45.侯爵令嬢とイスラ王国-12
「さて…。そろそろお話していただけませんか?オウメ大臣。」
明るい日差しが差し込みながらも、無機質な部屋の中央。簡易なテーブルセットに腰を下ろして、お気に入りの茶葉で入れた紅茶をたしなんだイズミは、向かい側に座る猿獣人のオウメに穏やかな声をかけた。
「…話す事など何もない。私は何も知らない。」
同じようにお茶を用意されながらも手を付けることもなく、鋭くイズミをにらみつけるその顔は普段よりも赤らんでいる。
「困りましたね…。私はあまり手荒な真似は好きではないのですが。」
嘴をカチカチと鳴らしてため息をつくように羽腕を顎に添えたイズミは懐から二つの試験管と注射器を取り出した。それを見たオウメの顔色がどんどん青く変わっていく。
「…おや?こちらが何かご存じでしたか?」
「…我が国では非人道的な拷問や自白強制は禁止されている。」
「もちろん存じております。こちらは自白剤ではありませんし、苦痛を与えるようなものではありませんよ。」
「…ではなんだというのだ。」
ごくり。とオウメが唾を飲み込む音が部屋に響く。それに少しだけ楽しそうに目を細めたユザキは試験管の一つを取り上げて見せた。
「…狂犬病菌です。」
「!!?」
途端にオウメの体がガタガタと揺れだす。その顔は恐怖で塗りつぶされていた。
「私も研究者のはしくれですから、今回の感染症には興味がありまして。独自に感染者から狂犬病菌を採取しました。そして、こちらはインゼル王国にて開発された抗毒素です。」
もう片方の手で残りの試験管を持ち上げる。オウメは最早何も言葉を発することができず。ただイズミの動きから目が離せなかった。
「さて、オウメ大臣…、もう一度お尋ねします。貴方は誰の指示で狂犬病菌を広める手伝いをしたのですか?」
コロン、コロンと両手で狂犬病菌の入った試験管と抗毒素の入った試験管を見せつけるように玩ぶイズミはオウメに鋭い視線を向ける。その視線に肩を大きく震わせながらもオウメは「知らん。」と言い放った。
「そうですか。では、答えていただかなくて結構ですので、オウメ大臣には私の研究にお付き合いいただきましょうか。」
「な、何を馬鹿なことを!たかが参謀総長の分際で大臣である私にそのようなことをする権利はお前にないわ!」
叫ぶオウメを無視して、イズミは注射器で狂犬病菌を抽出する。そして、軽く目配せをすると音もなくオウメの後ろに獣人が2人現れ、彼を椅子に拘束ベルトでしばりつけた。
「やめろ!お前達、こんなことをしてただで済むと思うなよ!私を誰だと思っている!この国の大臣だぞっ!!こんなことをしてただで済むと思うなよ!!」
唾をまき散らしながらオウメは叫ぶが獣人たちは特に反応することもなく、拘束を終えるとイズミの後ろに控えた。
「彼らは私の私兵です。たとえ相手が国王陛下であろうと私以外の命令には従いません。」
そのまま、イズミはオウメの横に立つと嫌がる彼の顔を鷲掴んで、耳元でそっと囁いた。
「ちなみに、貴方はもう大臣ではありませんよ。先ほど大臣としての権利をはく奪しました。…私の権限で…。」
「?!」
言葉を発することができないオウメの目が皿のように開かれ、眼球だけがイズミにギョロリと向けられる。それを見たイズミは楽しそうに目を細めた。メキメキとイズミに掴まれたオウメの顔から骨のきしむ音がする。
「大臣格の者たちには知らされていない事ですが、研究に付き合ってくれるお礼に特別にお教えしましょう。私は、表向きは参謀総長ですが…本来はこの国の摂政なのですよ。」
「!!」
「貴方の好きな権力や権利の話をするならば、私はこの国で王に次いで二番目の権力を持ち、王と同等の権利を持ちます。…お判りいただけましたか?」
最早驚きすぎてなにも反応できないオウメから顔を離したイズミは、体毛が覆う彼の首に注射器の針をそっと押し当てた。
「さて、オウメ大臣…、もう一度お尋ねします。貴方は誰の指示で狂犬病菌を広める手伝いをしたのですか?」
「…。」
「まぁ、答えてはいただけませんか。」
チクリとオウメの首に注射針が刺さった。
「今から狂犬病菌を貴方の体に注入しますね。この注射器1メモリ注入するたびにもう一度同じ質問をしますので、答えたくなったら教えてください。」
「…っつ!!!!」
「ああ、ちなみに。私が抽出した狂犬病菌は濃度がとても高いのでこの注射器一本分で成人の獣人3人分に値します。…もしかしたらインゼル王国の抗毒素も効かないかもしれませんね。あの抗毒素は試験管一本で成人の獣人1人分ですから。」
イズミはガタガタと震え、恐怖に怯えるオウメの顔を見てことさら優しく笑って見せる。
「さぁ。貴方はこの恐怖にどれくらい耐えられますか?良い研究結果を期待してますよ。」
「やめろおぉぉぉぉぉぉお!!!!!」
無機質な部屋に誰にも届くことがない叫び声がこだました。
「入るぞ。」
ノックも無しに部屋に入り込んだコウカ王は、中の惨状を見てその獅子の顔を不快に歪ませた。
