4.侯爵令嬢の父は考える
ヒルルク・アールツトは伝統あるアールツト家の当主であり、王国一の医師。である。希少な「治癒魔法」の使い手である彼は他国にも名を馳せる偉人でもあった。
また、ヒルルクは他のアールツト家の一族とは違い、探求心と好奇心の塊のような男でいままで幾度となく実験や研究を繰り返している。妻には薬学の権威を迎え、跡取りの息子にも恵まれ、さらに研究に拍車をかけていた時、末娘の誕生によって人生で初めて足元が揺らぐ気がした。
愛する妻との間に授かりし、愛すべき娘。しかし、その幼い娘からは微弱な魔力しか感じ取ることができなかった。息子が生まれたときは魔力をなみなみと溢れさせてたこともあって、初めて娘を抱いた時に心の奥底でひそかに絶望を感じていた。
なんという事だ…。
誰にも気づかれることなく心の中でぽつりとこぼれた。
アールツト家に生まれたからには、「治癒魔法」の使役が絶対であり、それを周りに示すことでアールツト家として何百年も威厳と偉功を保っていた。しかし、自分の代になってそれを壊すような子が生まれるとは…。
小さな愛しい娘。アヤメを抱く妻にそっと寄り添った。いつも凛として、美しくたおやかな姿を見せてきた妻がその日、初めて涙をこぼした。
「申し訳ありません。」
妻の口から紡ぎだされた言葉に、心臓がぎゅっと締め付けられる。
いつも、献身的に私を支え助力し、知識を生かし私のために、人々のためにと尽くしてくれた。こんな風に、肩を震わせて涙を流させてしまったのは、私のせいだ。
妻は何も悪くない
アヤメも何も悪くない。
小さな小さな体で、妻にそっと手を伸ばすアヤメにどんな罪があるというのか。子供は天からの授かりもの。この子が私たちのもとを選んで生まれてきたというのならば、私は親としてこの子を守り、導く義務がある。
「それは仕方がないこと。魔力はみなが等しく持って生まれてくるが、星の導きにより、いつ魔力を得るのかも未だにわかっていない。この子は魔力こそ少ないが、全くないわけでは無いし、これから魔力が増える可能性だってあるだろう。もしかすると、魔力以外の特別な何かを持っているかもしれない。だから、そう自分を責めるな。」
妻に告げた言葉は自分自身にも言い聞かせた言葉だった。
妻は、自分のすべての知識をアヤメに授けると約束した。ならば私も
「私からも、治癒魔法など使えずともアヤメが不自由なく暮らしていけるように、私の持つ医学の知識と治癒魔法の知識を送ろう。アールツト侯爵家に生まれてきたことは魔力がほとんどないこの子にとっては酷なことかもしれない。しかし、私たちはこの子を守り、この子が自分で胸を張って誇りをもってアールツト侯爵家令嬢として歩んでいけるようにする責任がある。」
もてるすべてを授けよう。我が愛しい娘のために。
そして、息子にはアヤメの魔力の少なさを隠すことなく伝えた。アヤメが成長するにつれて、悩み、苦しみ、傷つくことがあるだろう。その時に、どうかアヤメを支えてほしい。力になってほしいと。
「わかりました父上。僕にできることは何でもします。アヤメは僕の愛しい妹です。その妹のためなら、何にも苦にはなりません。」
「ありがとう。シリュル。」
妻によく似た息子の言葉にこみ上げるものがあり、まだ幼い息子を抱きしめてそっと涙を隠した。
それから数年、アヤメが成長するにつれて、魔力が増えることはなかった。それでも、治癒魔法訓練や医学の知識は惜しみなく与え続けた。そのうち、アヤメは妻について薬学を学ぶようになり、シリュルと一緒に薬草畑や研究室で過ごす時間も増えていった。
「あの子は私をも超える薬学の権威になるかもしれません。」
「ほう。」
「考え方が奇想天外といいますか、今までおもいつかなかった調合や使用法を次々考え出してくるのですよ。」
「なるほど、それは面白い。最近、君までシリュルやアヤメと一緒に研究室に籠っていると聞いていたが、何をしているのかは教えてくれないのが気になるな。…3人だけの秘密かな?」
「ふふ。そうですよ。3人だけの秘密です。」
年齢を感じさせない、美しい微笑みに初めて会った時と同じように胸をざわつかせれば、妻はまるで娘の様に舌を出した。
「!…それはひどい。私も子供たちと共通の秘密を作りたいものだ。」
「あら、それでは、頑張ってくださいね。…アヤメは魔力が少なくても、それを補うための知識を吸収し、自分に合うように工夫し、努力を続けています。本当に…頑張り屋で可愛い子です。もしかしたら、いままでの医療の常識を覆す偉業を成し遂げるかもしれませんね。」
メスを握って、なれたように切開していくアヤメを見ながら妻の言葉が脳裏をよぎった。わずか8歳の子供がメスを握って開腹手術など聞いたこともない。私自身、メスを握ったのは15歳だった。それなのに、彼女は何のためらいもなく手を進めていく。その動作に一切の無駄はない。
それに、「麻酔薬」といったあの薬は彼女の発案で妻とシリュルと協力をしてもらい開発したらしいが。…使い方によっては、様々な場面でも活躍できるだろう。
「私は魔力が少なくて、お父様やお兄様のような治療はできません。でも、お母様の薬学知識とお父様の医療の知識を合わせて私なりに考えました。これが、私の治療法です。」
ざわり。
背筋震え、鳥肌が立つ。魔力が無く、治癒魔法がほとんど使えない娘。
「一人でも多くの人を救いたい。」その気持ちだけで、少ない魔力でできることを見つけ出し、自分に最適な方法で治療する方法を編み出し、必要なものを作り出した!しかもまだ8歳という年齢で!
