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31.黒豹と侯爵令嬢

*今回でユザキ将軍の過去のお話はおしまいです。

アールツト侯爵家での治療が始まった。

初めは、高熱と痛みに苦しんだが、奥方様の薬とヒルルク様の治療のおかげで一か月もすれば痛みと発熱が収まった。

しかし、ヒルルク様の治癒魔法を用いても腕の腐敗は治すことができなかった。


「…この奇病の治療薬も妻がもすぐ完成させるはずだ。腐敗の進行は止めたのでこれ以上他の部位を侵食することはないだろうが、両腕は…残念だが元に戻ることはない。言いにくいことだが、一度死んでしまった細胞は治癒魔法を用いても戻すことはできない。だから、腐敗した両腕を切断して新しい腕を作り直そうと思っている。」


ヒルルク様の言葉は一度で理解することができなかった。

切断して、新しい腕を作り直す?腕を付けるのか?機械のからくりのような?理解できていない俺に気が付いてヒルルク様はさらに説明を続ける。


「治癒魔法には創造再生の力がある。その力を使って切断部分からもう一度新しい腕を生やすんだ。」

「腕を…生やす…?」

「そうだ。…ただ、それなりに苦痛も生じるし体への負担も大きくなる。急激な再生に体が追い付かず数か月間、痛みや熱に耐える可能性や昏睡状態になる可能性もある。最悪な場合は、再生に生命力を使いすぎて寿命を縮める可能性もある。…ご両親には君の意思を尊重してほしい。と言われているのだが、どうだろうか?」


腕を切ってもう一度生やすなんて、現実味がなくて信じられなかった。しばらく逡巡した後ふと両腕に視線を落とす。包帯で巻かれた腕はもう何か月も感覚がない。固定しておかないとボロりと崩れ落ちそうなほど腐敗し、異臭を漂わせているコレ。

コレが無くなって…新しい腕が生えれば、また…。


「…腕は元通りになりますか?…また軍人として、みんなを守れるようになりますか?」


すがるような、願うような気持でヒルルク様に尋ねれば、彼はしっかりと頷いて、俺の肩に手を置いた。


「もちろんだ。」


見上げた先の紫の瞳はとても澄んでいて、宝石の様に強く輝いていた。その輝きがヒルルク様の確かな自信なのだとはっきりと感じる。それが、大きな希望となって胸に込み上げた。


「!!…じゃあ、お願いします!その治療、受けます!」

「わかった。ありがとう。最善を尽くすよ。」


肩に置かれたヒルルク様の手に力が入ったのがわかった。それに返事をするように大きく頷いて、俺は腹を決めた。…この人を信じる。…必ず腕を取り戻す!!

そうして、俺は腐敗した両腕を肩から切断した。


両腕切断と再生の手術が終わってから、想定していた通り高熱と痛みが始まった。両腕が燃えるように熱く、痛み、脈動する。意識を保っていることもつらく、終わりの見えない地獄のような痛みに苛まれる日々が続いていた。


「うーあーあー。」


いつから続いているのかも忘れるほど長い痛みに意識が浮上したところで、小さな声がした。それと同時に甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「ういーいー!」


声がどんどん近づいてくる。

…この匂い…これはアヤメか?この屋敷に来てからアヤメは何度か俺の部屋で過ごしていたが、いつもシリュルと一緒だったはず。目を開けることすらままならない俺は嗅覚だけで他の存在を探す。

シリュルの匂いも侍女の匂いもしない。…アヤメだけ?


「たーあ!あ!」


いつの間にかベットに上がってきたのかアヤメの気配をすぐ横で感じた。落ちたら危ないんじゃないのか?体を動かそうにも、痛みが勝って何もできない。せめて…と思い弱弱と尻尾を動かし何とかアヤメに巻き付けた。

そのせいなのかはわからないが両腕がまたジクジクと痛み出す。骨を溶かすような痛みにブワッと汗が全身から噴き出した。


「グっ…ふっ…!」


こらえきれない痛みに声が漏れた。


「ゆー?いーあー?」

「な…に…?」

「ゆー。」


なんとなくアヤメに話しかけられているような気がして聞き返すが、まともな返事はない。


「ゆー?いーあーあ?」


でも、アヤメが「ゆー」というのは俺の名前を呼んでいような気がした。また、甘い香りがふわりと香る。それと同時に、アヤメが小さな手を俺の包帯がまかれた痛む腕にポンっとおいた。


