表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/120

8.侯爵令嬢と救命

*この物語はフィクションです。登場する医療行為、医療・医学・薬学についてはすべて作者の想像であり、現実する物とは一切関係がありません。

サーチェス様との交渉決裂から一週間後。


私はお父様にレポートを提出していた。


「トリアージか…。」


制作したレポートを読んでお父様が不思議そうに首をかしげる。


「トリアージ」それは前世の医療現場で使われていた特定判断基準を客観的かつ簡素にした分け方だ。

優先順位を色分けして、重症患者から治療できるようにする。

爆発や自然災害、大規模事故等で負傷者が多発していた場合、現場は困難を極める。そこに判断基準を設けることで、救命活動の効率化が図れ、結果として多くの命を救う事にもつながるはず。


「先の震災で、負傷者が多発し、現場では適切な救命ができなかったと報告を聞きました。トリアージを使えばそういった事も防げるようになります。」

「うむ。興味深いな。この色ごとの判断基準も面白い。」

「はい。現場でのわかりやすさを重視するため、はっきりした色にしてみました。緑は「歩けるか」黄色は「呼吸があるか」赤は「脈があるか」黒は「死亡・救命の必要なし」になります。」

「わかった。他の者たちの意見も聞いてみよう。実にいいレポートだったぞ。」

「ありがとうございます。お父様。」


レポートの提出を終え、だらしなくソファの背もたれに背中を押し付けた私に、お父様はねぎらうように肩をたたいた。


「錬金術師の件、残念だったな。」

「はい…。私には敵が大きすぎました。」


先日の商談を思い出してうなだれる私の前にアリスが紅茶を差し出す。


「余り落ち込むな。商談の取引や、駆け引きは私ですら難しい。そんなことをするくらいなら、ケプカサイの解剖をしていたいものだ。」

「ケプカサイですか?!まだ実物は見たことないです。解剖の際はぜひ立ち会わせてくださいね。」

「もちろん、そうしよう。ケプカサイは大きいもので全長が5メートル…」

「旦那様。また解剖の話ですか?」


お父様が興奮気味に身を乗り出して話し始めところで、家令のスチュワートが声をかけた。ロマンスグレーのスマートな老人はお父様が幼少より仕えてくれる、頼れる存在だ。


「いいところだったんだぞ、邪魔するなスチュワート。」

「お嬢様はこれから街にお買い物にお出かけになるご予定です。旦那様のお話を聞いていては商店が閉まってしまいます。」

「私の話はそこまで長くはない。」

「はいはい、そうですね。…お嬢様、馬車の用意ができましたので玄関までお越しください。供にはアリスとブレッグをつけます。」

「はい。ありがとうございます。」

「とんでもございません。アリス、お嬢様をお願いしますよ。」

「はい。承知いたしました。」

「では、お父様行ってまいります。」

「ああ、気を付けていっておいで。」

「行ってらっしゃいませ。」


アールツト侯爵家を出た馬車はゆっくりと商店街へと進みだす。

馬車には侍女のアリスと執事のブレッグも一緒だ。

アリスの足元にはリュックが置かれている。

今日は、注文していた医療バッグを受け取りに行く日になっている。私の使いたいものを、取り出しやすいように、持ち運びできるように設計から携わった念願の一品。

リュックには、新しいバックに収める予定の医療品や器具が入っている。きちんと

新しいバッグに入るのかも確認もしたかったから持ってきてしまった。

ついでに、新しい錬金術師のお店でも尋ねてみようかな…?


