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77.侯爵令嬢と不審船7

よろしくお願いします。

余り大ごとにはしたくなかったのに、私の意思とは反対に数十分後には騎士棟の前にアールツト侯爵家の家紋が入った専用の寝台馬車が横付けされた。しかも乗ってきたのは家令のスチュワートだった。

なんで!!?嘘でしょ!?

スチュワートが屋敷を出るなんてことは今までめったになかった。しかもこんなふうに誰かの迎えになんて…。馬車から流れるような美しい所作で降りたスチュワートは、「お嬢様のお迎えに上がりました、お待たせしてしまい申し訳ありません。」というと、呆然と立ち尽くす私の横に立つテオ隊長とセブンさんに恭しく礼をとった。


「お初にお目にかかります。私アールツト侯爵家の家令・スチュワートと申します。本来ならば我が主からお礼を申し上げる所ですが、あいにく私用の為不在にしておりまして、主に代わりまして私から、お嬢様の診察と治療をしていただきましたこと深く感謝申し上げます。」

「丁重なあいさつをいただきこちらこそ感謝申し上げます。夜分に御足労いただき申し訳ありません。アルは今夜こちらで預かるのでご安心ください。明日には自分で屋敷に帰ることでしょう。」

「左様でございますか。何から何まで、お二人のご配慮に感謝申し上げます。いずれ主人からきちんとした謝礼を贈らせていただきます。」

「いえ、礼には及びません。騎士として、ご令嬢の上官として我々は当然の事をしたまでです。夜も更けましたので、スチュワート殿もお気をつけてお帰りください。」

「これはこれは、わたくしのようなものにまでお気遣いをいただきまして、ありがとうございます。それではお嬢様、参りましょうか。」


テオ隊長はご実家が貴族ということもありスチュワートに臆することなく堂々と振る舞い、気を配る余裕すらあったが平民出のセブンさんは豪奢な寝台馬車とスチュワートに圧倒されたようで、ただそこに立ち尽くしていた。その姿を見て申し訳ない気持ちになりながら馬車に乗る前に2人を振り返る。


「今日は本当にありがとうございました。」

「いや、ゆっくり休んでくれ。」

「クエルト隊長からもケガを治す事に専念しろって伝言をもらってるから、ゆっくり休みなよ。」

「はい。ありがとうございます。…では、失礼します。」


馬車に乗り、ドアが閉まったことを確認して備え付けの寝台に横になれば、すぐにスチュワートが掛布を掛けてくれた。そしてゆっくりと馬車が動き出した。


「…なんでスチュワートが来たの?」


先ほどからの疑問を口にすれば、スチュワートはゆったりとほほ笑んだ。


「旦那様は騎士団長殿に呼ばれておりまして、奥様は地方視察に出ておりましたので。」

「そうじゃなくて、別にスチュワートじゃなくてもアリスやブレッグがいたんじゃないの?」

「おや?私ではご不満でしたか?」

「違うわよ。スチュワートは忙しいし、私なんかの為に時間を使わなくてもって思ったの。っていうか、モーリスだけで付き添いもいらなかったのに。もう、子供じゃないんだから。」

「いえいえ、お嬢様のお迎えという大役を他の者には譲れません。それに、私にとってお嬢様は幾つになってもお嬢様です。」

「…どうせ子供っぽいもんね。」


私の言葉にフフッと笑ったスチュワートの顔は記憶にあるものよりもだいぶ歳老いて見えた。


「ねぇ、スチュワート?」

「はい。」

「…あの約束覚えている?」

「もちろんですとも。」

「今でも有効よね?」

「はい。私の命ある限り有効でございます。」


私の言葉に表情一つ変えずにすぐに返してくれたスチュワートに力なく笑ってみせた。それだけで彼にはきっと伝わるはずだ。

幼い日、私とスチュワートだけで交わした誰も知らない約束。決して誰にも知られてはいけない、私の切り札。


「…やっぱり、今日迎えに来てくれたのがスチュワートでよかったわ。」

「それはそれは、ありがたいお言葉です。」


スチュワートとの穏やかな会話に、意識がまどろみ始めたころ寝台馬車はゆっくりと屋敷に到着した。



眠りの中、何かが頬に触れている。温かくて優しいそれは…なんだろう。


「…すまない。」


テオ隊長?

