51.…そして思い
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重苦しい沈黙が部屋を満たしていた。
テオはゆっくりと息を飲み込んで目の前に座るクエルトを見つめる。
現アールツト侯爵家当主の実弟であり、貴族の身分を持たないながらもラストネームにはこの国で最も王族に近い名を背負っている目の前の男は、ただグラスの中を満たす琥珀色の液体に目を細めている。…美しい青色の瞳を悲壮に染めながら。
「…アールツト侯爵家の名は大きくなりすぎた。」
ぽつり。と琥珀の液体にクエルトの言葉が落ちた。
「テオはアールツト侯爵家の始まりを知っているか?」
「はい。……一般常識程度にならですが。」
「そうか。…じゃあ、今から話すことは他言無用だぞ?」
「はっ。」
「他言無用」の言葉にテオの姿勢がピンと伸びる。緊張感をあらわにしたテオとは対照的にクエルトは、グラスに付いた水滴を玩びながら語り始めた。
「昔、インゼル王国の初代国王がこの地に王国を築く際に、大病に見舞われた。王に仕える医師では手の施しようがなく、万策尽きたと思ったときに偶然その地を通りかかったジプシーが見たこともない魔法を使役し、王の病を治したのだ。病が完治し王は大変感謝してジプシーに名を尋ねた。そのジプシーの名が「アールツト」だった。苗字を持たないアールツトを王は友として迎え、新しい国にとどまるように懇願した。それを承諾したアールツトは国王から「侯爵」という地位を賜り、インゼル王国に永住することになった。その後、アールツトは新しい国の医療制度を立ち上げ、もてるすべての知識を惜しみなく使い国の発展に務めた。」
静かに語りだしたクエルトの視線はどこか遠くを見るように、ゆっくりと細められ、それとは対照的にテオは、初めて聞いたアールツト侯爵家の成り立ちにゴクリと唾をのんだ。
「…ただ、不思議なもので、どんなに優秀な魔法使いだとしても、アールツトの治癒魔法は使えなかった。治癒魔法が出現する原理は分かっても己の属性魔法が邪魔をして魔法を変換できず、酷い暴走を引き起こしてしまうのだ。アールツト一族は、表面上は風魔法の属性だが…俺は、本来ならば無属性であり、だからこそ治癒魔法が使役できるのではないかと考えている。」
一度言葉を切って酒を飲むクエルトを見ながら、テオは背筋に嫌な汗が滑り落ちるのを感じた。自分が今聞いているのは「国家機密」と同じレベルの話であるのは間違いない。巷で語り継がれているアールツト侯爵家の歴史は「建国時から王を支え、尽くした最古の貴族」というだけだった…。あのアールツト侯爵家が苗字を持たぬジプシーだったとは…。
話す前にクエルトが言った「他言無用」の意味と重要性を正しく理解しなおしてテオは、グッと腹に力を入れて話の続きを待った。
「やがて治癒魔法を引き継いだアールツトの子が生まれ、さらにその子が子を産み…そうやってアールツト一族は増えていった。アールツト一族が増えるということは治癒魔法使役者が増えるという事。次第に国内の医療は充実し、戦場にも赴くアールツトの人間が出始めてことから、戦による死傷者が大幅に減少した。だが、それが思わぬ悪影響をもたらし始める。
他国の間者がアールツト一族の存在を知り……一族の人間をさらい始めた。最初は一晩で一人。次は一晩で二人。その次は三人。そうやってさらわれていったアールツトの人間たちは、人体実験をされる者、王族の専属治癒師として一生鎖で繋がれる者、産腹としてアールツトの血を引く人間を作り続ける者。…どれもひどい扱いばかりだった。だが、そうまでしても、未だに治癒魔法を使役できるものはインゼル王国以外の国に居ないのは、国外へのアールツトの血の漏れを防いできたからだ。」
そこでグラスを置いたクエルトは遠くに向けていた視線をゆっくりとテオに合わせる。クエルトの青い瞳は今まで見たことのないほど冷酷で…冷たい熱に染まっていた。
「アールツトの血の漏れの防ぎ方を知っているか?」
問われたテオは何も答えることができず、ゆっくりと首を横に振った。クエルトの初めて見る表情のない顔に握り絞めていた指先から熱が奪われていく。テオの答えを見たクエルトはそれに口角だけ上げるとゆっくりと口を開いた。
「………自害するんだ。アールツトの人間は幼い時に、インゼル王国外でアールツトの血を引く者を生み出してしまう可能性が出た場合の自らの命の絶ち方を教わる。」
っ!!!???
