27.侯爵令嬢と黒将軍
朝起きていつものようにアリスに手伝ってもらい身支度を整える。今日はドレスではなく、動きやすいシンプルなワンピースだ。そして髪は低い位置でお団子にまとめてもらった。侍女たちがよくしているヘアスタイルで動きやすさを求めるには最適だった。
朝食を終えて、白衣にそでを通せば自然と背筋か伸びる気がした。騎士の制服もいいが、やっパり白衣は落ち着く気がする。そう思いながら、鏡で確認している横でアリスがトランクを抱えて部屋を横切っていった。今日から瞬くはワクチン開発のために開発施設となった幽閉塔で過ごすことになるので、荷馬車への積み込みなど早朝から屋敷の使用人たちも忙しく動き回っている。
「「おはようございます。」」
玄関ホールに出るとテオ隊長とレシ隊長が揃って出迎えてくれた。
「今日から護衛と警備の任務につかせてもらう。」
「よろしくな。」
騎士の制服に簡易な鎧を身に着けた二人は、いつもの騎士棟で見る姿とは違ってとても新鮮で、カッコいい。漫画や映画から出てきたかのような麗しいその姿にだらしなく緩む頬に力を入れた。
「おはようございます。早朝からの任務お疲れ様です。お忙しいところご迷惑をおかけいたします。よろしくお願いいたします。」
いつもは騎士の礼を取るが今日は騎士ではなくアールツト侯爵令嬢という立場なので淑女の礼をとって二人に挨拶を返す。白衣姿で、カーテシーなんてやっても様にはならないだろうが、一応貴族令嬢としての矜持は保っておきたい。
「いやー、こうやって見ると、やっぱりアヤメ嬢は侯爵令嬢なんだな。いつもと雰囲気が全然違うな。」
「おい、不敬にあたるぞ。今は騎士団の上官という立場ではなく、侯爵令嬢と護衛の立場だということを忘れるな。」
「わかってるよ。相変わらず固いなお前は。」
無表情でレシ隊長を咎めるテオ隊長の姿は騎士団の中ではあまり見ることがないので、二人のやり取りに思わず笑みがこぼれる。二人は同期で仲がいいとは聞いていたが初めて見たその様子は新鮮だった。それからしばらくして、お父様とお兄様が合流しお母様に見送られながら、私たちは幽閉塔へ向かった。
広大な城の敷地内にある幽閉塔は、はるか昔に重い精神病を患った王女のために作られたもので、今は使われていない。塔とはいっても各階に大きな部屋が数室ある5階建ての建物だった。古びた外見とは裏腹に内部はしっかりとリノベーションしてあり、すぐにでも使用できそうな最新の研究機材や必要なものがきれいに並べられていた。
昨日、お父様とフェアファスング公が相談して揃えたのだろうが急ごしらえにしてはあまりの整いすぎた設備に驚愕する。
さすがフェアファスング公。仕事が早い。
居住区として使用する4、5階にお城の侍女たちが荷解きをしているうちに、アンリ叔母様がクエルト叔父様の護衛の下、塔へやってきた。
「ごきげんよう。お兄様、シリュル、アヤメ。」
豊かな金髪に紫色の瞳を細めながら、アンリ叔母様はお父様、お兄様、私の順でそっと抱き寄せ挨拶をしてくれる。
「今日からよろしくね。私は家と学校の事があるからこちらに寝泊りはできないけれど、できる限り尽力させてもらうわ。」
「姉上の送迎は私が責任をもって行いますので、ご安心ください。」
「あら、クエルトはずいぶんと立派なことを言うようになったのね。まだ、私に剣で勝てたことがないというのに…。」
「姉上!ここには他の騎士もいますので私語はお慎みください。」
「ふふふ…。」
アンリ叔母様はあせるクエルト叔父様をみて上品に笑っている。その姿はどこからどうみても、教養高い侯爵夫人だったが…実は、アンリ叔母様は幼いころから剣で国に名を馳せてきた女傑だった。もちろん剣の傍ら、細菌学にどっぷりはまって研究にも着手していたようだけど…。
