84.侯爵令嬢と…
宰相ユスティーツの執務室に騎士団長であるオッドがやって来たのはちょうど、ハサン外交官の部屋へ出向こうかと腰を上げた時だった。持ち込まれた新たな報告とイスラ王国からの思わぬ助っ人の知らせに、静かに溜息を吐いたユスティーツはオッドを見る。
「このヒガサというのは、あのヒガサ・ナリオのことで間違いないのでしょうか?」
「はい。クエルトより報告を受けています。」
「よりにもよってこのタイミングで彼が出てくるとは。」
「所用で我が国に来た際に、アールツト侯爵夫人へ挨拶に伺ったそうです。」
「…それで、今回の件を知ったと…。」
「はい。」
「イスラ王国への報告等は?」
「ヒガサ殿の判断によりイスラ王国へは何も伝えていないとのことでした。」
「…それはよかった。」
良かったというのは事件が起きている今使うべき言葉ではないのかもしれないがユスティーツは心から思った。ただでさえネーソス帝国との微妙な時期。そこに同盟国であるイスラ王国の介入によりこれ以上事を荒げるのは何としても避けたい。下手をしたら、我が国とイスラ王国が共謀してネーソス帝国へ無実の罪を着せ陥れようとしていると思われかねない。だからこそ…
「ヒガサ殿にはクエルト殿を通して今回の事を秘匿していただけるように説得をお願いします。あの二人は旧友ですから、クエルト殿の話ならヒガサ殿も耳を傾けてくれるはずです。」
「承知しました。」
重々しく返事をしたオッドに頷きを返したユスティーツは碧眼の瞳をキュッと細めた。
「騎士団内に実行犯がいる可能性が高くなりましたね。」
その低い声に怯むことなくオッドが短く返事をする。
「私の監督不行き届きです。処分はいかようにもお受けいたします。」
「いえ、騎士団長の責任ではありませんよ。責任があるというのなら危険分子を知りながら十分な策を講じなかった私にもあります。…いずれせよ、実行犯の特定とアヤメ嬢の捜索を引き続きお願いします。私は…ハサンを少しつついてみましょう。」
ユスティーツから放たれた仄暗い覇気にオッドはひやりと背中に冷たいものを感じた。彼がどのような手腕を持っているのか、つつくとは何をするのか…想像できなくもなかったが心の安寧の為にそれを考えることを放棄する。
「これだけ綿密に計画が練られた犯行には必ず主犯格がいるはずです。騎士団でもそれを念頭に捜査をお願いします。」
「はっ…。」
こうして、ユスティーツは今度こそ執務室を後にし、そして、それを見送ったオッドも騎士棟へと足を向けた。
フォルス・グラビティーは当初騎士としてこの騎士団に入団した。しかし、騎士の称号をはく奪され、従者に身を落とし、そこからは与えられた仕事のみを黙々とこなす毎日だった。
朝起きて、仕事に出て、騎士たちの世話を焼き、掃除をして、備品を整理し、簡単な日報と書類仕事を片付けて就寝する。ここ数年、毎日それをただ繰り返し、気が付いた時には騎士への未練もなくなり従者長補佐という役職までついていた。
今となっては、自分がなぜあれほどまでに騎士に執着していたのかわからない。実家とも自然に縁遠くなり、自分が騎士をはく奪される原因となった少女はいつの間にか褒章を賜り、隣国を救うほどの騎士になっていた。しかし、それにも以前のような嫉妬心や焦りを感じることはなく。ああ、そうか。と思って流せてしまうほど、心が凪いでいた。
そんな、フォルスの平穏は一人の騎士によって破られることになった。
「フォルス、今いいか?」
書類を片付けていた自分のもとにやって来たのは、同期で騎士団入りをした騎士だった。1番隊に所属し、順調に功績をあげている彼は、最近小隊の隊長を任されるほどになったらしい。
「またかよ、なんだ?」
「すこし、話を聞きたいんだ。」
「話?かまわないが…。」
先ほども顔を合わせて、カイン・フテクトの事を聞いていったその騎士に言われるがまま、やって来たのはいつも自分が管轄として受け持っている兵舎ではなく騎士棟の作戦会議室だった。そして、連れてこられた部屋に集っていた各隊の隊長と大きな烏の獣人に思わず息をのんだ。
いままで、何度も姿を見てきた隊長達ではあったが、こうして対面するのは従者になってからは初めての事でわずかに緊張が走る。特に、自分が所属していた1番隊の隊長テオ・ノヴェリストを直視することはできなかった。あの時告げられた低い声と鋭い瞳がいまだに忘れられない。いや、忘れられるはずがない。当時の自分にとってあれは死刑宣告だったのだから。
「忙しいところ呼び出してすまない。かけてくれ。少し聞きたいことがあるんだ。」
0番隊のクエルト隊長に言われて、軽く頭を下げ指定された椅子に座る。自分の一挙手一投足に隊長達の視線がそそがれて、姿勢を正しながらも背中を嫌な汗が滑り落ちていった。
「今からここで見聞きしたこと、尋ねられたことその全て秘匿するように命じる。」
「はっ。」
騎士を離れたから久しいが、元上官であるテオの言葉にフォルスは戸惑うことなく即答した。考えることなど必要なかった。今はもう騎士ではないが、当時の癖は沁みついていて簡単に抜けることはない。
「カイン・フテクトの最近の動向について述べよ。」
は…?