…違う。

私はこの手を知っている。その声も、かすかに香る薬品の匂いもずっとずっと昔から知っている。


「ゆっくりお休み。」


ジクジクとした痛みと耳の閉塞感が消えたのと同時に、静かな声がささやかれた。瞼を開けようと思ったが、私の中の何かがそれを押しとどめる。

……そして、気配が完全になくなるの待つことなく再び眠りに落ちていた。



翌朝目覚めれば、頬の傷も耳の怪我も全てが綺麗に治っていた。お兄様が学園で寮生活を送っている今、この屋敷でこんなことをできるのは一人しかない。

……お父様…。


騎士の制服に着替えて食堂に行けば、お父様が1人で新聞を読んでいた。


「おはようございます。」

「おはよう。よく眠れたかい?」

「はい…。あの、怪我の事ですが…」

「気にすることはない。さぁ、朝食にしよう。腹が減った。」


私の言葉を不自然なまでの明るい声でさえぎったお父様は給仕に合図を送った。それに合わせるように私もとりあえず席に座る。


「今日はアヤメの好きなフレンチトーストだそうだ。」


テーブルの上に並べられた朝食を見ながら、会話が途切れないようにと言葉を続けるお父様に私は姿勢を正して、ゆっくりと視線を向けた。食事の前にお父様に話さなければいけないことがある。


「お父様、お話があります。」


私の真剣な表情にお父様が口を閉じてナプキンを膝に置いたのを見て、緊張をごまかすように大きく深呼吸をして口を開いた。


「昨日の不審船で、私は…新生児を救うことができずに…死なせてしまいました。…申し訳ありません。」

「それは…何のための謝罪だ?昨日の件は、騎士団長とクエルトから報告は来ている。常位胎盤早期剥離の診断もその処置としての帝王切開も間違ってはいなかったと私は判断している。」

「それでも…救うことができませんでした。」


先ほどまでと違い、真剣な表情で静かに告げたお父様を見ていることができなくて、思わず視線を膝に落とす。…救えなかった…。診断も処置も間違っていなかったのだとすれば、命を救えなかった原因は、やっぱり…私の……___。


「重度の常位胎盤早期剥離ならば胎児の生存率は下がる。さらに、母体の腹部の切創と播種性血管内凝固症候群で出血多量だった事を考えれば、子宮内に十分な酸素が供給されてなかった可能性も高い。」

「それでもっ…カミーユ副隊長が治癒魔法を施した母体は助かりました。私が…私が対応した胎児だけ…死亡しました。」


グっとドレスを握り絞めれば、大きなため息が落とされてそれにびくりと肩を揺らす。悔しさと、恥ずかしさと……命を救えなかった…お父様に呆れられてしまった悲しさで胸が苦しい。


「心臓が停止している状態での治癒魔法は効果がないのはアヤメもよく知っているだろう。娩出時の産声もなく、心肺停止でチアノーゼ反応も出ていたとなれば…母体内で死亡していたと考えるほうが妥当だと私は思う。たとえ命を救えなかろうと感情に振りまわされるな。医師として現場に立つのなら自分を律し冷静に状況を見極めることを忘れるな。」


感情を乱すことなく言い切ったお父様に、私はゆっくりと視線を上げる。その先で眉間にしわを寄せた厳しい顔のお父様が真っ直ぐに私を見つめていた。


「…私と騎士団長で今回の件はしっかりと話を付けてきた。不審船の調査も進んでいるし、母親にも特別な謝罪はする必要はない。何度も言うがアヤメの処置と判断は間違っていなかった。もしそれで、何か言って来たら後は私が引き受ける。…アヤメも今一度医師としての自分の在り方を顧みて見なさい。」


