55.侯爵令嬢と子狐
クエルト叔父様から、ギンの目覚めと面会の日時についての連絡が来たのは、叙勲式のための用意に追われていた時だった。
先日ようやく目を覚ましたギンは、騎士団長と副団長の同席の元、事情聴取が行われた。その際、イスラ王国の獣人も二名同席したとのことだった。まだ事情聴取の内容は知ることはできないが、ギンは意識もはっきりしており、スムーズに事情聴取を終えたと言うことだ。
そのことに内心安堵する。黒髪の魔法使いに唯一つながる存在とはいえ、両親や友達を失ったまだ幼い子供。どうか、不当な扱いを受けるようなことはないようにと願うばかりだった。そんな中で、ギンとの面会の許可が下りたことは私にとってとてもうれしいことだった。
叙勲式の打合せのためにイズミ様がいらっしゃる日時に私も併せて面会が予定されたので、イズミ様に再び会える喜びと、ギンが無事に目覚めたことも重なって、私は面会の日が楽しみでたまらなかった。
面会当日。
お兄様が付き添いを申し出てくれたが、アールツト侯爵家の次期当主に万が一があってはならないと面会は許されなかった。ギンには危険性はないと判断を下した騎士団長だったが、こればかりは許可が下りずお兄様には珍しく大分抗議したようだった。それでも最終的には納得してくれたようで、笑顔で私を送り出してくれた。
アルに乗っていつものように騎士棟にやってくると、建物の前でテオ隊長とアンモス隊長が揃って出迎えてくれた。オッド騎士団長から私の護衛を命じられたようで、二人の後ろにが数名の騎士の姿もあった。まさか、騎士団の敷地内で襲われることはないと思うけど…。その手厚い歓迎に申し訳なくなって何度も頭を下げる。
「久しぶりだな!調子はどうだ?」
「お久しぶりです。お休みをいただいてご迷惑をおかけしています。もうすっかり良くなりました。」
壁のような大きな筋肉質の体でニカっと笑ってくれたアンモス隊長にお礼を告げると、隣にいたテオ隊長は気遣うような視線で私を上から下まで確認し、そっと肩に手をおいてくれた。
「腕は回復したと聞いたが無理はせず、辛い時はすぐに言ってくれ。」
相変わらずの無表情だったがその声は優しかった。最後に見た時は随分お父様に気を遣っていたようだったから、元気そうな姿を見て少し安心した。
「ありがとうございます。」
安心感のまま緩んだ頬でそう答えれば、わずかに瞼を見開いたテオ隊長は「いや…気にするな。」と告げてすぐに顔をそむけた。…何か気に障ることを言ってしまっただろうか?テオ隊長の事が気になるが、アンモス隊長に促されてそのままアンモス隊長を先頭に後ろをテオ隊長に挟まれる形で私たちは救護棟へ向かう。体の大きな二人に挟まれて歩いていると、自分がひどく小さくなったような気がする。アンモス隊長は先ほどから、気遣ってくれたいるのかたくさんの話を振ってくれたが後ろを歩くテオ隊長は一言も発することはなかった。ただ…時折後頭部にう良い視線を感じて恥ずかしいようなくすぐったいような気分だった。
騎士棟はもちろんのこと救護棟にも0番隊の任務で何度も足を運んでいたが、地下の病室に入るのは初めてだった。そのせいもあって少し緊張しながら階段を降りる。明かりがついていたが、やはり窓のない地下室はどこか薄暗く空気も冷たく、窓枠やドアに着けられた鉄格子のせいか漂う雰囲気も重く感じた。リネンの積み重ねられたワゴンだけが置かれた廊下を進む。救護棟とはいえ、この地下は犯罪者などを収容するためのところだから仕方ないのかもしれないが、ギンのことを考えるともう少し環境を変えてあげたいと思ってしまう。
「久しぶりですね、アヤメ。」
薄暗い廊下の先、ギンの部屋と思われるドアの前で既に到着していたイズミ様が私を迎えてくれた。すぐ横には護衛と思われる、鷹の獣人2人と騎士団長、副団長、クエルト叔父様が控えている。
「イズミ様!!お久しぶりでございます!」
