68.侯爵令嬢と白銀
私の問いに十分な間を置いた後、コウカ国王陛下が口を開いた。
「…アヤメの見解はわかった。まずは、お前の見解を参考に我が国の専門医と研究室へこれらを回そう。まだ、我が国のものはこれを見てはおらん。」
「…え?」
「これを発見してから、すぐに陛下に報告しましたが我が国ではいまだに狂犬病の爪痕が大きく残っています。民たちもやっと生活を取り戻したところで、国の中枢部もいまだ落ち着いてはいません。そんな所にこの話をするのは得策ではないと判断しました。」
そう言いながらイズミ様は慎重に箱を下げた。
「コレの存在は私とイズミしか知らん。アヤメにも秘匿するように命じる。意見をもらっておいて悪いが、これ以上インゼル王国を巻き込むわけにはいかん。さらにいえば、アールツト侯爵家にもアヤメにもなんらかの危険が及ぶ可能性がある。全ての総合的な判断と安全のためだと思ってくれ。」
「…承知いたしました。」
白銀の強い視線にゆっくりと頷く。
確かに、この存在を誰がどこで知り得るかはわからない。これが何なのか今はわからないが、危険なものであるのは変わりないはず…。それを勝手にアールツト侯爵家で預かるわけにはいかない。目の前の謎を解くことしか考えられなかった…。
コウカ国王陛下の判断に自分の思考の未熟さを知り思わずドレスをにぎりしめた。
「それに、呪術に関する書物も我が国には豊富にありますし、調べるにしても我が国は適しています。…もちろんアヤメが望むのであればいつでも我が国へ来てくださいね。」
私の気持ちを知ってか知らずかイズミ様が明るい声で言ってくれた。
イスラ王国への留学の件を本気でお父様へ相談するべきかも知れない。黒髪の魔法使いの事は騎士団や国の上層部で引き続き捜査してくれているが、やはりイスラ王国で得られる情報の方が多い。それに、あの箱の中身が何に使われるのか想像はつかないが、カニバリズムによって疫病を生み出すのだとしたら、手がかりは多い方がいいし対策も必要だ。生み出された疫病がこの世界には存在しないものだった場合、今回の様に前世の記憶が役に立つかもしれないし…。
イズミ様へ返事を返しながら、すっかり冷めてしまった紅茶を飲む。日当たりの良い部屋は決して寒い訳ではないはずなのに、指先が酷く冷えていた。
「新しいものを用意させよう。お前では私用のものではぬるいだろう。」
コウカ国王陛下がそう言って合図すると下がっていた獣人の侍従たちが戻り、程なくして湯気のたつ新しい紅茶が用意された。コウカ国王陛下とイズミ様に先ほどの緊張の色はなく、2人とも優雅に紅茶を楽しんでいる。私もそれに倣い、温かな紅茶を飲みながら思考を切り替えた。
今は出来ないことを考えても仕方がない。少しでも手がかりを得られた事とこれからに備えてできることを用意しておこう。
気を取り直して、用意された月餅に手を伸ばす。インゼル王国では滅多に食べることができないイスラの伝統菓子はたっぷりの餡子が入っていて私の好物だ。チョコレートやケーキもいいけれど元が日本人の私には餡子や餅が無性に食べたくなる時がある。小豆さえもらえれば自分で餡子くらいは作れるのだけれど…。餅と言えば、醤油と砂糖でみたらしもいい…。
「ふふふ。相変わらず美味しそうに食べますね。今日はお土産に我が国の食材と今出している月餅も持たせましょう。」
「!…ありがとうございます!!」
まるで私の思考を読んだかのような話に、嬉しさのあまり思わず声が大きくなってしまった。それに慌てて謝罪するがイズミ様は目を細めて頭を撫でてくれる。
…うん。…安定の孫扱い…。
「…昨日の装いと先ほどの姿にアヤメも随分大人になったような気がしましたが、やはりまだまだ幼いところがあって可愛いですね。」
「え?!あ…いや…年甲斐もなくはしゃいでしまって…申し訳ありません。」
「いえいえ。無理して大人のふりなどしなくてもいいのですよ?放っておいても歳を重ねいずれは大人になるのですから。アヤメには今しかできないことを存分に楽しんでほしいと老婆心ながらに思うのです。」
「老婆ではなく爺だろ。」
コウカ国王陛下の鋭いツッコミが入るがイズミ様は完全に無視して言葉を続けた。
「でも、まぁ…欲を言わせて貰えば……」
そこで私の頭をなでていたイズミ様の手が止まる。それを不思議に思って見上げれば、一瞬だけ、イズミ様の顔に影が刺した気がした。
「…そんなに早く、大人にならないで欲しいですね。」
「え?」
「老耄のわがままですが…もう少しアヤメの幼い姿を見ていたいのですよ。幼い頃からあまり会うこともできず…あなたが辛い時に助けることも守ることもできませんでしたから…。」
そう言ったイズミ様は私を通してどこか遠い過去を見ているようだった。悲し気に目じりを下げた鷲の顔から目が離せなかった。
