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78.不審船と騎士団と宰相

よろしくお願いします。

アヤメが騎士団を休んだその日、騎士棟の会議室には、騎士団長のオッドをはじめとした、副団長、各隊の隊長と外務大臣、宰相が揃っていた。


「先日の不審船についての報告を上げさせていただきます。」


静寂に満ちた会議室にオッドが手元の資料を読み上げていく。


「不審船の国籍ですが、乗組員への事情聴取によりネーソス帝国のものと判明しました。イスラ王国への支援物資を海路で搬送中に嵐に合い、氷山に衝突したそうです。その後、海流の流れによって我が国の港に入港することになったということでした…。」


オッドの報告にその場の空気がピリッと張り詰めた。


「…イスラ王国へ向かうために、陸路ではなく海路を選択した理由は?」

「乗組員の話では上からの指示だと。」


ユスティーツの質問にオッドが答えれば、銀色の柳眉がキュッと寄った。


大陸の南西部に位置するネーソス帝国から、大陸の北東に位置するイスラ王国へ入国するためには、大陸を縦断する巨大山脈を越えなくてはならない。確かに、大量の物資を荷馬車に積んで山道を運行するのは時間もかかるし、道は整備されているとはいえ、道幅は狭く落石や山賊などの危険性もある。そう考えれば航路で大陸の北西部に位置するインゼル王国の海域をぐるりと回って、イスラ王国に向かった方が安全性も搬入量も確保できるが…。


「今の時期に我が国の海域付近を運行することは自殺行為ということを知らなかったのでしょうか?」


インゼル王国は大陸の北西に位置し、その海域には大陸のはるか北にあるの神の島から流れてくると思われる氷山が出現する。特にこの時期はその出現率が多く、流氷も多くみられることからインゼル王国の漁師たちはこの時期に沖合に出ることはしない。それを隣国であるネーソス帝国の漁師や航海士が知らないわけではないと思うのだが…。

そう思っているのはユスティーツだけではないようで、その場にいた誰もが同じように表情を鋭くしていた。


「…ネーソス帝国への連絡は?」

「はっ、今朝早馬を出しました。今頃はネーソス帝国へ入国しているはずですが返事が来るのは明日以降かと。」

「そうですか。乗組員の容体は?」

「壊血病という診断のもと、処置を続けています。0番隊の話では回復に1、2週間はかかるという話なので、それまでは治療院を一つ丸々乗組員の専用として回復に務めたいと考えています。すでにアールツト侯爵家より、治療院には医師や補助者が派遣されています。」

「わかりました。では、あとはネーソス帝国からの連絡を待ちましょう。乗組員の引き渡しの際は外務大臣にもご協力いただきますのでよろしくお願いします。」

「承知しました。乗組員たちの治療と並行して身分を確認し、我が国への入国手続きを行います。」

「よろしくお願いします。陛下からは騎士団の方々へ、治療院の警備と乗組員の警戒を念入りにするようにと指示を受けておりますので、オッド騎士団長、インブル副団長、そして各隊長の方々も心してください。」


ユスティーツの言葉に騎士たちから短い返事が上がった。それに軽く頷いたユスティーツはゆっくりと視線をオッドに向ける。その視線の意味を正しく理解した彼は手元の書類をテーブルに置いた。


「次は、隠し部屋と思われる場所から発見された妊婦についてです。発見時に処置をしましたが、胎児は死亡。そのショックにより未だ情緒不安定が続いており、しっかりとした調書が取れておりません…が、女性の隠されていた部屋からネーソス帝国の第二皇子の紋が付いた装飾品が発見されました。」


オッドの言葉に一気に緊張が走った。

ネーソス帝国の皇帝は多くの側妃を抱えているが、その中で正妃から産まれた唯一の男児が二人。皇位継承権第一位と第二位の皇子二人のうちの1人…第二皇子の紋が入っている宝石を持っていたとなれば、救出した女性は第二皇子となんらかの関係があるものという可能性が出てくる。さらに、女性が宿していた子供との関係も…。


「まだ、詳しいことは本人からも聞いておりませんので、これ以上は何も言えませんが…待遇はいかがいたしましょうか?」


もし、仮に女性がネーソス帝国の貴族ないし側妃だった場合は待遇一つで外交問題に発展する可能性がある。本来ならば、アールツト侯爵家の敷地内にある貴族専用の病室にて治療し、専属の侍女を付けるところではあるが、ユスティーツと外務大臣の顔は曇ったままだ。