長兄であるお父様にはアンリ叔母様の剣の被害はなかったようだが、弟であるクエルト叔父様は幼い時から散々被害を受けてきたようで、未だに逆らえないらしい。アンリ叔母様が騎士団に仮入団した際は当時の10歳だったにもかかわらず、隊長格と互角に戦えたとか…。
それから、騎士か研究者になるのかと思っていたのだが当時の2番隊隊長と結婚し(結婚した理由は自分より強くて男前だったからだそうです。)、2番隊隊長が急遽、騎士をやめて爵位を継ぐことになったのでアンリ叔母様はそのまま侯爵夫人になった。高等学園の理事長に就任した経緯については私も詳しいことは分からないが。その剣技と騎士団たたき上げの精神で生徒たちから恐怖…げふんっ…尊敬を集めているらしい。ただ、私とお兄様の間では、「絶対に怒らせてはいけない人」という認識で通っている。ちなみに、元2番隊騎士団長のレットレール侯爵も未だにお会いしたことはないが、アンリ叔母様よりお強い剣豪だとか…。
叔母様から逃げるように騎士棟へ帰って行ったクエルト叔父様を見送った後、開発の準備を進めながら、イスラ王国からの配達人の到着を待つことになった。
その数時間後
インゼル王国の東国門を7人の獣人が颯爽と潜り抜ける。
人間とは違う獣の姿のまま二本足で歩くその様に民たちは一目見ようと駆け出した。報告のために駆けだす門兵を見送り、護衛の為に数名の騎士が7人を囲むようにして街道を進んでいく。
イスラの特徴的な衣装を身にまとい、獣の顔を惜しむことなくさらけ出したその堂々とした姿は一目獣人を見ようと集まった民のみではなく、報告を聞いて出迎えに現れた騎士たちも魅了した。
『黒将軍が来た』
口には出さずとも騎士たちのすべてがその事実と堂々たる姿に歓喜した。
「失礼いたします。イスラ王国のユザキ・ミコリタ将軍がご到着されました。」
塔の入り口を守っている兵からの報告を受ける。お父様に確認をしてそばに控えていたテオ隊長が入室の許可を告げた。ゆっくりと開かれたドアから入ってきたのは見上げるほど大きな黒豹の獣人だった。身にまとっている漢服の様な衣装はそのしなやかな躯体によく似合い、まるで中国の歴史ドラマから抜け出してきたようだった。美しい漆黒の毛並みに金色の瞳が怜悧な豹の顔を引き立たせる。
「遅くなって申し訳ありません。イスラ王国が将軍ユザキ・ミコリタと申します。この度のアールツト侯爵家のご助力に心より感謝いたします。」
獣の腕を胸の間で組み、軽く腰を折ったユザキ様の耳がピコピコと揺れている。
どうしよう…その耳…めちゃくちゃ気になる。それに…先ほどからゆらゆらと揺れているその長いしっぽ…触りたい。始めて見るネコ科の獣人の姿に本能のまま手をワキワキと動かしそうになるのを、理性で何とか押し込めた。
「丁寧なあいさつをありがとう。久しぶりだなユザキ。元気そうで安心した。」
挨拶を受けたお父様は、なぜか親し気にユザキ様へ歩み寄りそのまま軽く抱きしめる。お父様より頭2つ分大きいユザキ様は、少し驚いたようだったが、しっかりとお父様の背に腕を回した。
「お久しぶりです。ヒルルク様。」
どうやら、二人は知り合いらしい。お兄様と叔母様もさして驚いている様子はないので知っていたのだろうが私は何も知らされていない。また、私だけのけ者だ。
お父様とのあいさつを終えたユザキ様は叔母様、お兄様とも挨拶をし、ついに私の前にやってきた。正面に立って見るとやはり大きい。そして、今まで動物園でしか見たことないネコ科の大型獣・豹の顔は少し恐怖も感じるが、やはり、そのベルベットの様に輝く体毛に思いっきり顔をうずめてモフモフしたいという欲求が込み上げる。それでも、なんとか姿勢を正して淑女の礼を取った。
「ユザキ様、この度は急な申し出にもかかわらず、お越しいただきありがとうございます…」
続けて自己紹介をしようと思った時、視界に入ったユザキ様の揺れる尻尾になぜか既視感を覚えた。…あれ…私この尻尾知っている…?