「これはこれは陛下。お出迎えもせずに申し訳ありません。少々立て込んでいたもので。」
恭しく礼をとってコウカ王を迎えるイズミの後ろには、尿を垂れ流し泡を吹いて気を失っているオウメが椅子に拘束された状態で床に転がっていた。
「俺が来るまで待てなかったのか?」
「お待ちしておりましたが、何分到着が遅れているようなので私のほうでおもてなしをさせていただいておりました。…まぁ、少々効きすぎたようですが。」
ゴミでも見るようにオウメに視線を投げたイズミにコウカ王はため息をこぼした。
「お前はいつもやりすぎる。…精神崩壊をしたらどうするつもりだ。」
「その時はその時ですよ。精神崩壊していようが使い道はありますから。」
「アヤメが見たら嫌われるぞ。」
「おや、それは困りましたね。ならば、知られる前にこれは処分しましょうか。必要な情報は聞けましたから。単なるビタミン剤だったのですがね…。」
先ほどまで使用していた注射器をポイッとテーブルに投げ捨てたイズミは片手をあげ合図をする。すると音もなく現れた獣人たちによって、オウメとそこにあったテーブルセットが速やかに部屋から運び出されていった。
豪奢に整えられた応接室に移動したイズミとコウカ王は、テーブルをはさんでゆったりとソファに腰を下ろした。
「それで、あのサルから聞き出した情報はなんだ?」
「はい。感染症が始まる一週間ほど前に全身ローブ姿の人物が現れ、紙を渡して来たそうです。渡された紙にはオウメ大臣の不正の数々が書かれており、協力を脅されたと。さらに、この計画がうまくいけば、イスラ王国をオウメ大臣にくれてやるとまで言われたとか。」
「ふん。下らんな。」
「…。会話はしておらず、全て紙でのやり取りだったそうで、相手からの要望は①自分を密入国させること②過疎地域の村を準備すること③村の事は合図があるまで国から隠す事。の三つが書かれていたそうです。オウメ大臣は指示書通りに動き、狂犬病の感染拡大が始まってからは私がインゼル王国へ向った事、アールツト侯爵家がワクチンを作成し始めたこと、アヤメの事を逐一村へ息子たちを通して報告していたとのことです。アヤメを狙ったのがローブの人物なのかは不明。アヤメたちが村へ行ってからローブの人物からは連絡は無いし、こちらからの連絡の手段は無いとのことでした。」
「…ローブの人物の身体的な特徴は?」
「オウメ大臣より背は高い。それ以外は髪の色も性別も獣人かどうかも判らなかったと。…結局有力な手掛かりは掴めませんでしたね。」
「黒髪の魔法使いと狐の子供は言っていたらしいが、もし、子供が実在しない状況でアヤメたちに会っていたとしたら、その言葉信じるに値するか?」
コウカ王の問いにイズミは一度逡巡したあと、どこか遠くを見るようにして口を開いた。
「死して尚、母を助けてほしいと縋ったその強い思いは信じる価値があると私は思います。子供には不思議な力があると昔から言われていますし。仮に、それが相手の思惑通りだとしても…私は子供の味方でありたい。」
その表情はいつもの穏やかなものとは違い、悲しみにおおわれていた。その悲しみの正体を知っているコウカ王は「そうか。」と短く返すと、イズミと同じ方向に視線を向ける。その先にあるのは、小さなオルゴールだ。
「何にせよ、ローブの人物と黒髪の魔法使いが同一人物か調べる方法は無くなったな。あとは、そいつが潜伏している可能性だ。」
「怪しいところは全て探しましたが、未だに痕跡一つ見つかっておりません。自然が多いところはさすがに探しきれていませんが…狂犬病による感染が収束して、その人物の計画が終わった今、イスラ王国に滞在する意味は無くなったのではないかとおもいますが。」
「…そう考えればそうかもしれないが…、今回の騒動を起こした動機と目的が不明なままなのがどうにも引っかかるな。」
「そうですね…。」
様々な憶測が飛び交うが、今の所はそれを裏付けるものも証拠もない。完全に行き詰ってしまった二人は大きくため息を着いた。
「アヤメはもうすぐ帰国するだろう?」
「ええ、今週中にはそうなるかと思います。」
「ならば、少しでも不安を取り除いてやりたかったのだが。襲撃事件の犯人が不明でまだ自分が狙われているかもしれない。などと不安を残してやるのは可哀そうだ。」
「そうですね…。我が一族の影を放ちます。国内各地に散らしてある者たちにも連絡をしておきます。」
「なんだ?珍しいな。イズミが自らカードを切るなんて。」
にやりと口角を上げて意地悪く見せたコウカ王を気に留める言葉くイズミは優雅に首を垂れた。
「我が国の為、愛弟子の愛する娘の為なら持てる手を全てでも打ち出す所存ですから。」
イズミを横目で見たコウカ王はふんっと鼻を鳴らして、紅茶に口を付けた。
黒髪の魔法使い・ローブの人物・動機と目的。国の復興への道筋、民への支援。
考えることは山ほどあるし、やるべきことも山の様に溜まっているコウカ王はつかの間の休息に深いため息をこぼした。