…なんと素晴らしいことか!
「内臓の亀裂部分の手術は終わりました。このまま、斜骨折の手術に入ります。アリス、プレートとボルトを。」
「こちらに。」
「ありがとう。」
侍女のアリスが持ってきた見慣れない二枚の白い細長い板とボルトをみて私が尋ねるとアヤメは手を止めることなく説明してくれた。
「折れてずれてしまった骨を整復しプレートで挟みボルトで固定します。可動域にボルトが干渉しなければこのまま縫合して、骨が完全に修復したら再び切開してプレートを取り出します。プレートはそのまま入れておいてもいいのですが、この子は幼い。プレートを入れたままにしておくと骨が吸収してしまう可能性があるので、2か月後辺りを目途にプレートを取り出そうと考えています。」
答えを聞いてまた私は固まった。
骨のずれを修復してプレートで固定して治癒したら取り出す?…今まで骨折の治療といえば治癒魔法で骨を修復し、その後は自身の回復力と投薬によって完全な回復を目指すものだ。治癒魔法は完ぺきではなく、欠損や損傷は治せても、あくまで再生しただけで失った血液などは戻らない。また、魔法の力で再生を促すので患者に負担が大きい事もある。
それに比べて、アヤメの方法は時間こそかかるものの、確実に骨の接着をおこない、患者に無理なく回復時間を与えることができる。
治癒魔法に依存していた医療から脱却できる可能性もありうるのでは…?!
治癒魔法はアールツト一族しか使えないためその希少価値は計り知れない。その為、長い歴史の中で一族の者が誘拐されたり、治癒魔法の研究のために殺害されることがあった。また、一族の人間数は限りがあるので、国内に十分な医療が届いているとは言い難い。補助者として、知識のある者たちを治癒魔法の必要ない患者へ充てて、なるべく、貴族や平民関係なく、治療を施すようにしているがそこに不平や不満があるのは国の上層部にも悩みの種だった。
もし、アヤメの治療法が広まれば…今までよりも多くの患者を救える機会になるのではないだろうか?
「できた!…お父様、これで手術は全て終わりました。念のため今日は一晩ついて様子を見たいと思いますがよろしいでしょうか?」
考えているうちにアヤメはメスを置いて私に尋ねた。傷口を確認してみると、今まで見たことのない縫い目できれいに縫合されていた。
「ああ、かまわないが、今後の治療計画は決まっているのかい?」
「はい。まずは一晩様子を見ます。麻酔が切れてから、痛がるようでしたら、鎮痛剤を投与し、明日は様子を見て抗生物質と増血剤の投与を開始しようと思います。また、傷口の様子を見て少し体を動かし癒着防止をしていきたいです。早い段階から体を動かすことで、他の器官や筋肉の衰えを防ぐこともできますし、まだ子供ですので回復も早いと予想されます。抜糸は1週間後を予定しています。後ほど、治療計画と治療過程を纏めたものを提出いたしますので、ご確認とご指導をお願いします。」
なんと…ここまでとは!
わずか、8歳の子供がここまでしっかりと治療計画を立てるとは…。気が付けば自分の手が微かにふるえていた。
目の前にいるのはまだ幼い愛おしい我が娘。
しかし、彼女はこの国の、いや世界の医療を変える人物になるかもしれない。魔力が少ない、治癒魔法が使えない。そんなことは関係なく、アヤメはこの手術を成功させて見せた。その治療計画も完璧だ。これほどまでの才能を持った人間はアールツト一族の中でも他にはいない。
「素晴らしい。アヤメ…よく頑張ったね。今回の手術は症例として私のほうでまとめさせてもらいたい。最後までアヤメの好きにやってみなさい。判らないことや必要なものがあるときはいつでも私に言いなさい。」
「はい!ありがとうございます!」
にっこりとほほ笑む彼女は年相応に見える。
まだ8歳…。これから先どんなふうに育つのか。ヒルルクは人知れず娘の未来に想いを馳せた。