「アヤメ…?」
ユザキ様に名前を呼ばれて、その金色の瞳を見た時さらに既視感が強くなった。
「あの、以前に…どこかで、お会いしたことがありますか?」
恐る恐る訪ねれば、金色の目がわずかに開く。
「…覚えているのか?!」
「あの、大変失礼なお話ですが…。ユザキ様の尻尾とその瞳をどこかで見たような気がいたしまして…。」
不敬にあたる発言に、ユザキ様からのお咎めを受ける覚悟をしていたが私の予想と反して、返って来たのは嬉しそうな笑みだった。
「そうか、あんなに小さかったのに覚えていてくれたのか。」
そして優しい言葉と一緒に長い尻尾がするりと私の腕に巻き付いた。
うわっ!フワフワだ!!
予想外の言葉と、腕に巻き付いた尻尾の感触に驚く私にユザキ様は機嫌よさそうに喉をゴロゴロと鳴らす。キャァァッ…っ、可愛いっ!猫と同じそれに心の中で悶絶していると、ユザキ様は髭をモコモコと動かして金色の瞳を細めた。
「昔はこうして俺の尻尾で遊んでいたんだ。アヤメはよく動いたから、危険がないように何かにつけて尻尾を巻き付けていたこともあるから、見覚えがあるのは当然だ。あとこの耳がお気に入りで、初対面では耳にかじりつかれた。それからも隙あらば耳を狙ってくるものだから大変だったな。」
クックッと口元に手を当てて笑うユザキ様は耳をわざとらしくペコッとたらして私に見せた。
「えぇ?!」
そんなこと記憶にないのだけれど!?
驚きながらも事実を確認するように視線を動かせば、クスクスと肩を揺らすお父様と目が合った。そのまま視線だけでお父様に説明を求めれば、笑いを収めることなく、お父様が楽しそうに口を開いた。
「アヤメがまだ小さいころ…1歳くらいだったか?奇病を患ったユザキが治療のために我が屋敷に1年近く滞在していたことがあってな。そのとき、シリュルとアヤメはよくユザキに遊んでもらっていた。特にアヤメはユザキがお気に入りで、尻尾であやすとよく寝てくれた。それに、ユザキの毛皮に埋もれるのも大層気に入っていて、何度もユザキにねだっては獣化したユザキの毛をよだれで汚していたんだぞ。ちなみに、アヤメが噛みついた耳を拭いたのは私とユザキのお母上だ。」
「嘘っ!!?」
「その節はお手数をおかけしました。」
「いやいや、とんでもない。こちらこそ娘が失礼を。」
ニヤニヤとしながら話し終えたお父様にユザキ様がわざとらしく礼をすると、お父様もそれに合わせて大層丁寧に謝罪を述べる。2人とも面白がっているのが表情からバレバレである。それを見ていた、お兄様は声を出して笑い、叔母様もセンスで口元を隠しているが体が小刻みに震えている。テオ隊長は無表情のままだったが、わずかに頬が赤い気がするし、レシ隊長に至っては顔だけ後ろを向いて肩を震わせていた。
みんな…笑って…もうっ!
確かにモフモフは好きだけど…。前世でもモフモフしたいという願望はあったけど…。まさか現世でリアルモフモフをしていたとは!なぜそんなモフモフ天国を覚えていない私!!
「も、申し訳ありません…。」
恥ずかしさのあまり、赤くなった顔を隠すように頭を下げた。
「いや、気にすることはない。赤子のアヤメがしたことだ。…さすがに今は勘弁してほしいがな?」
にやりと牙を見せるように口角を上げたユザキ様に私はぶんぶんと首を縦に振った。
2度といたしません。ちょっと、いやかなり、モフモフしたい願望はありますが…。今も、腕に巻き付いている尻尾をなでなでしたい欲求はありますが!!
