36.侯爵令嬢とイスラ王国-3
*この物語はフィクションです。登場する、医療記述、その他のすべては現実する物とは異なりますのでご注意ください。
*残酷・流血・グロテスクな表現有
イスラ王国の医療部隊にワクチンと抗毒素の使用方法と注意事項を説明し、医療部隊にはこれから感染の広がりそうな地域にそれぞれ班に分かれ予防接種に向かってもらった。
私はアールツト侯爵家から送られてきた追加のワクチンと抗毒素をもってユザキ様と騎士団と共にイスラ王国の南東部の都市へ向かっていた。今一番感染が広がっている地域で、感染者や狂暴化した獣人達が最も多い場所だ。
都市に近づくにつれて、街道の樹や建物の破損が目に付くようになる。
「これは…。」
「狂暴化した獣人たちの仕業だろう。血の匂いもどんどん濃くなっている。」
「狂暴化した獣人たちが潜んでいる可能性もある、隊列を崩すな。」
ユザキ様とテオ隊長の声に騎士たちは剣を鞘から抜いた。ユザキ様の部隊の獣人はしきりに鼻を動かし辺りを警戒しているようだ。
都市に入ると、まるで戦場の後の様だった。いたるところに血痕や血だまりが残され。ところどころ黒く煤けている。少し向こうに黒く細長い煙が上っていた。
「火事かしら?」
「いや…あれは恐らく…火葬だ。死んでしまった感染者を10人単位でくみ上げて焼いている。そうしなければ、死体の処理に間に合わない。残った骨は土中に埋めるが、人数が多すぎるので大きな穴を掘ってそこに合同葬になる。」
「!!」
ユザキ様の言葉はあまりにも衝撃的だった。日本人だったので火葬は身近にあったが、その方法がもはや故人を偲ものではなく、義務的なものになりつつある。それは、それだけこの国が、民が疲弊しているという事だ。死が…身近になりすぎている。
ユザキ様に案内されてたどり着いたのは都市の中心部にある講堂だった。周囲には何人もの軍人の獣人たちが警備している。
「この中に感染者がいます。発症して狂暴化しているもの達は地下牢に収容しているはず。…生存者がいればいいですが。」
「とりあえず行きましょう。まずは患者を確認しないことには始まりません。」
ユザキ様の言葉にクエルト叔父様が答え先を促した。
講堂の中の広い空間にはびっしりと様々な種族の獣人が並び、床に寝かされていた。
「…ひでぇ。」
騎士団の誰かの声がする。初めて惨状を目の当たりにしたリンデル王国の騎士団と私たちは一瞬、目の前の光景に怯み足を止めた。
「ここは、まだいいほうです。薬師も人数が確保されていて。室内に感染者を寝かせることができています。…他の地域や人里離れた村では感染者を野ざらしでおいているところも少なくなありません。」
にわかには信じられない言葉だった。野戦病院のほうがはるかに恵まれている。床に寝せられている感染者たちはみんなひどく苦しそうで、咳やうめき声が聞こえてくる。
「0番隊は感染者の症状を確認後、速やかに抗毒素の投与にはいれ2番隊は0番隊のサポート。その後の看護については薬師と相談し適切な処置をすること。ヴァイス、この広間はお前に指揮を任す。」
「はっ。」
クエルト叔父様の指示にヴァイスさんが素早く答え、0番隊と2番隊の騎士たちはいっせいに感染者のもとへ散った。リンデル王国へ入国する前に、私の護衛としてくる騎士たちにはあらかじめワクチンと抗毒素の作用、投与の仕方などをレクチャーしていたため、普段は医療活動に参加しない2番隊の騎士たちもスムーズに処置やサポートには入れている様だった。
「1番隊はこのまま私共にアヤメ嬢の護衛に着け。3番隊は薬師の援助と物資搬入。4番隊はイスラ軍の警備兵と連携を取り周辺を警戒しろ。」
「「はっ。」」
今度はテオ隊長が指示をだす。統率のとれた動きで騎士たちは指示通りに動き出した。
「ユザキ殿、地下牢へ案内していただいてもよろしいでしょうか?」
「承知しました。何から何まで、助けていただき恩に切ります。こちらです。マスクを着用ください。ここから先は衛生環境がよくありません。」
