66.侯爵令嬢と祝賀会2
テオ隊長のご実家は伯爵家とあってか、彼の周りには他の騎士たちより貴族が多かった。他の貴族の方と話を終わってから声をかけたのだが…目の前のテオ隊長はいつもより、表情が固い。
どうしたんだろう?
「アヤメ嬢、本日の受章、誠におめでとう。」
無表情はいつものことだが、それでもいつもは幾分表情が柔らかくなるはずなのに…。今日は柔らかいどころか、纏う空気すらも固くて冷たい。名前も…いつも通り呼んでもらっても構わないのだけど…。
「ありがとうございます。テオ隊長こそ受章おめでとうござます。改めて、イスラ王国では大変お世話になりました。テオ隊長や騎士団の方々がいたからこそ、私はここに立っていることができます。本当に、感謝しています。」
「いや、礼は既にもらっている。これ以上は必要ない。それに私たちは与えられた任務を遂行するものだ。本来なら今回は例の件もあり、褒章や勲章は辞退申し上げたのだが、コウカ国王陛下とフェアファスング閣下に押し切られてしまった…。」
そう言ってテオ隊長がグラスの酒を煽った。
「それでも…私はテオ隊長や騎士団の受章はとても嬉しく思っています。」
「なぜだ?」
「それは今回の狂犬病感染症への勝利はアールツト家や騎士団、イスラ王国、みんなで勝ち取ったものだと思うのです。きっと私一人では何もできなかったでしょう。皆様に助けていただいて、協力しあって、支え合って戦った結果の勝利だと思うので、騎士団の方々の受章は当然だと思いますし、それが叶って嬉しいです。」
テオ隊長は私の話を聞き終わると「そうか。」と小さくつぶやいて、グラスに目を落としたまま口を閉ざした。何か気に触ることでも言ってしまったかと少し心配になるが、彼から怒気のようなものは感じられずひとまず安心した。
「それと、ワイズたちの件ですが、騎士団長に進言してくださったそうで…本当にありがとうございました。」
言い終わると同時に、姿勢を正して頭を下げる。彼らの受章はテオ隊長とクエルト叔父様の進言がなければ有り得なかった。今回の受章は彼らにとって大きな糧となるだろうし、わたしたちの行っている前世の医療と知識は少なかず彼らと共に世間に認められるはずだ。
「いや、礼をいう必要はない。彼らは感染症の最前線で目覚ましい活躍をした。彼らの知識や現場での冷静な判断力、行動力は目を見張るものがある。あの幼さで彼らと同じようにできるものはまずいないだろう。彼らの活躍無くしてワクチンや抗毒素投与はなし得なかったと言っても過言ではないはずだ。団長へ進言したのは彼らこそが褒章を賜るに最も相応しいと思ったまでだ。重ねていうが、私は当然のことをしたまで。アヤメ嬢が礼をいう必要はない。」
テオ隊長は無表情のままだったが、言い終わった後の彼の雰囲気は柔らかくなった気がした。
今回のワイズたちの行った医療活動は確かに褒章を賜るに相応しいものばかりだった。本来なら、私から彼らになんらかの褒章を与えてほしいと交渉しなければいけなかった。しかし、自分のことでいっぱいになり、それに気がつけなかった事が恥ずかしく不甲斐ない。
だからこそ、彼らの受章を進言してくれたテオ隊長とクエルト叔父様には直接お礼を伝えたかった。
「ありがとうございます。やっぱり、テオ隊長は凄いですね。…素敵です。」
「!!?」
ゴホゴホッ!
私の言葉を聞いた瞬間、テオ隊長が少し咳き込んだ。どうやら、酒が気管支に入ったようで、むせ込んでいる。心なしか、顔も赤いような気がして最悪の場合も考えてテオ隊長に近づこうとした時だった
「…相変わらず、お前は見苦しいな。」
低い声と冷たい冷気が差し込んだ。
テオ隊長ほどではないが、長身に藍色の髪の男性は年齢を感じさせるシワの多い顔で鋭くテオ隊長を睨みつけている。
この人…もしかして…。
彼はそのまま、テオ隊長から私に視線を移した。まるで上から下まで値踏みするかのような視線を受けながら、私はゆっくりと礼をとる。
「お初にお目にかかります。アールツト侯爵が娘アヤメ•アールツトでございます。」
すると男性は先ほどとは打って変わって、柔らかな表情を作り礼を返してきた。
「丁寧なご挨拶をいただきありがとうございます。マルコム・ノヴェリストと申します。」
『ノヴェリスト』
やっぱりこの人は…テオ隊長のお父様…ノヴェリスト伯爵だ。
ノヴェリスト伯爵家は代々土木事業を手がけており、最近は事業も好調のようで飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長し、今では経済界でも一目を置かれる存在になりつつあるとスチュワートが言っていた気がするけど…。
「この度は受章おめでとうございます。まさか…」
お決まりの社交辞令を人がよさそうな笑顔で言ってくるが、その鋭い目は一切笑ってなどいない。ただ、冷たく私を見下ろし精査しているのがわかる。そして、その斜め後ろではテオ隊長がノヴェリスト伯を射殺しそうなほど睨みつけていた。その姿は、いつもの無表情からは想像できないほど明らかな敵意に満ちていた。
「…ところで、今回は愚息が迷惑をおかけしたようで。申し訳ありません。」
流れるように話が切り替わり、傾けていたグラスを胸の前に戻した。ノヴェリスト伯の肩越しにテオ隊長の方が一瞬揺れたのが見える。
「いえ、とんでもございません。いつもテオ隊長にはご助力いただき感謝しております。」
「…昔から、何をやらせてもダメな息子でして。殆手を焼いていたのですよ。」
いや、私の話聞いてた?
