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82.侯爵令嬢と…

*一部、グロテスクな表現があります。

各隊の隊長が揃う少し前…。



騎士団長室に通されたヒルルクは、オッドの横にすで控えていたインブルとクエルトに視線を向けるとすぐにオッドへ詰め寄った。


「アヤメが帰ってこない。」

「…っ!?」


告げられた言葉にその場にいた全員が息をつめた。


「そんなはずは…、確か、アヤメは今日もいつも通りに騎士棟を後にしています。」


クエルトが言えば、ヒルルクは肩をいからせ鋭くにらみつける。


「ならば、なぜ定刻通りにアヤメが帰ってこないんだ?」

「…それは…。」

「アールツト侯爵殿、とりあえず落ち着いてください。」


オッドがソファに座るようにヒルルクを促すが、ヒルルクは頑なに動かななった。それどころか体中から魔力を滾らせている。


「落ち着いてなどいられるか。娘が…アヤメが行方不明になったのだ。しかも、タダの娘ではない、我がアールツト一族の血を引く医者だぞ!」


パンッ!とヒルルクの近くに置いてあった花瓶が彼から弾き出た魔力で割れた。

この世界で唯一治癒魔法を使役できる一族であり、未知の感染症を食い止め一国を救うほどの知識と腕を持つ、女のアヤメ。その価値は他国の人間からすれば計り知れない。それを知っているからこそ、落ち着いてなどいられないし、何よりも愛おしい娘なのだ。それに…


「…妹の様に、失いたくはないのだ…。」


蚊の鳴くように小さく絞り出されたヒルルクの声にクエルトの眉が寄った。そして、アールツト侯爵家の悲劇を知っているオッドとインブルも悲痛に顔をゆがめる。


遠い昔のあの日。アールツト侯爵家の令嬢の捜索隊として、身元確認として、あの悲惨な現場にオッド、インブル、クエルトは居合わせたのだった…。

窓のない暗い部屋の四方の壁には爪でひっかいた血の跡が残り、その中央で両手両足を鎖で拘束されながらも、精液や体液そして、おびただしいほどの血液にまみれ、大きな腹のまま絶命していたのは…今ここにいるアールツト侯爵と同じ黒髪の、紫の瞳の女性だった。

『アールツトの血を他国に渡すべからず。先行く私をお許しください。』

そう残して自ら命を絶っていたあの女性と同じ末路を、同じ未来を、あの女性と同じ黒髪に紫の瞳を受け継いだ彼の娘に辿らせてなるものか。

『うおぉぉぉぉぉ!!ジュリエッ!!ジュリエェェェ…。』

誰よりも他人の命に向き合い、手を伸ばし、救い続けてきた、彼にあの時の様に…身の裂けるような絶望と悲しみを与えてなるものか。

あの悲劇を、現場を、当時のヒルルクを知っている三人の瞳に強い意志が宿る。


「…大々的な捜索は民の混乱を招くために避けるほうが賢明かと思いますので、騎士団で捜索隊を編成します。」


血がにじむほど拳を強く握り絞めたヒルルクの肩にオッドの手が乗った。それにゆっくりと顔を上げたヒルルクの瞳にはうっすらと涙の膜が張っていた。それを見たオッドがグッとヒルルクの肩に置いた手に力を入れる。


「我々騎士団がお力添えをします。必ず…アヤメ嬢を無事に見つけ出しましょう。」

「騎士団長殿…。すまない…。」


頼む。と繰り返したヒルルクの声に、インブルとクエルトは人知れず拳を握った。


「フェアファスング様に連絡を。大事にはしたくないが正式に騎士団としてアヤメ嬢を捜索する許可を取る。陛下にも報告をする必要があると思うが、そこはフェアファスング様の采配に任せると伝えてくれ。」

「わかった。」


オッドの言葉にインブルが短く返事をして部屋から出ていく。


「クエルトは各隊の隊長を至急呼び出せ。」

「はっ。」


それに続くように指示を受けたクエルトがインブルに続いて部屋を出る。その顔は姪の安否を心配する叔父から騎士団隊長の顔に変わっていた。



そして、今…。



団長室に招集された隊長達は、告げられた言葉に皆息をつめ目を見開いた。

先ほどまで一緒に訓練をしていたあのアヤメが行方不明?

