58.侯爵令嬢と騎士隊長と公爵令息
息を切らしながら走ってきたレヒト様は、私たちの前で立ち止まるとテオ隊長に向かって礼をとった。ひさしぶりに見たレヒト様は体つきも益々しっかりしていて、以前あった少年らしさがなくなり立派な青年になっていた。
「テオ隊長、お話中に申し訳ありません。少しアヤメ譲と話をしたいのですがよろしいでしょうか?」
上官であるテオ隊長に礼儀正しく許可を求めるレヒト様をテオ隊長は先ほどとは変わった、いつもの無表情でしばし見下ろした。黒髪の美丈夫と銀髪の正統派イケメン。並ぶと破壊力が半端ない。ここに女子がいたら間違いなく黄色い歓声が上がっていただろう。
「かまわない。だが、アヤメは療養中だ。今日は特別に騎士棟に来ていたが、体調も万全ではないため、団長より送るように任じられている。あまり長くはならないように気をつけろ。」
「はっ。ありがとうございます。」
テオ隊長はレヒト様の返事にひとつ頷いて、私たちとは少し距離をとる。私も何か言わなくてはと思うけど、こう言った場合は何を言えばいいのかしら?ありがとうございます?すいません?そうこう考えているうちに目の前に銀糸が揺れた。
「久しぶりだな。怪我をして療養中だと聞いた時は心配したがこうして姿を見ることができてよかった。」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしましたが、もうすっかりよくなりました。来週からは騎士団に復帰する予定です。レヒト様もお変わりないご様子で安心いたしました。」
王子様のような派手な外見と優男風の美貌は健在だが、中身は相変わらず硬派なようだ。このギャップは何度お会いしても慣れない。
「イスラ王国での活躍も耳にした。騎士団の仲間も感心していたぞ。私も幼いアヤメ嬢を知っているからか、自分が褒められたようで嬉しかった。まだ13歳だと言うのに、本当に…凄いことだ。」
まるで自分のことのように喜び、ほめてくれるレヒト様に自然と笑みが溢れる。こんなイケメンに褒められるなんて、前世でもめったになかったせいか恥ずかしいけど、素直にうれしい。
「ありがとうございます。レヒト様にそこまで言っていただけるなんて恐縮です。」
「本当なら、私もアヤメ嬢と共にイスラ王国へ行きたかったのだが…己の実力不足ゆえ護衛の隊に選ばれなかった。叙任式のパーティではあんなに偉そうなことを言ったのにな…。」
レヒト様はそう言って悔しそうに前髪を握りしめた。
私の護衛騎士の選抜は騎士団長が行ったとお父様から聞いたが、次男とはいえ、公爵でもある現宰相の息子を感染症の蔓延するイスラ王国に行かせることはまずないだろう。私が騎士団長の立場であれば、多分一番に護衛騎士からは外す対象の一人だ。
「いえ、そんなことはありません。レヒト様のご活躍は聞き及んでおります。この間も小隊の指揮を取り賊を討伐なされたなど、あげればキリがないほどに…」
「まだだ…まだ、足りない。」
「レヒト様…?」
励まそうとした私の言葉を遮ったレヒト様は一度深呼吸をしたかと思うと、射抜くような強い視線を私に向けた。
「いつか、アヤメ嬢にも追いつき、そして……君を守れるようになる………。」
「え?」
レヒト様の最後の言葉は演習場から聞こえてきた騎士たちの掛け声に重なり聞き取ることができなかった。「そして…」なんていったの?
聞き返そうとしたがレヒト様は満足したように頷くと
「来週また騎士団で会えることを楽しみにしている。気をつけて帰ってくれ。」
そう言って私の返事も待たずにテオ隊長のもとへかけて行った。その背中に慌てて感謝を伝えると、振り返ることなく片手を上げて答えてくれた。いつもなら、きちんと挨拶もしてくれるのに…なにか急いでいたのかしら?遠くなっていくレヒト様の背中を見つめているとテオ隊長が戻ってきてくれた。
改めて先ほどの感謝と謝罪を伝えると「気にするな。」と無表情のまま言われてしまった。心なしか、テオ隊長の纏う空気も冷たい。…なんで?
さっきまでは結構よく話して和やかな雰囲気だと思っていたのに、急に妙な空気になってしまった。そのことに、地味にショックを受ける。
…え?いや、待って…。私、なんでテオ隊長の態度が変わったことにショックを受けてるの…?
