7.侯爵令嬢と錬金術師
アヤメ・アールツト 9歳
「お初にお目にかかります。アールツト侯爵が娘、アヤメ・アールツトでごさいます。」
ドレスの裾を軽く持ち上げて礼をすると、目の前にいる男はゆったりと口角を上げた。
「丁寧なごあいさつをありがとう。私は貴族ではないから、簡略的にするよ。アイバン・サーチェスだ。よろしく。」
テーブルをはさんで向かいのソファに腰かけたサーチェス様は、その中性的な顔に緩やかな笑みを作って軽く頭を下げた。年齢は不詳。ピンクブロンドの長髪を一つに結わえて肩から前に流し、美しい所作でキセルを吹かす。
「よろしくお願いいたします。この度は我が屋敷まで御足労いただきありがとうございます。」
「そんなにかしこまることはないよ。私としては、かの有名なアールツト侯爵の令嬢にお声をかけていただいただけでも光栄さ。」
「…恐れ入ります。」
どこか含みのある言い方だったが、その意味は判っているのであえて口に出さずそのまま流す。そんな私の対応が予想外だったのか、サーチェス様は切れ長の目をわずかに開いた。その奥の水色の瞳がじっと私に視線を注ぐ。
「それで、ご用件は何かな?」
「はい、実はあなたに作っていただきたいものがあります。」
私の声にアリスが図面をサーチェス様へ差し出した。彼は軽く礼を言って受け取るとそのまま図面に目を通す。
手渡した図面に書かれているのは、私が医療現場で必要としているもの。この世界には存在しない、私が考案した医療器具だ。
サーチェス様は数枚にわたる図面を見て、しばらく沈黙した後パサリとテーブルの上に置いた。
「とても面白いものだね。どれもこれも、今まだ目に見たことがない。それにその用途も驚くものばかりだ。」
サーチェス様は口ではそういうものの、その表情は先ほどの笑みのまま一切変わらず考えが読めない。
「素人制作ですので、図面としては足りないところも多いかと思いますが、ご質問があればお答えしたします。」
「質問ねぇ…。」
カンッとキセルを打ち付ける音に思わず背筋が伸びた。
しっかりしないと、ここで下手な姿を見せちゃいけない。平常心を装いながら返事を待つ私にサーチェス様はゆっくり視線を向ける。細長い瞳がさらに細められ、不自然に口角が上がっていた。
「まず一つ、なぜ、私にこの話を持ってきたの?」
「あなたが、この国で一番の錬金術師であり…今まで誰も目にしたことのない新しい物に興味をもってもらえるのではないかと思ったからです。また、大陸一の繊細な技術を持つと言われる腕を見込んでいます。」
私の言葉に彼は一瞬驚きを見せたようだが、すぐに隠されてしまった。
アイバン・サーチェスはこの国、いや、この大陸で一番の錬金術師だ。
この世界で、初めて時計を創り、明かりをともすためのランプや今の生活必需品のほとんどは彼の創作によって生み出されている。彼は名声や富に興味がないので表立って彼の名前が公表されることはないが、高位貴族では有名な話だ。また、彼は他の錬金術師とは違い、自分の興味のあるものしか作らない、好きな研究しかしない、研究のためならどんな犠牲もいとわない。という変人であった。たとえ国王の願いだろうと彼は自分の興味が惹かれなければ創ろうとはしない。その為、一部からは煙たがられている存在でもあるが、それでも、王都のはずれに構えている彼の屋敷にはいつも仕事依頼の人間が押し寄せているという。
私は、この医療器具を作ろうと考えた時からサーチェス様にお願いすると決めていた。私が作ろうとしているものは、全て人体に直接触れる物や、緊急時で必要になるものであり、一歩間違えればその人の命も脅かしかねない器具もある。だからこそ、大陸一の繊細な技術を持つと言われるサーチェス様にお願いしたかった。
両親には許可を取ったし、資金もできるだけ用意してきたけど引き受けてもらえるかどうかは今日の交渉にかかっていた。
お父様は登城し、お兄様とお母様は視察。今日の交渉には私一人で挑まなければならない。
年齢不詳の天才錬金術師と9歳の少女。勝敗は決まっているようにも見えたが、ここで降りるわけにはいかない。
「へぇ?面白いことを言うね。じゃあ、二つ目、この「ステンレス」っていう素材はどこで知ったの?」
少し楽しげな声に私は表情筋に力を入れる。
「ステンレス」
この世界には存在しない金属。手術用の器具ですら全て銀素材の中で、私の希望したステンレス製の医療器具は創られれば医療現場に革命を起こすだけではなく、日常生活にも大きな影響をもたらすだろう。
「知ったのではなくて…考えました。医療現場では、体液や血液などに触れるため、医療器具は錆や変色が起こりやすいです。今の銀素材も、長く使うことはでき無いために経済的とは言えません。その為に、長く使えて、変色や錆に強い鋼を求めています。」
「ふーん…。」
「私が巷ではなんといわれているか知っています。」
姿勢を正してまっすぐに、切れ長の瞳を見つめる。サーチェス様は一瞬だけ表情を揺らしたがすぐに表情が戻った。
「そして、その噂は、ほとんど真実です。」
私の言葉にアリスが息をのむのがわかった。
「私は他の人達と同じ方法では戦えません。私の目標とする医療を実現するためにはこの世界には無いものが多すぎます。でも、無いからと言って私は諦めたくないのです。…恥ずかしながら、私には医療器具を作り出す技術も知恵も足りません。ですから、サーチェス様のお力をお貸しいただきたいです。」
「…。」
彼は何も言わずにキセルの先を見つめていた。
その表情が、あまりにもつまらなそうで私は思わず、口を結んでしまう。
「話は分かったよ。…でも、ごめんね。私には興味がない。」
「!そんな!」
「申し訳ないけど、他をあたってね。それじゃあ、失礼するよ。」
一拍遅れて立ち上がった私に、これ以上話すことはない。という態度を見せてサーチェス様は優雅な所作で部屋を出ていった。
「あーー…。もう、なんでよ。」
思わず言葉がこぼれる。
応接室のソファにだらしなく座ったまま天井を見上げた。豪奢なシャンデリアがきらめいている。…やっぱり私に交渉なんて向いてないのよね。腹の探り合いとか苦手だし、駆け引きなんて全然わからないもの。
「やっぱり、お母様かお兄様に同席してもらえればよかったかなー…。」
「お疲れ様です。お嬢様。」
アリスが淹れなおしてくれた紅茶をお礼を言って受け取り、ゆっくりと口に含む。
「おいしい。」
「それはようございまいた。」
これからどうするか…。
サーチェス様に制作を頼む予定だった医療器具が手に入らないとなると、結構いたい。前世では当たり前に使用していただけに、その必要性は十分知っているからこそ、その損失は大きい。
「いっそ、別な錬金術師に頼んでみようかしら。」
「…そうですね…。よろしければ、後ほど錬金術師のリストをお持ちいたしますか?」
「ありがとうアリス。お願いするわ。」
「承知いたしました。」
アリスが恭しく頭を下げたのを横目に図面を片付ける。
今回は仕方がない大事なのは医療器具を手に入れること。このためなら、多少妥協したって仕方がないわよ。
言い聞かせるように心の中でつぶやいて、私は応接室を後にした。