テオ隊長、クエルト叔父様に軽く頭を下げたユザキ様はそのまま行動の奥の扉を入り私たちを促した。
ピチャンっピチャン…。
水が冷たい床に落ちる音が響く地下牢は鼻を刺すような刺激臭と血の匂いが漂っていた。マスクをしていても匂いがキツイ。
「グルルルル!」「グアッウ…!」
薄暗い空間に獣の唸り声が響き、思わず近くを歩くテオ隊長のマントを握り絞めた。
「!すいません。」すぐに離そうとしたが、大きな手でそれを遮られた。
テオ隊長が許すように頷いてくれたので恥ずかしながらそのまま握らせてもらうことにする。グロテスクもスプラッタも平気だが、暗闇とホラーは苦手である。
ユザキ様の部隊の獣人たちが地下牢の明かりを強くする。
「!!…酷い…。」
私の小さな声が地下牢に響いた。
奥に伸びる通路を挟むようにして作られた鉄格子の牢。その中には何体もの獣が所狭しと押し込められていた。獣たちは皆口からよだれを垂らし、牙を見せて唸り他の獣を攻撃しようと鋭い爪を伸ばしている。そして、その足元には無惨に喰い散らかされた肉や皮、臓器が糞尿と一緒に散らばっていた。
「今は薬で興奮状態を抑えていますが、長くはもちません。薬が切れればまた暴れだし、同じ牢内の者同士で殺し合いが始まるでしょう。狂暴化すると獣化してしまい、元の獣人の姿には戻れません。」
「ここの獣人の皆さんは発症してどれほどでしょうか?」
「2~3日と聞いているが。」
発症して2~3日なら昏睡状態にはならないだろう。まずは抗毒素投与の為に牢の中の獣人たちにおとなしくしてもらうのが先だ。
「わかりました。…では、まず皆さんには眠っていただきます。」
「それは…どういう意味だ?」
「ご安心ください。文字通り眠っていただくだけです。皆さんは私の後ろまで下がってください。ポイズ、エーデル。」
「はい。」
「はい、お嬢様。」
私の呼びかけに、下がった騎士たちの間からポイズとエーデルが前に進み出た。
「ポイズ、効果は2時間。牢内にいる獣人全てに麻酔をかけます。適切な量と濃度を計算し、気化しなさい。」
「承知いたしました。」
ポイズはざっと地下牢を見渡した後、医療バックとは別に背負っていたリュックから麻酔薬の液体が入った瓶を3本取り出し、火魔法を使い気化していく。
「…それは…?」
「この液体は麻酔薬と言います。この子たちは私専用の医療補助者ですのでご安心ください。まだ、幼いですがアールツト侯爵家総出で育て上げましたので、きっとお役に立つかと思います。」
「ア―ルツト侯爵家総出で…。」
ユザキ様の質問に答えながら今度はエーデルに視線で促す。するとエーデルは心得たと言わんばかりに頷き、両手で輪を作り風を起こした。そのまま、ポイズの方へ手を向けると、容器から出た黄色の空気となった麻酔薬は、エーデルの操る風に乗って牢の中の獣人たちを包み込んだ。
しばらくすると、パタリ、パタリ、と獣人たちが倒れていく。
「なっ!?」
「ご安心ください。眠っているだけで害はありません。ポイズ、説明を。」
「はい、お嬢様。麻酔薬はお嬢様が作られた薬です。脳と神経に作用し深い眠りに落とします。後遺症はありませんがまれに副作用として吐き気が出る場合があります。症状は一過性のもので心配はいりません。今回使用したのは獣人用に僕が少し改良を加えたものです。効果は約2時間を目途にしていますが、抗毒素の投与の進行具合に合わせて、麻酔の深さを調整することも可能です。念のため、定期的に心肺機能の確認をさせていただきます。」
「そんなことが…。しかも、まだこんなに小さな子供なのに…。」
ユザキ様だけだは無く、ポイズの説明を聞いた騎士達からも驚きの声が上がっていた。彼らは私の秘蔵っ子。将来的にはメディカルチームとしてパートナーになる人材。
その辺の医療補助者や医者とは違うんだから!
ポイズとエーデルの成長を褒められて私までどや顔にならないように気を付ける。
どう?うちの子すごいでしょう?とてもいい子で勉強もできるんですの!
