75.騎士と不審船
「新生児仮死!!」
アヤメの言葉か聞こえた瞬間、オッドと共に部屋の中に飛び込んだテオは目の前に広がっていた光景に絶句した。
血溜まりのテーブルの上に乗せられてカミーユとミールの処置を受ける女とすぐ近くの台の上、自分が用意した木桶に生まれたばかりと思われる赤ん坊を乗せようとしている血まみれのアヤメ。
そこは『戦場』だった。
「ダメよ!戻ってきて!!」
「まだ母体から離れられない!!なんとか持ち堪えろ!!」
目の前に繰り広げられた医療という名の戦場に誰しもが言葉を失った。それは想像していたよりも遥かに過酷だった。目に見える敵ではなく、目に見えない命と戦う戦場でアヤメは必死に消えゆく命を繋ぎ止めていた。
「戻ってこい!!」
泣いているような悲痛な叫びが集まった騎士達の胸に突き刺さる。
もう赤ん坊が助からないことは誰の目にも明らかだった。それでも、なお必死に命を取り戻そうとするアヤメの姿に胸が痛むが、それを止めようにも誰も足が動かなかった。
カミーユの言葉にやっと赤ん坊から手を離したアヤメの瞳は絶望に染まっていた。
今まで必死になって救おうとしていた命が助けられなかったのだから当たり前だとテオは思う。それと同時にアヤメの気持ちを考えれば身を斬られる様な思いだった。
…が、次の瞬間、絶望に染まった目は再び強く光を灯す。
「私の…赤ちゃんは…?」
アヤメの瞳に再び光を灯したのは、焦燥と悲しみと絶望が支配した部屋に落とされた小さな声だった。
視線を向ければ先ほどとは比べ物にならないほど、体調を取り戻した赤ん坊の母親がふらつきながら立ち上がるところだった。カミーユの治癒魔法のおかげか、先ほどまで血まみれだった女はゆっくりとアヤメに向かっていく。
テオはアヤメに言われる言葉を察して、一歩踏み出しそうになったがグッとストーリアの手が腕を掴んだ。驚いて視線を向ければ、ストーリアはゆっくりと首を振る。
なぜ止める?あの母親からアヤメが何を言われるか想像できているだろ!?力任せに掴まれた腕を振り解こうかと考えたが、さらに道を塞ぐようにオッド騎士団長が前に立つ。自分よりも背が低いはずのオッド騎士団長の大きな背中は無言で静止を訴えていた。
「お子さんは出産時には既に心臓と呼吸が停止しており、手を尽くしましたが残念ながら…お亡くなりになりました。」
アヤメの言葉は部屋に落ちた沈黙の中、大きく響いた。次の瞬間、母親の目からボロリと大粒の涙がこぼれ、堰を切ったように次々に溢れ出す。
それを見たアヤメの瞳が僅かに揺らぎ、彼女の脇に垂らしたままの掌がグッと握られた。
「どう….して…。」
母親がポツリと言った。
「どうして…私を助けたの?!」
涙で濡れた目が子供の仇とばかりにアヤメを睨みつける。それでもアヤメは母親から目を逸らさなかった。テオはグッと無意識に自分の手を握っていた。
「私たちはお二人が助かるように最善を考えました。」
「最善って何?赤ちゃんが死んじゃったじゃない!!私だけ助かったって!あの子がいないじゃない!!」
カミーユの言葉に怒鳴り返した母親がアヤメの胸ぐらを掴んだ時、止めに動こうとした騎士たちを今度はアヤメ自身が止めた。
テオは、その時初めてアヤメの『覚悟』を見た気がした。
「なんで、アンタなのよ!なんで治癒魔法が使える騎士が私で…治癒魔法が使えないアンタが赤ちゃんを診たのよ!!」
母親の目は怒りで真っ赤に燃えている。
「心肺が停止していた状態では治癒魔法は効果がありませんでした。」
アヤメの言葉に弾かれたように怒りに燃えた母親は腕を振り上げる。それを見た瞬間、無意識にテオはオッドを押し退けてアヤメを庇おうとしたが目の前の大きな背中はピクリとも動かず、テオを押し留めた。
次の瞬間、バチンッという大きい音が無言の部屋に響き渡った。頬に平手打ちをされたアヤメは小さくよろけ、その光景に思わずテオは息をつめた。母親に打たれたアヤメの頬はみるみる赤くなっていくのを見ながらギリッと拳を握る手に力を込める。
アヤメならばあれくらいの平手打ちは何なく避けられたはずなのに…!
