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54.侯爵令嬢とアールツト侯爵


帰国してからリハビリと静養の為に一週間の休暇を騎士団からもらった私は、久しぶりに屋敷の庭にあるガゼボで本を読みふけっていた。少し離れたところではアルとその部下の二羽のアルゲンタビウスたちがのんびりと寛いでいる。


イスラ王国での日々が嘘のように、ここではゆっくりと平和な時間が流れていた。

イスラ王国は感染症を完全に抑え込むことができたようで、感染者は増えていないとのことだった。それに、コウカ国王陛下とイズミ様、ユザキ様のご尽力もあり復興もさらに進んでいるとイズミ様から送られてきた書状に書いてあった。イズミ様は、二回目の襲撃の事を聞いてすぐに私たちが襲撃を受けた森を含む山岳地帯を調査してくれたようだが、めぼしい手掛かりはなかったそうだ。復興と合わせてこちらの件も引き続き調査すると言っていただいたのでイズミ様には感謝しかない。忙しいはずなのに、書状には随所に私を心配する言葉が書かれており、胸が熱くなった。


そして襲撃事件の際に確保したギンは未だ意識を取り戻してはいない。クエルト叔父様の話だとそろそろ目を覚ましてもいいはずだと言っていたけど…こればかりは私にもわからないので、今は襲撃事件と感染症の件はとりあえず私のほうで動けることはなかった。


「アヤメ、少しいいか?」


帰国時にイズミ様からいただいた、イスラ王国の民族や伝承の歴史書を読み終えたところで、スチュワートを連れたお父様がガゼボにやって来た。


「お父様?」


この時間はいつも研究室か治療院にいるお父様が屋敷にいるのは珍しい。お父様は私に一言断るとそのまま隣に腰を落とした。スチュワートがアリスに促しお父様の分の紅茶がそっと出される。


「どうされたんですか?この時間に屋敷にいるなんて。」

「治療院に居たのだが、城から緊急の通達が来たとスチュワートから連絡があってな。一度戻ってきたのだ。」

「緊急の通達?!」


城からの緊急の通達。普段あまり聞かない言葉にわずかに緊張が走る。イスラ王国に何かあったのか?まさか、国内で狂犬病が発生したのか?それとも…?様々な可能性が頭をよぎる中、お父様から放たれたのは予想外の言葉だった。


「狂犬病の件について、国王陛下より正式にアヤメに褒章を賜ることになった。」


え?


「褒章!?」


私が…?

私が驚くことは想定済みだったらしくお父様はゆっくりと紅茶に口を付けた。


「陛下からの手紙には、イスラ王国での感染症の正体を突き止め、ワクチンを作成したこと。並びに、イスラ王国での救済活動に深く感謝すると共に敬意を表するとのことが書いてあった。ついては、今回のワクチン開発に携わった、アールツト侯爵家の関係者とイスラ王国へ出向いた騎士団へ、勲章及び褒章を授けるために叙勲式を執り行うので、登城せよとの事が書かれていた。」


…よくわからないが、これはたぶん日本でいうところの紫綬褒章とかそういうレベルの賞をいただけるという事なのかしら…?前世ではもちろん今世においても、褒章などという言葉とは無縁だった私は、いったい叙勲式がどんなもなのか想像すらつかない。しかし、体育館で校長先生からもらえるような章とは格段に違うのは理解できる。だって、相手は一国の王なのだから。


「だが、まだ驚くのは早いぞ。」


事の大きさに青くなりかけているだろう私に、お父様はさらに追い打ちをかけた。


「今回の叙勲式は我が陛下だけでなく、イスラ王国のコウカ国王陛下も参列されることになった。」

「コウカ国王陛下が!?」

「狂犬病の功労者たちを賞するのならば、当事者であるイスラ王国からも勲章及び褒章を授けたい。とコウカ国王陛下直筆の書状が届いたそうだ。」

「え…と、じゃあ、二か国の国王陛下が揃うのですか?」

「そうだ。インゼル王国史上初めて、イスラ王国との合同で執り行われる叙勲式になるだろう。イスラ王国の国内情勢が落ち着いたら正式な日程は組まれるそうだが、この叙勲式の為に王太子殿下も急遽留学先からもお戻りになられるそうだ。」


いや、待って。これって物凄く大きな式典になるんじゃないの?

しかも自国と他国両方の王から褒章を賜るなんて…。そんな事ってある?そもそも、褒章と勲章の違いって何よ?今まで無縁すぎてなにもわからない。…どうしよう、今から物凄く緊張する。…っていうか、それってやっぱり私は出席しなきゃいけないの?まだ13歳だし…まだ、成人前だから、前世の日本の青年皇族の様に、成人するまでは公式な式典には不参加…


「もちろんお前が主役だぞ?」


ピシリッと一瞬全身が凍った気がした。主役?私が…?