「…まずは本人からしっかりと事情を聴いてからにしましょう。貴族などではなく、ただの盗賊の可能性もあります。得体のしれない人物をアールツト侯爵家に招くのは得策ではありません。」

「承知しました。では落ち着くのを待って速やかに事情聴取を行います。」

「お願いします。念のため彼女にかかわる人物には常に報告を上げるように指示を出してください。」

「はっ。」


ユスティーツとオッド、外務大臣が不審船に関する話を進めていると会議室のドアがノックされた。すぐさまレシが対応し、やって来た騎士から預かった書類をオッドに手渡した。それを黙読したオッドはそのままユスティーツへ差し出す。


「医療第三者会から、不審船での我が騎士による妊婦への医療行為と処置についての考察と判断書が届きました。」


インゼル王国では0番隊及び医師、補助者が患者を治療中に死亡させてしまった場合、その医療行為と処置は適切だったのかを第三者機関が判断する事を法律で定めている。「医療第三者会」と名付けられたその機関は、国王をはじめとした国の上層部で構成されており、顧問をアールツト侯爵が務めていた。国王の印が押されているそれは、絶対に覆ることは無いということを意味している。


ユスティーツは数枚にわたるそれを一瞬で速読し、すぐに外務大臣に渡す。外務大臣は二人の読む速さに押されながも、書類に目を通していた。


「第三者会では、今回の妊婦への医療行為は的確であったという判断が下りました。現場の状況と母体の状況から見て、胎児については母体の中ですでにこと切れていたと判断できるそうです。女性の身元が分かり次第この判断書の写しを本人と帝国に渡しますので、騎士団長、保管と複製をお願いします。」

「かしこまりました。」


ユスティーツから書類を受け取ったオッドは自分に向けられた碧眼の鋭さにゆっくりと姿勢を正した。

インゼル王国の懐刀であり、様々な国や重要人物、王族とも渡り歩く目の前の男は「王の臥龍」の名で知られる英傑だ。フェアファスング公爵家当主にして、王家の血を引く由緒正しい最高位貴族でありながら、その人柄はとても話しやすく親しみやすい。100人に聞けば100人が彼の事を「優しくていい人だ。」と答えるだろう。

しかし、オッドは知っている。

その親しみやすさと優しさの仮面の裏にはとてつもない闇が広がっていることを。先の大戦中に、何人の英傑たちが彼の術中にはまり命を落とし、領土を手放し、味方を売り渡したか。ユスティーツ・フェアファスングは戦わずして、相手を降伏させる男なのだ。

そんな彼の親友と呼ばれるアールツト侯爵の娘であり、息子の命の恩人であるアヤメ嬢が今回の件に深くかかわっている事。そして、そのせいで彼女の親族であるアールツト辺境伯から酷い仕打ちを受けたことを知っているこの男が、「判断書を保管しろ。」の言葉に込めた意味は計り知れない。


ユスティーツから受け取った書類を封筒に入れたオッドは横に控えているインブルにそのまま渡した。しっかりと両手で抱えるように持ったインブルに頷いて正面に向きなおれば、ユスティーツが用意された紅茶を口にするところだった。


「これで、今できる不審船についての話し合いはおしまいですね。」

「はい。」

「では、宰相殿、騎士団長殿、私は一足先に城に戻り乗組員たちの手続きの書類作成と交渉の可能性も踏まえてネーソス帝国との国交の資料を今一度洗っておきます。」


失礼します。と席を立った外務大臣を見送った宰相に自然と騎士たちの視線が集まる。

話し合いは終了したのに、なぜまだここに宰相閣下は居座っておられるのか?

隊長達がそう疑問を浮かべた中、カップの中身を飲み干したユスティーツは静かに口を開いた。


「私からもご報告がありますので…皆様、お時間を少しいただいてもよろしいでしょか?」


否と言わせないほどの冷たい視線と、穏やかな表情とは反対に溢れんばかりの冷気を発しているユスティーツにオッドとインブル以外の隊長達の姿勢が伸びる。すぐさま短い返事をした彼らを一瞥したユスティーツはオッドを見てふわりとほほ笑んだ。


「アールツト辺境伯について、国王陛下からの処分をお伝えいたします。」

「…は?」


さらりと言われた言葉に思わずオッドが聞き返せば、ユスティーツはさらに笑みを強くした。


「あなたの管理下である騎士棟内で、我が国を守る貴重な騎士へ対する一方的な暴力と罵声は到底許せるものではありません。爵位は弱者を虐げるためではなく弱者を助けるためのものであり、力は傷つけるものではなく守るためにふるうのです。そんな基本的なこともわからない、貴族が未だに我が国にいることを私も陛下もとても嘆いております。今回のアールツト辺境伯の件はまさにその一端でした。」