にわかには信じられない話だったが、ソファで力なく座っているヒルルク・アールツト侯爵の姿にこれが本当の事だと実感する。


「これよりお前たちを含む各隊の選抜メンバーで小隊を作りアヤメ嬢の捜索に当たる。各々自分の隊より二名ずつ選抜し10分後にメンバーを集めて会議室に集合とする。また、今はネーソス帝国の人間が入国している事もあり、王都のみならず、騎士棟内もざわついている。民たちへの余計な混乱と騎士たちへの不安を抑えるために、この件は極秘とする。」

「「「はっ。」」」


オッドの話に続いて、ソファに座っていたヒルルクがゆっくりと立ち上がり、隊長達の顔を一人一人しっかりと見てから深く腰を折った。大貴族に頭を下げられたことに酷く動揺したが、騎士団長の手前姿勢を崩すこともできずに、そのままヒルルクの行動を見守る。


「…迷惑をかけてすまないが…どうか娘を、アヤメを見つけてほしい。我が屋敷の者たちにできる事ならば何でも協力をするので、言いつけてほしい。必要であればアルゲンタビウスとダイアウルフも貸し出そう。…どうか、よろしく、頼む。」


今まで見たこともない憔悴しきった声と弱弱しい姿に、隊長達が後ろで組んだ手に知らずと力が入る。そのまま、そろって頭を下げた彼らは、ヒルルクを安心させるように強く返事をした。


「よし、行け。」


オッドの言葉に短く返事をした騎士たちはそのまま団長室を出て行く…が「テオは残れ。」と一番の最後尾でドアを潜ろうとしていたテオだけをオッドが呼び止めた。テオは言われるがまま、元の位置に戻り姿勢を正して後ろ手を組む。その顔はいつものように無表情だったが、彼の周りだけ熱気のような魔力が渦巻いていた。


「…その状態ではアヤメ嬢の捜索隊にお前を加えることはできない。」


厳しく言い捨てたオッドのにテオの目が見開かれる。


「行方不明者の捜索には冷静な判断と思考が必要とされる。…今のお前がその両方を持っているとは思えない。」

「…申し訳ありません。」


オッドに言われてやっと己の状態に気が付いたテオは魔力を飛散させた。しかし、鋭い瞳はそのままに、誰かを射殺せそうなほどの殺気を纏っている。そんな姿を見てインブルは小さくため息を吐いた。


「少しは落ち着け。アヤメ嬢はまだ若いが我が騎士団の優秀な騎士だ。自分の身は自分で守れるだろう。」

「…しかし…。」

「一刻も早く彼女を見つけたいと思うのなら、私情や雑念を捨てろ。それがある限りアヤメ嬢の発見は遅れるぞ。」


インブルの言葉はテオの混乱と怒りに支配された心に静かに染みた。

アヤメが消息を絶ったと聞かされてから、言いようのない不安と焦り、守れなかった怒りでぐちゃぐちゃだった自分がひどく情けない。自分なんかより、親族であるクエルト殿や御父上である侯爵殿のほうが辛い思いを抱えているというのに。


「…申し訳ありませんでした。」


そう告げたテオの瞳には、もう先ほどのような怒りと鋭さはなく、代わりにいつものような澄んだ漆黒の瞳が、しっかりとした強い意志を持っていた。その強い意志はオッドにもしっかりと伝わる。


「よし、行け。」

「はっ。」


インブルが頷いてやれば、短く返事をしたテオは今度こそ団長室を出て行った。




騎士棟の作戦会議室には各隊から選ばれた二名の騎士と隊長達が集っていた。

集まった騎士たちの真ん中に置かれた円卓のテーブルには王都の地図が広げられ、クエルトが0番隊の騎士たちから情報を集めて作成したアヤメの昨日今日の騎士棟内での一日の行動記録がまとめられた紙も用意されていた。


「今日の騎士棟内でアヤメの動きに変わったところはなかったと思う。」


クエルトが行動記録を見ながら告げれば、ストーリアが眼鏡のブリッジを押し上げて頷いた。


「私たちは、基本的に合同訓練や演習がない限りアヤメ嬢と会うことができませんから、騎士棟内の動きに関しては、何とも言えませんね。」

「いつもと違うところと言えば、昼休みに兵舎に来てるくらいか?」

「それは、ミール・システーマの部屋に行ったらしいが同期であり、元から親しいようだから特段疑うようなことでもないだろう。」


アンモスにクエルトが言う。今度は行動記録の一番最後にレシの長い指が伸びた。


「0番隊の詰め所を出たのがこの時間で、騎士棟を出たのがこの時間…ってずいぶんと遅くないですか?」

「確かに、騎士棟からアルがいる所までは徒歩で5分くらいだろう。15分というのは些かかかりすぎなような気がするな…。」


レシに同意したテオが顎に指を添えて眉間にしわを寄せる。普段ほとんど発言をしない彼の言葉に、隊長格以外の騎士たちが驚くが、どれもそれに突っ込む勇気はなくそのまま流した。そんな隊長達の発言が続く中で、オズオズと手が上がった。