衝撃的な発言にテオは音もなく口を開いた。王家に最も近しい貴族であり、インゼル王国の至宝と謳われる大貴族の新事実は…にわかには信じられない。
「…おそらくはアヤメもすでに兄上から教わっているはずだ。…女性のアールツト一族が攫われた場合…どのような未来が待っているのかも。」
その言葉を聞いた瞬間、アヤメの姿が思い浮かんだテオはギリッと音を鳴らし奥歯をかみしめた。
…そんなことさせてたまるか…。強い思いと同時に、向けようのない怒りが込み上げる。そんなテオを見たクエルトはさらに言葉を続けた。
「なぜ、アールツトの人間ばかりこんな目に遭わなくてはいけないのか…。建国の時より王家に仕え、国の為、民の為に尽力している私たち一族は…なぜこんな重荷を背負って生きていかなければならない…?」
その言葉は目の前のテオに向けられているのか、それとも他の何かに向けられているのか…。わからなかったが、それでもテオは黙って聞き続けた。
「すべては…“治癒魔法”のせいだ。」
小さくつぶやかれた言葉。しかし、それにはクエルトの本心と強い怒りが込められているようにテオは感じた。当代のアールツト侯爵に次ぐ治癒魔法使いと名高い人物からのこの言葉は、テオの心に重く響く。
アールツト侯爵家に生まれたのに、治癒魔法を使役できないことは…どれほどの苦労があるのか?イスラに行く前にレシとの会話がふと思い浮かび、それは間違いだったのかもしれないと考える。確かに治癒魔法が使えない事で、様々な辛いことがあるかもしれないが…だが、治癒魔法が使えないからこそ………__
「すまない、話がそれたな。」
かけられた声にハッと思考を戻す。見れば先ほどとは違い、いつもの表情に戻ったクエルトが再びグラスを片手にしている。テオはクエルトの言葉に「いえ。」と短く返して、さきほどまでの思考を頭の隅に追いやった。浮かんだアヤメの顔を無視し、クエルトの話しに意識を集中させた。
「それでも、バカなことを考える奴らは増える一方でな。…アールツト家の功績や活躍が広まった今では、世界中の国にアールツトの名は知れ渡り、その秘密を探ろうともしくは、アールツトの血を手に入れようと思う人間が増え続けている。嘆かわしいことだが、我が国の民がそう言った奴らに協力をして多額の富と引き換えに私たちアールツトの情報や一族の人間を売り飛ばすのだ。……そんな中で、今回の「狂犬病」だ。誰もが知らない恐ろしい感染症の正体を突き止め、さらにはワクチンや抗毒素を作り出しイスラ王国の崩壊を助けた。そんなことをやってのけたアールツト侯爵家の人間がいると知れ渡れば、「ただのアールツトの血を引く者」ではなく「アールツトの血を引く優秀な医療従事者であり女のアヤメ」に狙いを変えるだろう。」
そう、それだけ今回アヤメのしたことは大きかった。未知の感染症。食い止めなければイスラ王国は滅び、インゼル王国だけではなく世界中の国々が地図から姿を消してしまう可能性があった。それを13歳の少女が止めたのだ。それは考えられないような偉業だった。それに、感染症を食い止めるほどの技術と腕を持っているのであれば、その逆を利用しようと考える輩もいるだろう。テオはその危険性を正しく理解していた。
「アヤメの知識と手腕、想像力と創造性。これらは治癒魔法を使役できないことと差し引いても釣りがくるほど価値があるものだと俺は考えている。イスラ王国内ではアヤメに関してはかん口令をしいてもらったが、人の口に戸は立てられん。実際にアヤメの姿をみたイスラの国民の間ではアヤメはもはや英雄だろう。我が国においては、アヤメの評判はあまりよくなかったようだが、今回の件で陛下から褒章が与えられればどうなるかは明確だ。叔父として、今まで不遇の扱いを受けてきた姪が認められるのは大変喜ばしく誇りに思うが……だが…俺は……アヤメを亡き妹の様にに失いたくはない……。」
一瞬クエルトの顔が歪んだように見えたが、次の瞬間にはまたいつもの表情に戻っていた。テオはその言葉に、騎士団の古参の先輩から聞かされた話を思い出した。アールツト侯爵家の当主の実の娘が白昼堂々誘拐され、遺体で発見された事件だった。それが彼の妹なのだろう…。そう思えば胸が張り裂けそうなほど痛んだ。この方の妹君を失ったように、姪であるアヤメ嬢まで失わせてなるものか…。と人知れずこぶしを握る。
「アールツトの名は大きくなりすぎた。…元はただのジプシーだったものが“治癒魔法が使える”というだけで大貴族になり光を浴びるようになった。…しかし、その代償として一族が払ってきたものがあまりにも大きすぎる。…正直な話、アヤメが生まれた時女の子と聞いて絶望した。あの子に妹のような未来が待っている可能性を知っていたからだ。だが、あの子の魔力がほとんどなく、治癒魔法を満足に使役できないと知ったとき…安堵したよ。治癒魔法がつかえなければ、たとえアールツトという名を背負いながらも、命を狙われ悲惨な思いをすることなく生きていけると思えたからだ。そして、それと同時に確信した。私たちは“治癒魔法の依存から解き放たれる時期”が来たのだと。」