そんなことを考えていると、急に馬車が止まった。


「お嬢様とアリスはこちらにいてください。様子を確認してまいります。」


ブレッグが馬車から降りていく。馬車の窓からは微かな人だかりしか見えない。

「何事かしら?」

「お嬢様、余り窓にお近づきになりませんようお願いいたします。馬車にはアールツト侯爵家の家紋が入っていますが、万が一ということもございますので。」

「わかったわ。」


アリスと2人で馬車の中で待機していると、ブレッグが戻ってきた。


「どうやら、馬車の事故の様です。突然飛び出した商人に馬が驚いてしまい、馬は転倒、馬車の人間が投げだされたそうです。この道は迂回しま…お嬢様?」

「…お嬢様?」


ブレッグの話を聞いて私はすぐさま立ち上がった。そして、アリスの足元のリュックを背負う。すこし、重いが問題はない。


「行きます!」


言いながら、リュックから取り出した聴診器を首にかける。


「おやめください、お嬢様!今出れば大勢の民衆の目に留まります!危険です。」

「わかっているわ。」

「お嬢様が今外に出て救護活動を行えばアールツト家の令嬢だと民衆に知られてしまいます。」

「わかっているわ。」

「放っておいても、もうすぐ医療補助者が来るはずです。それに…民衆がお嬢様を見てしまっては…。」

「ブレッグさん!それ以上の御言葉はお慎みください!」


アリスの言葉にブレッグは何かに気が付いたように口を結んだ。


「いいのよ、アリス。わかっているわ。ブレッグは私を守ろうとしてくれていのよね。…でも、ごめんなさい。やっぱり私は行くわ。」


ゆっくり馬車のドアを開けた。眼の前には事故を一目見ようと結構な人だかりができている。その人々の視線が私に集まる中、私は2人に振りむいた。


「私はアールツト家の人間としてではなく、一人の医師として、多くの命を救いたい。その為なら、罵声も噂も気にしないわ。」


ふわりとほほ笑んで、人ごみの中を事故現場へと駆け出した。







現場では横転した馬車の近くに一人の男性が座り込み、倒れている男性に声をかけていた。


「レヒト様!しっかりしてください!」


座り込んでいる男性は、倒れている男性の肩に手をかけ揺らそうとしていたので私はとっさに声を上げる。


「動かさないで!」


周囲の安全を確認しながら、倒れている男性のもとへ駆け寄る。


「あなたは…?」

「アールツト家の者です。こちらの男性を診察しますので下がってください。」

「アールツト侯爵家の!?…では、治癒魔法で!」

「っ…申し訳ありませんが、私は治癒魔法を使えません。」

「そんなっ!?」


男性の顔に悲壮と落胆の色が浮かぶ。私たちの会話を聞いていた野次馬の間にもざわりと驚愕が広がっていった。それでも、私はかまうことなく声を張る。


「ですが、この方を助けることはできます。どうか私を信じてください。」

「…わ、かりました。」

「お嬢様。お手伝いいたします。ご指示を。」


気が付けば、アリスとグレッグが私のそばに控えていた。


「グレッグは誰かにお願いして、治療院の寝台馬車の手配をし、馬車の通り道を確保しなさい。」

「承知いたしました。」

「アリスはリュックをお願い。」

「はい。」


指示を出して、倒れている男性の状態を確認していく。


「聞こえますか?手を握れますか?」


声をかけながら傷の具合を確認する。

主だった外傷は三つ。頭部に右上腕に右の大腿部。私が声をかけても返事もなければ手を握り返すことはない。そのまま、口元に耳を当てるが呼吸もない。聴診器で心音を確認するとわずかながらに心音が確認できる。


呼吸停止。意識不明。

すぐさま気道を確保し呼吸を促す。口の中に異物は無し。

気道確保したのに呼吸が戻らないので次の処置に入る。


「アリス、ガーゼ。」

「はい。」


そのままガーゼを男性の口に当てると人工呼吸をした。


「きゃっ!」

「こんな往来で…」


ざわつく野次馬を無視して人工呼吸を続ける。胸は正しく上下している。


「ぶふっ…」


何度か続けると、男性が呼吸を取り戻した。


「聞こえますか?手を握れますか?」


私の呼びかけに男性が弱弱しく指を曲げた。

よし。意識回復。

男性の意識が戻ったところで、外傷の応急処置に入る。


「このガーゼで、頭の傷を少し強めに押さえてください。アリスはそこの折れている木を持ってきて。」

「わかりました。」

「はい。」


先ほどから見守っていた男性は私の指示通りに頭部を止血する。そしてアリスは落ちていた馬車の部品と思われる木を持ってきた。

折れていると思われる右上腕部にアリスからもらった木で添え木して包帯で固定する。

今度は右大腿部の止血に取り掛かる。こちらは出血の量が多い。


「アリス、ガーゼを多めに。それから包帯も。」

「こちらに。」


ガーゼを何枚か重ねて直接傷口を強めに押さえる。


「うっぐ…」

「頑張って。今止血しています。もう少しです。」


痛みに顔をゆがめる男性に声をかけながら、止血を続けるが血がにじんでくる。さらにガーゼを重ねてその上から包帯できつめに縛った。本当は止血帯が欲しいところだけど、この方法でも応急処置にはなる。