「あの、自分からもよろしいでしょうか?」

「なんだ、話してみろ。」


手を上げたのは4番隊に所属する騎士だった。


「騎士棟を出る時間が遅いのはアルゲンタビウスの世話係の従者と話していたからだと思います。ここ最近、2人でアルゲンタビウスのところで話している姿をよく目にしますから。」

「アルの世話係?誰だ?」

「すいません、名前までは知りません。」


クエルトに聞かれて肩を落とした騎士の代わりにその隣にいた1番隊の騎士が口を開く。


「元一番隊のグラビティーが従者長補佐をしていると思いますので、アルの世話係について聞いてきましょうか?」

「そうか、お前はグラビティーと入団当初からよく話していたな。至急頼む。今はどんな些細な情報でも欲しい。」

「はっ。」


テオに言われた騎士は急ぎ足で会議室から出ていく。それを見送って、残った騎士たちは今度は地図に視線を落とした。


「ここが、騎士棟。で、ここがアールツト侯爵家か。」

「直線距離だとそう遠くもないな。アルゲンタビウスの飛行でどれくらいでしょうか?」

「途中高い建物もあるが、アルは基本的に高度を保って飛行するからな…10分程度だと思うが。」


アンモス、ストーリアに続いてクエルトが言い、そのまま騎士棟から屋敷までを線で結ぶ。


「この直線の半径1キロ程度の住民に、アヤメ嬢が騎士棟を出た時間帯から10分以内の時間で目撃していないか聞き込みにあたりますか?」

「そうだな、アルは体も大きいし目立つからな。何かしら目撃されているかもしれん。」

「では、私とレシの隊の者で聞き込みにあたらせます。」


レシの提案にクエルトが賛成すれば、すぐさまテオが口を開いた。しかし、それを聞いたクエルトの顔が曇る。


「ああ。だが、くれぐれも目立つようなことはするな。ネーソス帝国の人間が王都にいる今、余計な情報を与えることは避けたい。」


その言葉にクエルト以外の騎士たちが疑問をもつ。もちろん極秘にという意味はわかるが、それ以外の何かも含まれている気がしていた。その視線に気が付いたクエルトが大きくため息を吐き肩を落とした。


「お前達には知らせていなかったが、この間我が国へ来たネーソスの外交官・ハサンという男がアヤメに執着していた。騎士団長と副団長もその場にいたこともあり何とか収めたが、あの男が『我が国にも貴女のような逸材が欲しい』とアヤメに触れていたのだ。」


その瞬間、ブワッとテオから焦げるような熱気が上がる。


「馬鹿ッ抑えろ!火事になんぞ!?」


すぐさま横にいたレシがテオに詰めより、それと同時に2番隊の騎士二人がテーブルの上の物をテオから遠ざけた。


「…落ち着け、テオ。冷静な判断ができないようなら、今回の捜索隊から外してもかまわないと団長から許可を得ているが…そんなに外されたいか?」


その場に響いたクエルトの静かな声に、パッとテオからの熱気が消えた。


「申し訳ありません。」

「あまり私を失望させるな。」

「はっ。」


2人のやり取りを見ていたレシは人知れず肩を下ろし、ストーリアとアンモスは互いに顔を見合わせた。騎士団でクエルト隊長だけは絶対に怒らせてはいけない。そう言われる理由の片りんを見た隊長格以外の騎士たちが人知れず震えあがったところで、アンモスが場を取り繕う様に話を戻す。


「何にしても、その外交官も怪しい気がしますね。」

「アールツト侯爵家への不審な態度があった場合はすぐに我が国の上層部に『危険分子』として連絡がいくようになっている。騎士団長たちがその場にいたのであれば、その外交官の件は既に上層部もしっているだろうから、何らかの対応策が練られているはずだと思うが…。」


