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24.侯爵令嬢と白鷲の獣人

*この物語はフィクションです。登場する、医療記述・その他の記載はすべて作者の想像であり、現実の物とは異なりますのでご注意ください。

アヤメ・アールツト 13歳


今朝もいつものようにアルに乗って騎士棟に向かっていた。

お兄様は非番で休日の為、久しぶりの一人での出勤だった。

バサ…バサ…と大きな音を立てながら、のんびりと早朝の空を飛んでいると急にアルが止まった。


「グゲーッ!」

「どうしたの?!」


空中で羽を動かしながらホバリングするアルが1点を見つめ、鋭い声で鳴く。

私もアルと同じ方向を見ると小さな白い塊が見えた。


「鳩?」


白い物体は猛スピードでぐんぐんこちらに近づいてくる。


「グギャー!」


アルはその物体を避けるようにぐるりと大きく旋回した。近くなった白い物体を再び見るとそれは白鷲だった。ただし、私の知っている白鷲とは違いかなり大きい。アルよりは小さいが、通常の白鷲と比べると何倍も大きかった。

そして、さらにその白鷲は服を着ていた。袖のない長袍を来た白鷲は私たちの前に来るとゆっくりと止まった。


「おや?これは珍しい。アルゲンタビウスが人間を乗せているなんて…。」


しゃべった…。

今確かに…白鷲がしゃべった…。


「グギャー、グギャー。」

「ああ、それは邪魔をしてすまなかったね。…そちらのお嬢さんは…もしや…フェルの…?」

「え…?」

「…ああ、やっぱり。その表情は彼女そのものですね。では…私は急ぐので、これで失礼します。また、後でお会いしましょう。」


そう言って服を着たしゃべる白鷲はそのまま城のほうへ飛んで行ってしまった。

何だったの…あれ…。

しかも、お母様の愛称を知っていたし。さらに、またあとでって…。


「あ!もしかして…イスラの人?!」

「グギャー。」

「アルもわかるの!?さっき話していたものね!うわーー!私初めて獣人さんと話たよ!!しかも、ネコ科やケモ耳じゃなくてリアル白鷲!ヤバい!これはヤバい!」

「グーー…。」


初めての獣人との遭遇に興奮してまくし立てる私をアルは面倒臭そうに無視して、騎士棟へ再び進路を取った。


お母様が単身留学していた隣国イスラ王国。

この世界で唯一の獣人の国であり、薬学と長い歴史を持つその国にいつかは私も行ってみたいと思っていたので、インゼル王国ではめったに見ることができない獣人に出会えた感動はとても大きい。

しかも前世で見たような耳や尻尾だけをはやした人間とほとんど変わらない姿の獣人ではなく、リアルな動物の姿で言葉をしゃべり、服を着て、二足歩行をするというのだから…たまらない!!


「またね。って先ほどの方は言っていたのだから、もう一度お会いできるのかしら…?」


ああ…。その体に触れてみたい。早く会えるといいな。と無邪気に考えていた私は、このあと起きる事態をまだしらなかった。





…どうしてこうなったのか…?


あれから、騎士棟でいつものように鍛錬に励んでいた私に急遽騎士団長から呼び出しがかかり、そのまま屋敷に帰ったら今度はアリスに有無を言わさず浴室に突っ込まれ、体を磨かれた。

そして、新しいドレスに着替えさせられて、薄いメイクを施されしっかりと飾り付けられた私は、気が付くとお父様とお兄様と一緒に城に向かう馬車に乗っていた。道中二人に訳を聞いても「わからない。」の一点張りで何も教えてはくれなかった。


案内されたのは城の豪奢な応接室。中に入ると、そこにはなぜか、騎士団長と副団長とクエルト叔父様の姿があった。三人ともきちんとした騎士の正装を身にまとい、その表情は私と一緒で疑問が浮かんでいる様子だった。

そうしているうちに、また一人応接室へ入室してきた。

猛禽類特徴のつりあがった瞳と、大きな嘴。袖のない長袍から伸びるのは翼腕。ズボンをはいた下肢は靴を履いておらず、そこには鋭い爪を備えた鳥の足がむき出しになっている。

