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1.侯爵令嬢は愛されて

魔法と魔獣と精霊と人間からなる世界「レムリア」。

その中の北西に位置する「インゼル王国」は魔力を宿し、魔法を使役する民として名を馳せていた。

魔力は12星座の星の力から恵まれるといわれ、生まれた時に夜空に輝いていた星座によって属性が決まり「火・水・風・土」の4つに分けられていたが、王族のみ、光の属性を持ち、光魔法を使役できることが王位継承権の必須条件とされており、光属性の人間が生まれると同時に、闇属性の魔力を持つものが生まれるとされ、闇魔法の使役者は国に災いをもたらすものとして、厳しい管理下に置かれることになっていた。


インゼル王国は貴族制度があり、その中でも異色と言われているのが「アールツト侯爵家」である。

アールツト侯爵家の成り立ちは古く、建国の時までさかのぼる。爵位を賜る名家はほかにもあるが、アールツト侯爵家がこんなにも長く続き繁栄している理由はアールツト侯爵家に受け継がれる魔力によるものだ。

アールツト侯爵家に伝わる属性は風属性の魔法から派生した、希少種「治癒魔法」だった。インゼル王国で「治癒魔法」が使えるのはアールツト侯爵家のみであり、その存在価値は【国家に危機が迫りしときは、王家とアールツト侯爵家を死守すべき】と建国記に記されるほどである。


そんな由緒正しきアールツト侯爵家は他の高位貴族とは違い、領地を持たず、代わりに莫大な土地を王から賜り、そこに治療院と医学・薬学研究所を構え国の医療を管理していた。


今代のアールツト侯爵家当主ヒルルク・アールツトは、歴代の中で最も優れた医師であり、治癒魔法使いとして隣国にも名を馳せている逸材だった。そして、その妻のエンフェルメーラ・アールツト侯爵夫人は薬学の先進国である隣国イスラに単身で留学し知識を深めた貴族令嬢としては異色経歴を持つ人物で、今ではインゼル王国の薬学の権威である。二人の子どもである嫡男シリュルジャン・アールツトもまた、将来を期待される魔力の持ち主であった。


そして、そのアールツト侯爵家に末の姫が誕生した。

アヤメと名付けられその娘は、父親譲りの黒髪とアメジストの瞳が印象的な可愛らしい女児だった。


「…アヤメ…。」


サークル付きの寝台で気持ちよさそうに寝息を立てているアヤメに、エンフェルメーラはそっと声をかけた。そしてその横に立つヒルルクがエンフェルメーラの細い肩を抱く。


「…まさか、我が家でこのようなことが起きようとは。」

「申し訳ありません。」

「いや、お前のせいではない。お前はよくやってくれた。こんなにも可愛い娘を授けてくれた。何も謝ることはない。」


ヒルルクの言葉にエンフェルメーラは、その美しい顔をくしゃりと歪ませた。


「しかしっ…この子には魔力が…。」


最後まで言い切ることなくエンフェルメーラの瞳から涙があふれた。肩を抱くヒルルクの手に力が入る。


「それは仕方がないこと。魔力はみなが等しく持って生まれてくるが、星の導きにより、いつ魔力を得るのかも未だにわかっていない。この子は魔力こそ少ないが、全くないわけでは無いし、これから魔力が増える可能性だってあるだろう。もしかすると、魔力以外の特別な何かを持っているかもしれない。だから、そう自分を責めるな。」


ぼんやりと意識をとり戻した私に聞こえたのは父の穏やかな言葉だった。

ああ…そうかわたし転生したんだった。魔法がある世界って聞いていたけど…私には魔力が無いのかしら…。

焦点の合わない視線を泳がせると、ぼんやりとだが、美しい顔の母が見えた。その頬を幾筋の涙が濡らしているのはきっと私のせいなのだろう。


お母さま、もう泣かないで…。私は魔力なんてなくたって前世の医学の知識があるから大丈夫なのよ?これでも、脳外科の世界では結構有名だったんだからね?


