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57.侯爵令嬢と狂犬病と騎士



その場にいる全員が、驚愕に瞼をなくすほど目を開く。空気すら一瞬止まったように感じた。私は、一人一人の顔を確認して、再び口を開いた。


「全て私の推測に過ぎませんが、今までの出来事とギンの証言が全てつながりました。…黒髪の魔法使いは、蟲毒(こどく)を行おうとしたのではないでしょうか?」


私の発言に全員が口を塞ぐ中、騎士団長がゆっくりと目を細める。


「蟲毒とは?」

「蟲毒は古代より続く呪術です。壺の中に千匹の毒虫を入れ、最後の一匹になるまで戦わせます。そして最後に残った一匹は術者の望みを叶える邪悪な傀儡になるとも、善良な心を持つ術者であれば幸福を招く守護者になるとも言われています。」

「…それがどう狂犬病と繋がるのだ?」

「黒髪の魔法使いは、蟲毒を行う壺をイスラ王国に見立てたと考えます。」

「なんとっ!!」

「そんなっ!?」


騎士団長とイズミ様の顔が一瞬にして青くなった。他の人たちもまるで信じられないと言わんばかりの表情で私を見つめている。私だって信じられない。でも、そう考えればすべての出来事がつながるのだ。


「壺に見立てたイスラ王国の中で、『毒虫』の代わりに国民である獣人たちに『毒』である狂犬病に感染させ殺し合わせる。実際は狂犬病による死亡ですが、それでも多くのものは凶暴化したもの同士の争いで命を落とします。そして…最後に生き残った一人を…。」


あまりの悍ましさで一瞬言葉に詰まったが、先がわかった誰かが「まさか…。」と小さくつぶやいた。その呟きにゆっくり頷いて私はグッと姿勢を正し言葉をつなげた。


「…ギンに食べさせます。そうすればギンは黒髪の魔法使いに従う凶悪な傀儡となる。…さらに、黒髪の魔法使いはギンを使って狗神(いぬがみ)の儀式も行おうとしていたのかも知れません。」

「その狗神の儀式というのは?」

「狗神の儀式は、犬を何かに縛り付けたり、首だけを出した状態で体を地中に埋めるなどして身動きを取れなくし、餓死寸前まで追い詰めます。その間、術者は空腹の犬の前で飲み食いをして、犬の怒りや憎悪を最大限まで引き上げておきます。そして、犬が餓死する瞬間にその首を切り落とす。首だけになった犬は激しい怒りと憎しみを抱いたまま、術者に指示されたものを食い殺す。…おそらくギンの目の前で、ゴンたちを死体に戻し強い悲しみや苦しみを与えて、餓死する寸前で首を切り落とし、残った獣人を襲わせるつもりだったのでしょう。そうすれば、ギンは怒りや憎しみに支配されたまま、黒髪の魔法使いの言うことだけを聞く最強の傀儡になります。しかも、術で作った傀儡には物理攻撃が効かないとも書物には書かれていましたので…もし、あのまま術が完成していた場合は…私たちが想像もできないような最悪の結末が待っていたかも知れません。」

「どこでその術のことを知った?」

「イズミ様から帰国の際にいただいた、イスラ王国の伝承と民族の歴史という本にありました。そこには、太古の呪詛師やその術式、霊媒師、占い師についての記述もあり、今申し上げた術式についても記載されています。先ほど、イズミ様の長衣に刺繍してあるイスラ王国の紋章を見てこの本を思い出し、今申し上げた考えに至りました。もちろん、全ては私の推測であり、証拠も何もありません。なので、絶対とは言い切れませんが……この考えならば、今までの出来事やギンの証言が()()繋がります。」


団長の鋭い視線をまっすぐに見つめ返して言うと、厳しい顔をした団長が私から視線を外しイズミ様へ移した。


「イズミ殿今のアヤメ嬢の話を聞いたご意見をお聞かせ願いたい。」


イズミ様はしばらく考えるように目を閉じた後ゆっくりと口を開いた。


「確かにアヤメに渡した本にはそういった記述があります。さらに…前回の話し合いの際に陛下から言われてカタール・クオンの母親について調べましたが…母方の一族は昔呪詛師をしていたという記録がありました。蟲毒も狗神もその危険度から数十年前に禁術となりましたが密かに母親の一族で伝承されてきた可能性は高いでしょう。そうなればカタールも件の術式を知り得る手段はあったと考えてもいいかと…。まさか、我が国を壺に見立てるなど大それた考えを持つとは想像できませんが…」


そこまで行って私を見下ろしたイズミ様は、その猛禽類独特の瞳をキュッと引き締める。ゆっくりとイズミ様の手が私の肩に乗った。


「…アヤメの出した結論に沿って考えれば、全てがきれいに当てはまります。」

「…そう、ですか…。」


一度言葉を切った団長は副団長に何かを確認するように視線を送ると、視線を受け取った副団長が頷き部屋を出ていった。


「インブルには今のアヤメ嬢の考察とイズミ殿の意見を含めて国の上層部へ報告に行ってもらった。各隊隊長はこの場で見聞きしたことは全て極秘とし他言は禁ずる。」


団長の言葉に一斉に声が上がる。


「私も、この後国に戻り陛下へ報告します。見送りは結構ですので、この場にて失礼します。」


言葉には焦りを滲ませながらも優雅な所作で礼をとったイズミ様は「また、文を出します。」と短く私に告げるとそのまま、副団長の後を追うように去っていった。


…私の発言のせいで…更なる混乱を招いてしまったのかも知れない。自分の発言の重大さを理解した瞬間に、サーっと血の気が引いていく感覚に襲われる。

全てがつながったことに喜んで勢いのまま話してしまったけど、一度誰かに相談すればよかったのかも知れない。後悔しても仕方がないことだが、考えれば考えるほど自己嫌悪に襲われてしまう。


