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80.侯爵令嬢と騎士隊長

よろしくお願いします。


騎士団での勤務を終えた私はいつもなら、まっすぐアルのところへ向かうのだが、今日はその真逆の方向へ足を進めていた。

この先にあるのは演習場だ。

しかも通常の演習場とは違い主に炎魔法の訓練を行うために設備された施設だった。

騎士棟や兵舎、厩舎、武器庫、救護棟を持つ騎士団は城の敷地内に広大な土地を有しており、射撃や狙撃もできるような訓練場から、実戦形式の模擬戦もできる広大な演習場などその用途に合わせた大小さまざまな演習場を備えている。その中で、各隊ごとに有しているのが「魔法戦闘用演習室」だった。

1~4番隊はそれぞれの使役する魔法によって分けられているため、その魔法の性質を生かした特殊な造りの演習室が用意されている。1番隊と0番隊のみ屋内施設で、2~4番隊は野外施設となっていた。各隊ごとに作りも装備されるものも違う演習室は、密かに各隊の騎士たちの興味を引く場だった。ちなみに、0番隊の演習室はホラー映画に出てきそうな、拘束具が付いた手術台が数台とよくわからない生き物のホルマリン漬けが並んだ薬品棚、実験や救助用のダミー人形やマウス、動物などが置いてあり、騎士団の中で一番人気のない演習室となっている。


わずかな緊張感と不思議な高揚感を感じながら、分厚い防火扉を開けて室内に入れば、数名の騎士が各々鍛錬をしていた。炎魔法の熱のせいなのか演習場の中は熱く、男くさい熱気がムワリ…と顔を直撃して思わず顔をしかめる。臭くはないし、嫌いなにおいではないけど…男の人の汗のにおいとか…興ふゲフン、ゲフンッ…滴り落ちる汗と、気合の入った声がいくつも響く空間は学生時代の部活のような懐かしい雰囲気があった。


鍛錬している騎士たちは皆上半身裸になっていて、正直、非常に目のやり場に困るが

『キレてるよー!』『その腹斜筋はおろし金か!』『その大胸筋に住んでみたい!』

とはさすがに声をかけられないものの、各々筋トレや魔法を用いた体術に取り組んでいる姿は筋肉フェチの私からすれば眼福である。私が入ってきたことで、私の存在に気が付いた鍛錬をしていた騎士たちの動きが止まった。それを見て慌てて頭を下げて笑みを振りまきながら、お目当ての人物を探せば、演習室の一番奥、四方を分厚い防火壁に囲まれた場所に一人立っているテオ隊長がいた。姿を確認して声をかけそうになったが、いつもとは違う雰囲気と立ち込める熱気に思わず踏みとどまる。

何だろう…テオ隊長の周りだけ、ものすごく熱い…。目に見えないはずの熱気が、まるで生き物のように彼を取り巻いている気がする。


ツゥーっとこめかみから顎に汗がながれ落ちた。


テオ隊長は瞼を閉じて精神を集中しているようで私の存在に気が付いてはいない。深い藍色の髪はまるで水をかぶったかのように汗でつぶれ、前髪が目元までかかっているのがカッコいい。そして、髪の毛から滴る汗が滑り落ちる、引き締まった美しい筋肉を纏った裸体が目をひきつけてやまない。瞼を閉じたまま、テオ隊長は両腕を胸の前に出して掌を上に向ける。何もなかった掌に彼を取り巻いていた熱気が吸いこまれるように集まり、ゆっくりと小さな火球が右左で一つずつ出来上がった。やがてそれは赤と青の炎を纏い始める。

…すごい…。

魔法が存在するということは分かっていたが、こんなふうに間近でじっくりと魔力から魔法が生まれる瞬間を見たのは、初めてかもしれない。その神秘的な光景にごくりと唾を飲み込んだ。その瞬間、私の唾を飲む音が聞こえたのか、テオ隊長の瞼が開き漆黒の瞳が私をとらえた。そして、それと同時に赤と青の火球も消滅してしまう。それを少し残念に思いながらも、こちらに視線を向けるテオ隊長にぺこりと軽く頭を下げた。