思わず大きくなってしまった声は地下室によく響き、クエルト叔父様が軽く眉を上げたので慌てて声を顰めた。それに肩をいさめて、駆けだしそうになった足を押しとどめる。今日は外出用のドレスの為、走るためには裾を持ち上げなければいけないがそんなことをすれば確実にクエルト叔父様の雷が落ちるだろう。イズミ様や他国の獣人の前で「淑女たるもの…」と説教されることは何としても避けたい。
そんな私の内心を知ってか知らずか、イズミ様は優雅に礼をとり笑顔を見せてくれた。
「ふふ。調子はどうですか?手紙では腕は完治したとかいてありましたが、やはり直接顔を見るまでは心配で…。今日は会えることを楽しみにしていましたよ。」
私も慌てて礼を取れば、ゆっくりと翼腕の手で頭を撫でてくれる。そんなイズミ様の変わらぬ優しさが嬉しくて私は笑顔を見せた。
「ご心配ありがとうございます。もう腕は大丈夫です。来週からは騎士団の任務にも復帰する予定です。」
「そうですか。…よかった。騎士の任務も大変かと思いますが、くれぐれも無理はしないでくださいね。自身を大切に。その身に何かあれば、悲しむものがいるということを忘れないでください。」
そう言ったイズミ様の顔は今まで見たこともないくらいに真剣で、猛禽類独特の瞳は強く私の瞳を見つめていた。私が腕を失ったとき、叔父様、ユザキ様、お父様やお母様お兄様…沢山の人が心配をしてくれた。そして、イズミ様やコウカ国王陛下も…。最後に浮かんできたのは私が腕を無くしたことで自分を責め続けて苦しみ涙を流すテオ隊長の姿だった。その時を思い出せばズキンッと心が痛む。もう、大切な人たちを私のせいで悲しませたり、心配をかけたくはない。
その強い思いのまましっかりと頷けば、イズミ様は気を取り直したように穏やかな表情に戻り、頭を撫でていた手をそのまま私の背中にそっと添えた。
「では、参りましょうか。」
「はい。」
イズミ様と並び護衛の騎士と獣人に囲まれながら、オッド騎士団長がゆっくりと開けたドア先………薄暗い明かりの中に、部屋の中央に置かれ大きなベッドに上体を起こして座る包帯を巻かれたギンの姿があった。
ギンは私を見るとアッとしたように一瞬目を見開いたが、そのままゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい。」
突然の謝罪に驚いたが、そのまま静かにギンのそばに足をすすめる。胸から腹を抉っていた傷はクエルト叔父様の治癒魔法で塞がってはいるが、それ以外の傷に巻かれた包帯が痛々しい。犯罪者ということもあり、治癒魔法は最低限しか使わなかったようだけど…ところどころ体毛が剥げて地肌が見えていて、長い鼻先の大きな切創やピンと立った耳が一部欠けている姿が心を抉るようだった。…まだこんなにも小さいのに…。傷だらけの体で私に頭を下げるギンの姿に思わず眉を下げる。
「…ごめんなさいはもう聞いたわ。」
あの時、馬車の中でもギンは瀕死の状態にありながら何度も私たちに言ってくれた。そう伝えれば「でもっ!」と再び頭を下げたので、私はギンの小さな頭を撫でた。…まだこんなにも小さい。
「たくさん…辛いことがあったのよね。それでも、私達のために走ってくれたのよね。」
顔を上げることのないギンの体が小さく震えていた。この小さな体で。この傷だらけの足で…重傷を負いながらも私たちの為に広大な森の中を駆けてきてくれた。そう思えば…私にも伝えたい言葉が溢れてくる。
「…ありがとう。…私たちの為に…本当にっ…ありがとう。」
込み上げる熱いものを抑えてそう告げるとギンは弾かれたように顔を上げた。大きく開かれた瞳には涙が溜まっている。よじれた不揃いのひげを生やした狐特有の口がモコモコと戦慄いていた。
「どうして…?ぼ、僕は…悪いことをしたのに。」