私の言葉はまるで聞こえていないとばかりにノヴェリスト伯はテオ隊長のことを話し出す。
「ブクブク体ばかり大きくなるくせに、ろくに働きもしない。役立たずの穀潰しだったのです。それでも、将来を案じて親としてできる限りの教育を受けさせましたが、てんでダメで…」
それはあまりにも聞くに耐えない、自分の息子、テオ隊長への悪意ある昔話だった。
自分の息子を…しかも自分の息子の目の前で…
これほど罵る親がいるだろうか?
ちらりとテオ隊長を見れば一切の感情を殺した無表情でじっと床を見つめていた。騎士団に所属しているとはいっても実家は貴族。貴族社会で親に手をあげたり罵声を浴びせたりするのは御法度。さらに今日のような公式の祝いの席で何かしてしまえば、その影響がどうでるのか…噂の早い社交界ではきっと伯爵家にとって悪い方向に転がっていくだろう。
全てを分かった上で、無言を貫くテオ隊長に心が痛んだ。もしかしたら、幼い時からこんな扱いを受けてきたのだろうか?
そうだとしたらこれはりっぱな虐待だ。そう考えれば自ずと怒りが湧いてくる。そして、何よりテオ隊長を貶したことが許せなかった。
ウルセェんだよ。クソじじい。
ズクリ…と怒りが思考を支配する。
「お言葉ですが、私はいつもテオ隊長に助けていただいてます。まぁ、騎士団内のことなのであまり外には伝わっていないかと思いますが。」
今まで聞く一方だった私が急に話を始めたことにノヴェリスト伯は言葉を止めた。
これを好機と私はさらに言葉を続ける。
「騎士団に所属してから、テオ隊長は皆に慕われている姿をよく目にします。この間も、新人騎士が鍛錬についていけず一人居残りになったのですが、テオ隊長はずっと彼が終えるまで共に鍛錬を続けつきそわれたそうです。(テオが自主鍛錬をしたときにたまたま新人騎士が隣にいただけ)」
「他にも、1番隊隊長として部下からも慕われておりまして、いつも1番隊の騎士たちはテオ隊長の元に集まり結束を深めていらっしゃいます。(テオが無表情かつ口数が少ないので、少しでも情報を受け取ろうと自ずと騎士たちが近づくだけ)」
他にもテオ隊長の素晴らしいところを言い続けていると、ノヴェリスト伯の顔から徐々に笑みが消えていった。
ここで、少し私は声のボリュームを上げた。これから話すことは他の貴族たちにも存分に聞いていただき言いふらしていただきたい。
「私はイスラ王国にてテオ隊長に何度も助けていただきました。本当に、過酷な現場で命が危ぶまれる時もありましたが、テオ隊長が命をかけて身を挺して守ってくださったおかげでこうして、この場に立つことができております。そんな、素晴らしい御子息をお持ちになってノヴェリスト伯はさぞ、喜ばしいことと思います。」
ノヴェリスト伯の顔が苦虫を潰したかのように歪んだ。しかし、私の言葉は止まらない。
「先ほどから、御子息を卑下するようなお話をしておきながら、随所に御子息に対する深い愛情を感じておりました。愚息だなんて、ご謙遜をなされずともテオ隊長の素晴らしさはしっかり周りに伝わっておりますよ。」
口元に手を添え、ふふふと微笑んで見せればノヴェリスト伯の顔はどんどん酷くなって行った。
先ほどからこちらの様子を窺っていた周りの貴族たちは、私の言葉をそのままの意味で受け取ったようでコソコソと何やら話し始めている。それを感じて、私は最後の仕上げに入る。
「今回のイスラ王国でのテオ隊長の行いに、我が父アールツト侯爵も大変感謝しておりました。父に代わりまして私からも深く感謝申し上げます。優秀な御子息のおかげで命を救われ無事に感染症を食い止めることができました。心より感謝しております。」
姿勢を正し頭を下げる。
貴族社会は厳密な縦社会であり、礼節を重んじる。爵位順で行けば上から公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家、騎士伯という順に権力がある。爵位で言えば伯爵家より侯爵家の方が順位が高い。さらに、ここインゼル王国ではアールツト侯爵家においては王族に1番近い貴族として名を馳せており、筆頭貴族たちの要と言われている。その侯爵家の娘が自分より下の爵位の伯爵に頭を下げるのは珍しく、近くにいた貴族たちが一気にざわついた。
「い、いえ、どうか頭を上げてください。」
周囲のざわめきについに目に見えて慌て出したノヴェリスト伯からはもう先ほどの気迫もいやらしさも感じられなかった。
でも、これで許したと思うなよクソじじいが…!
