33.騎士隊長の晩酌
イスラ王国への入国を翌日に控えた夜。
「おーっす。邪魔するぜ。」
騎士団専用の兵舎。その上階に位置する1番隊隊長テオの部屋に、ノックもなくレシが入ってきた。手には相変わらず、酒瓶とつまみが入っているだろう袋が握られている。
「…ノックをしろ。そして、なぜ来た?」
「固いこと言うなよー。明日の準備を手伝おうと思ってさ。」
「手伝う気ならば、酒はいらんだろう。それに、もう準備は終わっている。」
「え?これは餞別だよ。俺は明日はいけないからな。」
慣れた手つきで勝手に食器棚からグラスを取り出して並べていくレシは、ポンッと小気味いい音を響かせて酒瓶を開けた。
「荷造りが終わってるならちょうどいいじゃん!飲もうぜ?」
「…はぁ…。」
ため息をつきながら、グラスの用意されたテーブルにテオが付くと、レシは待ってましたと言わんばかりにグラスに並々と酒を注いだ。
「明日の事を考えると余り酒は飲みたくないのだがな。」
「まぁ、そう固いこと言うなって。明日から暫くは酒を飲む暇もないんだぜ?今日は飲み溜めておかないとな。」
「酒を飲み溜めるなど聞いたこともない。」
呆れたように言い放ってから、テオは酒を飲む。レシはテオの小言など気にせずに豪快に酒をあおっていた。
「しっかし、この間のアレには驚いたぜ。」
「…なにがだ?」
「ワクチンが完成した時だよ。…お前、アヤメ嬢とイスラ王国に行くためにわざと自分からワクチンの実験台に立候補しただろ?」
ゴホッゴホッ!
レシの言葉にテオが咽せ込み、眼だけでレシを睨みながらテオは何とか呼吸を取り戻すと手元にあったビーフジャーキーを投げつけた。
「食べ物粗末にすんなよー。」
「うるさい。お前が変なことを言うからだろうが。」
投げつけられたビーフジャーキーを口に放り込んだレシは、ニヤニヤと赤く染まったテオの耳を見つけて、さらに笑みを強めた。
「案外、思い切ったことするじゃん。見直したわ。」
「そんなつもりじゃない。俺はただアヤメ嬢の役に立てればと思っただけだ。」
「フーン…。もう何年も前になる治療の話をまだ引きずっているのなんかお前くらいだと思うけどな。」
「黙れ。」
そのまま酒に逃げたテオを見ながらレシは、手元のガラスを軽く揺らした。
もう何年も前になる治療の事。それを未だにテオが引きずっているのは、きっとその出来事がアヤメ嬢を初めて意識したきっかけになったからだろう。それからも、テオが演習時や鍛錬時にアヤメ嬢を目で追っていることを知っている。…まぁ、自分から話しかけたことはないようだが…。
「あんまりもたもたしてると、黒将軍に持っていかれちまうぞ?」
レシが叱咤するように手元のナッツをテオに投げつければ、テオはそれを咎めることはせず手に取ってジッと見つめる。そして、思い切ったように口に放り込んで酒で流し込んだ。
「…別に。俺には関係のない事だ。」
関係ないと言いながらも明らかに気落ちしたようなテオの表情にレシは一つ息を吐いた。…ガキかよ。と心の中で悪態をつきながらも、色恋に無関心だった親友の初恋はどうしても放っては置けなくて、面倒臭いと思いながらも世話を焼く。
「ふーん…。アヤメ嬢ももう13才だろー?そろそろ婚約者も決まるかもな。黒将軍ってアヤメ嬢とかなり親しい感じだったし、アールツト侯爵様も気に入っているみたいだし今のところは最有力候補…」
ガシャンっ!
話している途中でテオが握っていたグラスが砕け散った。それを見たレシは「何やってんだよー。」と片付けるのを手伝いながらもニヤリと口角を上げる。…効果ありか。確かな手応えを感じたレシは
新しいグラスに酒を注ぎ、受け取ったテオは、またそれ無言で酒を飲み始めたが、ふと思いついたように手を止めた。
「…アールツト侯爵家の人間は国外に嫁ぐことは許されない。」
視線をグラスに落としながら、ぽつりとテオがつぶやく。それを聞いたレシはますます笑みを強くした。アールツト侯爵家の持つ治癒魔法の国外流出を防ぐため、インゼル王国ではアールツト侯爵家の婚姻は国内に限ると法で定められている。それは国内外で有名な話だ。
「そんなもん、どうにでもなるだろう。それに、もしもの場合は黒将軍がインゼルに移住すればいい話だし。」
「それはイスラ国王が認めないだろう。あの方は巨大な戦力だ。」
「そこは国同士がうまく話をまとめるだろう。我が国の上層部は陛下を含め、アールツト侯爵家に甘いからな。特例とか作る可能性はあるぞ。二人の婚姻で両国の絆がますます深いものに…」
ガシャンっ!