「イズミ様…。」
「…ですから、これからはいつでも頼ってくださいね。例え国は違えど、私はいつでもあなたの味方ですよ。」
気を取り直したように明るい表情を作り、ね?と促されるまま私はイズミ様にしっかりと頷いた。
イズミ様は家族ではないけれど…お母様の師匠で、私の名付け親で…家族のような人。遠く離れていても、私の幼い時から気にかけてくださっていたんだ…。そう思えば心がじんわりと温かくなった。
ここに来た時にイズミ様が言った『身内同然』の意味が少しわかった気がする。
「おい、私を忘れるな。」
そこに聞こえた、どこか不貞腐れたようなコウカ国王陛下の言葉にイズミ様と顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
「…アヤメの前で好々爺の振りをしようとしても無駄だぞ?」
「おやおや、そんなにやきもちを妬かなくても、私はきちんと陛下の事も考えておりますよ。」
「…ッチ、そういう事ではない。」
不敬で怒られるかと思ったがコウカ国王陛下は私を見てフンッと一息つくと、イズミ様を見睨みつけて再びだらしなくソファに横になった。
「ああ、忘れるところだった。…お前に我が国から土産を持ってきたぞ。」
「ああ、そうでした!すっかり忘れていました。」
コウカ国王陛下の言葉にイズミ様が何かを思い出したように手を叩き席を離れていった。
お土産?何だろう?食材はさっき言っていたから…それ以外となると…本とか?
しばらくしてイズミ様は大きな籐籠を持ってきた。獣人であり人間よりも背格好が大きなイズミ様でも両手で持たなければいけないほど大きな籠はそっと私の足元に置かれた。
何だろう?
そのまま、籠の中を覗いて…
「ーーっ!!」
思わず大きな声をあげそうになって慌てて口を抑えた。イズミ様の持ってきた籐籠の中には白銀のフワフワの大きな毛の塊が二つ丸まっている。ぬいぐるみのような丸々としたそれはふわふわの毛に覆われていて…。
…もう……もう……ッすっっっごく可愛いぃぃぃっ!!!!
口を押えたまま視線だけをコウカ国王陛下と籠の中を行き来させていれば、コウカ国王陛下が静かに笑った。
「我が国で育てているダイアウルフの子だ。」
「ダイアウルフ!?…でも、ダイアウルフは幻の生き物では…?」
ダイアウルフは大陸の北部に生息している古代種で、個体差もあるが頭胴長は約180センチ、体高は約100センチもあり、尻尾を含めた全体の長さは200センチを超えるとされる超巨大狼だ。滅多に姿を見る事はできず、例え見ることができたとしてもダイアウルフに命を奪われることが多いため幻の動物とされていたはずだけど…。
確かに…ここに寝ている二つの毛の塊は子供だという割に成獣の猫より大きい気がする…。
「まぁ、世間一般にはそういうことになっているが……我が国では専門の獣人がダイアウルフを飼育し繁殖を管理している。」
「飼育?」
「そうだ。ダイアウルフは遥か昔より我が国の王家に護衛として仕える動物だった。忠誠心や身体能力の高さから重宝され、定期的に繁殖し管理され、先々代の王の時までは常に王のそばに有り鉄壁の警護をしていたのだが、先代の王が狼の獣人だったことで同じ種族で獣人になれないダイアウルフを不憫に思い護衛の任務から外された。それ以降は、専門の機関で必要数のみの繁殖と飼育をしてきたのだ。」
「そう…だったのですか。…ですが…どうしてそんな貴重なダイアウルフを私にいただけるのでしょうか?」
不意に籠の中の毛の塊の一つがフルリと体を震わせる。それを見たコウカ国王陛下は、穏やかな表情で尻尾でその塊をひと撫ですると中にあった布を二頭にそっとかけた。幼子を慈しむようなその表情に思わず見つめていると、すぐに表情を引き締めたコウカ国王陛下は私を真っ直ぐ見つめて言った。
「お前を守る存在になると思ったからだ。」
「!!?」
その真剣な表情に思わず背筋が伸びた。
「2回も襲撃されてお前が無事だったのは騎士団の存在が大きいだろう。しかし、常にお前の護衛として騎士をつけることはできないだろうし、アルゲンタビウスは飛行はできるが建物内や街中、路地などでは心もとない。その点を考えればダイアウルフは身体こそ大きいが常にお前のそばを離れず守ることができる。それに、忠誠心や仲間意識、縄張り意識も高いことで、外部からの侵入者に気が付きやすいし、戦闘能力や身体能力から言っても問題はない。」
確かに、国王の護衛につくほどなんだからその実力は折り紙つきだろう。
コウカ国王陛下の言うことはわかるし納得はできるが…それほどまでに貴重な存在を私なんかがもらっていいものなの?それに我が国の上層部やお父様に話を通さなくてもいいのかしら?
