…何もできない、と諦めたくなったり、2人じゃどうしようもないほどつらい時は…私のところにいらっしゃい。三人でたくさん話し合いましょう?」
カインはボロボロと流れ落ちる涙をを拭うこともなく、ただ歯をかみしめて、ぐちゃぐちゃの顔でケインを見ていた。
どうか、どうか…届いて欲しい…。
ここからは私のエゴになるけれど、押し付けになるかもなるかもしれないけれど、どうしても彼らに伝えたい。
「私は、この世には産まれてこなければよかった命なんて、一つもないと思っているわ。そして、愛されない命など一つもないと信じている。」
カインの瞳がゆっくりと私に向けられた。それを正面から見つめ返して笑顔を作る。
「カインとケインが『この世に生を受けて、生きていてくれることがこんなにも嬉しいと思う人間がここにいることを』知っていてほしい。」
あの日…あの人が私に贈ってくれた大切な言葉。
『アヤメがこの世に生を受けて、生きていてくれることがこんなにも嬉しいと思う人間がここにいることを忘れないでくれ。』
私の心を温かく包んでくれたこの言葉が、どうか、彼らにも届いてほしい。伝わってほしい。
そう願いを込めて紡げば、カインは涙に濡れたぐちゃぐちゃの顔で………___
……笑い…頷いた……__。
……届いた…!
そのことが嬉しくなって、それに私もしっかりと笑顔で頷いて返す。そして、ケインに向きなおりゴーグルをつけてワイズ達三人に視線をおくった。
「始めます!」
「「お願いします!」」
必ず、ケインとカインを救ってみせる。
2人は今までたくさん苦しんできた分、これからはその倍幸せになってほしい。
次に目が覚めた時、新しい人生を笑顔で始められるように…。
そう願いを込めて私はメスを入れた。