ユザキ様は私の反応を見てククク…。と笑うと尻尾で私の頬をひと撫でして、控えていたテオ隊長とレシ隊長のほうへ向かっていった。
その背中を見送りながら、視線はゆらゆらと揺れるしっぽから外すことができない。撫でられた頬がほんのり熱を持ったようで思わずそこに手を当てた。尻尾の感触がまだ残っているようで、顔の熱がさらに加速して行く。
なんで?なんで、私の頬を撫でたの?!しかも…尻尾で!!
理由を聞きたくても恥ずかしさのあまり聞くことができなくて、私はそのまま黒い背中を見つめていた。
一通り挨拶を終えたユザキ様は、さっそく私がお願いしたワクチン開発のための材料を見せてくれた。
「急でしたが、できる限りの量は揃えてきました。足りなければまた取りに帰ります。」
年齢と性別、感染期間ごとに分かれた大量の血液。そして、詳しい感染者の状態がまとめられた大量の治療報告書。昨日の今日でこれだけの物をそろえられたことに驚きを隠せない。
「ありがとうございます。」
お父様たちに続いて感謝を述べれば、ユザキ様はふわりと尻尾で頭を撫でてくれた。
「いや、感謝を述べるのはこちらのほうだ。アヤメが感染症の正体を教えてくれたことだけでもありがたいのにワクチンまでアールツト侯爵家で作っていただけるなんて、感謝をしてもしきれない。」
自在に動く尻尾は何度か私の頭を往復すると、そのまま彼の横へ戻っていきゆらゆらと宙に揺蕩っている。そのまま尻尾から視線を外してユザキ様を見れば、穏やかに目だけで微笑まれて思わず頬が熱くなった。…イケメンだ。ユザキ様は獣人のイケメンだ。ただでさえネコ科の動物が好きなのに…黒豹とか…反則だよ。
この世界に来てから、見目の麗しい、イケメンと呼ばれる男性をよく見るような気がしていたが、獣人のイケメンは人間とはまた違った感じがして…控え目に言って…すごく、いい。
私が趣味全開の偏った思考をしているとユザキ様はゆっくりとお父様に向きあった。
「ヒルルク様、私たちも護衛と連絡の為ワクチンの完成までこちらに滞在させていいただくことになりました。すでにインゼル国王陛下には許可を得ています。何か、お手伝いできることがあれば何でもご命令ください。」
「気遣い感謝する。まずは旅の疲れをとりなさい。国内の状況を考えると落ち着かないとは思うが我々も全力を尽くす。今しばらく耐えてくれ。」
「…もったいないお言葉です。感謝します。…私と共に来た護衛部隊は犬の獣人の中でも、特に嗅覚に優れ狩りに適した者たちです。騎士団の隊長の方々がこの建物を警備するという事なので、部下には周辺を警邏させようと思います。もちろん、インゼル王国の民を傷つけることは無いとお約束します。」
「わかった。よろしく頼む。」
ユザキ様と一緒に来た犬の獣人6人は、どうみても前世のドーベルマンだった。しかも、ほとんど同じ顔に見えてしまう。…こうして身近に見るとドーベルマンはとても整った顔をしている。ドーベルマンの獣人は私たちに一礼するとそのまま塔から出ていった。恐らく、このまま周辺の警邏に行くのだろう。人間の何倍も優れている嗅覚と、高い戦闘能力を持つ獣人が守ってくれるなら安心できる。今回の感染が、何の目的で起こされたのか、人為的なのか、それとも自然的なのか、はっきりとはわからないが、もし人為的なものが原因の場合、ワクチンを作るこの場所は一番の標的となる。隊長たちや衛兵もついているが守ってくれる存在は一人でも多いほうがいい。
そこから、私たちはさっそくワクチンの開発を始めた。
お父様、お兄様、叔母様は感染者血液から狂犬病不活化菌を作成する作業に取り掛かり、私は感染者の治療報告にひたすら目を通し、この菌が狂犬病で間違えていないのかの確認と獣人の種類による感染率や発症期間を算出する。感染を続ける途中で変異株が現れる可能性もあるので、最初の感染者と最近の感染者の状況も比較する必要がるだろう。
やることは膨大だが、イスラ王国のことを、苦しむ民の事を考えれば休む気にはなれなかった。
“一刻も早くワクチンを完成させる。”
その思いが私たちを駆り立てていた。