56.侯爵令嬢と狂犬病
ギンとの面会を終えた私は騎士団長に言われて、イズミ様と共に騎士棟の会議室へ来ていた。
会議室にはストーリア隊長とレシ隊長も呼ばれ、騎士団の団長、副団長、隊長達とイズミ様が揃ってどことなく重苦しい雰囲気に包まれている。
「先日のギンの事情聴取の結果を報告する。」
重苦しい雰囲気の中、団長がゆっくりとギンの調書を読み上げていった。
ギンはあの村で唯一の生き残りだった。
凶暴化した村人たちは互いに殺し合いを始め、半分になったところで各々他の村へ去っていったという。やがて感染者たちも次々に凶暴化し互いを殺し合い、ギンは物置小屋の地下貯蔵庫に隠れていたので無事だったそうだ。共に逃げていたゴンはシュウを庇い二人とも命を落としたそうだ。
そして、騒ぎが治まったのを確認してギンが外に出るとフードを被った人間が立っていた。その人間は喋ることはなく、ギンの前に文字だけが浮かびギンに取引を持ちかけ、ギンはそれに応じてしまった。
次にギンが気がついた時には死んでしまったはずのゴンやシュウ、サギ、鼬のおばあさんがいたという。そして、フードをかぶった人間に言われるがまま彼らはわたしたちを村へ入れた。家畜小屋に入れられていた村人たちももとは死体だったそうで、ギンはすべてを知りながら何も言わずにただ、ゴンたちと過ごす時間を楽しんだ。その時から、村の異様な雰囲気には気が付いていたとのことだった。フードを被った人間は、私達をあの森へ導くようにギンに指示を出し、ギンは「森で黒い髪の人間が獣人を食べていた。」という証言をしたそうだ。ギンにも理由がわからないが、ゴンたちはギンの言うことに全て合わせていたという。
ゴンたちも既に亡くなっていた事を考えると、ギンの前に現れた彼らはフードを被った人間によって作り出されたナニかだったのかも知れない。それに、ギンの話を信じるなら、村の生き残りについてあげられた報告書は当初から偽造されていたものだということになる。ちなみに、ギンの証言によれば、村に配属されていたオウメ大臣の息子たちと薬師はすでにフードを被った人間に操られていたようだった。
そうして、私たちが襲撃に遭い城へ引き返した後、入れ替わりにやってきたイスラ王国の調査団と兵士たちは一瞬にしてフードの人間に殺されてしまった。それを目撃した直後、いままで普通に動いていたゴンたちが急に骸になって朽ち果てた。それを見た瞬間、ギンは改めて自分が騙されていたことを知り、そのまま恐怖のあまり気を失ってしまった。そして気がついた時には、森の中の大きな木に縛り付けられていたという。
何日も飲まず食わずでそのままを過ごし、自分の死を感じていた時、再びあのフードを被った人間がギンの前に現れて
「もうすぐお前は私の最強の傀儡になる。」
と文字で告げた。
ギンは意味もわからず、ただ飢えに苦しみ、そこからは意識も途切れ途切れでよく覚えていないとのことだった。それから、日付の感覚もなくなり朦朧とする意識の中、声が聞こえた。
「あいつらをこのまま国に返してはならん。」
男とも女とも判断できない不気味なその声を聞いた時、私達の危機を知ったギンはそこで弾かれたように体が動いたそうだ。痩せほそったギンの体は木に縛り付けられていたロープ抜け出すのに十分な余裕ができていたことが幸いして、隙をついて逃げ出し、匂いをたどり私達の元にギンは必死で駆けた。
途中凶暴化した獣人たちと遭遇し、大怪我を負いながらも足を止めることはできなかったとギンは言った。ただ、【私達の元へ辿り着かなければいけない】ということしか考えられなかったそうだ。
「…以上がギンからの供述だ。また、最初にギンがアヤメたちに告げた、獣人を食した黒髪の魔法使いから、狂犬病の原因と見られる蛾が出現した件については嘘はないとのことだった。裏を取ろうにも、目撃者も関係者のギン以外いないため信用するかどうかは難しい判断だが、私は今のところ信じようと考えている。」
騎士団長が言い切ると会議室には沈黙がおとずれた。誰もが口を閉ざし、思案している中イズミ様が沈黙を破る。
「黒髪の魔法使いとフードを被った人間は同一人物と見て、間違いないと思いますが…なぜあの村でギンだけを生かしていたのでしょうか。」
そうだ。
確かに、なぜギンをすぐに処分しなかったのか。調査団や兵たちを瞬殺できるほどの能力を持った黒髪の魔法使いは、どうしてギンを残しておいたのだろう。それに「最強の傀儡になる。」の発言も気になる。
「容疑者とされるカタール・クオンは母方が狐の獣人と聞きました。それも何らかの影響があるのかも知れません。」
「だとすれば、ギンの両親や親族、ほかの狐の獣人たちはなぜそのままにしておいたのでしょうか。」
「ギンは何か特殊な力を持っていたとかですかね?」
クエルト叔父様、ストーリア隊長、アンモス隊長が順に口を開くが、明確な答えは得られない。誰かのため息が聞こえ、それに合わせるようにオッド騎士団長の眉間にしわが寄った。
「特殊能力や魔法が使える等はギン本人からの申告はない。回復を待ってその件も検査してみよう。」
「何にしても、ギンの話からは黒髪の魔法使いとカタール・クオンの繋がりは見えてこなかったな。」
団長と副団長が珍しく二人揃って小さくため息をつき、また、話が行き詰まってしまう。
再び訪れた沈黙の中、ぐるぐると私の頭の中で考えが回っていた。
ギンだけ残った…いや、ギンだけ残さなければならなかった…?餓死寸前にまでしておいて?
それは…何のために…?
最強の傀儡を作るため…?
でも、どうやって?
狂犬病…凶暴化…死亡…黒髪の魔法使い…闇魔法…カニバリズム…
今まで得た情報と体験が絶え間なく浮かび上がっては消えてまた浮上する。
そこまで考えてふと、イズミ様の着ている長衣に刺繍されたイスラ王国の紋章が目に入った。
その紋章が何故か……引っかかった。
…帰国してからつい最近も見たことがある気がするけど…あれは…どこだったっけ…?
……
………____
あぁぁぁっっ!!!
カチン!と最後の歯車がはまったような感覚だった。
そこから、一気に歯車が回り出し全てのことが繋がり出す。
ぐるぐると考えていたことが一つにつながった瞬間、私は思わず声を上げてしまい、ビクッと何人かの肩が揺れた。
「どうした?」
すぐさま団長の鋭い声が飛んできて、開けたままの口を急いで閉じる。
頭の中の情報が全て一つにつながった!
証拠もないし、今の段階ではただの推測に過ぎないけど、これならいままでの全ては繋がる!
会議室内の全員の視線を一身に浴びながら、小さく息を吸い姿勢を正した。
そして、ゆっくりと口を開く。
「黒髪の魔法使いがイスラ王国で狂犬病を発症させ、ギンを残した理由が…わかったかも知れません。」
静かに紡いだ言葉は、再びこの部屋を沈黙に落とした。