64.黒豹と白獅子と白鷲
イスラ王国の城。その奥まったところにある王の執務室は珍しく騒がしかった。
「お願いいたします。どうか私もインゼル王国へお連れください。」
大量の書類が積まれた大きな机に向かい、ペンを走らせるイスラ王国国王コウカ・イスラゲロはその声にこたえることなく、シュンッと尻尾をしならせた。
「ユザキ将軍。何度も伝えていますが、今回の合同叙勲式は陛下と私、上層部の4名で参加すると決定しています。護衛も私の部隊が付きますので、ユザキ将軍は必要ありません。」
スパンっとユザキの願いを切り捨てたイズミはバサッと翼腕を振るわせた。
「…それは…承知していますが…。」
急に歯切れの悪くなった黒将軍ユザキは視線を足元へ落した。
摂政であるイズミが直接指揮する部隊は、イスラ王国の中でもえりすぐりの精鋭部隊で、ありとあらゆる場面に対応できるように特殊訓練を受けた獣人たちだ。さらに、コウカ王直属の「影」といわれる部隊は、イズミの部隊をもしのぐ実力を兼ね備えている。普段は表に出てくることもない彼らを知るものは上層部しかおらず、ユザキもその姿を見たことはない。
そんな優れた二つの部隊がインゼル王国へ護衛に行くというのだから、自分の役割がないこともユザキは重々承知している。
だが…それでも…。
「そんなに、アヤメに会いたいか?」
ペンを止めたコウカ王はにやりと口角を上げて挑発的な笑みをユザキに向けた。白獅子と黒豹が大きな机をはさんで見つめ合う。まさに猛獣同士が一触即発の瞬間かと思ったが、コウカ王の言葉にユザキの毛並みがザワザワザワっと波打った。その光景を見たコウカ王はクククと肩を揺らし、イズミは呆れたように肩を落とした。
「まさか…アヤメを番に決めてしまうとは。」
溜息を吐きながらイズミがぼやき、ユザキは、ついに耳をぺたりと倒した。それを見ていたコウカ王はますます楽し気に獅子の顔を緩ませる。
「まぁ、お前は幼い時からアヤメになついていたようだったからな。それに、アヤメが城に滞在していたときには常にお前の匂いがついていた。獣人でもない人間にマーキングなど…騎士団のものはお前のマーキングなど判らないんだぞ?」
「…お恥ずかしい限りですが、それでもアヤメに自分の匂いを残しておきたかったのです。」
コウカ王の問いにユザキは小さく返す。もう、先ほどの勢いはなくなっていた。
「…哀れなものだな。アールツト侯爵家の者は国外に嫁ぐことを許されてはおらん。それを承知の上で番を決めたのか?」
「本能がアヤメを定めました。彼女への想いに理由などありません。」
金色の瞳はまっすぐにコウカ王を見ると、肉球が付いた己の手に視線を落とした。
「私は獣人です。そしてイスラ王国の軍人です。そのことに誇りを持っておりますし、生涯軍人として国の為に尽くしたいと、国を守りたいと思っています。…それでも…思ってしまうのです。…彼女の…アヤメのそばに一番近くに居たいと。」
アールツト侯爵家の決まりは知っている。だが、アヤメがアールツト侯爵家の人間でなければきっと出会うことはなかっただろう。俺が愛するのは、半身の番として定めたのはただのアヤメではない。『アールツト侯爵令嬢アヤメ・アールツト』なのだ。
ユザキの言葉を聞いてから、口を閉ざしたコウカ王は視線だけをイズミに向ける。その視線の意味を正しく受け取ったイズミはゆっくりと首を振った。
「……お前の気持ちは分かった。だが、何度も言うようにお前をインゼル王国へ連れてはいけない。お前が動けば我が国の防衛力が下がってしまう。わかっているとは思うが、参謀総長のイズミが不在の時、軍の最高指揮官を務めるのは将軍であるお前だ。狂犬病の脅威が去ったとはいえ、まだ危険分子が潜んでいる可能性は十分に考慮しなくてはならない。万が一に備えて、軍事力の要であるお前には私が不在の間、我が国を守ってほしいのだ。」
コウカ王のもっともな言葉にユザキは肩を落とした。主君にそこまで言われてはこれ以上自分の我がままを通すわけにはいかない。俺はこの国と民を守るために軍人になったのだから。
「…承知しました。…お見苦しい発言と自分勝手な申し出をしてしまい申し訳ありませんで…」
「だがまぁ、他の事なら……少し、考えてやろう。」
謝罪を言い切る前にコウカ王から言われた言葉にユザキは「は?」と顔を上げる。視線の先のコウカ王は楽し気にひげを揺らした。
「アールツト侯爵家に関するインゼル王国の法律は今はどうすることもできないが、アヤメをこの国に呼ぶことはできる。…なぁ、イズミ?」
コウカ王の含んだ笑みとは対照的に話を振られたイズミは苦虫を噛み潰した様に顔をゆがめながら、再びため息をこぼした。
「…ご命令とあらば、近いうちにアヤメを我が国へ招きましょう。」
「真ですかっ!?」
「ええ…。ですが、アヤメ一人で来るとは限りませんよ。襲撃事件の事もありますから、護衛として騎士団も同行するかもしれません。…テオ隊長とアヤメはずいぶん親しいそうですからね。」
ザワッとユザキの毛が逆立った。
テオ・ノヴェリスト。
ほとんど無表情で何を考えているかわからないあの男が、アヤメの前だと纏う空気もその表情さえも穏やかになる。そして、何よりあいつはアヤメの近くに居る。いま、この瞬間にも。嫉妬に駆られて騒ぎ出した獣の本能を抑えようとすれば、コウカ王が大きくため息をついた。
「まぁ、落ち着け。…イズミもユザキを煽るようなことを言うな。今から姑気取りか?」
「いえいえ、そんなつもりは。それにどちらかというと私はアヤメを孫の様に思っていますので大舅と言ったところでしょうか?」
会話を弾ませる、二人を見ながらユザキは呆然としていた。二人の会話ではまるでユザキがアヤメの婿になる前提で進んでいる。…そんなことはありえないというのに。
しばらく傍観していると、コウカ王はユザキに再び視線を戻した。
「他国に嫁ぐことが許されていない令嬢を己が番に定めることは、誠に愚かなことだ。」
コウカ王の言葉がユザキの心に突き刺さる。それでも、ユザキの想いは消すことはできない。謝罪をしようかと礼を取り直したところで、フッとコウカ王が笑った。
「だが…嫌いじゃない。」
!?
その言葉の意味を理解していないユザキをしり目に、イズミがほほ笑む。
「覚悟していてくださいね。その時が来たら遠慮はしませんから。」
「え?あ、はい?…え?」
混乱するユザキにクツクツと笑いながらイズミは言葉を続ける。
「まぁ、それまでは馬車馬のように、我が国の為、民の為に粉骨砕身してください。」
どこか影を含むイズミの言葉と表情にゾワリと背筋を震わせたユザキをみてコウカ王は再び声を上げて笑った。
ユザキは再びアヤメに会える日を信じて、国を守り、民を守る。
大切な人が救ってくれた…この愛する国で。