フォルスは予想外の言葉に緊張の糸を解かれた。
カイン・フテクト。彼のことは先ほどあの騎士に話したつもりだったが、他に何を知りたいのか。もう話せることはないと思うが…圧倒的な存在感と押しつぶされそうなほどの圧でこちらを睨む様に視線を向けるテオにフォルスは再びカインのことを話した。
「フテクトは、真面目で同僚との関係も良好です。最近はアルゲンタビウスの世話係になり、仕事の大半をそちらに費やしていました。」
「不審な行動などは?」
「特にありません。兵舎の掃除も雑用も真面目に取り組んでいたと思います。」
「じゃあさ、フテクトの趣味や嗜好は分かるか?」
テオとストーリアの固い口調から急にレシの砕けた口調で質問されて、一瞬言葉をつめそうになったが何とか取り繕った。
「趣味嗜好は…それほど親しくないのでわかりませんが、読書をしている姿をよく見かけました。寮での生活なのですがプライベートまでは把握できておりません…。あとは、高いところが苦手という事で2階以上のフロアへは上がれないとのことでした。」
「高いところが苦手?なぜ?」
「理由は詳しいことは分かりませんが、面接時にそう言っていました。」
「そうか。」
フォルスの話を聞いて、考えるように顎に手を添えて目を閉じたクエルトに代わりストーリアが質問を再開する。
「アルゲンタビウスの世話係になった経緯を教えてくれ。」
「はい。前任の従者が身内の都合で退職することになり、フテクトが就任しました。アルゲンタビウスは気性が荒く獰猛で、あまり懐かないので…その…従者たちからはあまり好まれていなかったのですが、そこにフテクトが名乗り出てくれました。急に決まったことで、最初は本人も手を焼いていたようですが、最近はよくなついていたようです。」
「なるほど…。他に不審な点や、フテクトの行動で不可解な点はあるか?」
「不審…な点はありません。私も常に観察しているわけではないですが、他の従者たちからもそのような話は聞いておりません。ただ、不可解…かどうかはわかりませんが、このところよく休憩時間に寮に帰っていたそうです。」
「寮に?わざわざ?」
「はい。」
アンモスの驚きはフォルスもよくわかる。従者の寮は騎士団の敷地内にあるとはいえ、職場となる兵舎や騎士棟、演習場などからは少し離れており、往復で10分近くかかる。食事は兵舎の食堂で出されるので、わざわざ食事をしに帰る必要もないというのに。昼寝でもしているのか?とさして気にしていなかったが、話を聞いたとたんに目の前の隊長達の空気が明らかに変わった。
「あ、俺からもいい?」
突然、ヒガサが手を上げた。
始めて見る獣人、しかもテオ隊長よりも少し大きい鋭い目つきの烏と視線が重なって無意識にこぶしを握る手に力が入った。
「休憩時間に寮に帰るようになったのは具体的にいつからか、わかる?あと、寮から帰ってきた後に何か変わったようなところはなかった?」
先ほどとは雰囲気も変わり明るく砕けた口調で話し出したヒガサにフォルス以外の騎士たちは内心驚いていた。クエルトと話しているときは壮年の男性のような印象を受けたが、今は話し方が砕け遊び人のような若々しい印象を受ける。その変わり様にクエルトは人知れずため息をこぼした。
「寮で休憩時間を過ごすようになったのは、ここ一か月ほど前からです。変わったようなところは特になかったかと…。あ、フテクトではない可能性がありますが、たびたび休憩時間に兵舎で彼と同じ赤毛の従者が目撃されています。他の従者たちは幽霊だなどと言っておりますが…その姿がフテクトと似ていると…。ですが、目撃されているのはすべて3階のフロアですので高いところが苦手なフテクトではないと思います。」
「ふーん…そう。」
聞きたいことは聞けて満足したのか口を閉ざしたヒガサはカチカチと嘴を鳴らしていた。
「ほかに、何か思い当たることはあるか?」
再びクエルトに聞かれてフォルスは首を横に振る。これ以上、彼について話せることはない。
「そうか。下がっていいぞ。」
「はい。失礼します。」
許可を得て部屋を去ろうとしたフォルスの背中に再びヒガサの声がかかった。
