26.騎士団隊長会議
騎士棟内の騎士団長室には0~4番隊の隊長たちが揃っていた。
向かい合うようにして大きな机に腰かけたオッド騎士団長が鋭い視線を隊長たちに向ける。その後ろに控えるインブル副団長もいつもの穏やかな表情とは違い、その顔は緊張に満ちていた。
何もわからないまま、0番隊隊長であるクエルトに招集をかけられこの部屋に集まった隊長たちは、二人の様子に、これから告げられることの重大さを理解して不安をにじませながらもオッド騎士団長からの言葉を待っていた。
「今からお前たちに話すことは極秘事項であり、副隊長以下己の隊の騎士たちにも一切告げることは許されないので覚悟して聞くように。」
オッド騎士団長の言葉にすぐに返事を返した隊長たちは、その後に聞かされた話にそれぞれ驚愕の表情を浮かべることになった。
まさか、自分たちの知らないところで身近な隣国に恐ろしい感染症が広まっていたとは思いもしなかった。そして、その感染の恐怖が自国へも迫っていると聞いて隊長たちの背筋に冷たいものが走る。
「…以上が、先ほど対策会議で決定した事項だ。明日より、アールツト侯爵殿とシリュル殿、アヤメ嬢、レットレール侯爵夫人がワクチンの開発に入る。開発のための施設は、城の敷地内にある今は使われていない幽閉塔になる。そこで、明日から1.2番隊隊長と3.4番隊隊長の二人一組で半日交代の警備と護衛任務にあたってもらう。…人間にも感染するという狂犬病菌を直接扱う開発研究になる。今回の感染が人的によるものなのか、自然に起きたものなのか…まだ定かではないが、万が一にでも外部へ漏れることは避けなくてはならない。…わかっているとは思うが…研究に携わるのは我が国で最も重要な一族と次代をつなぐ方たちだ。なんとしても守り抜け。」
「また、明日にはイスラ王国よりワクチンの開発に必要な材料が届く予定になっている。配達人はアラケトル殿のお話によると黒将軍の部隊になるだろう。くれぐれも失礼のないように…頼むぞ。」
オッド騎士団長とインブル副団長の言葉に隊長たちは短く返事をする。
「黒将軍」という言葉に隊長たちの胸がざわついた。
騎士団長との話し合いを終えた後、クエルトは一度家に帰るということで残されたそれ以外の隊長たちは、レシの部屋に集まっていた。表向きは明日からの具体的な警備体制を話し合う目的だったが、レシはいそいそと酒瓶とグラスを用意し始める。
「レシ…私たちは酒を飲みに来たのでは無いのだが…?」
3番隊長のストーリアが眼鏡のブリッジを押し上げながらため息交じりに告げる。その横に腰かけた4番隊隊長のアンモスは、その屈強な肉体を丸めながらつまみを皿に出していた。
「まぁまぁ、固いこと言わないでくださいよストーリアさん。あんな話を聞いた後じゃ、飲まなきゃやってられないですって。な、テオ?」
「私に話を振るな。」
ストーリアに咎められたがレシはさして気にすることなく、それぞれのグラスに酒を注いでいった。話を振られたテオがストーリアに冷たい視線を向けられて、心外だと言わんばかりにレシに抗議する。
「お前は何かにつけて酒が飲みたいだけだろう。私まで巻き込むな。」
「なんだよ、冷たいな。あ、アンモスさん摘み食べてもいいですか?」
「おう!食え食え。」