自分のしてしまったことの重大さをしっかりと理解している小さな子狐の瞳にたまった涙は見る見るうちに溢れてやさて頬を伝っていった。事情聴取の内容は詳しくは解らないが、きっとギンのせいで私たちはあの村の森で襲われたのだろう。そして、私は右腕を失い、ユザキ様の部下や騎士団の数名は怪我を負った。たとえ騙されていたとしても、それは決して許されることではない。
「そうね。…ギンのしたことは決して許されることではないわ。」
強い視線を向け、はっきりと言い切れがビクリッと小さな肩が揺れた。その姿に少し心が痛む。
ギンは何も言わず、ポロポロと涙をこぼしながら私をじっと見つめていた。この子は、ちゃんと自分の犯してしまった罪を理解している。だからこそ、伝えたい…。
「でも、私は…あなただけでも生きていてくれたことが嬉しい。私が…私たちが治療したあの村の人たちは皆殺されてしまったけど、私たちが治療したのは無駄じゃなかったわ。だって…あなたが生きていてくれたんだもの。そして、そのあなたが私たちに危険を教えてくれた。」
「…僕は…。」
「だから、辛いことがあったのに生きていてくれて…ありがとう。」
ピクリと小さな肩が揺れた。
当たり前の日常を家族を友達を突然失い、一人、血だらけの村で残されたギンはどれほど辛い思いをしただろうか。
「遅くなってしまって……ギンが一人で辛い時に、そばに…居てあげられなくてっ、気が付いてあげられなくて、ごめんなさい…。」
もっと早く村の異常に気が付けていたら。もと早くワクチンを完成させていたら…こう思えば口惜しさが込み上げる。過ぎたことはどうすることもできないけど……この小さな体で傷つきながら、たった一人で何日も耐え忍んで、生きてきたギンをこれ以上責める気にはなれなかった。先ほど抑えた熱いものが再び込み上げて瞼に涙がたまりグッと堪える。
反対に私の言葉を聞いたギンは咆哮する様に泣きだした。
「っ…さ、さびしかっ…た!みんな…いなくなって…。わかってたんだ。もう戻ってこないって。でも、でも…もう一度だけ会いたかったんだ。…会いたかった…!」
苦しそうに息をしながら堪えるように歯を食いしばるギンの瞳から、それでも堪えきれない涙が溢れた。「ただ…会いたかったんだ…」そう言ったギンは、そのまま力なく背を丸めてベッドの上で小さくなる。
「ごめんなさい。…僕は…あいつに騙されてた。おねぇちゃんはっ、優しくしてくれたのに…嘘ついて…ごめん、なさい…っ。」
それを最後にとうとう喋ることができなくなったギンは嗚咽をこぼしながらシーツを握りしめて顔を伏せた。その背中にそっと手を当てる。泣き叫ぶ銀の姿に、血を吐きそうなほど胸が痛むのに…何もかける言葉が出てこなかった。医者は傷を治すことができても、心の傷は治すことはできない。そのことが歯痒かった。それでも、何とかしてあげたくて背中をさすり続けていると、ふわりと白い翼腕が目の前に揺れて、私の手に大きな手が重なった。鋭い爪のあるその手はとても温かくて、優しい…。
「ギン…あなたの犯した罪もその重さも決して消えません。ですが、それを糧にできる方法があります。」
イズミ様の言葉にギンがゆっくり顔を上げる。
「かて?」
「そうです。その罪の意識も失った悲しみも全て背負って……生きていきなさい。」
「…生きる?だって…僕はもう悪いことをしたから…殺されるんでしょ?父さんが言ってた。悪いことをしたら死刑って言って殺されるって。…だから、僕も…」
「殺しませんよ。」
それはとても静かな声だった。それでも、はっきりと部屋の中にいる全員の耳に響いた。
「陛下はあなたを死刑にはしません。先日の事情聴取を基に上層部で話し合った結果、あなたには、全てを背負い生きてもらうと判断を下しました。」
イズミ様の話はここにいる全員初耳だったようで、皆一様に驚き目を見開いた。