すごいでしょ…げふんっ…この数年二人の頑張りが認められたのだと思うと私も嬉しい。
「お嬢様?」「どうされました?」
2人に覗き込まれて、親指を立ててサムズアップをする。よくやった!とほほ笑んで見せると二人はうれしそうに破顔した。
「よし、ではさっそく抗毒素の投与に取り掛かろう。」
「はい。」
「では、我々は牢内の清掃をする。抗毒素を投与した獣人たちは速やかに第二室へ運び出し、薬師に体を清潔にするように伝えろ。」
「「はっ!」」
クエルト叔父様の指示で私たちはいっせいに抗毒素の投与を開始する。抗毒素はワクチン同様に注射で投与するが、ワクチンの様に筋肉注射ではなく、早い効き目を望みたいので静脈注射になる。さすがに静脈注射は付け焼刃ではできることでないし、獣人は体毛があるため血管が見つけにくい。そのせいもあって、抗毒素の注射は私とクエルト叔父様、ワイズ、ポイズ、エーデルで行う事になった。
抗毒素を投与し、ユザキ様の部隊へ引き渡す。それを繰り返す事数10分。牢の中にいた獣人たちは一人残らず運び出された。
体を綺麗に清められた獣人たちの心肺機能を確認し、狂暴化しているときにできたであろう傷の治療もおこなう。やることは多くあったが、ワイズもポイズもエーデルも、そして騎士団も誰も文句を言うことはなかった。
「非感染者へのワクチン接種、並びに感染者への抗毒素投与完了しました。」
「支援物資搬入、および講堂内のがれき撤去修復作業完了しました。」
先ほどの指示を完了した騎士たちが次々に報告に来る。みな無事に任務を終えたようでホッと息をついた。
「では、抗毒素の効果を確認してこの場での任務は完了ですね。」
「ああ、そうだな。」
「お嬢様、発症感染者の血液検査の結果が出ました。狂犬病菌は全滅しておりました。念のためご確認ください。」
タイミングよくワイズが持ってきた血液検査の結果をクエルト叔父様と一緒に確認する。簡易検査の結果ではあるが、この数値なら体内にいる狂犬病菌は全滅しただろう。思わず叔父様と顔を見合わせ頷き合う。
「成功だ!」
「はい!!」
私たちの言葉を聞いていた騎士団とユザキ様の部隊から歓声が上がった。
よかった。まずは一つ目の都市を救えた。
「イスラ王国の皆さん。大変な環境の中ご協力ありがとうございました。抗毒素の効果が確認されましたので、狂暴化した方々も目がさめた時には元に戻っているかと思います。また、ワクチンについては2週間以内に再度の接種が必要ですので、薬師の方々には引き続きよろしくお願いします。」
次の都市に向かう準備を完了した私は、見送りに来てくれた人々に声をかけた。皆、口々にお礼を言ってきてくれて、騎士団や隊長達も嬉しそうだ。
「そして…最後に…。」
不自然に盛り上がった丘の前にそっと花を添えた。ここに来る途中、エーデルと集めた道の脇に咲いていた野花達だ。そのまま、その場にしゃがみ静かに手を合わせる。騎士たちは胸に片手を上げて黙祷を捧げていた。その中で、ワイズ達はどうしていいかわからずに立ち尽くしていた。孤児の彼らにはこう言った事を教えてくれる大人はいなかったのかもしれない。
「お嬢様はどうして、手を合わせているのですか。」
小さく聞いていたエーデルにひとつ微笑んで、彼女のまだ幼い頭を撫でた。
「右手はこの世界にいる私たち、左手は黄泉の世界に旅立った人たち。その二つを合わせてる事で心を合わせて…成仏…黄泉の世界へ魂が迷いなく旅立てるように祈るのよ。」
そう教えてくれたのは、前世の幼い日に、亡くなった父の墓前で手を合わせていた母だった。この世界では日本のような死者の弔い方はしないが、この世界に生まれて生きていても、やはり中身は日本人の血が抜けきれず昔からしみついた方法になってしまう。
私の話を聞いたエーデル達3人は顔を見合わせて頷き合うと、私の後ろにしゃがみ、同じように静かに手を合わせた。それに目を細めて墓に向き直り、再び目を閉じて手を合わせる。
…死者への言葉を心の中で唱え、ゆっくり目を開ける。
先ほどとほとんど変わらない風景が広がっていたが、吹き抜ける風はどこかさわやかに感じられた。
さぁ、行こう。
まだ、私たちにはやることが残っている。
焼け落ち、血がついた建物に囲まれた路地。遥先まで続いているその先を見ながら私は足を進めた。