「ありがとうございます。」
アンモスと一緒につまみを食べ、酒を飲み始めたレシにストーリアは再び大きなため息を落として観念したかのように自分もグラスに口を付ける。それを確認してテオもグラスを傾けた。
「それにしても…大変な事態になりましたね。」
「ああ。このような事態はイスラと同盟を結んでから初めての事だ。」
「未知の感染症なんてきいただけでも身の毛がよだつぜ。」
レシ、ストーリア、アンモスが順番に口を開く。その表情はどこか暗く影を差していた。
感染して発症してしまえば100%死亡してしまう狂犬病という感染症。普段から肉体を鍛え、騎士として死線をいくつも潜り抜けてきた彼らには恐れるものはなどないはずだったが、目に見えない得体のしれないウイルスに知らずに恐怖が募る。さらに、そのウイルスには己の肉体も磨き上げてきた剣技も効かないとなれば、なおの事背筋が冷たくなってくる。
「だが、その感染症は未知のものではなくなった。」
ぽつりとこぼれたテオの言葉に三人は視線をグラスから上げた。
テオにとって先輩にあたるストーリアとアンモスだが新人の時から世話になっていることもあり、レシほどではないが他の騎士たちと比べるとだいぶ打ち解けている。
それでも口数は少ない為、今の様にテオが自ら発言するのは珍しいことだった。
「そうだな。敵の正体と対策がわかれば必要以上に恐れることはない。」
ストーリアがテオの言葉に頷き酒を飲む。その様子を見ながら、レシはニヤニヤとテオの肩に腕をかけた。
「アヤメ嬢はまだ13歳なのにすごいよな。未知の感染症を言い当てて、対応策まで打ち出すんだから。な、テオ?」
ブホッ!ゴホッゴホッ!!
レシの言葉に酒を飲んでいたテオが盛大にむせ込んだ。
「大丈夫か?」
心配そうに覗き込んだアンモスにテオは耳を赤くしながら頷き、そして、肩に組まれた腕を払いのけレシを鋭くにらみつけた。
何のつもりだ?
と今にも言い放ちそうになって、慌てて言葉をのみこみ代わりに睨みつける視線に殺気をにじませる。しかし、レシはますます面白そうに笑みを強めると素知らぬ顔で酒を飲んだ。
「確かに、アヤメ嬢の博識には脱帽する。わずか13歳という幼さで一国を脅かすほどの感染症に立ち向かうというのだから。にわかには信じられない話だ。」
「まぁ、アヤメ嬢ならきっとワクチンもすぐに作り上げちまうと思うぜ。なんたってアールツト侯爵家令嬢なんだから。」
「…そうだな。…噂などあてにならないものだ。」
「あぁ、それは仕方がないんじゃないか。実際に治癒魔法はほとんど使えないんだろ?それに、アールツト侯爵令嬢といえばほとんど屋敷から出ないし。侯爵殿が出し惜しみされているのか、存在を隠したいのかは判らねぇが、そんな経緯もあるから噂話が大きくなって、一人歩きをしていくんだろうよ。そういやぁ、お前んとこのレヒトを治癒魔法無しで応急処置した姿を見て感動した一部の奴らはアヤメ嬢を擁護しているなんていう話も聞いたな。」
「どこの情報だそれは。」
「城下の酒場。」
空になったグラスに酒を注ぎながら言ったアンモスにストーリアは眉間にしわを寄せる。
「夜に城下に降りるなと言っているだろう。」
「大丈夫だって。まだ、明るいうちだったし。」
「…また通報されたいのか?」
ゴホッゴホッ!