「ぐっ!!」


静かな衝撃だったはずなのに、骨の髄まで響くような痛みに牙を見せながら歯を食いしばる。何すんだよ!!痛みの衝動のまま尻尾でアヤメを放り投げそうになったが、そんな力すら出せない俺は、目を開けることもできず牙を見せて威嚇するようにグルグルと喉を鳴らした。


「ゆー。ゆー。なあーあー。」


アヤメが何かを言う。すると腕に置かれたアヤメの手がじんわりと温かくなった。そして、不思議なことにあれだけ酷かった痛みが、少しずつ、少しずつ薄くなっていく。


「ゆー。なーあー…。」

「ア…ヤメ…?」


アヤメからもたらされた温かさが心地よくて。体の中にアヤメの魔力が流れてくる感覚がわかる。

獣人は魔力を持つ個体が少ないが、魔力を感じ取ることはできる。ヒルルク様も奥方様もシリュルもすごい量の魔力を持っていたが、アヤメはほとんど何も感じなかった。ただ、甘い匂いが仄かにするだけだった。赤ん坊だから魔力が安定していないのかとも考えて気にしなかったが…。


今は、はっきりとアヤメの魔力がわかる。

温かくて、ふわふわしていて、甘い。

ああ…これがアヤメの魔力か。


その温かさと久しぶりに痛みが薄れていく感覚があまりにも心地よくて、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。




…温かい。

目覚めの前のまどろみの中で感じる柔らかな温かさと甘い匂い。だいぶ痛みが和らいだみたいだ。何度か瞬きを繰り返して、ゆっくりと覚醒していく。温かさを確かめるように視線を動かせば、俺の腰のすぐ横に尻尾に巻き付かれてすやすやと眠るアヤメがいた。

どれくらい寝ていたのか…。暗い室内には明かりが灯っている。両腕が動かせない俺の代わりに侍女が点けて行ってくれたのだろう。その時にアヤメを回収していってくれてもよかったのに。


「…目が覚めたかしら?入ってもいい?」


柔らかな声と共に奥方様が扉からそっと顔を出す。すぐに返事をすると、奥方様はそのまま部屋に入ってきて俺のいるベッドの横に立った。


「アヤメが勝手に入ってしまったようで、迷惑をかけなかったかしら?」

「いえ…。」

「この子、最近つかまり立ちやハイハイが上手になって。目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうのよ。最近はずっとユザキ君のところに向かって勝手に部屋から出ていくの。」

「…え?」

「手術が終わってから基本的に面会謝絶をしていたのだけれど、アヤメは隙あらばユザキ君の部屋に入ろうとしていて…。今朝はついに目標を達成したみたいね。」


奥方様はそう言って寝ているアヤメの髪をそっとなでた。


「一度、部屋に連れ帰ろうと思ったのだけれど、ユザキ君の尻尾が離れるとぐずりだしちゃって。ごめんなさいね。アヤメがこんなにもわがまま言うのが初めてで、そのまま寝かせてしまったわ。」

「…そう…ですか。俺は、別に大丈夫なので。…その、アヤメが俺の腕に触れてから痛みが不思議と収まってきて…俺もそのまま寝てしまったようです。」

「まぁ!…じゃあ、アヤメは無意識のうちに治癒魔法を使ったのね。」


驚いたようにアヤメを見た奥方様の顔が少しずつ何かをこらえるように歪んでいく。そして見る見るうちに緑の瞳に涙の幕が張った。


「奥方様?」

「…ユザキ君は気が付いているかもしれないけれど、この子は魔力が少ないの。…魔力が少ない事はこのアールツト侯爵家では致命的とも言えるのよ、治癒魔法には…大きな魔力が必要だから。」


一度言葉を切った奥方様は溢れそうになる涙をぬぐうこともせず、ギュッと胸の前で両手をきつく握っていた。


「…正直言うとね、何度かアヤメをこの屋敷から…アールツト侯爵の名前から逃がしてあげようと考えたこともあるの。たとえそばにいれなくてもこの子が幸せに暮らしていけるのなら…って。アールツト侯爵夫人としてそれは間違った考えだということは判っているのだけど……でも、母として……娘の苦しむ姿はやっぱり…見たくないの。」