「ごめんね、最後に一つだけ。アルゲンタビウスの世話係の前任者の退職理由って詳しくわかる?」
「両親が重い病にかかったそうです。その看病のために、給金の支給日を待って退職し田舎に帰りました。」
「そうなんだ。ちなみに病名とかは?」
「それは分かりませんが、急な病だそうです。」
「…なるほどね。ありがとう、もういいよ。」
あっさりとした最後に若干、拍子抜けしたがそれでもフォルスは頭を下げて部屋を出た。
「怪しいな。」
フォルスの気配が完全になくなったのを確認してからヒガサが口を開く。それは先ほどとは違い最初のような落ち着いた口調に戻っていた。
「…そうだな。前任の世話係の両親の急な病による退職…人気のない世話係への立候補…全部が怪しい。」
クエルトの言葉を聞きながらアンモスがカインの書類を手に取った。先程はサラリと見た程度だったがまじまじと見れば新しい発見もある。
「こいつ、生まれも育ちも別々なんだな。王都で生まれたのに、育ったのは南部の村だぜ。この村に行ったことあるわ。」
「おい、今は関係ないだろ?それに、書類なんていくらでも偽装できるから書面上の記録などあてにならない。」
「まぁ、確かにな。あ…今の面接書類って身体的特徴まで記入すんのか?」
「もしもの時は、身元確認の際に必要になるからだ。騎士団に入団するときお前も書いただろうが。」
呆れながらアンモスに説明したストーリアは彼の手にある書類を再びテーブルの上に置いた。その書類を今度は3番隊の騎士が手に取る。アンモスではないが、従者にも身体的特徴を記入する必要があったのかと、初めて知った内容に確認するようにカインの身体的特徴の欄を見て、思わず二度見する。その様子に気が付いてレシが訪ねれば、騎士はおずおずと口を開いた。
「記憶違いかもしれませんが、自分が知るカイン・フテクトにある痣は、右腕ではなく…左腕でした。」
「なんだとっ!!?」
騎士の言葉にレシが鋭い声を上げた。その場にいた他の者たちも一様にカインの書類に視線を向ける。書類には『身体的特徴:右上腕部にひし形の痣』と書かれているが、それを再び見た騎士は自分の左腕をまくり上げた。
「自分が見たことのあるカイン・フテクトの痣は左腕のちょうどこのあたりにあったものです。」
「それを見たのはいつだ?」
「一昨日の夕刻です。井戸で水を汲んでいるカイン・フテクトから挨拶されて…一瞬だったのですが。」
一瞬の記憶。
それでも今のクエルト達には大きな収穫だと思えた。さらには高いところが苦手だといっていたカイン・フテクトとよく似た赤毛の従者が兵舎の三階で目撃されていた件…。
…今まで見えなかった糸がゆっくりと見えてきた。
「至急、カイン・フテクトを呼べ。」
「はっ。」
クエルトの命令に、ドアに向かった騎士に再びヒガサの声がかかった。
「待て。…どうせなら一つ面白い仕掛けをしてやろうぜ?」
「仕掛け?」
「ああ…。うまく引っかかれば、大きくアヤメに近づくことができる。」
「…傷つけるようなことじゃないだろうな?容疑者とはいえ、まだ彼はうちの大事な従者だぞ?」
「甘いな、クエルトは。大丈夫だ…傷を付けない拷問方法ならいくらでも知っている。」
「おい、我が国では非人道的な拷問は禁止されている。それに、まだ犯人と決まったわけではない。」
「悪いが、俺はこの国の人間じゃない。イスラの獣人だ。まぁ、今回の件が主に知れたら、俺なんか可愛いと思えるような、地獄を見るだろうがな。」
クククと静かに笑う烏はどうみても不気味でしかなく、ヒガサに声をかけられた騎士だけではなく、その場にいた騎士たちも身を震わせた。
「あぁ。それと、もう少ししたらアールツト侯爵家から荷物が届くはずだから、誰か受け取りに出てくれ。」
「荷物?なんだそれは?」
「んー?我が国王が、アヤメに与えた最強の守護者たちだよ。」
ニヤリと烏の顔で笑ったヒガサにクエルトは顔をひくつかせた。
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