その言葉がナイフの様に鋭く胸に突き刺さった。


…医師は冷静でなければならない。患者の命と向き合い、集中力と精神を削るような局面にあっても常に冷静さを持たなければならない。


…あの時の私はそれが出来ていなかった。

腕に抱いた小さな体が冷たくなっていくのが怖くて、すでに消えていた命をなんとしてでも、この手で取り戻したかった。…でもそれは医療現場に立つ医師としては……不合格だ。

そんな私を見透かしていたかのようにお父様の言葉は続く。


「医者は神ではない。一度消えた命の火を再び戻すことはできない。それは治癒魔法を用いたとしてもだ。お前の処置も判断も間違ってはいなかった。カミーユもミールもあの場にいた誰もがあの時できる最善を尽くした。その結果、一つの命が失われたとしてもそれは誰の責任でもない。…それとも、お前は自分が治癒魔法を使えたら胎児を救えたというのか?なら、治癒魔法を使えない医師や医療補助者に当たった病人やけが人は不幸なのか?」

「…それはっ……私は…っ…。」


私が治癒魔法を使えていたら…。

そう思い、何度も悔やんでいた私をお父様の言葉が切り刻んだ。そして、心から余計なものが消されていく。


「それは、治癒魔法を使えるアールツトの人間がいればどんなに酷い病気でもケガでも必ず助かると思っている愚かな連中とかわらんぞ。今すぐそんな考えは捨てなさい。」


お父様の鋭い視線がまっすぐに私を射抜いた。こんなふうに強く睨まれたのは初めてだった。そして、怒りと悲しみを堪えたような表情で静かに告げる。


「幼い頃から言ってきたが、もう一度言う。治癒魔法は万能ではない。我々は神でもなければ特別な存在でもない。治癒魔法を使えようが使えなかろうが、命の前で私たちは平等でいつだって無力だということを決して忘れるな。そして、医師を名乗るのならば、全てが救えるとは決して思うな。」

「…はい…申し訳ありませんでした。」


そう返すことしかできなかった。

お父様の言葉は前世の記憶と知識を持ちながら、医者としての大事なことを忘れていた私に強く響き、思い出させる。


治癒魔法を使えない医師や医療補助者にあたった患者は不幸なのか…?


…違う。そんなことはない。


「治癒魔法」という前世では考えられない魔法が当たり前に存在するこの世界は、どこか夢物語の様で…私は前世では救えなくても「治癒魔法」があれば救えると妄信していた。

しかし、この世界は前世と何も変わらない。

私は魔法使いになったわけでも、世界を救う勇者になったわけでも、チート能力を持ったわけでもない。前世と変わらず、私は「ただの医者」だ。いつだって目の前の命に持てるすべてを使って最善を尽くすだけだ。

そう自覚した瞬間、スッと心が軽くなったような気がした。


それでも、少しの間をおいて私はお父様に再び頭を下げた。


「申し訳ありません。」

「…先ほども言ったが、それは何に対しての謝罪だ?」

「アールツトの名に…泥を塗ってしまいました。」


その瞬間、テーブルに置かれたお父様の手がグッとこぶしを握った。

お父様は先ほど医師としての在り方を私に説いてくれた。治癒魔法など関係ないと言ってくれたが、「アールツト」の名が私を縛り付ける。


「…そんなことは気にしなくていい。私にも救えなかった命はたくさんある。それでもアールツトの名は揺るぐことはなかった。」


それはお父様がヒルルク・アールツト侯爵だからです。

と言いかけた言葉を飲み込んだ。私はお父様とは違う。私は「アールツト侯爵家のポンコツ令嬢」「治癒魔法の使えない落ちこぼれ。」なのだ。今回の件が公になればお父様がどんなに庇ってくれようと世間は私を非難する。