二足歩行の白鷲はその体が人間とは異なることを全く感じさせないような所作で優雅に私たちの前で礼をとった。

白鷲さんが服を着て二足歩行で歩いている。その珍しさから目を離せない。白鷲さんに続いて入室してきた宰相フェアファスング公が一歩控えるように白鷲さんの横に立つ。


「お初にお目にかかります。イスラ王国参謀総長を務めております、イズミ・アラケトルと申します。本日は私のために忙しい中王国の重鎮の皆様にお集まりいただき申し訳ありません。」


イズミ様は挨拶をするとそのままお父様へ視線を向けた。


「お久しぶりですね。アールツト侯爵殿。」


鷲の独特の瞳でキュッと見つめられたお父様がわずかに息をのむのがわかった。しかし、お父様はそれを感じさせないように胸を張り、イズミ様へ手を差し伸べる。


「ご無沙汰しております。イズミ殿。妻も変わらず元気に過ごしております。なかなか、お会いできずに申し訳ない。…今日は妻がこちらに来られない代わりに息子と娘を連れてまいりました。シリュル、アヤメ、ご挨拶を。」


お父様に促されて、お兄様が口上と自己紹介を述べる。私もできるだけ丁寧に淑女の礼を取った。


「アールツト侯爵が娘、アヤメ・アールツトと申します。今朝はご挨拶もできずに申し訳ありませんでした。」

「丁寧なあいさつをありがとうございます。シリュルもアヤメも大きくなりましたね。初めて会ったときはまだ、ほんの赤子でしたのに…。」

「…過去にお会いしたことが…?」

「おや?フェルから聞いていませんか?きみに『アヤメ』という名を贈ったのは私ですよ。」


えええぇっぇぇっぇ___!?

初めて知った事実に思わずお父様を見ると、どこか気まずそうに頷いてくれた。


「改めて伝えたことはなったが、イズミ殿はフェルがイスラ王国へ単身留学していた時に師事していたお方で、とても素晴らしい知識と技術を持っていらっしゃる。私たちに娘が生まれた時はイズミ殿に名をいただこうとフェルと決めて、お前の名をいただいたのだ。」

「…そうだったのですか。」


お兄様も初耳の様でお父様の話に私同様驚きを隠せていない。騎士団長や副団長、フェアファスング公も同じようだ。ただ、クエルト叔父様は知っていたようで、穏やかな表情でこちらを見ていた。私は自分のイスラ王国との関わりを知った事で少なからず気持ちが高揚するのを感じていた。



一通り話を終えたとこころで大きな円卓のテーブルを囲むように腰を下ろす。国の宰相と騎士団の最高幹部、そしてイスラ王国の上層部。そうそうたる顔ぶれに囲まれて緊張感が漂うこの空間は居心地が悪い。お父様は、慣れているのかいつも通りの様子だけど隣に座るお兄様からは私と同じような緊張感が伝わってくる。

…ていうか、私がまだここにいる必要ってあるの…?

イズミ様に私の紹介をしたかったのなら、挨拶は済ませたからもう退室していいはずなのに。お父様は私にそれを命じることはしなかった。まだ、成人していない私は公式の社交の場には出られないはずなのに。


「…今日集まっていただいたのは、本日イスラ王国から我がインゼル王国へ正式な協力要請をいただいたからです。」


緊張感と重苦しい雰囲気に胃が痛くなってきたところで、銀髪碧眼のレヒト様とよく似たフェアファスング公が静かに口を開いた。それを聞いてわずかに騎士団長が瞼を開く。

私たちの暮らすインゼル王国とイスラ王国ははるか昔に同盟国となり、それからは友好な関係を結んでいたが、協力要請なんて初耳だ。


「先ほど、陛下はイスラ王国の協力要請を受諾し決議会で可決されました。ここにお集まりいただいたのはその援助の内容によるものです。アラケトル殿今一度ご説明をお願いいたします。」