アヤメの身体能力を考えれば、今の攻撃は避けるのは容易い。しかし、敢えて避けなかったアヤメは腫れた頬を抑えるでもなく痛がるそぶりを見せるでもなく、ただ拳を握りしめたまま母親と向き合っている。
アヤメがこれ以上傷つくのは見たくない。
彼女を責めるのは間違えている。
彼女は悪くない。
守ってやらなければ。
さまざまな思いが頭の中で交差する。しかし、その全てを押し込めてテオは、口を閉ざした。
……アヤメの隣を望んだ時から、共に歩んでいきたいと思った時から…その全てを受け入れて見届けると強く決意していたテオはグッと奥歯その場に足をとどめる。
…守るだけが…俺が彼女にしてやれる『全て』ではない…。
「言い訳してんじゃないわよ!!治癒魔法も使えないくせに…!」
「御言葉ですが、彼女は治癒魔法をお子さんに施しています。それでも、お子さんを助ける事が「命を救えなくて、何が治癒魔法よ!!」
母親がアヤメに向けて放った言葉はまるで自分が言われたかのようにテオの心を抉った。
やめろ。
「助けられないなら、治癒魔法って言わないじゃない!そんなのなんの意味もないじゃない!」
やめてくれ。
それ以上、彼女を傷つけるな。
「返してよ!私の赤ちゃんをかえして!!このっ!!人殺し!!」
2発目の平手打ちがアヤメの頬を張った。
『人殺し』
違う。
彼女は『多くの命を救う手』を持つ医者だ。
強く握りしめたテオの手から一筋の血が伝った。
少しよろけたアヤメは、姿勢を戻すとそのまま頭を深く下げる。それを庇うようにカミーユが激昂して肩で息をする母親に向かい合った。
「ご遺体は、処置が終わり次第お渡しすることになります。貴方様も治癒魔法で回復しているとはいえ、まだ予断は許されない状態ですのでこのまま、治療院に移動し療養下さい。…失礼します」
」
言葉が終わるのと同時にトンッと母親の首筋に衝撃が走り、母親は気を失ってその場に待機していた騎士の手に抱き止められた。
「お連れしろ。」
「はっ。」
カミーユの命令に短く返事をした騎士が素早く気を失った母親を担架に乗せて部屋から運び出していく。
「アヤメ。まだ、やる事が残っている。」
カミーユの声にアヤメはゆっくり頭を上げる。2度平手打ちを受けた頬は無残に腫れ上がり、口角からは血が垂れていた。
「….できるか?」
促すような穏やかな声にアヤメはゆっくり頷いた。それを確認したカミーユはアヤメの頭をひと撫でするとオッドの方へ進み、その場で跪いた。ミールとアヤメもその後に倣う。
「この度は勝手なことをして申し訳ありませんでした。」
「「申し訳ありませんでした。」」
「その件については…戻ってから話そう。まずは今やるべきことを最後までやり遂げろ。」
感情の読めない鋭い視線と低い声に3人は短く返事をして、最後の作業をするために小さな遺体へと向かっていく。
その後ろ姿を見ながら、オッドはため息を堪えて他の騎士たちに指示を出した。
「これより帰還する。手の空いているものは撤収の用意と現場の清掃、0番隊は負傷者の再確認と治療院への引き渡しをしろ!」
響き渡る大きな声に騎士たちが一斉に返事を返し動き出す。しかし、テオとストーリアは動こうとせず、その場に留まっていた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。」
テオがストーリアに言うと、ストーリアはテオの背中を軽くたたいた。
「よく留まった。そして…よく耐えたな。」
「!!…っ!」
まるで自分の思考を全て読まれていたかのようなストーリアの言葉にテオが息をつめる。
「ほら、行くぞ。」
2人を見ていたオッドは今度こそため息を隠すことなく吐くと2人を部屋から追い出した。
そして、自分も部屋から出る。
ドアを閉める瞬間、3人の背中が震えているように見えたが、オッドは何も言わずにそっとドアを閉めた。
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