自分の気持ちの変化に驚いたまま、特に会話をするでもなくアルの所まで辿り着くと、既にクエルト叔父様が待っていた。
「お待たせして申し訳ありません。途中、レヒト•フェアファスングに捕まりまして。」
「いや、私も今きたところだ。レヒトか…そういえば、叙任式でもレヒトと良くアヤメは話していたな。レヒトを救助してからずいぶん時間が経ったが、いまだにその関係が続いているとは…。」
「ちょ、違いますよ!関係が続いているとか、誤解を招くような言い方はやめてください。ただ、レヒト様は騎士団の先輩として色々私を気にかけてくださっているだけですから。」
相手は公爵家の息子、変な噂が立ったら申し訳ないと思い必死に弁解するが、クエルト叔父様はそれでも楽しそうに私とテオ隊長を交互に見る。
「騎士団の先輩なら…ここにもいるだろう?」
「え?」
クエルト叔父様の言うことがわからず首を傾げると、叔父様はゆっくりとテオ隊長を指差した。それにテオ隊長の瞼がみるみる開いていく。
「レヒトよりも騎士団に長く所属して、1番隊の隊長まで務めている大先輩がな。」
「っ…!」
「クエルト隊長っ!?」
叔父様の発言にテオ隊長と私の声が重なる。
「テオも十分、アヤメを気にかけていることをわかっているのか?そんなテオを差し置いてレヒトにばかりかまけていたら、テオも報われんだろう。もう少し、テオのことも考えてやってくれ。」
「…。」
叔父様の話を聞いている間にテオ隊長の顔色がほんのり赤く染まっていく。そして、話終わった途端に、耐えきれないと言わんばかりにテオ隊長は私たちから数歩離れた。
確かに…テオ隊長はイスラ王国へ行く前から何かと気にかけていてくださっている。ワクチンの予防接種も、襲撃の時も、そしてその後も…。先ほどの気持ちの変化は、今はよくわからないけど…。
「テオ隊長にはちゃんと感謝しています。」
そう、いつも助けてくれて、守ってくれて、手を貸してくれるテオ隊長には心から感謝している。それに、彼は私を初めてアールツト侯爵家の人間としてみとめてくれた…
「…特別な人だもの。」
私が言った瞬間、テオ隊長の顔が真っ赤に染め上がり、クエルト叔父様は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
「あ、あのテオ隊長?大丈夫ですか?」
テオ隊長は見れば首まで真っ赤になって片手で顔を押さえて俯いている。具合が悪いのかと思い、近づこうとしたらクエルト叔父様にとめられた。その顔は頬がだらしなく緩んで、今にも笑い出しそうなのをこらえている様にも見える。
「テオは私の方で診るから、お前はもう行きなさい。あんまりおそくなっては兄上や義姉上が心配されるだろう。ほら、これが手紙だ。兄上に渡してくれ。」
「は、はい…。わかりました。」
まぁ、急病だとしても私よりクエルト叔父様が診てくれた方が治癒魔法も使えるし治療も早く済むだろう。捲し立てるようにクエルト叔父様に急かされて、アルに乗った私はもう一度テオ隊長に声をかけた。
「本日はありがとうございました。どうぞ、お大事になさってください。」
私の声にびくりと肩を震わせたテオ際長は顔を抑える手とは逆の手を軽く上げて返してくれた。まだ、赤いままのテオ隊長に少し心配になったが、クエルト叔父様に挨拶をして、アルと共に飛び立った。
茜色の空へ消えていったアヤメとアルの姿を見送ったクエルトは、やっと平静を取り戻したテオの背中をバンバン叩いた。
「よかったな。」
「…はい。」
叩かれた背中の痛みを堪えながら、テオは静かに返す。気を抜けばまたあの言葉を覆い出して、顔から火が出るかしれないことを考えぐっと歯を噛み締めて耐える。炎魔法を使える自分にとって、顔から火が出るというのは文字通りの意味になってしまう。他の騎士たちがいる中でそんな失態は絶対に避けなくてはいけない。
「しかし、もう少し耐性をつけておかないとこれから先身が持たんぞ?もし、あの件が正式に決まれば、さっきのことなど可愛く思えるようなことが待っているんだからな。」
さっきのことが可愛く思えるような事……とはなんだ?テオは茹で上がった頭で考えるが、どう考えてもその先にまっているのは己の無様な姿しかない。これ以上、アヤメの殺傷能力が上がったら今度こそ発火しそうだ。
「…精進します。」
「そうだな。だが、慣れるためにと他の娘に手を出すようなことをしたら…」
「あり得ません。」
「そうか。…それは何よりだ。」
冗談のつもりだったクエルトの言葉に予想以上の鋭い声が返ってきて、クエルトは笑みをこぼす。そしてテオから離れると、両手を大きく伸ばし体をゆるめた。帰ったら、まだ仕事が残っている。それを考えればため息もでそうになったが、先ほどからこちらを窺う気配を思い出してニヤリと口角をあげた。
「さて、今夜は騒がしくなるぞ。」