「承知しました。」


フェアファスング公から話を振られたイズミ様は並べられた紅茶を一口飲んでゆっくり私たちに視線を向けた。

どうしよう。話の内容よりもその鋭い嘴で優雅にカップから紅茶を飲めることのほうが気になる。


「始まりは一か月前です。我が国の南部にある小さな村で、獣人が狂暴化する事件が起きました。私たちは獣人ですが、元は獣。血気盛んな者も少なくはありません。ですが…狂暴化し暴走した者は自分の番を手にかけたのです。」


イズミ様の言葉はにわかには信じられなかった。

獣人は本能的な部分は獣の血が濃い。その為自分の伴侶となる相手は本能で定めるという。そしてその相手は「番」として生涯寄り添うものだといわれていた。その番に…襲いかかるなんて…!?


「襲われたものは奇跡的に一命をとりとめましたが、その後、同じように狂暴化し暴走し始めました。そして、わずか三日のうちにその村の約半数は死亡。残り半数は凶暴化した獣となって他の村を襲い始めたです。そして…狂暴化した獣人はどんどん増え続け、ついに南部のほぼ半数の村や町が狂暴化した獣人の手に落ちました。狂暴化した獣人は数日で昏睡状態になり、そのまま死亡してしまいます。我々上層部は深刻な事態に、国民へ緊急事態宣言を発令し不要不急の外出を避けるように呼びかけています。それと並行して、あらゆる方面から原因を探りましたが、未だ解明はできず我が国の薬学をもってしても治療法もわかっていません。…このままではあと半年もしないうちに我が国は崩壊するでしょう。」


ごくり…。

誰かが唾をのむ音が部屋に響く。私は驚きに見開いた瞼が戻せなくなっていた。…イスラほどの薬学の知識がある国でも治療法が見つからないなんて。


「もう、時間がありません。どうか…我々にお力を貸していただきたい。」


悲痛な表情で絞り出すように告げられたイズミ様の言葉に、その場にいた者の姿勢が自然と引き締まった。

イズミ様から話を引き継ぐようにフェアファスング公が口を開く。


「陛下は、この事態にアールツト侯爵家へ原因解明の為にイスラ王国との協力と、騎士団にはイスラ王国の治安維持の補助と救援物資の援助を命じられました。アールツト侯爵殿、騎士団長、ご意見をお聞かせいただきたい。」


突然の狂暴化…。そして、昏睡状態からの死亡。…何かのウイルス?

この世界の科学は前世よりはるかに遅れていると思うけど、でも、イスラほどの薬学があれば不可能ではないのかもしれない。人工的に作り出した生物化学兵器…バイオテロの可能性も捨てきれないが、始まりが小さな村だと考えるとテロの可能性は低いと考えていいかもしれない。大規模なパンデミックを起こすなら人口密度が高いところを標的にするはずだし…。それに、なぜイスラ王国なのか?獣人は人間よりもはるかに個体の生命力が強く、身体能力もすぐれている。迅速かつ確実な殺戮を目指すなら標的は人間にするべきだと思うのだけど…。それか自然的に起こった感染症やウイルスか。前世の知識と記憶を総動員して、似たような感染力のウイルスや感染戦勝を考えるが中々当間はまるものが見当たらず、こめかみを抑えた。


皆が深刻な事態に口を閉ざす中、お父様がイズミ様に尋ねる。その横は先ほどまでのアールツト侯爵ではなく完全な医療従事者の顔だった。


「まずは、具体的な症状とその発症状況を詳しくお聞かせねがいたい。さらに感染経路と感染方法も詳しく教えていただきたい。飛沫感染か否か。それが判るだけでも、感染の大きな抑止力にはつながりますので。」


お父様の言葉に私とお兄様も目を見合わせる。そうだ、まずは詳しい情報が必要だ。

お父様の言葉にイズミ様はゆっくりと頷いた。


「報告では、初めは風邪のような症状から始まったといわれています。そこから、急激な興奮状態と不安状態が始まり、徐々に錯乱し攻撃的状態になり狂暴化して他者を傷つけるようになると。…そのほかには一部の者は水を怖がるようになった者もいるようです。大体、狂暴化するまでは一週間ということです。その後は徐々に動かなくなり、昏睡状態になってそのまま死亡します。念のため、遺体は火葬にして土中にうめています。感染経路については…。」