「アヤメ…顔色が悪いぞ?大丈夫か?」


いつの間にか近くに来ていたクエルト叔父様に言われてハッと視線を上げる。見ればストーリア隊長やアンモス隊長、レシ隊長、テオ隊長が私をみて不安な表情を浮かべていた。


「アヤメ嬢はもう上がっていいぞ。来週からの復帰に差し障ってはアールツト侯爵殿に顔向けできん。それに、叙勲式も近い。しっかりと体を休めておけ。」


団長はそう言うと、テオ隊長とクエルト叔父様に私をアルのところまで送っていく指示を出した。必要であれば、どちらかを屋敷まで同行させても構わない。とまで言ってもらえたが、そこは丁重にお断りする。ただでさえ忙しい二人を私一人のために長時間拘束することは憚られるし、申し訳なさすぎる。


騎士棟を出てアルの所まで歩いているとクエルト叔父様が何かを思い出したように立ち止まった。


「アヤメ、すまないが兄上に渡してもらいたい手紙があるんだ。すぐに取ってくるから、テオとアルのところで待っていてくれ。」

「あ、はい。わかりました。」

「すまないな、じゃテオ頼んだぞ。」

「…承知しました。」


兵舎へ走っていくクエルト叔父様を見送りながら、テオ隊長と私は再び歩き始めた。元々、無口なテオ隊長は何を話すでもなく、ただ黙々と足を動かしていく。でも、その歩幅がいつもよりゆっくりだ。…もしかしたら私に合わせてくれているのかな?

そう考えると、何だか心がくすぐったくなった。


「あの…。」


くすぐったさをそのままにテオ隊長に声をかけると、彼は立ち止まり振り返ってくれる。普段なら、いや、他の騎士との会話なら足を止めることなんてないのに…。テオ隊長の気遣いの一つ一つに気が付くたびになんだか、自分を大切に思ってくれているような錯覚を抱いてしまう。


「なんだ?」


優しい言葉と共に柔らかな風にふわりとテオ隊長の藍色の髪が揺れた。一瞬の出来事なのに…まるでそこで時が止まってしまったかのように、言おうと思った言葉も忘れてテオ隊長に見惚れてしまう。

夕陽に照らされた、無表情とは違う柔らかな表情が…あまりにも美しくカッコよくて…。


「…どうした?やはり…具合が悪いのか?」


呼びかけたまま何も言わなくなった私をみて、心配そうに眉を寄せたテオ隊長に慌てて「大丈夫です!」と返して先ほどの続きを思い出す。


「騎士団の皆さんは変わりないですか?」

「ああ。イスラ王国から帰国した騎士たちもみな変わらず鍛錬に励んでいる。狂犬病のことを聞いた時は多少の混乱もあったが、予防接種も無事終わり今は平穏そのものだ。」

「そうですか…よかった。」

「そうだな。…腕はもう通常通り動くのか?」

「はい。メスも握れますし縫合もできます。細かい作業も前と同じように行えるようになりました。」

「そうか…それを聞いて安心した。アヤメの手は多くのものを救う手だ。」


まるで大切なものを慈しむように言われて、あの時の言葉が蘇った。


『愛おしい』


その瞬間、頬に熱が集まるのがわかった慌ててそれを誤魔化すように視線を逸らしたが、心臓の音が耳に響く。あの時のテオ隊長の大きな手の温もりや感触が私の熱を容赦なく上げていく気がした。

ダメよダメダメ!落ち着け私!!


「あ、ありがとうございます。私の手がテオ隊長のおっしゃる通り誰かを救う手ならば、テオ隊長の手は多くの人を守る手ですね。」


何とか心を落ち着かせてそう言うと、今度はものすごい勢いでテオ隊長が顔を逸らした。口元を押さえているが心なしか顔が赤い気がする。いや、耳は確実に真っ赤だ。

…あれ、上官相手になにか失礼なこと言ったかしら?なにかまずいことをいったかとも思ったが、すぐにテオ隊長が先を促しまた足をすすめた。背の高いテオ隊長の顔をうまく確認することはできないが、顔色はもう元のに戻っている。…気のせいだったかしら?


広い敷地内をたわいもない会話をしながら歩き、遠くにアルの姿が確認できたところで、私の背中に声がかかった。


「アヤメ嬢!」


その声に私とテオ隊長までも振り返ると銀髪を揺らしながらレヒト様がこちらへ駆けてくるのが見えた。


「レヒト様!?」

「レヒト・フェアファスングか。」


心なしか隣から聞こえたテオ隊長の声が冷たく感じた。


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