69.侯爵令嬢と本入団
本日より騎士団編スタートです。
アヤメ•アールツト 14歳
「今日から3年間本入団となる。これからの活躍も期待している。」
オッド騎士団長の言葉に力強く返事をして胸を張った。
アールツト侯爵家の人間は10歳から騎士団に仮入団し14歳から本入団する義務があるため、先日14歳になった私は、今日付で本入団し正式な騎士として3年間騎士団に身を置くことになった。
3歳年上のお兄様は私と変わるようにして騎士団を退団し、アンリ叔母様が理事長を務めるインゼル高等学園へ編入した。インゼル高等学園は16歳から入学が認められているがアールツトの人間は騎士団入団が義務付けられているため、特例での編入が許可されている。しかし、インゼル高等学園に入学するか否かは本人の意思であり、過去にはそのまま騎士団に残った人もいた。
「正式に騎士として認められたことで、今まで以上に現場や戦場へ出る機会が増えることになる。気を引き締めてしっかりと励んでくれ。」
「はいっ!」
インブル副団長の爽やかな笑顔に見送られて団長室を後にし、0番隊の講習室に向かうための渡り廊下に差し掛かったところで、「グギャー!!」とアルの声が聞こえた。
毎朝アルに乗って騎士棟に来ているため、騎士棟にいる間は騎士団付きの従者にアルを任せていたのだけれど…。何かあったのかしら?朝離れた時には何もなかったはずなのに。
アルのいる場所が見える窓から外を覗くとアルと赤毛の男の人の姿が見えた。朝にアルを預けた人とは違う?…着ている服の仕様から従者だとわかったが、どうやらアルと何か言い合っているようだ。
騎士団は護衛任務から災害救助、支援、遠征、国の自衛など多岐にわたる勤務をこなすため、騎士団の身の回りの世話や武器や器具の保管、騎士棟及び兵舎の環境整備・維持のために従者という専門の職を設けていた。
身分は問わず、簡単な試験と適性検査を受けて合格すれば従者として敷地内の寮が与えられる。衣食住が保障され、雇用主は国ということで前世で言うところの公務員のように将来の安定が約束されているので就職希望者は多い。また、仕事が大変なこともあるが一般の職業と比べ給料も高額なので、平民のみならず爵位を継がない貴族などもいると聞いた。
私自身も何度か話したりそれなりに親しい従者はいるけど、あの赤毛の従者は初めてみたな。新しく入った人かしら?そう言えば、朝に預けた従者もいつもの従者ではなかった。
…いつもの人の代理かな?
まぁ、騎士団内だし変な人はいないよね。
しばらく観察しようかと思ったが、午前中の講義に時間が近づいていたためとりあえずそのままにして0番隊の講習室へ急ぐことにした。
「アヤメー!本入団おめでとう!!」
講習室に入るとミールが胸に飛び込んできた。
「ありがとう!」
しっかりとミールを抱きしめながらお礼を伝える。
「今日から、改めてよろしくな。」
「本入団したんだから、今まで以上に解剖と標本集めを手伝ってもらう時間あるよね?」
「いや、それは本入団関係ないだろう?これからも騎士団として0番隊の仲間としていろんな任務に行こうな!」
カミーユ副隊長、セブンさん、ヴァイスさんが次々に声をかけてくれる。それから、他の0番隊の騎士達が温かな拍手で迎えてくれ、一人一人にお礼を返して席に着いた。
昨日と特に変わらず騎士棟での過ごし方も今までと変化はないが、本入団ということで気持ちが新たになったせいか不思議と全てが新鮮に感じられた。
午前中の座学が終わり、午後は実技と模擬救助訓練になった。
実技は解剖と臓器の複製だったが、セブンさんが嬉々として実技用のモルモットを切り刻んだ為、結構なスプラッタ状態だった。飛び散った血液や切り刻まれた臓器、そして狂気じみたセブンさんの顔と薄ら笑いに、普段は血を見ることが平気な0番隊の騎士達も背筋を震わせた。スプラッタが平気な私も流石にドン引いた…。
その後の訓練は、帯剣のままの着衣水泳。騎士の簡易鎧を着けて要救助者に見立てた人形を100メートル泳いで運ぶ。
今まで14歳未満ということで免除されていたが今日からは本格的な鍛錬にも参加することになったが他の騎士との差は歴然だった。