そして、それは…身内からも…。


「大叔父様を怒らせてしまいました。」


私の言葉に、スチュワートの眉がわずかに寄った。後ろに控えていたアリスは見えなかったが、静かに息をのむ音が聞こえるからきっと驚いているのだろう。…この屋敷の古参の使用人たちはフォンダ叔父様が私をどう扱っているのか十分すぎるほど知っている。そして、昔から私の事を心配してくれていた。


「あの方の言うことは気にするな。とっとと冥土に下ればいいものを、いつまでも女々しく生にしがみついている老害だ。」


お父様は怒りを隠すことなく、苦虫をかみつぶしたように吐き捨てた。誰かを非難する言葉をめったに言わないお父様の珍しい暴言に思わず目を見開く。

…昨日の出来事を知っているのであれば…私のあの言葉をお父様は聞いているだろうか。私の言葉を知った時のお父様を思えば胸が痛んだ。

お父様は……いつも私を見て、愛してくれた人だから。


「お前だけではなく、フェルにまで暴言を吐くような奴の話などまともに取り合うべきではない。お前は誰が何と言おうと私の娘で、アールツトの名を持つにふさわしい人間だ。」

「…お父様…。」

「前にも言ったが、お前が生まれてきた事を後悔した日など一度もない。アヤメはいつも私には想像できないような新しい医療と技術を用いて、我が国の医療技術の進歩に貢献してくれている。その功績はいずれ大勢の民衆に評価されるだろう。私は、そんな娘を持てたことを誇りに思っている。」


アヤメが私たちのもとへ生まれてきてくれたことを感謝している。

そう言ったお父様の顔は力強く笑っていたけれど、どこか悲しげに見えた。それに心が小さく痛んだが、「ありがとうございます。」と言って笑顔を作った。ここで私が悲しい顔をして、またお父様を苦しめたくはない。それと同時にお母様が不在でよかったと思う。…もし、この場にお母様がいたらきっと、またご自分を責めてしまうだろうから…。


私にとって大切な家族。治癒魔法が使えない出来損ないの私にいつもたくさんの愛情を注ぎ、生きる術を教えてくれた大好きなお父様とお母様。そんな二人をこれ以上私の事で悲しませたくなかった。

アールツト家は関係なく、二人の娘でよかったと素直に思うから。

そして、すっかり冷めた朝食を二人で食べた。


その後。

傷とけがはお父様に治療してもらっていたが、まだ側頭部の皮下出血と打撲部分が痛むため、お父様の提案で今日は騎士団を休むことになった。


温かな日差しが降り注ぐ広大な庭の一角。

森とつながる大きな樹の下にシートを敷いて、ゆったりと腰を下ろした。すぐそばではウメとタケが互いのしっぽを追いかけて遊んでいる。休日は普段なら溜まっている書物や調べ物をしてつぶしてしまうけど、今日は何もする気にはなれなかった。

ゆっくりと流れる雲と吹き抜ける柔らかな風を感じながら、何をするでもなく、ぼんやりとウメとタケを見ていると「グギャー!」と聞き覚えのある声がした。


「アル!?」


声のほうに視線を向ければ、アルがゆっくりと旋回しながらこちらに降下してくる。昨晩は騎士棟に泊まったアルはどうやら自分で戻ってきたようだった。両手を広げてアルを迎えれば着地した勢いのまま私の腕の中にアルが頭を押し込んだ。その力強さによろめきながらもしっかりと受け止めて首をガシガシと撫でる。