「は、はぁ…。しかし、アールツト辺境伯はアヤメ嬢の…。」

「血がつながっているから暴力をふるっても許されるのですか?躾の為なら親が子供を一方的に殴りつけても問題なしと処理されるのでしょうか?」

「いえ…それは…。」


どこか楽しさを感じさせるような口調で言っていたユスティーツの瞳がキュとしまった。そして、今まで笑みが絶えることのなかった顔から表情が消える。


「己が名声と権力にしか興味がない、生にしがみついている老害などこの国には必要ない。」


地を這うような低く、感情を感じさせない声に隊長達の背筋が震える。突然の変わりように驚いたオッドとインブルがユスティーツを見た時には既に先ほどと変わらない穏やかな笑みがあった。…気のせいか?とも思ったが次に発せられた言葉で先ほどの声が間違いなくこの男から発せられたものだと知る。


「ア―ルツト辺境伯への処分は爵位と領地の没収。並びに資産はアールツト侯爵家と騎士団に分割贈与、フォンダ・アールツトには貧困層への20年間の医療奉仕が決定しました。」


…うそだろ?

クエルトが驚きのあまり開いた口を閉じることもせずただユスティーツを見つめていた。


「せっかく貧困の民の為に尽くしてくださるのですから、御身を大切にしていただきたいので、城の薬師より数種類の薬の服用指示も出ていますね。」


といった彼の顔は仄暗い何かをはらんでいる。

あの日、叔父上がアヤメに対して吐いた暴言と暴力は決して許されるものではなく、騎士団長から呼び出された兄上と共に厳しく非難をした。それでも聞く耳を持たず反省の色すら見えなかった、あの叔父上にまさか…こんな重罰が下されるなんて。

健康が自慢だったあの男が城から処方される薬は()()()()()なのか…想像するだけで胃の当たりが少し痛む気がした。


「陛下はアヤメ嬢の知識とアールツト侯爵家にふさわしい高潔な精神と深い慈愛の献身を高く評価されています。もちろん私もです。アールツト侯爵家は我が国にとって王家の次に重要な一族です。その一族の次代を担う素晴らしい逸材をあのような愚か者の一方的な暴力で、傷つけさせるわけにはいきませんので、今回はこのような処置をとらせていただきました。」


一度言葉を切ったユスティーツがその場にいた騎士たちをスッと見回して、クエルトのところで視線を止めた。


「今回の件ですが、アールツト侯爵殿にはすでに了承をいただいております。身内である、クエルト隊長には事後報告になってしまった事、謝罪します。」


頭を下げたユスティーツに慌てて両手を前に出したクエルトは謝罪を止める。


「いえ、私は侯爵家を離れた身です。陛下と上層部の方々がお決めになり兄上が了承されたのならば、何も意見はありません。…ただ、この件はアヤメには…?」

「…アヤメ嬢には今は精神的にも肉体的にも回復が必要かと思います。折を見て、アールツト侯爵殿から直接お伝えになると本人がおっしゃっていましたよ。」

「…そうですか。」


大切なのはアヤメの気持ちだ。幼い頃から叔父上にされてきた仕打ちを思えば今回の処分を受け入れてくれるとは思うが、心優しいあの子が罪悪感を感じてしまう可能性は捨てきれない。

それに…


「大変お恥ずかしい話なのですが、叔父上は気性の荒いお方です。今回の件でアヤメへの逆恨みをする可能性があります。」

「ああ、それについて心配には及びません。あのお方に関しては私の方できちんとした監視を付けますので。」

「…ありがとうございます。」


きちんとした監視。

その部分に何やら物騒な雰囲気を感じたがクエルトはあえて触れなかった。アールツト一族の新たな可能性の始まりかもしれないアヤメをくだらない価値観と優越感で否定し続けてきたあの男を擁護するつもりは元から無い。アヤメに最初にあの男が手を上げた時点でクエルトはあの男を叔父と思うことをやめたのだから。


優雅な所作で城に帰っていくユスティーツを見送った騎士隊長と騎士団長、副団長の顔には珍しいく疲労の色が浮かんでいる。どんなに激戦でも、連日不眠不休の任務でも決して疲労などみせない上官たちの珍しい姿に、その場にいた騎士たちは皆顔を見合わせていた。


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[良い点] これは良い処遇 先の話が大分暗かったので、読んで救われました アヤメさん、よかったね
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