「アヤメ…!?」

「鍛錬中にお邪魔してしまってすいません。」

「いや、かまわない。すまない、気が付かなかった。…やはりまだ鍛錬が足りないな…これでは実戦の際に殺されている。」


そう言いながら、防火壁の空間から出たテオ隊長は近くに置いてあった大きめのタオルを肩にかけた。


「このような格好ですまない。少し待ってもらえればすぐに着替えるが…。」

「いえ、あー…大した用事ではないので。…これをお渡ししたかっただけですから。」


肩にかけた医療バックの中から小さな包みを出して彼の前に出せば、汗を拭いていた大きな手が止まった。


「…これは…?」


包みから視線を上げたテオ隊長に不自然にならないように気を付けながら笑みを作った。


「先日の…お礼です。」


先日もらった花束には差出人は書いていなかったが、包んであったハンカチは誰の物かは分かっている。私の言葉を聞いたテオ隊長の頬がほんのりと赤く染まった。


「…そうか…。だが、こんなふうに礼をもらうほど大したものは渡していないが…。」

「いえ…。私には…とても、とても大きなものでした。」


いただいたアネモネの花束は自室の花瓶に生けてある。生花で楽しめなくなったら、その後はドライフラワーにするつもりだ。出来ればいつまでも残しておきたい。そう思えるほどに…


「嬉しかった。」


ぽつりと出た言葉はしっかりとテオ隊長に届いたようで。バッとタオルで顔を覆った大きな手がごしごしと乱暴に顔から頭をこすっていた。


「あ、ああの、そんなにしたら傷になりますよ?!」


余りの激しさに慌てて言えば、ピタッと手が止まりそのままタオルを頭からかぶったテオ隊長の顔がぐしゃぐしゃになった髪の毛と垂れたタオルの間から少しだけ見えた。それが今まで見たこともないほど赤に染まっていて…カカカッとこちらの顔まで熱くなる。


「…すまない…。」


ぼそりと落とされた低い声がさらに私の熱を上げた気がした。

いけない…このままだと、悲惨なことになりそう。自分の惨状を想像して、ここは急いで立ち去るべきだと判断した私は半ば強引にテオ隊長の手を掴んで包みを握らせた。触れた肌が燃えるように熱かったことは今は考えないことにする。


「で、ではこれでっ!あ、あの、気に入らなければどうぞ捨ててください。っ…失礼しますっ!!」


テオ隊長の顔を見ることも返事を待つこともなく、半ば逃げるように演習室を後にした。


花束のお礼に用意したのは、新しいハンカチだった。

お返しは何がいいのだろうかと悩んだが、良いものが思い浮かばずアリスに相談したらいただいた物の代わりになるからとハンカチを勧められた。ちなみに、花束と一緒に私にいただいたものは綺麗にプレスしてしまってある。アリスは「額装しましょうか?」とどこか楽しそうに言っていたが冗談じゃない。そんなことをしたら、見るたびにゆでだこの様になってしまう。

アリスの案を採用して、侯爵令嬢特権でお抱えの装飾人を呼び出し上質ながらもシンプルなハンカチを選んだまでは良かったのだが、そこでアリスからまた提案が上がった。


「刺繍などされてはいかがですか?きっと喜ばれますよ?」


どんな根拠で喜ばれるといったのかはわからないが、確かに真っ白なハンカチ一枚では味気ないかもしれない。男性だし、甘いお菓子などを合わせても苦手な場合があるだろうし…。そう考えた結果、刺繍をすることになったのだが…。


「いたっ!」

「大丈夫ですか?」


私には刺繍の才能が全くないことに気づかされた。

まずは練習をしようと手持ちのハンカチに簡単なモチーフを描いてみたが、指は負傷するし、糸は絡まるし、布は縒れるしでもう散々な物だった。それでも意地で最後までやり遂げたが、出来上がった刺繍は元の図案とは全くの別物になっていた。縫合は上手いはずだし、淑女教育の一環で裁縫もするのに…。出来上がったものを見て絶望した私をアリスが必死で慰めてくれたが、とてもじゃなけどこの腕でテオ隊長に差し上げる高級ハンカチに刺繍をする事はできない。


「…模様ではなく、簡単な文字などにしましょうか?ほら、一番簡単な縫い方で直線だけでできると思いますので。」

「…無理だよ…ハンカチ一枚しか買ってないもん…。これ無駄にしたらもう、後がないでしょ。はぁ、刺繍用の針と糸じゃなくて、手術の縫合針ならうまく行くのに…。」

「諦めたらいけません!お嬢様のお気持ちはそんなものですか?あの花束を送ってくださった方へのお気持ちをもう一度強く持ってください。」

「…なんで私よりもアリスのほうが気合入ってるのよ…?」

「あ、そうだ!もし、このハンカチがその方の皮膚だったらどうでしょう?」

「はぁ?」


私の質問を綺麗に無視したアリスの余りにも突拍子のない言葉に思わず声を上げれば、アリスはどこか得意げな笑みを見せた。


「手術などの縫合ならうまくいくとおっしゃったではないですか?ですから、そう思えばいいんですよ。いくらお嬢様が破滅的に刺繍の才能がないとしても、もしこれが、意中の殿方の体なら適当に扱ったり、強引に針を通すような事はなさいませんよね?」