「昨日は置いて行ってごめんね?」

「グギャーグギャー!!」

「うん、ごめん。…あれ?」


グギャグギャと抗議するアルをなだめていれば、ふわりと甘い香りが鼻についた。アルの匂いではないそれにサドルを見れば小さな花束が括り付けられている。


「…なに…?」


片手で足りるほどの小さな白と紫色のアネモネの花束にはメッセージカードも何もついていなかったが、花束を包んでいたハンカチには見覚えがあった。

昨日、医務室で泣いた私に差し出されたハンカチは恐れ多くて使うことができなかったけど…差し出してくれた人は涙が止まるまでそばにいてくれた。


テオ隊長…。


深い藍色の髪と切れ長の目の奥にある黒い瞳が鮮明に思い浮かぶ。その瞬間、昨日の自分の痴態を思い出してカカッと頬が赤くなった。昨日はいくら心が荒んでいたとはいえ、大胆なことをしてしまった…。いや、これまでもテオ隊長の手を握ったり、頬に触れたりしたことはあったけれども…。顔を肩になんて…!しかも、最後のほうはテオ隊長の手が背中に回っていた気がする!!ってこれはもう抱きしめ合っていたようなものじゃ…。

そこまで考えてボンッと顔が燃えた。この気持ちが何なのか…わかりそうで…わからない…。わかりたいのに、わかりたくないような気もするし…。何も考えたくないと思っていたのに、いつの間にか頭の中はテオ隊長の事がグルグルと回っていた。


…やめよう。

これ以上考えたら明日も休むことになりそうだ。

気を取り直して、手の中にある花束を見る。まだ朝露が付いている新鮮なアネモネは甘い香りを放っていた。騎士棟に花なんてないから、きっと朝一番に花屋に出向いて買ってくれたものだろう。隊長という忙しい身分でありながら、私の為にそこまでしてくれるテオ隊長にキュッと心が締め付けられる。


「おや?アネモネですか?」


花束に顔を埋めて香りを堪能していると、バスケットを持ったスチュワートがやって来た。すぐ様、タケとウメがスチュワートの足元を嬉しそうに駆け回る。不思議なことにタケとウメはスチュワートにはよく懐いている。ブレッグなんてこの間追いかけまわされていたというのに……。


「スチュワート、どうしたの?」

「今日は天気もいいので、こちらで昼食をと思いまして簡単なものを詰めてまいりました。ご用意してもよろしいでしょうか?」

「もちろんよ、ありがとう。」


私の言葉に目だけで微笑んだスチュワートは洗練された手つきでシートの上にバスケットの中から取り出したカトラリーやサンドウィッチを並べていく。


「時にお嬢様…。」

「なに?」

「アネモネの花言葉をご存じですか?」


用意を終えたスチュワートの視線が私の手にある花束に向けられていた。残念ながら薬草なら詳しいがこういった花は疎い。前世ではどんな植物でも枯らしてしまうので植物や花を手元に置くようなことはしなかったくらいだ。


「わからないわ。教えてくれる?」

「かしこまりました。…アネモネは色によって花言葉がそれぞれついております。紫は『あなたを信じて待ちます』白は『希望』『真実』です。その花束を贈られた方はよほどお嬢様を大切に思っていらっしゃるのでしょうね。…包装紙ではなくハンカチで花束を包んでいるところにもいじらしさを感じます。」


その言葉を聞きながら、昨日のテオ隊長との事を思い出してプシューと頭から湯気が上がった。だま、これ以上は耐えられない。


「…もう、わかったから、やめて…。」


ニコニコとしながら、どこか含みのあるような視線がむずがゆくて思わず花束で顔を隠す。きっとゆでだこの様に赤い自信がある。スチュワートはそれにさらに笑みを深くしながら、茶葉をポットに入れていた。


「…送り主はご存じで?」


スチュワートの言葉に花束に視線を落とせば、昨夜の彼の言葉が思い出された。


『守りたい…いや、守るだけでは足りないな…。できる事なら…君を支えたい。』

その笑顔や息遣いまで鮮明に覚えている。

『アヤメの傍に居させてほしい。』

重なった手のぬくもりも…

『…_____忘れないでくれ。』

彼からもらった言葉のすべてがはっきりと私の心に刻まれていた。

それを思い出せば自然と顔がほころぶ。


「…うん…。とてもやさしくて、強くて…いつも私を守ってくれる人よ…。」


テオ隊長から送られた言葉の嬉しさと温かさを感じたまま告げれば、スチュワートが穏やかに笑った。それはまるで幼い子供を見るような…どこか懐かしむような柔らかなものだった。


