46.侯爵令嬢とイスラ王国-13
「よくお似合いです。」
イスラ王国の民族衣装である、長衣を身にまとい髪を半分結い上げた私の姿を見て、城仕えの侍女の羊の獣人はにこりと鏡越しにほほ笑んだ。
騎士団の制服が無残な状態になってしましい、着るものが無くなった私にイズミ様から贈られてきたのは、中国の歴史ドラマのお姫様が着ていそうな、美しい衣装だった。ドレスが主流のインゼル王国ではめったに着ることができない、着物に近い衣装に自然と心が弾む。
「ありがとうございます。」
「とんでもございません。こちらの簪もよくお似合いですよ。さすがユザキ様。アヤメ様にお似合いになるものをよく知っていらっしゃいますね。」
ふふふ。とほほ笑まれて結い上げた髪に押された簪の角度を調整する侍女に、思わず顔に熱が籠る。
ユザキ様との「頬ベロン事件」の後、私はユザキ様と会うたびに顔が赤くなる症状に悩まされている。対するユザキ様はそんな私を見てどこか楽し気で、少し悔しい気もするが今の状況では太刀打ちできる気がしない。さらには、城中の獣人たちが私を見る目が少し生温かい気がする。特にユザキ様と一緒にいる時は皆一様にニコニコとしてすぐに立ち去ってしまう。…頬べロンを見られたからかな?恥ずかしくて顔が見られないとか?…いや私のほうが恥ずかしくて死にそうだけど。
イズミ様から衣装が贈られてきたのと合わせて、なぜかユザキ様からも綺麗な鼈甲の簪が送られてきた。送られてきた簪を見た侍女が何やら意味ありげに「まぁ、これは…。」とつぶやいたのも気になる。…そんなに高価なものなのかしら?
それを見た侍女が張り切って着付けをしてくれて今の私が出来上がったのだが…。
「…少し着飾りすぎではないでしょうか?皆さん大変な時期なのに。」
今日は明日帰国する私達の為にコウカ王が慰労会を開いてくれる。イスラ王国の上層部と私たちインゼル王国の騎士団を招いての小規模な宴だが、復興途中であり、多くの民が命を落とした中で宴など…と少し不謹慎にも思えてしまうのは日本人の性だろうか。
「そんなことはありません。嫌なことばかりで、暗い気持ちだった私たちに再び光を与えてくださったのはアヤメ様たちです。ささやかではありますが、私たちからのお礼の気持ちだと思って存分に着飾って宴をお楽しみください。」
侍女はそう言うと、モコモコの毛を揺らしながら最後の仕上げと言わんばかりに私の唇に紅を引いた。
いつもとは違う衣装に、いつもとは違うメイク。…うん。だいぶ良い感じではあると思う。侍女の様に素直に「私って美しい。」とは思えないけど…。
支度を終えて寝室を出ると、護衛の為に来ていたテオ隊長とユザキ様が迎えてくれた。着飾った私の姿を見て二人はどう思うのか。とりあえずユザキ様の顔は自分の為に見ないことにする。そうすると必然的に視線が言うのはテオ隊長だったが…。
「!・・・っ!」
「テオ隊長?」
今日も変わらず無表情と思われた彼は、口元に手を当ててすぐに私から顔をそむけてしまった。…あら?…やっぱり普段ドレス姿を見慣れているから、あんまり評価はよくないのかな?なんとなく気落ちしてしまう。
しばらくして、落ち着いたのかテオ隊長はいつも通りの無表情に戻ると「…よく似合っている。」と低い声で小さく褒めてくれた。耳が異常に赤い気がする。
なんか、言わせているようで申し訳ないけど、褒められると素直にうれしい。
「ありがとうございます。イズミ様からいただいた衣装なんです。」
「そうか。さすがはイズミ殿だ。アヤメによく似合うものを判っていらっしゃる。」
「あ、テオ隊長も正装なのですね。マントも装飾もよくお似合いです。」
「…そうか。」
最初にコウカ王に謁見したときと同じ正装姿のテオ隊長はいつもの数倍カッコいい。美丈夫の制服姿はどこの世界でも眼福ものだ。よく、前世で制服男子なる本を愛読していた同僚の気持ちが今はよくわかる。
「アヤメ。」
テオ隊長と話しているところに、別方向から声がかかった。「きた!」と内心思いながら、しっかりと呼吸を整え準備をして声の主へ振り返った。
いつもの軍服ではなく、黒地に金銀の糸で刺繍が施された長衣を身に着けたユザキ様は、私と目が合うとゆっくりと嬉しそうに金色の瞳を細めた。
くっ!着物男子もとい、着物獣人も破壊力が半端ない!負けるな私!