頭を上げた私はにっこりと笑ってノヴェリスト伯にとどめを刺す。
「ご理解いただけてよかったです。まさか、俊才と有名なノヴェリスト伯様が御子息の素晴らしさに気がつかないなんてありえませんものね。つい、勢いに任せて話してしましました。出過ぎたことをしてもうしわけありません。…本当に、素晴らしい御子息に恵まれてノヴェリスト伯様は幸せですね。」
満面の笑みで言ってやると怒りで一瞬顔を赤くしたノヴェリスト伯は「失礼します。」ととってつけたような笑顔で言うと私に背を向けて歩き出した。しかしその去り際に彼は吐き捨てるように言葉を投げた。
「侯爵家の名にすがるだけの落ちこぼれがっ!!」
本当に小さな声だった。
ささやきのように吐き捨てられた声。
しかし、その直後会場に凄まじい殺気が発せられる。
一つは会場の正面。1番奥にある玉座に座るコウカ国王陛下から。もう一つは、エーデルたちと一緒にいたイズミ様から。他の耳の良い獣人たちも殺気に近い怒りのようなものを発している。そして、1番大きな殺気と怒気を発していたのは
「前言を撤回してください、父上。」
切長の目を細めて、しっかりとノヴェリスト伯の肩を掴み凍えるような冷気と共に父親を睨みつけるテオ隊長だった。
「なっ!?…離せっ!クズが私に触るな。」
周りに聞かれることを恐れたのか、それとも発せられる殺気に身の危険を感じたのか、ノヴェリスト伯は小声で素早く手を隊長の腕を払う。しかし、騎士隊長として鍛錬を積むテオ隊長の腕をたかが貴族では払うことなど到底できず、テオ隊長はそれを知っていてか肩を掴む手に力を込めた。
「私のことはなんと思われようとも、なんと言おうとも構いません。しかし、彼女への暴言は許せない。…このまま肩を潰されたくなければ…前言を撤回してください。」
その言葉を聞いた時、はるか昔にテオ隊長に言われた言葉を思い出した。
『君は素晴らしい騎士であり、間違いなくアールツト侯爵家の血を引く高潔な存在だ。胸を張れ。今後、アヤメ・アールツトの名を汚すものがいたら私は全力で阻止することを約束しよう。』
初めて私をアールツト侯爵家の人間として認めてくれた時に言ってくれた。まさか、あれほど昔のことをテオ隊長が覚えていたのかは定かではないが、それでも胸に嬉しさが込み上げる。
「お前…こんなことをしてタダで済むと思っているのか?!」
「私のことはどうぞご自由に。私は騎士を選んだ時点で、あなたとはもう関係ない。それよりも…今あなたがするべきことは何か…お分かりでしょう?」
ギリギリ…と肩を握る音がこちらまで響いてくる。音が大きくなるにつれてノヴェリスト伯の表情も険しくなり、額には脂汗が浮かんでいた。
「くっ…!わかったっ!…前言を撤回しよう。…すまなかった…。」
最後は蚊の鳴くような小さな声だったが、私に耳にもしっかりとどき、テオ隊長も納得したのかノヴェリスト伯を解放した。
ノヴェリスト伯は逃亡する悪党のきまり文句のような言葉を吐くとそのまま会場から出ていった。何事かと会場が一時騒然としたが、すぐに祝賀会の出し物であるイスラ王国の民族舞踊が始まったため、そう大きな騒ぎにはならなかった。
参加者たちが中央に集まる中、私とテオ隊長は少し離れたところに移動していた。テオ隊長が飲み物が入った新しいグラスを渡してくれたので礼を言って受け取り口をつける。
「…父が失礼した。」
二胡や胡弓の音楽が流れる中、テオ隊長がポツリとこぼした。視線は互いに舞踊の方へ向いている。
「いえ?なんのことでしょうか?私はただ、お父上様にテオ隊長の素晴らしさをお伝えしただけですよ。」
少し言い過ぎてしまいましたかね?と苦笑まじりに付け足す。
「君は…優しいな。」
…声が…
…泣いているように聞こえた。
思わずテオ隊長の方を見上げる。
しかし、テオ隊長は舞踊に視線を向けたままで何も変わっていなかった。表情もいつもと変わらず無表情のまま。
…気のせいだったかしら?
そう思い直して、私は再び舞踊に視線を戻した。