「頑張れ!アヤメ!」
「お前がへばったら、要救助者も死ぬぞ!」
自分の体重より思い人形を抱え、体にまとわりつく衣類、動きを奪う鎧。その全てに幾度となく負けそうになる。その度に騎士のみんなの声援が体を引き上げてくれた。
頭の中では前世でみた海難救助隊の曲が何度も流れ、何度か溺れそうになりながらも何とか岸にたどり着く。しかし休む間もなく救助活動をしなくてはいけない。
自分の息もろくに整わない中、正確な判断と医療行為を求められる訓練は私の気力と体力をガリガリ削っていった。
夕方。
全ての訓練を終えて、屍のような体を引きずり何とかアルのところまで辿り着くと
「お疲れ様です。」
と聞き慣れない声がかかった。
見れば、赤毛の従者がアルのそばに立っている。箒を持っているところを見ると、どうやらアルの掃除をしていてくれたみたいだった。
「お疲れ様です。…アルのことありがとうございます。」
…この人、午前中に見た赤毛の従者と同じ人だ。
「とんでもありません。騎士の皆さんのお手伝いをするのが仕事ですから。」
明るい笑顔で返されて、疲れていたことも忘れてつられて私も笑顔を返す。
「午前中、アルが騒いでいたようですがご迷惑をお掛けしませんでしたか?」
「いえ、あれは僕が悪いのです。いつも担当している従者の先輩が退職することになって、今日から引き継いだのですが、アルゲンタビウスに会うのは初めてでして…恥ずかしい話ですが、僕の緊張と恐怖がアルにも伝わって警戒されてしまいました。」
恥ずかしさを滲ませながら彼はアルに視線を移した。アルも午前中は随分騒いでたようだが、今は静かに彼を見返している。
「そうなんですね。それにしても、前の方がお辞めになったのは知りませんでした。」
突然の退職…何かあったのかな?それなりに会話をすることも多かったので少し気になる。
「それがご実家のご両親が重い病気をされて、給金の支給日を待って退職されました。軽い引き継ぎは済ましていましたが見ると聞くでは大違いですね。」
アルゲンタビウスはほとんど人里に降りてこないこともあり、その生態も書籍のみでしか知ることはできない。前の従者も最初はだいぶ苦労していたようだから、彼も初日の今日は大変だったのかもしれない。よく見れば人の良さそうな笑みに濃い疲労の色が滲んでいる。
退職理由は仕方のないものだったようだが、最後くらいきちんと挨拶をしたかったな。そう思いながらも、「ご苦労をおかけします。」と、保護者のような気持ちになりながら、アルを撫でつつ従者に言うとアルは「心外だ!」と言わんばかりに小さく鳴いた。それを無視して笑顔を作る。
「いえ、お気になさらず!アールツト侯爵令嬢様の大切なアルゲンタビウスをお世話させていただけるのは従者としてこの上ない栄誉だと思っています。至らぬ点もあるかと思いますが精一杯努めさせていただきますので、これからよろしくお願いします。」
箒を持ったまま、ガバリッと頭を下げた彼はまた、ニコッと笑った。
よく笑う人だ。
「そう言っていただけて安心しました。あ、遅くなりましたがお名前を伺ってもよろしいですか?」
「あ、すいません。名乗りもせずに失礼しました。カイン・フテクトと申します。どうぞ、カインとお呼びください。」
「カインさんですね。改めてアヤメ・アールツトです。どうぞよろしくお願いします。」
カインさんはそう言って再び頭を下げてくれた。それに恐縮しながら私も頭を下げる。いい人そうでよかった。終始笑顔の彼を見ながら釣られて私も笑みを返した。
その後、再び襲ってきた疲労感にふらつきながらも、何とかアルに乗って飛び立った。
今日はとてつもなく疲れた…。
ふと下を見れば、カインさんが箒を片手にこちらに手を振ってくれている。しかし、疲れすぎて手を振り返すことすらできない私は軽く頭を下げて視線を戻した。
疲れた。…本当に…疲れた。
今はとにかくお風呂に入って寝たい。
騎士団の本入団初日を何とか終えて、泥のように眠りについた私は、翌日からひどい筋肉痛に悩まされる事になった。
誤字脱字報告ありがとうございます。
お手数おかけします。