「ああ、よく似合っているな。我が国の衣装がこれほど似合うのは珍しい。」
「あ、ありがとうございます。」
褒められて嬉しい。が今はそれどころではない。気を抜けば真っ赤に染まるであろう顔を意識して、冷静さを保つ。ユザキ様がしゃべるたびに、口が動く度に、金の瞳で見つめられるたびに、頭に血が上りどうしようもない恥ずかしさが込み上げるのだから。
思わずユザキ様から顔をそむけるように半歩下がったとところで、するりと伸びた彼の尻尾が腰に巻き付き、くいッと逆に半歩ユザキ様に近づいてしまう。
「え?あ、あの!」
「簪も使ってくれたのか…綺麗だ。」
ぴえっ!!囁かれた甘い声に一瞬で私の思考回路は停止し、ボンッと顔を真っ赤に染め上げ爆発した。そのままあたふたとユザキ様から離れようと身じろいでいると、スッと私の肩に大きな手が乗った。
「失礼、ユザキ殿。アヤメが困っているようでお戯れはおやめください。」
低い言葉と共に肩に置かれた手に力が入り、そのままテオ隊長のほうへ引寄せられる。その拍子に腰に巻かれた尻尾が解ける。若干の冷気を感じさせるテオ隊長は、まっすぐにユザキ様に視線を向けていた。
「…それは失礼。」
ユザキ様はテオ隊長からの鋭い視線を待っ正面から受け止めると、どこか余裕を含んだ笑みを返す。でも、その笑みとは裏腹に若干の覇気が飛んでいるように見えるのは私だけではないはずだ。ユザキ様の尻尾がひゅんッと鞭のようにしなって、好戦的にテオ隊長に狙いを定めている。
「いえ。こちらも出過ぎたことを思いましたが、我が国では婚約者でもない男が女性に不躾に触れるのは不敬に当たりますので、ご注意ください。」
「ご忠告痛み入ります。以後肝に銘じておきましょう。」
…寒い。
急に部屋の温度が下がった気がする。二人の間から絶対零度の冷気がブリザードの様に吹き込んでくる。
2人のにらみ合いはクエルト叔父様がやってくるまで続いていた。やっと二人の冷気から解放された私はユザキ様、テオ隊長、クエルト叔父様、オッド騎士団長というそうそうたるメンバーに付き添われながら慰労会の会場へと向かうことになった。
…何だろう開始前から既に疲労を感じる。
慰労会の会場には既にコウカ王とイズミ様以外の参加者たちが揃っていた。イスラ王国の上層部の獣人たちは皆温かく私に声をかけてくれる。
一通り挨拶が終わった所でイズミ様を伴ったコウカ王が入場した。皆が迎える中、コウカ王はまっすぐ私のほうへ向かってくる。
「我が国の衣装がよく似合うな。…体調はどうだ?」
「お心遣いありがとうございます。体調はすっかり良くなりました。本日はこのような素敵な宴を開いていただき感謝申し上げます。」
「そうかしこまらずとも良い。今日は内輪だけの小規模な宴だ。存分に楽しんでくれ。」
「はい。ありがとうございます。」
慰労会とは言えどパーティというよりは食事会に近い。一番上座の所謂誕生日席にコウカ王が腰を下ろし、そこから右側に私、オッド騎士団長、クエルト叔父様、テオ隊長。左側にはイズミ様、上層部の人達が腰を下ろしている。ほかにもいくつかのテーブルが用意され、ユザキ様たちや騎士団が腰を下ろした。
コウカ王が開演の挨拶を終えたのを合図に料理が次々に運ばれてくる。どれも、インゼル王国では目にかかることができない、中華料理のようなもので思わず目が輝いた。
「ふふ。気に入るものがあったらレシピを渡しますよ。」
子供の様に料理を眺めて目を輝かせる私にイズミ様が声をかけてくれる。それに少し恥ずかしくなりながらも素直に返事をした。インゼル王国では洋食が基本だから、日本人だった前世を持つ私には米を使った料理はやはり魅力的だ。
「食べたいものがあれば遠慮なく給仕させろ。食べることは生きることだ。食べれば体調も戻りがよくなる。アヤメは少食だと聞いたが、もっと食べなければ良い身体にはならんぞ。」
「はい。」
コウカ王は綺麗な所作で、肉食獣の名に恥じない豪快さで肉の塊を口に運んでいく。やっぱり獣人の人は食べる量が多いな。騎士団の人達もよく食べるほうだとは思うけど、一口の大きさも量も違いすぎた。コウカ王には申し訳ないが、私には到底真似できない。ちなみにイズミ様は肉ではなく魚料理ばかりを選んで食べていた。意外な一面に思わず尋ねれば「昔は肉も食べましたが、最近は年のせいか脂身が多いものは胃が凭れるんです。」と穏やかに微笑んで答えてくれた。白鷲…というか獣人の方の年齢は見た目からは分からないが、お母様が私くらいの時から師事していたというし…結構なお歳なのかしら?