再びテオの持っているグラスが割れた。
今度はレシも笑うことなく、溢れた酒を拭きながらテオを見上げる。相変わらずの無表情だったが、長年付き合ってきたレシにはその変化がしっかりと伝わっていた。
「…お前、本当に、いい加減素直になれよ。何を意地はってんのかしらねーけど、グラスを二個も割るくらいアヤメ嬢と黒将軍の事気にしてんだろ?」
「…気にしているわけではないが…ユザキ殿とアヤメ嬢の話を聞くのはイライラして無性に腹が立つ。」
だからそれを嫉妬っていうんだよ!!
喉まで出かかった言葉をため息で押し殺し、レシは新しいグラスを用意して酒を注いでやる。ただでさえ初恋は面倒なのに、20歳過ぎての初恋は面倒にプラスして拗らせまで乗ってくる。重いため息を吐いて、顔取り直すように姿勢を正し、ビシッと人差し指をテオに突き刺した。「指を刺すな」と言いながらもテオはそれを払うことはせずにガラスを傾ける。
「どうして、イライラするか教えてやろうか?それとも、イライラをなくす方法がいいか?」
「…そんなことができるのか?お前に?」
「まぁ、経験値が違いますから。…んで?どうするよ?」
テオはしばらく沈黙した後「考えておく。」とだけ言うと、また酒を飲み始めた。
「あーーーー!もう!何なんだよっ!?…ったく、イスラから帰ってきたら絶対答えてもらうからな!!ちなみに、アールツト侯爵家との婚約ならノヴェリスト伯爵家でも十分可能だってことを頭の隅に叩き込めよ!お前の言った通りノヴェリスト伯爵家なら国内の嫁ぎ先だぞ?ノヴェリスト伯爵子息殿!」
いつもは綺麗に縛ってある長髪をわしゃわしゃと揉み込んでテーブルに突っ伏したレシは吐き捨てるようにテオに言い放った。その瞬間、テオの目元にうっすら赤みが増す。自分の実家の事を忘れていたテオはまさかの指摘に珍しく、表情が歪んでいた。
「!!…っ変なこと言うな!…もう酔ったのか?」
「酔う訳ねーだろ?!はぁー…もういい。話を変えよう。テオが何か話題を振れ。」
「話題…そうだな…。」
一口酒を飲んで、表情を戻したテオはどこか遠くを見るようにして目を細めた。
「…アヤメ嬢が」
結局アヤメ嬢じゃねーか!!
テオの言葉に肩を落としたレシは、心の中で叫びながらもその静かな声に黙って続きを待つ。
「アヤメ嬢が、自分は国にとって価値のない人間だと思っていたことに驚いた。」
テオから告げられたものは想像以上に重かった。レシは思わず飲もうとして傾けたグラスをテーブルに置きなおす。
「…まぁ、アールツト侯爵家に生まれたのに治癒魔法をほとんど使えないのは、俺たちには想像できないくらい大変なんだろうな。」
気を治すように髪の毛を縛りなおして酒を飲めば、心なしか先ほどより酒が苦いように感じた。
「アヤメ嬢は幼い頃からたくさんの努力をしている。それを周りにいる者たちはきちんと理解して認めているはずなのだが…本人にはうまく伝わっていないらしい。」
「ああ。それは、そうかもな。でも、実際今回のワクチンの件も狂犬病の件も全部が片付いたら勲章ものだぜ。そうなれば、きっとアヤメ嬢にも周りからのきちんとした評価が伝わるさ。」
「…だといいのだが。」
「じゃあさ、お前がそれをアヤメ嬢に伝えてやれよ。」
「…なに?」
グラスの酒を気持ちよさそうに飲みほしてレシはテオに向かってビシッと指をさした。
「お・ま・え・が!アヤメ嬢に『みんなが認めるアールツト侯爵令嬢だ。』って証明してやればいい。そうしたら、アヤメ嬢はきっとお前を意識するし、自分の価値を正しく理解するはずだ。」
「…そうだろうか…。そうなのか…?」
「そうだ!だからそうしろ!!そして、もっと会話をする努力をしろ。思ってるだけじゃ何も変わらねーぞ?」
「…努力しよう。イスラ王国で俺は何があってもアヤメ嬢を守る。」
「ああ…。お前も、無事に帰ってよ。」
「わかっている。」
どちらともなくグラスを合わせる。
人間にも感染するという狂犬病。感染してしまえば100%死亡してしまうという恐ろしい感染症が蔓延する中にこれから足を踏み入れるお前が心配だったから飲みに来た、とは口が裂けても言えないが
…無事に帰ってこいと、レシは目の前で酒を飲む友人を見ながら強く願った。
…そして…
『アヤメ嬢はきっとお前を意識する』
『ノヴェリスト伯爵家でも結婚は可能だ。』
先程、テオにかけた言葉を思い出して、レシは苦く笑った。
いつかそうなればいいな…。
その時は…あのクソ親父にだって一緒に頭下げてやるよ。
「どうした?」
「いや?別に?それよりも、ほら、飲めよ!」
互いのグラスに並々と酒を注ぎ飲み明かして…今日も騎士隊長の夜は更けていく。
ここで第一部は完結になります。
第二部はイスラ王国編です。お楽しみに!