「大変ありがたいお話ですが、この子達を受け取るには私の一存ではどうにも決められません。一度、家の者に相談してからでもよろしいでしょうか。」
私の問いにコウカ国王陛下が手を挙げるとイズミ様が恭しく一枚の紙をテーブルの上に置いた。
「この子供達をアヤメに差し上げる許可は既にいただいております。」
イズミ様に言われて紙を見ると、そこにはダイアウルフを飼育する事、常に私のそばにつけること等の項目が記載されており、しっかりとサインまで記入されていた。そのサインを見て私は驚きのあまり二度見してしまう。
全ての文面の下には、我が国の国王エーベルシュタイン陛下、お父様、騎士団長のサインが並んでいた。
…どうりで昨日からお父様が忙しそうにしていると思った。
祝賀会が終わってから、帰宅後すぐにお父様はスチュワートと話があると自室へ入ってしまい、今朝も早くから外出されていた。急患かと思ってさして気にしなかったが、もしかしたらこの件で動いていたのかもしれない。
「…お前の憂いは無くなったと思うが…他に言う事はあるか?」
ニヤリと笑ったコウカ国王陛下はどこか楽しそうにカップに口をつけた。
…本来ならば一国の王からの贈り物を突き返すなどは万死に値する。それを知っていてもこの王は外堀をきれいに埋めてきたのか…。
思わずため息が漏れそうになったが、何とか堪え少し大袈裟に肩をすくめた。
「…何もありません。謹んでお受けいたします。」
頭を下げながら言うと、ポンっと私の頭にコウカ国王陛下の尻尾が乗った。見上げた先の白銀の瞳はまっすぐに私に向けられている。
「この狼たちがいずれお前を守り、常にそばにいる友となるように願っている。フェルの娘であるお前に、危険を冒すなと言っても無駄なことはわかってる。だが…」
言葉を切ったコウカ王国王陛下は頭を上げるように尻尾で頬を持ち上げるとフワリと笑った。
「何かあればいつでも私の元に来い。我が国の民は…イスラ王国の王はいつでもアヤメの味方だ。」
!!?
彼は国王だ。
イスラ王国という国の獣人たちの頂点に立つ百獣の王。そんな王が他国の貴族の令嬢にこんなことを言うなんて………信じられない……。
…でも…
私の母を姉のようだと言ってくれた。
国の一大事に私を信じてくれた。
……私を認めてくれた。
そんな『王様』からの言葉は心に深く響いた。
ジワリと歪みだしそうな視界を隠すように私は一度瞬きをして白銀を見つめた。そして目の前の百獣の王に強い笑みを見せ
「はいっ!」
心からの感謝を込めて返事をした。それに、コウカ国王陛下とイズミ様が穏やかに微笑んでくれる。それが、すごく嬉しかった。…そして…温かかった。
こうして、この日
新たなる恐怖と発見と共に新たな友ができた。
「グゲーッグゲー!(ちょっと!この荷物は何?主以外は乗せたくないんだけど!)」
「まぁ、そう言わずに私達からのお土産ですよ。」
「グゲグゲーグッー!(お土産はわかるよ。いい匂いするし!でも、この狼たちは嫌だ。)」
「まだ、この子達は幼いので仕方のない事ですから。アルの爪では傷つけてしまうでしょう?」
「グゲーグゲーククッゲー!(でも、嫌だ!主の抱っこずるい!ずるい!)」
「はぁ。聞き分けの無い子ですね。随分とアヤメに甘やかされたようだ。(…これでは先が思いやられますので…私の方で再教育し直そうか?)」
「グッ!?(え?)」
「(お前のように我儘な子どもがアヤメのそばにいるのは心もとない。私の部隊にて躾直してやろう。)」
「グッグッゲェ!(え?やだ!嘘でしょ?)」
「アル?急に震え出してどうしたの?」
「クークー!クルル…(わかった!運ぶから、何でも乗せるから!主助けてー!)」
「え?なに?いきなりそんなに体押し付けないでよ?ほらヨシヨシ、ごめんね待たせすぎたかな?」
「(まったく…次はないと思え。)万事恙無く荷物も積み終わりましたよ。道中気をつけくださいね。」
「はい!ありがとうございました!」
こうして何も知らないアヤメはアルと共に空に飛び立った。その後、しばらくアルはアヤメから離れなかった。
「グゲーグゲー!(あの白鷲のおじさん怖かったよー)」