アンモスの言葉にストーリアが言えば、レシがうんうんと頷いた。しかし、クエルトだけが渋い顔をしている。


「クエルト隊長、どうされました?」

「いや、どうにも引っかかるんだ。」

「引っかかるとは…?」


3番隊の騎士二人が尋ねれば、クエルトは顎を指で撫でながら首をひねった。


「タイミングだ。」

「タイミング?」

「ネーソス帝国の人間が我が国にいるこのタイミングでアヤメが行方不明になった…。それにハサン外交官の件もある…。」

「まさか…ネーソス帝国が…?!」


テオの言葉に一気にその場に緊張が走った。


「いや…ないだろ…?」

「…ないとは言い切れないだろ…。十数年前にアールツト侯爵令嬢が誘拐された時もネーソス帝国が裏で糸を引いていたとの噂が…。」


アンモスに返していたストーリアの言葉が不自然に途切れた。その視線の先にあるのはクエルトだった。十数年前の事件はクエルトの妹ジュリエの事件だ。


「申し訳ありません。」


畏まって頭を下げるストーリアをクエルトが手で制す。


「いや、いい。確かにジュリエが発見されたのもネーソス帝国との国境に近い辺境伯の屋敷だった。しかし、その時は証拠不十分とネーソス帝国と和議を結んだばかりということもあって、十分な聞き取りが帝国側にできなかったのだ。結局そのまま辺境伯の一族だけ断罪された。」

「…まだ、ネーソス帝国がアールツト侯爵家を狙っている可能性は…?」

「ない。とは言い切れんだろうな。」


テオの質問にクエルトが答えれば、先ほどの緊張感がさらに増した気がした。軍事大国ネーソス帝国。科学と軍事力に力をいれている帝国はたびたび魔法が使えるインゼル王国の人間をさらい、人体実験などを繰り返していた。それに歯止めをかけるために和議を結んだのだが…。今でも、魔法という超常現象への興味は尽きていないはずだ。その魔法の中でも最も貴重な治癒魔法。それを使役する一族の娘がいると知れば手を出したくなる可能性は低くはない。アンリエッタの様な豪傑よりはアヤメのほうが扱いはしやすい。


「それに、アヤメはネーソス帝国の最新科学技術のからくりや構造まで知っていた。」

「…えっ!?」

「まさかっ!!?」

「それだけではない…これを見ろ。」


そう言ってクエルトが巻物上の皮を広げた。中に入っていたのはアヤメがいつも使っている医療器具だ。その中からメスを一本取りだして騎士たちの前に見せる。


「これはステンレスという素材からできているが、このステンレスは合金鋼で、非常に錆びにくく、耐熱性、強度、加工性などにおいても優れた特徴を持っている。…これはアヤメが考え出した金属だ。まぁ、作る際はサーチェスという錬金術師に依頼したそうだが。アヤメは、医療技術や知識だけではなく、科学や機械学、錬金術にも優れている…。最早、あの子の価値は治癒魔法や我が一族の名前だけにはとどまらない。」



今度は誰一人として言葉が出なかった。

イスラ王国で狂犬病を食い止めた時から、いや、その少し前から、アヤメの事をたかが14歳の少女とは思っていなかった…が。ここにきてさらなる真価を聞かされた騎士たちは一様に口を結んだ。


しばらくの沈黙の後、ストーリアが口を開いた。


「不敬にならない程度にハサン外交官に話を聞くことはできないのでしょうか?」

「相手は一国を代表する外交官だ。話を聞くのにはしっかりとした理由が必要だろうな。それに、もし全くの無関係だった場合、下手をすればあの国がアヤメに近づくきっかけを作ってしまう可能性もある。」

「あー!くそっムカつくなネーソス!」

「口を慎め。不敬になるぞ。」

「だってよー…。」


わしゃわしゃと髪をかきむしって悪態をつくアンモスをストーリアが咎めれば、アンモスは屈強な身体を不満げに揺らした。


「とりあえず、宰相閣下にハサン外交官の身辺について調べてもらえないか頼んでみよう。ちょうど乗組員の迎えとして我が国に滞在しているからな。」


クエルトの言葉にその場にいた全員が頷いた。

こうして、騎士たちの長い夜が始まったのだった。


誤字脱字報告ありがとうございます。お手数おかけいたします。

また、ブックマーク、評価、いいね等ありがとうございます。

すべてが励みです。今後ともよろしくお願いいたします。

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