「お、お父様…それはどういう意味でしょうか?」

「どういう意味も何もない。しいて言うなら、アヤメの行った事のすべてがその意味だ。」

「はい?」

「まぁ、いい。アヤメが叙勲式参加することはもう決定している。フェルは大分張り切っていたようだから、後ほど衣装やマナー講師についての話もあるだろう。」


どうやら私に拒否権はないらしい。さらに、衣装やマナー講師と聞いてはこの一週間の輝かしいバカンス計画(ひたすらに書物を読み昼寝をすること)が羽を付けて飛んでいくようだった。


「…承知しました。」


零れ落ちそうになるため息を飲み込んで軽く頭を下げると、お父様はさっきよりも幾分真剣な表情になってまっすぐに私を見た。


「…お父様?」

「…本題はここからになる。」


静かに言われた言葉とその低い声色に無意識に背筋が伸び膝の上の手がぎゅうとドレスを掴む。


「褒章と勲章の件、民に公表する時はその一部を私の功績としてもらいたい。」

「え?」


何かを決意したかのようにいうお父様の顔はとても苦しそうで…悲しさが滲んでいた。


「今回の叙勲式…。アヤメは間違いなく誰よりも高位なものを、そして、誰よりも多くそれを賜り称されるであろう。しかし…アヤメの功績がそのまま民に知られれば…。」


一瞬お父様は瞼を閉じた。


ああ…そういうことか…。


その表情を見た瞬間お父様の言いたいことが判ってしまい、言いづらそうに顔をそむけたお父様へ私からその先を告げた。


「私を…アールツト侯爵令嬢を狙うものが増えるでしょうね。」


その瞬間、ハッとしたようにお父様の紫の瞳が揺れる。そして、誰かの息をのむ声が聞こえた。


「私は治癒魔法を使えないので狙われる可能性は低いですが、もし今回の事が公に知られれば、私の技術と知識を手に入れようと考える輩は増える可能性は十分にあります。さらに…私は…女性ですから。…また、別の使い道を考える者もいるかもしれません。」


このことを教えてくれたのは外でもないお父様だった。その時も今の様に、悲しみと、怒りと…たくさんの感情でぐちゃぐちゃになった顔で


「すまない。」


そういってくれた。


「娘の功績を素直に世間に知らしめることができない親が他にいようか…っ!…だが、お前を守るためには…この方法しかないんだ…。」


お父様はもう一度「すまない」とだけ言うと拳でテーブルを叩いた。


「すまない。」


もう一度小さい声が聞こえ、たまらず私はその手をそっと両手で包む。驚いた様に顔を上げたお父様の瞳は少し潤んでいて、そこには私と同じ紫の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。


…何度も、この瞳を見てきた。小さい時からいつもこの瞳が私を見守っていてくれた。鏡を見るたびに、自分にも同じその瞳があるということが嬉しくて誇らしかった。治癒魔法を使えなくても、この瞳を見れば、私はこの人の娘だ。とアールツト侯爵家の人間だ。と思うことができたから。


「お父様……私が生まれてきて…良かったですか?」


静かに紡いだ私の言葉にお父さまの瞳からボロリと大粒の涙が零れ落ちた。


「当たり前だっっ!!」


次の瞬間には怒鳴るような大声があたりに響く。


「お前が生まれてから後悔をしたことなど一度もない!そんなこと考えるはずがない!お前は…アヤメは…私の大切な娘だ。治癒魔法など…どうでもいい…私はアヤメを愛している!」


一息で言い切ったお父様はフーフーッと獣の様に息を荒くしながら、それでもまっすぐに私を見てまたボロりと涙をこぼした。


「…私もです。」


ぎゅっとお父様の手を握る両手に力を入れる。お父様は、瞼が無くなるほどめを見開いて固まっていた。


「私は、治癒魔法を使役できません。ですが…アールツト侯爵家に生まれてよかったと思っています。だって……っ!」


ブワっと瞼に涙がたまり視界がぼやける。でも、私と同じ紫の瞳から目は離さなかった。


「お父様の…娘になれたからっ…!」


幸せです。


そう言い切った瞬間にお父様の腕に抱き寄せられた。薬品と消毒液の匂いが鼻をくすぐる。でも、それがお父様の臭い。私の好きなにおい。アールツトの名に苦しんだ時もあったが、お父様とお母様の娘として生まれたことを嫌だと思ったことは一度もない。それほどまでに二人は…お父様は私を愛してくれている。


「褒章の件、私は気にしていません。褒章をもらうために医療活動をしたわけではありませんから。」

「…わかった。」

「それに…もう褒章はいただきました。」

「…どういう意味だ?」


ゆっくりと私を引き離したお父様は不思議そうに顔を傾けるが、それに答えるつもりは無い。本人は解らないかもしれないが私はもうすでに、どんな褒章や勲章よりも()()()()をお父様からいただいているのだから…。


だから私は、アールツト侯爵令嬢として歩いていける。


まだ、考えているようなお父様を見て思わず笑いがこぼれた。「なんだ?」「どこがおかしい?」というお父様を見て、ついにスチュワートが長い溜息を吐いた。


穏やかな時間が過ぎていく。



こうして、私の一週間のバカンスは来る叙勲式への準備ですべて埋まることとなったのだった。


「本当に旦那様は…。」

「なんだお前は分かったというのか?」

「ええ、もちろんですとも。」

「なに?では、教えてくれ!」

「できません。」

「なぜだ?!」

「今回の事に関しましては私は全面的にお嬢様の肩をもたせていただきますので。」

「あ、おい!待て。おい!頼む!スチュワート!」


やっとアールツト侯爵家に日常が戻りました。

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