イズミ様の言葉を聞いて私は思わず息をつめた…。


今の症状には…心当たりがある…。

それは………前世でも聞いたことがある感染症…____。



「まさか…。」


心の中でつぶやいたはずが無意識のうちに声に出ていたらしい。ハッとして口を押えたが全員に聞こえていたようで、こちらに視線が集まってしまった。


「あ、す、すいません。」


話を途中でさえぎってしまった事と突然集まった視線に慌てて謝罪を口にする。それでも、頭の中には先ほどの説明を聞いて浮かんできた一つの感染症の名がグルグルと渦巻いていた。


この世界には存在しない感染症。

…私が知る限りだが、どの文献にも今まで登場して来なかった。…もし、その感染症の事を告げてしまえば…私の前世の記憶についても知られてしまうかもしれない。

…でも………苦しんでいる人がいるというのなら……このまま…知らないフリはできない。


私は……「医者」だ…。

救える命があるなら、一人でも多くの命を救いたい。


「アヤメ?何か知っているのかい?」


お兄様がそっと私に耳打ちをする。頷くべきかどうするか、困り果てて何も言えずにお兄様を見つめ返す。お母様とよく似た顔が心配そうに眉をよそせていた。


「知っていることがあるのなら、話してみなさい。その発言の責任は父である私がとろう。」


その後、お兄様越しにお父様が思いのほか優しい表情で私に頷いてくれる。


「………。」


それでも一瞬不安がよぎって開きかけた口を塞いでしまう。

私が前世の記憶を持っていることが知られれば…今の生活が壊れてしまうかもしれない。せっかく手に入れた「家族」との幸せな家庭。医学を学び生かすことのできる「騎士団」。私には失うものが大きすぎて…温かくて……。どうしても、最後の一歩が踏み出せない。

集まる視線に耐え切れずに顔を伏せたその時、ギュッ…と何かが私の左手を握った。

膝上で固く拳を作った私の手の上に重ねられた一回り大きな手が力強く私の手を握っていた。


『大丈夫だよ。』


そんな言葉が伝わってくるような優しい温もりが、思いのほか冷たくなっていた私の手をゆっくり温めてくれる。


……この手を、私は知っている。

何かに迷ったとき、何かで困った時、寂しくてつらくて泣きそうになった時、いつも私に寄り添ってくれた。時には頭を撫で、時には本をめくり、時には一緒に薬草を摘んでくれた。


お兄様…。


お兄様はその手の強さと同じように私を見て頷いた。そんなお兄様を見ていると先ほどまでの不安が嘘のように消えていき心が穏やかになっていくのがわかる。


…大丈夫…なのかもしれない。

ふとそんな思いが浮かんできた。もし、私が前世の記憶を持っていると知られても、その記憶を用いて医療活動をしていると言っても…この人たちなら…私の「家族」なら大丈夫なのかもしれない。

お兄様の手を強く握り返せば、少し驚いたように一瞬目を見開いたお兄様はすぐに穏やかにほほ笑んでくれた。その顔を見て改めて決意する。

…大丈夫、もう迷わない。私は「医者」として目の前の命に手を伸ばし続けるのだから。

私はお兄様に小さく頷き返して、まっすぐ顔を上げた。そしてイズミ様の鋭い猛禽類独特の瞳を見つめる。


「恐れながら…今の症状に当てはまる感染症を一つ知っています。」

「何だって!?」


私の言葉にイズミ様は弾かれたように立ち上がった。翼腕の羽がテーブルにぶつかりカップが音を立てる。他の人達も驚いたようで目を皿のようにして私を見る。


「すまない。私としたことが…失礼しました。」


カップの音で冷静を取り戻したイズミ様は再び椅子に腰かけ姿勢を正した。


「それで、アヤメ。その感染症とは?」


イズミ様の問いに私はゆっくり息を吸い込んで姿勢を正した。

もう迷わない。


「それは………


“狂犬病”


です。」



シン…と静まった室内に落とされた言葉はまるで波紋の様にゆっくりと広まり、消えていった。



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