ハッキリと私に刺繍の才能がないと言い切ったアリスは新しいハンカチを取り出した。


「これでもう一度練習してみましょう?それでうまくいったら、本番です!」

「…う、うん…。」


確かに、もしこれがハンカチではなくテオ隊長の体だった場合…、きっと強引に皮膚を引っ張るようなことはしないし、できるだけ縫合が綺麗になるように細心の注意を払う。たとえ糸が絡んだとしても力任せに引っ張ることはしないだろう。そう考えながら二枚目のハンカチに針を刺せば、さっきのやりづらさが嘘のように無くなってスムーズに動かすことができた。


そうして、初めての手術よりも緊張した本番の刺繍は何とか成功を収めて、馬鹿みたいに丁寧に包装して彼に渡してきたのだが…。

渡すことと、あの状態のテオ隊長から一刻も早く離れることを優先して肝心の彼の反応を知ることができなかった。アリスにも合格点をもらったし、自分でもよくできたと思っているけれど…。


「気に入ってくれるといいな。」


意識せずこぼれた言葉は、誰にも聞かれる事なく夕暮れの空に消えていった。




テオは演習室から帰ってきてすぐに湯を浴びた。

アヤメから渡された包みは自室のテーブルの上においてある。汗や土にまみれた己の体で汚してしまってはいけないと湯を浴びたが…自室に戻り当然の様にテーブルに置かれたものを視界にとらえた途端に収まったはずの熱がじわじわと再び込み上げる。まるで、魔力をコントロールできない幼い時の様に、発火しそうな熱気に火事を起こしてはいけないと、とりあえず窓を開けた。そして、十分すぎる間を開けた後ゆっくりと包みに手を伸ばす。

柔らかな素材の紙をそっと、丁寧すぎるほどに開けていく。ドキドキと鼓動が耳に響いてうるさかったが、何とか手を止めることなく包みを開くことに成功した。そして、そこから出てきた、純白の、一目見て上質なものだとわかるハンカチに手を止める。

丁寧にたたまれた、皺一つないそれには明らかに職人の手で施されたのではない、少しいびつな刺繍が施してある。


「…。」


意識せず開いた口から声にならない声がこぼれた。

真っ白なハンカチに紫の糸で描かれていたのは、自分の名前の頭文字一つ。たったそれだけだったのに、胸が詰まって何も言えない。その刺繍を見ただけでなぜかジワリと胸の奥が熱くなった。うぬぼれかもしれないし、自分のあさましい希望的考えなのかもしれないが、これを刺繍してくれたのは恐らく彼女だという結論に行きつけば、手の中にあるそれが途端に輝きを増す。あの日の夜、心身ともに傷つき疲れ切っていた彼女を少しでも励ますことができればと、早朝に花屋に出向いた。ノヴェリスト伯爵家でひいきにしている花屋は自分の顔を覚えていてくれたようで、早朝の訪問にもかかわらず快く店を開けてくれた。女性に…しかも好意を寄せる少女に花を贈るのは初めてで、かなりの時間をかけたが…どうやら気に入ってもらえたようだ。


『嬉しかった…。』


告げられた言葉と演習室の暑さのせいかほんのりと頬を染めたアヤメの顔が頭から離れない。訓練のために高く括られた髪のせいであらわになった白いうなじは、数本の後れ毛に混じって汗が浮いていて……匂い立つようなアヤメの色香に体の奥から熱が込み上げた。あと数分アヤメが帰るのが遅れていたら、頭に乗せていたタオルは間違いなく燃えていただろう。極めつけは、コレを握らせるために自分に触れたアヤメの手の感触だった。手を触れるのは初めてではないが……触れる回数を重ねれば重ねるほどその殺傷能力は上がっていく気がする。

無様な姿をアヤメには見せたくない。侯爵令嬢という身分に恥じない気品あふれる彼女に、医師としての高潔な精神と慈愛の心を持つ素晴らしい彼女にふさわしい勇ましく逞しい姿だけを見てほしいと思うが……どうしてもアヤメの前では無様な姿をさらしてしまう。

『特別な人だもの。』

いつまででもそう思ってもらえるような男でいたい。彼女の隣に立つのがふさわしいと思われるような…男になりたい。


テオは、ハンカチに施された刺繍を見つめる。

これを作っているときアヤメはどんな気持ちだったのだろうか…?

少しでも自分の事を考えてくれただろうか…?

カッカ、カッカと全身から熱を放出しながら穴が開くほどハンカチを見つめていたテオが


「今日、アヤメ嬢が演習室に来たんだって?!なにもらったんだよ?」


と酒を片手に乗り込んできたレシに炎魔法を放つのはその数分後だった。



誤字脱字報告ありがとうございます。お手数おかけいたします。

また、ブックマーク、評価、いいね等ありがとうございます。

すべてが励みです。今後ともよろしくお願いいたします。

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