クエルトは、まるで未来を見ているかのような口ぶりで話し続けた。その瞳は先ほどとは違い、希望に溢れている様に見えるほど輝いている。
「アールツトの歴史の中で治癒魔法が使えないのはアヤメだけだ。これが偶然か必然かは分からないが、治癒魔法を使えないアヤメは独自の治療法や薬を作り出し、治癒魔法と同じように治療でできる技術を開発し続けている。我が国の医療は、アールツト一族に…治癒魔法に依存している部分が大きすぎる。いくら、医療補助者や医師をおいたとしてもアールツトの人間と比べると知識も腕も圧倒的に足りない。しかし、あの子が育てている小さな医療従事者たち。彼らは成長すれば間違いなく国の医療に旋風を巻き起こし中枢を担う存在になるだろう。そして、彼らのような医療従事者が増え、アヤメの医療技術と知識が広まれば、治癒魔法と同じように治療しながらも誰でも使える身近な医療として、今よりもっと幅広い国民に医療がいきわたるだろう。………そのために…アヤメには貴族という身分から離れ今よりも自由で安全であって欲しい。」
クエルトの力強い視線がテオを正面から見据えた。テオはその強い視線に押されそうになりながらもしっかりと受ける。ジワリ…と脂汗が額に滲む。
「テオ・ノヴェリスト。お前は、実家の爵位を捨てて平民に下り、何者からもアヤメを守り、助け、支えることができるか?」
低く、まるで自分を脅迫するような…試すようなクエルトの声にテオはしっかりと腹に力を入れてクエルトに負けないくらい強い視線を返した。
先ほどアヤメの婚約者に自分を推薦しようと考えていると言われた時には、なぜ?と理解ができなかったが…今はハッキリとその理由もクエルト隊長の想いも理解できる。
そして…………
何よりも………俺は………______
「私は、騎士団に入団した時より貴族の身分は捨てました。家督は兄に継がれるので、これから先も貴族になることはありません。アヤメ嬢の事は誰よりも、何よりも…大切に思っています。アヤメ嬢を支え、助けることができるのならばどんなことでも苦にはなりません。もし、許されるのならば、一生涯隣で守り続けると誓います。」
よどみなく、一言でい切ったテオは緊張した面持ちながらもその整った顔は今までクエルトが見たこともないほど“強い決意”に満ちていた。クエルトは、テオの言葉に一言だけ頷くとおもむろに剣を抜きその切っ先をまっすぐテオの眉間に向ける。
「その言葉。たがえることは許さんぞ?」
凄まじい覇気と共に剣先を向けられても姿勢も表情も崩さず、逆に先ほどよりも数段引き締まった顔でクエルトから視線を外さずにテオは……静かに誓う……。
「一生涯、違えることはないとこの右腕に誓います。」
「右腕」それは騎士にとって命よりも価値がある剣を握る唯一の利き手。騎士として誇りあるテオにとって、自分の利き腕である右腕を差し出すということは自分の命を差し出すよりも重いことだった。騎士としても生命を断たれて尚、生きていかなければいけない人生など地獄よりほかないのだから。
十分な間を置いた後、クエルトはゆっくりと剣を鞘に戻した。そして右手をテオの前に差し出す。差し出されたその手に戸惑えば
「アヤメを…頼む…。」
と静かな言葉が降ってきた。その一言にテオの心がジンっと熱を持つ。
先ほどとは打って変わって凪いだ表情で穏やかに目の前で微笑むのは……尊敬し慣れ親しんだ騎士隊長ではなく、姪を思う一人の叔父だった……。
「はっ…!」
テオはすぐにその手を取り固い握手を交わす。…その手に強い誓いを込めながら。
「まぁ、俺が推薦したところで本当に婚約者になるかはわからんが、叔父という肩書きは強力な押しになるはずだ。突然屋敷に呼ばれることもあるだろうし、婚約者になれば、アヤメの社交界デビューの時には王妃のパーティーにパートナーとして同伴することになるだろうから…心の準備をしておけよ。」
「!……善処します。」
自分の言葉に、先ほどまでの力強さが消えて突然歯切れが悪くなったテオにクエルトはクックと肩を揺らす。先ほどまでは板でも入っているのかと思うほど真っ直ぐに伸びていた背筋も、今は緩やかにカーブを描き猫背気味だ。
「まぁ、その時は相談くらいには乗ってやるさ。」
「はいっ!ありがとうございます!!よろしくお願いいたしますっっ!」
テオには珍しく声を張った返事にクエルトはゆっくりと破顔した。
どうか、可愛い姪が悲しむことが無いように。
どうか、己が信念を貫きアールツト一族の新たなる光となるように。
…どうか、幸せであるように。
そう、静かに願いながら。