「お嬢様!馬車が到着しました!」


グレッグと共に医療補助者が数名、担架をもってやってきた。


「アールツト侯爵令嬢殿。あとは私たちが。」

「一時意識不明の呼吸停止状態でしたが、人工呼吸により、意識・呼吸共に回復しています。外傷は頭部に裂傷と打撲、右上腕部骨折、右大腿部切創です。頭部と大腿部は止血していますが出血の量が多かったので容体の急変に注意してください。右上腕部は添え木にて固定しています。全身を強く打っている可能性がありますので念入りに検査をお願いします。」

「承知いたしました。…あなた様がいてくださってよかった。」

「いえ…。大したことはしておりません。お願いします。」


医療補助者の男たちはアヤメの申し送りと応急処置に驚いた。

わずか9歳の少女がここまでの技術と知識を持つとは…。そして、なにより、現場での冷静な判断力と行動力。

「治癒魔法が使えない落ちこぼれ。」

医療補助者たちの間で、ささやかに噂され根付いてきた印象がガタガタと崩れ落ちていく。落ちこぼれなんかじゃない。このお方は紛れもなく、アールツト公爵家の血を引く方だ。

医療補助者たちはお互い見合わせるように頷き合うと担架に男性を乗せて馬車に収容した。


医療補助者たちに男性を任せて、先ほどまで頭部を止血していた男性に向きなおる。だいぶ呆けてようだが、声をかけると肩を揺らして私をしっかりと見た。


「このまま、彼を治療院へ運びます。入院すると思いますので、御同行ください。ご家族への連絡は治療院でもできますので安心ください。」

「は、はい。…ありがとうございました。あの、レヒト様はご無事でしょうか?」

「一命はとりとめました。呼吸も意識も戻りましたしひとまずは安心できると思います。ただし、念のため詳しい検査をしますのでご了承ください。ご協力ありがとうございました。」

「よかった…。こちらこそありがとうございました。」


丁寧に礼をすると、男性も慌てて礼を返しそのまま寝台馬車へ乗り込んでいった。


…あの様子だときっと大丈夫なはず。


しばらく、その姿を見送っていると後ろから声がかかる。


「お嬢様、私たちも参りましょう。ドレスも手にも血が付着しています。一度屋敷に戻ったほうがよろしいかと…。」


アリルに言われるまで気が付かなったが、見ればいたるところに汚れや血痕が付着していた。


「そうね。行きましょう。」


ブレッグがリュックを背負い先頭を歩く。その後に私、アリスと続いた。


「今のみた?」

「見た!あれがアールツト侯爵家の令嬢ね。」

「アールツト侯爵家の人間なのに、治癒魔法が使えないんだって?」

「本当だよ。さっき本人が言ってたぜ。」

「じゃあ、噂通りの…。」


ヒソヒソささやかれる民衆の言葉にアリスとブレッグから冷たい気配が漂う。私はそれに気づかぬふりをして足を進めた。


「お嬢様、どうぞ。」


ブレッグが茶色い瞳に怒りをいっぱい溜めて、私に馬車のドアを開けてくれる。

続いての乗り込んだアリスは、顔を真っ赤にして奥歯をかみしめていた。


「2人とも。気にしないで。本当の事だし、こうなることは覚悟していたから。」

「お嬢様…。」

「お嬢様…。…救命活動ご立派でした。」

「ありがとう。2人とも手伝ってくれたから助かったわ。…あと、私の為に怒ってくれてありがとう。…帰りましょうか。」


私の言葉を聞いても悔しげな表情の二人に笑みを作った。ブレッグの拳は力強く握られ、アリスは大きな瞳に涙をためている様にも見える。


静かに馬車が動き出す。その揺れに身を任せながら、私は目を閉じた。

気にしない…。負けない…。

そう自分に言い聞かせながら、痛む胸に気が付かないふりをする。

それでも、浮かんでくるのは治癒魔法が使えないと言った時の男性の顔。民衆の声。


私が治癒魔法を使えていたら…。


やめた。

そんなことを考えてもしかたがない。魔力の量はこれから増えるかもしれないし。そんなことを気にするより、今は自分にできることをするだけ。


私はそのまま心地いい疲労感に身を任せた。


★切創:切り傷


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