一筋の涙が奥方様の頬をゆっくり流れていった。

なぜそんなことを俺に話すのだろうか。奥方様がアヤメを家から連れ出そうとしていたなんて他の人間が聞いたら大問題だ。それに、聞かされた俺もただでは済まない。

そう考えながらも、静かに涙を流す奥方様からは目が離せなった。


「でも、今日この子は自分の意思で貴方に初めて治癒魔法を使ったわ。まだ、魔法の使い方を教えてもいないのに…。だから、きっとこれがこの子の望みなのでしょうね。」


そっと、奥方様の細い指がアヤメの頬をなぞる。アヤメはくすぐったそうに寝返りを打った。


「…ユザキ君。アールツト侯爵夫人としてではなく、この子の母として貴方にお願いがあるの。」


奥方様は今までアヤメを映していた瞳で、今度はまっすぐ俺を見据えた。その瞳の強さに思わず息をのみ込む。その美しい顔立ちはどことなくアヤメに似ていた。


「この先、この子が自分ではどうしようもない困難にぶつかった時。自信を失くして自分を見失いかけた時。どうか、この子の力になってあげてほしいの。」

「え…?」

「この子は……これからたくさんの事を経験するでしょう。良いことも、悪いことも、きっとすべてを糧にして自分の力にしていくような強い子になるでしょう。…それでも、きっとこの子は人より多くの困難と痛みを受けることが多いと思うから……。だから………その時に、少しでいい、この子に寄り添って肩を貸して、この子を隠してあげてほしいの。」


奥方様の瞳からボロりと大きな涙の塊が音を立てて床に落ちた。それでも、気にすることなく、俺に視線を向ける奥方様は、グシャリと綺麗な顔を歪ませる。



「…1人で泣くのには月が明るすぎるもの…。」



とても静かな声だった。

でも、その声と奥方様の涙にぬれた姿がズンッと心に響いた。


アールツト侯爵家の人間に生まれながら治癒魔法が使えない。それはどれほどこの小さなアヤメに絶望を与えるだろう。そして、それを知った周りの人間たちはアヤメをどう思うだろう。それを考えると胸が痛む。治癒魔法が使えないわけじゃない。ただ魔力が少ないだけだ。きっとアヤメはそんなふうに弁解することもせず、ただ自分にできる精一杯を傷つくものに与えていくのだろう。

…俺にしてくれた様に。


アヤメに巻きつけていた尻尾の先でそっと顔にかかった髪を耳に駆ける。不思議なことに体には先ほどのような痛みやだるさはもう感じなかった。


「ゆー…。」

ぽつり。と小さくつぶやかれた言葉が、ギュっと大きく強く俺の心をつかんだ。初めての感覚に戸惑いながらも、強くなる甘い香りに獣の本能が騒めきだす。アヤメからだけではなく、俺からも少しだけ同じ匂いがすることが、たまらなく嬉しい。アヤメの魔力がまだ俺のなかに残っているのか…。

そう思うと目の前の小さな存在に愛しさが込み上げる。

初めての感情だった…。それでも、獣の本能のままにこの小さなアヤメを守るという気持ちがむくむくと大きくなった。


「…わかりました。これから先、もしアヤメが奥方様の言う通りになるようなことがあれば、必ずアヤメを支えます。守ります。アヤメが俺に初めての治癒魔法を使ってくれた事、そしてこの恩は一生忘れません。」

「ありがとう…。」


流れる涙をそのままにほほ笑んでくれた奥方様にもう一度強く頷いて、俺はアヤメに視線を移した。

猫の様に体を丸めて眠る小さな体に巻き付く尻尾にほんの少し力を籠める。


つらい時は隣に寄り添うから。泣きたいときは体を貸すから。

そばにいられなくても、お前の魔力は俺のなかにある。

俺たちはつながっている。

その時は必ず支えて守ってやる。



俺の中に新たな“誓い”が生まれた日だった。







屋上から帰り、ようやく寝息を立て始めたアヤメの頬にかかる髪をそっと尻尾で払う。

涙の跡が残るその頬はあの頃と同じで、柔らかく温かい。その小さな体できっと沢山のものを背負っているのだろう。まるで、何かから自分を守るように小さく丸まって眠る姿には何故か心が痛んだ。


泣いたっていい。

自分を見失いそうになってもいい。


俺が、いつでもお前を見守ってる。会えなくても。そばにいられなくても心はいつもそばにある。

もう、アヤメの魔力は俺の体には残っていない。それでも、きっとあの時の“繋がり”は消えたりしないし、あの時の“誓い”を違えることはない。


そっと鼻先をアヤメの頬に擦り付ける。獣人とは違い人間のアヤメには俺の匂いは感じないだろう。


それでいい…。


それでもいいから、俺の匂いを付けておきたかった。


どうか、目が覚めた彼女がまた前を向けるように。

月明かりに照らされた寝台の上で、昔と変わらないアヤメの甘い匂いを感じながらゆっくり目を閉じた。




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