「どう言う意味でしょうか?」
テオの質問に言葉で答えることなく、顎である方向を指せば、もはや隠すつもりのない気配にテオは気がつき、大股でそこへ近づくとムンズッと気配の元を物陰から掴み出した。
「痛い、痛いって。」
「お前は!何をやっているんだ!!」
テオには珍しく声を荒げたようだが、つかみ出された人物、2番隊隊長レシはさして気にする様子もなく、掴まれた腕を大袈裟に痛がっている。
「レシ、気配を消すならもっと慎重にやらねば意味がないぞ。今の気配の消し方だと魔力が残っている。それに、もっと心を抑えねば感覚の鋭いものにはすぐに気がつかれるぞ。」
2人のじゃれあいを見ながらクエルトがレシに気配の消し方を指導すると、すぐに2人ともはなれて姿勢を正した。
「承知しました。」とクエルトに指導の礼を述べながらレシは自分の気配の消し方は完璧だったはずだと思い返す。魔力も極限まで抑えたし、現にテオは気がつかなかったほどだ。確かに、アヤメ嬢の発言を聞いたあたりから心の中は大騒ぎだったが、そこを抜きにして考えても自分の気配消しは成功していたはずだ。それでも、簡単に気配を辿り自分の正体を当ててしまうクエルトの方が異常なのではないかとレシは心で愚痴る。
「なんだ?レシ?言いたいことがあれば聞くが?」
まるで心を読んだような鋭い指摘にレシはビクビクッと肩を震わせ視線を下げた。急激に自分の周りの酸素が薄くなっように感じるほど息が苦しくなる。
「いえ、何もありません。」
「…そうか。では、またな。」
そう言って去っていったクエルトの背中を見ながらレシはゆっくり息を吐いた。
危なかった…心の中で思っていたことが顔にも出てたのだろうか。クエルにもし何か気がつかれていたら、明日には自分は屍になっていただろう。
「クエルト隊長を怒らせてはいけない。」
これだけは騎士団では絶対なのだから。
九死に一生を得たレシは気を取り直して、テオの肩に腕をかける。
「離せ。」
間髪容れずにテオの鋭い声が飛ぶがレシは聞こえないフリをして、肩に回した腕に力を込めた。
「今日は祝だな!」
「なぜだ。」
にかっと笑うレシとは対照的に無表情のテオはそのまま騎士棟へ足を進める。レシを引きずるような形だが、鍛錬で引くものより遥かに軽いためさして苦にもならない。強いて言うなら、回された腕が邪魔だった。そんな二人の姿に、すれ違う騎士たちが目を見張るがすぐにテオのすさまじい殺気に襲われて、見て見ぬふりをして立ち去った。
「なぜって、さっきのアヤメ嬢の発言だよ。」
耳元でレシに囁かれた瞬間、カッと血が上ったテオは回された腕を取りレシを背負い投げた。が、レシは投げられた体勢のままクルリと身体を反転させ、そのままテオの腕を取り引き倒す。しかしテオは地面に転がることなく引き倒された体勢と反動を利用してレシに技をかけた。
「照れんなって〜。」
「黙れっ。」
「顔が赤くなってんぞ?」
「うるさい。」
笑顔のレシと無表情のテオ。
演習場の隅で突然始まった隊長格の素手の模擬戦に鍛錬をしていた騎士たちが集まり、それぞれが技を決めるたびに歓声が上がる。その人だかりに気が付いたアンモスに力づくで引き離されるまで二人は止まらなかった。
「ちょっ…アンモスさん!?締まってますっ!首、締まってますからっ!!」
「うるせー!大人しくしろっ!全く、喧嘩なんてしやがって!」
「くっ…喧嘩ではなく、手合わせです…。」
「口答えすんなっ!」
右腕にレシ。左腕にテオ。それぞれの首にがっしりと腕を回したアンモスは、そのままズルズルと引きずるようにして二人を回収して行った。隊長格で背も大きい二人を剛腕で引きずるアンモスの姿に、数年前の彼の誤報事件を知る騎士たちはそそくさと笑いそうになる顔を収めて背を向けた。
その後、二人がアンモス同席のもとストーリアに散々に説教されていると
「ずいぶん派手にやらかした様じゃないか?…そんなに組み手がしたいのなら、私が直々に指導をつけてやろうか?」
と偶然通りかかったクエルトに微笑まれてテオとレシが顔面蒼白になったのは新しく追加された騎士団の公の秘密である。
「遠慮するな。明日はちょうど時間が取れそうだ。ああ、ついでにお前たちもどうだ?」
とクエルトに言われたストーリアとアンモスが二人と同じように顔面蒼白にして丁重にお断りしたのを見たインブルは、笑いを堪えながらクエルトの矛先が自分に向かないようにそっとドアを閉めた。
「クエルト隊長を怒らせてはいけない」
それは例え、騎士団長や副団長である自分にとっても絶対なのだから。
翌日、今年新入団下騎士たちは演習場の隅で、屍の様に地面に倒れているボロボロのレシと壁に寄りかかりながら力なく座り込んでいる傷だらけのテオの姿を見て入団して最初に教わった言葉の意味をしっかりと理解し、心に刻んだのだった。