「罪の意識から死を選ぶのは簡単なことです。死ねば今の辛いこと全てから解き放たれるのですから。しかし、あなたに下った裁断は生きること。罪の意識を背負いながら生きると言うのはとても辛いことです。今感じている思いや感情を死ぬまでずっと抱き続けるのですから。」
コウカ国王陛下の裁断は死刑よりもずっと厳しい事をギン以外の全員が理解する。死に逃げることなく、その罪の意識を背負ってこれからの長い人生を生き続けろと言うのだから。
幼いギンに正しく伝わったのかは解らないが、その目は大きく開かれイズミ様の顔を見つめていた。
「陛下は、あなたを自分の元の置き、ご自身で育てるとおっしゃっています。あなたが、あの村の生き残りであるのならば…罪の意識があるのならば、あの村の、あなたの大切な方達の分まで生き抜いてみなさい。」
コウカ国王陛下がギンを自ら育てるという前代未聞の判断を下した経緯は分からないが…あのお方は誰よりも強く、そして民を大切に愛する王だから。…きっと大丈夫なはずだ。
力強く言い切ったイズミ様はそのままその手をギンの頭において、ゆっくりと撫でる。ギンは目を大きく開いたまま微動だにしない。でも、もうその目からは涙は溢れていなかった。
「一人でよく頑張りましたね。そして、よく戻ってきました。あなたの思いも、その強さも陛下は認めていますよ。そして、私も…あなたが誰かを救うために死線を駆け抜いた、その強さを信じています。」
涙に濡れ、罪の意識と悲しみに塗りつぶされていた瞳が大きく瞬き、そしてしっかりと小さな火を灯す。
その光景に心が震え、鳥肌が立つ。
そして、先ほどまで丸まっていたギンの背中が上へまっすぐに伸びた。
その姿を見て感動した私は熱い気持ちのまま、再び立ち上がろうとしているギンに私は心からのエールを送る。
「ギン…もう、ひとりぼっちなんかじゃないわ。これからは、あなたには国で一番偉くて力のあるコウカ国王陛下が付いててくれるんだから。」
「でも、もしまたあいつにされたみたいに…。」
「その時は、助けてあげる。今度こそ、あなたを救い出してみせる。私だけじゃなくてイズミ様や国王陛下、ユザキ様、みんながあなたを助けてくれるわ。だって…もうあなたは一人じゃないもの。」
私の言葉にイズミ様が優しい笑みで頷いてくれた。そのまま視線を動かせば、イズミ様の後ろに控えている鷹の獣人二人が大きく頷いて、さらにその横でクエルト叔父様が嬉しそうに目を細めた。
「これからは、沢山の大人があなたを見守り導いてくれる。そして、いつもご両親やゴンたちが見守ってくれるわ。」
「…もう…会えないのに…?」
そう言って私を見るギンに一つ笑って、小さな手を取り彼の胸に押し当てた。
どうか、伝わってほしい。…この小さな心に。
「離れても、会えなくても、ギンの大切な人たちはいつもここにいるわ。会いたいときや寂しくなったときは、こうやって手を当てて目を閉じて名前を呼んでみて?…きっとすぐに大切な人に会えるから。みんな、ギンの事が大切で大好きだから…それだけは何があっても変わらない。…あなたは一人じゃないのよ。」
私に言われるまま目を閉じたギンは、しばらくして目からまた大きな涙をながした。そして、ゆっくりと目を開くと、イズミ様を見つめとめどなく溢れる涙を拭うことなくそのまま大声で叫ぶ。
「僕っっっ……っ!生ぎますっ…っっ!!!みんなの分も…これから…ずっと…忘れないで…っ!」
窓のない薄暗い病室に高い声が響く。流れる涙をそのままに、唾を飛ばし、鼻水を垂れ流して、それでも…声の限りに叫ばれたこの誓いを私は忘れることはないだろう。
そして……
もし、またギンの心が闇に取り込まれそうな時は、今度こそ助けてみせる。
医者が心を治せないのなら、医者としてではなく…この子の“誓い”を聞いた者として。
……必ず……___!
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