酒のつまみに先輩の話を黙って聞いていたレシとテオがむせ込んだ。すぐさまアンモスの鋭い視線感じて、無理やり咳をのみ込み平静を装う。それを見ていたストーリアが大きくため息を吐いた。
「まったく…。民からゴリラがいると通報され、捕縛に出向いてゴリラの正体がお前だったと知った時の後輩たちの気持ちも少しは考えろ。あの時はオッド団長ですら言葉を失っていたぞ。」
「…わーってるよ!くそ、俺は悪くねぇー。」
ストーリアに咎められ、ぶつぶつと文句を言いながら納得がいかないアンモスは、新しい酒瓶の封を切ってなみなみとグラスにつぐ。そして、そのときに世話になった後輩二人のグラスも一緒に満たしてやる。
酒を注いでもらったテオとレシは礼を述べながらも当時の事を思い返さずにはいられなかった。
その当時、テオは平の騎士。レシは2番隊の副隊長だった。その日は夜勤だったので騎士棟の詰め所に集まりくだらない話をしていたのだが、夜も更けた深夜に民から通報が入った。
「家の前をゴリラがうろついている。」
その通報を受けたのがレシで当時の隊長に相談し、捕縛の為に一番隊で手が空いていたテオと一緒に城下に降りたのだった。
暗闇のなか住民に指示された場所に来てみると、確かにそこには大きな体のゴリラがいた。
…と思ったのだが…
「お?なんだぁー?騎士団のお迎えかぁ?」
と聞こえてきたのは自分たちもよく知るアンモス隊長の声だった。かなり泥酔していたアンモス隊長は、テオとレシを見ると上機嫌で腕を回し絡んできた。細い女の腕などではなく、丸太のような太さでいくつも筋肉のこぶが隆起している剛腕に絡まれ、何度か意識を飛ばしそうになりながらも、必死の思いで兵舎に連れて帰ったことは、騎士団では誰もが知る公の秘密として語り継がれている。
その後、アンモス隊長はストーリア隊長と騎士団長副団長にきついお咎めを受けたというが、ただ酔っぱらって歩いていただけなのにゴリラに間違われるなんて…と少し不憫に感じたことも未だに覚えている。あれから数年たった今でもその筋肉の鎧は衰えを知らず、当時よりもはるかに成長しているアンモス隊長が今、夜に街をうろついていたら、ゴリラよりもひどい扱いを受けそうだと二人は考える。しかし、それを言うことは自分たちの生命にかかわることを知っている二人は無言で頷き合うとアンモスに注がれた酒を飲み干した。
「あ、そういえば。明日黒将軍が来るんですよね。自分、黒将軍を生で見るのは初めてです。すげぇ楽しみです。」
「自分もです。」
「楽しみとは、この現状を考えると不謹慎だが…。まぁ、お前たちの気持ちからすると分からなくもないな。」
レシとテオが珍しく目を輝かせて言うとのを見たストーリアは咎めはしたものの、苦笑いで許し酒を飲んだ。その隣ではアンモスがつまみを片手にうんうんと大きく頷いている。
「うちの騎士たちは特に興奮するんじゃないのか?先の戦争の英雄だもんな。俺も、できるなら手合わせをしてもらいてーな。」
「そりゃしますよ!なんたって、10歳でたった1人で街を守り切ったほどの腕を持つ武人なんですから。」
摘みを酒で飲み干したアンモスが拳を合わせてい言えば、興奮いたようにレシが続いた。それを横目にテオはゆっくりとグラスを傾ける。会話こそ参加はしなかったが、テオも黒将軍には興味があるし、自分もできるのであれば、その実力を直接体感したいと思っていた。
「黒将軍」とはイスラ王国の軍事力の頂点に立つ獣人の異名である。
12年ほど前に起きた戦争時、わずか10歳であった彼は同盟国であるリンデル王国の街の一つを一晩、たった一人で攻め入る敵兵から守り切ったという話は騎士を目指す男子ならだれもが聞いたことがあるだろう。他国の為に命を懸けて戦い守り抜いたその気高き魂にあこがれを持つものは少なくない。そして、明日、その彼が来るというのだから彼らの興奮は高まるばかりだ。
今回の感染症については緘口令を施かれているので、表向きは軍事視察という名目になっているが、それでも生でその雄姿を見られると知った騎士たちの歓喜はきっとすごい物だろうと安易に予想できた。
「明日はあこがれの黒将軍が来るのだから、下手なところは見せられないぞ。お前たちは明日の朝から、開発施設での護衛任務に入ることになる。しっかりと気を引き締めて取り組むように。」
「「はっ!」」
「んじゃ、そろそろ水に変えるか。獣人の鼻は利くからな。酒臭いのが知られたら面目丸つぶれだ。」
ストーリアの話に、テオとレシが短い返事を返すのを聞きながらアンモスはそれぞれのグラスに水を注いでいった。
一抹の不安を抱え、それでも明日への期待を膨らませながら、騎士隊長たちの夜は更けていく。