食事とデザートが済み、そろそろお開きかと思っていたところでコウカ王が口を開いた。
「黒髪の魔法使いの件でいくつかわかったことがある。」
和やかだった雰囲気が水を打ったように静まり一瞬で空気が張り詰めた。
「村を細かく調べなおしたところわずかながらに痕跡が見つかった。痕跡をたどるとどうやら奴は南に向かっているようだ。あの村はほとんど国境に近いところにあるからすでに我が国からは出国している可能性が高い。」
「南…というとオースラフ王国ですか?」
私が尋ねるとコウカ王はゆっくりとうなずいた。
「オースラフにはすでに遣いを出している。それらしき人物を見かけたら直ちに拘束し我が国に引き渡してほしいと言っているが、未だ連絡はない。まだ、どこかに潜んでいるのか…それともあのサルの様に誰かに取り入ったのか…。」
スパンっと床にコウカ王の尻尾が叩き付けられた。その音に意図せず背筋が伸びる。イズミ様がコウカ王の話を引きつぐように、手元の資料をめくり読み上げた。
「引き続き私のほうでの調査を続けていますので、進展があり次第すぐにインゼル王国へもご報告します。そして、モエイ・ナカールの件ですが確かに我が国に出生の記録がありました。16歳でインゼル王国の商人、サベイル・クオンに嫁ぎその二年後にカタールが生まれています。それ以降モエイもカタールも我が国への入国の記憶はありません。」
「まだ、黒髪の魔法使いとアヤメ襲撃の犯人そしてカタール・クオンが同一人物かは決まったわけではないが、同一人物だと考えるほうが話の筋が通るな。…今のところは…。」
「我が国でも、カタール・クオンの痕跡を今一度洗い直しておりますが、何分時間がかかるとのことです。引き続きアヤメ嬢には護衛を付ける予定でおります。」
コウカ王に頷きながら、オッド騎士団長が低い声で告げる。カタール・クオンがインゼル王国から消えたのは10年以上前。その痕跡をたどるのはきっと困難に近い。それに、もし私を狙っているのだとしたら、首謀者が黒髪の魔法使いだとしても、共犯がいないとは言い切れない今は警戒を強めるしかない。誰かに狙われているかもしれないと思うと、怖いけど騎士団が守ってくれるなら安心できる。でも、私も自衛できる手段を何か用意しておいたほうがいいのかもしれない。
「それがいい。アヤメが今回狙われた理由は狂犬病菌関連だと思われるが、いまだ理由が定かではない。昔からアールツト侯爵家の人間は狙われることが多いからな…しかもアヤメはアールツト一族の血を引く貴重な若い娘だ。用心に越したことはないだろう。」
「はい。…ご忠告痛み入ります。」
オッド団長に倣ってクエルト叔父様とテオ隊長がコウカ王に首を垂れた。私も同じように頭を下げる。その時のクエルト叔父様の顔には深い絶望と悲しみが浮かんでいて、私の心も微かに痛む。きっと、クエルト叔父様は今は亡き妹のジュリエ叔母様を思っているのだろう。
ジュリエ叔母様はお父様、アンリ叔母様、クエルト叔父様の末の妹でとても魔力が多い人だったと聞いている。幼い頃から優秀で才色兼備の美しい侯爵令嬢。しかし、それが思わぬ悲劇を生むことになった。ある日、街に買い物に出ていたジュリエ叔母様は何者かに襲われた。16歳だった叔母様は従者たちの抵抗むなしく連れ去られ、その半年後ネーソス帝国との国境付近の辺境伯の屋敷の地下牢で遺体となって発見された。その時、叔母様のお腹は大きく膨れ妊娠していた状態だったという。複数人から性的暴行を受け、精神錯乱状態にありながらも「アールツト一族の血を引くこの子を他国に渡すわけにはいかない。」と遺書を残し自ら命を絶ったという。
その話を語ってくれたお父様の大きな拳を力一杯握り絞め、こぼれる涙を堪えることなく、守り切れなかったと自分を責める姿は今でも鮮明に覚えている。
「アールツト家の女に生まれたからにはそう言う覚悟も必要だ」
と最後に静かに言ったお父様の思いを私は決して忘れないだろう。そして、私だって簡単に負けはしない。…もうお父様や叔父様に悲しい思いはさせない。
頭を上げた後に私と目が合って、哀感を滲ませた笑みを見せたクエルト叔父様を見ながらそう強く思った。