「それはようございました。…お嬢様もそのようなお顔をされるご年齢になられたのですね。」


スチュワートの言葉を聞いた瞬間、自分が言った言葉が急に恥ずかしくなって慌てて、ごまかすように声を上げた。


「あ?え?!変な顔してた?」

「いえ。とてもお美しく花がほころぶようなお顔でした。」

「それって…どういう顔よ。」


眉を下げてじとりとスチュワートを見れば彼は表情を崩すことなく視線をポットに落としていた。


「……やっと笑っていただけましたね。」

「え…?」


ポットから紅茶を注ぐ手を止めずにスチュワートは言葉を続ける。


「今日初めて、心から笑うお嬢様を見ることができて安心いたしました。」

「…。」

「お嬢様は幼い頃からどこか大人びていらして、とても聞き分けがよろしかった。…そして、いつも旦那様や奥様を気遣われておいででした。」

「…!」


予想外の言葉に思わず目が見開く。中身が35歳だった私はなるべく周りに怪しまれないようにと、子供らしく振舞っていたつもりだったけど…スチュワートにはバレていた?


「私には…それが、とても痛々しく感じられました。」


そっと私の前に置かれたカップから私が好きな茶葉の匂いがした。スチュワートの眉がゆっくりと下がる。


「わかっていながら、何もして差し上げることができない自分がとても情けなく、不甲斐ないと思っておりました。」

「…スチュワート。」

「ですから、あの日、お嬢様が私に約束を申し付けてくださったことが、…とても嬉しかった…。あの日、初めて本当の貴女様に触れられた気がしました。」

「…。」

「ですからどうぞ、いつ何時でも、お嬢様がお望みの時にあの約束を申し付けください。…あの日から、私の準備はできております。」


私を見つめるその顔のしわの多さに流れた月日の長さを知った。あの時は黒々としていたスチュワートの髪はシルバーグレーに変わり、昔はなかった老眼鏡が胸ポケットには刺さっている。時には親の様に、時には教師の様に幼い時から私を見守ってきてくれた……我が屋敷の…私のスーパー家令。


「3歳の子供の約束を本気で守るなんて…天下のアールツト侯爵家の家令の名が泣くわよ?」

「地位や肩書、名前など何の意味もありません。あの日、私に伸ばしてくださった小さな手のほうが、私には何倍も価値はあります。この老いぼれの…命をかけるほどに。」


そう言った彼の目は昔と変わらずまっすぐに私に注がれていた。あの日、全てを終わりにしたいと嘆き募ったときと同じ、強い意志と慈愛に満ちた瞳。あの時、この人から言われた言葉は今もはっきりと心に残っている。


「ありがとう。…スチュワートがいてくれてよかった。」

「もったいないお言葉です。…私もお嬢様にお仕えすることができて光栄でございます。」

「…でも、あの約束はもう少し必要なさそう。今は少しだけ疲れたけど…また、立ち上がってみせるから。…だから…長生きしてね。」

「お望みのままに。…マイ・リトルプリンセス。」


14歳になった今でも昔の愛称で呼んでくる、我が家のスーパー家令はしばらく私と笑い合った後、昼食を勧めてきた。昔から変わらない彼のBLTサンドは、もう子供じゃないというのに未だにマスタード抜きで、それがどうしてか心に染みた気がした。


*花言葉は諸説あり

*アヤメとスチュワートの約束は、また別のお話で。


誤字脱字報告ありがとうございます。ご迷惑とご不便おかけします。


糖分多めの明るい話が書きたいと思うのに…糖分が難しい。

いつも、血まみれとか怪我とか病気とか…身体欠損とかばかり。

あぁぁ…糖分が欲しい。


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