そんな思いを伝えたくでも、まだ語彙なんてものは存在しない私の口からは「あーうー。」という喃語ばかりで、必死に母の頬に手を伸ばしてもコンビニのちぎりパンの先端に付いた椛饅頭のようなうでが空を切るだけだった。


「ああ、アヤメ。母を慰めてくれるのね?心優しい愛しい子よ。」


母が私を抱き上げてその胸に収めると優しく抱きしめられる。ふわふわで温かくて、やっとその涙に触れられる位置に来たというのに私はその居心地の良さに、涙のことなど忘れて、頬ずりしてしまう。


「アヤメ…。魔力を持つ人間が暮らす世界で、魔力がほとんどないあなたが暮らしていくのはきっと困難が付きまとい、いくつもの壁が立ちはだかるでしょう。しかし、それに打ち勝つことができるように私の持つ知識を全てあなたに渡しましょう。魔力に頼らず、アールツト侯爵令嬢として恥じぬ知識を約束します。」


何かを決意したかのようなお母さまの言葉に、スリスリとこすりつけていた頬を上げると優しく微笑む母の上にさらにこちらを覗き込むように、力強く頷く父の姿があった。


「私からも、治癒魔法など使えずともアヤメが不自由なく暮らしていけるように、私の持つ医学の知識と治癒魔法の知識を送ろう。アールツト侯爵家に生まれてきたことは魔力がほとんどないこの子にとっては酷なことかもしれない。しかし、私たちはこの子を守り、この子が自分で胸を張って誇りをもってアールツト侯爵家令嬢として歩んでいけるようにする責任がある。」

「…はい。」


父の大きくて優しい手が私の頭を撫でた。

私の前世の医学知識とこの世界の医学と薬学の知識!?それって最早、最強なんじゃないの?興奮して思わず手足をばたつかせる私にヒルルクはクスクスとどこか嬉しそうに肩を揺らした。


「それに案外、君に似てお転婆で猪突猛進なレディになるかもしれないしな。あと五年もしたら、野山を駆け回り薬草を取っては勝手に釜茹でにして研究しだすかもしれない。」


お父さまの言葉は明らかにお母さまをからかっているようで、お母さまは一瞬だけ目を細めると、私の頬にキスをした。


「あら、あなたに似て研究だ、実験だ、と書物を広げては爆発するような実験を繰り返し、動植物の解剖をしては侍女を気絶させるような、好奇心旺盛なレディになるやもしれませんよ?もちろん、社交界にデビューすればあふれる知識とにじみ出る美しさから、数多の紳士を虜にすることは間違いないでしょうけど。」

「やめてくれ。まだ、生まれて一か月しかたっていないのに、もう娘を嫁に出す事など考えたくはない。」

「ふふふ…。」


うわー…お母さまって…ある意味最強かもしれない。どこか勝ち誇ったように微笑むお母さまを見て私はあまり怒らせないようにしようと心に決めた。

二人で寄り添い私を見つめる瞳は優しくて、母の腕の中は気持ちがよくて、もっと二人の話を聞いていたいけど猛烈な睡魔が私を襲う。


「お休み、私たちの可愛い宝物。」

「いい夢を…。」


両方の頬にあたたかな感触を受けたことは分かったが、それが何かを確認することなく私はゆっくりと意識を手放した。


前世の私、佐倉彩芽は35歳でその生涯を終えた。


そしてアールツト侯爵家令嬢アヤメ・アールツトとして生を受けてから5年の月日が流れ私は暖かい家族と毎日幸せに暮らしている。



アヤメ・アールツト 5歳


「お母さま!見てください、私もうこんなに字が書けるようになりました!」


お気に入りの黄色いワンピースにおそろいの大きなリボンを頭につけた私は、ミミズが走ったような字が書かれた紙を高々と抱えて、優しい笑みを向ける母に呼び掛けた。


「まぁ、アヤメ。とても上手にかけていますよ。」


母はお世辞にもうまいとは言えないこの字を大層ほめるとそのまま私を膝に抱き上げた。私の今世の母・エンフェルメーラは栗色の髪と新緑の瞳が美しい女性だった。


「私の名前を書いたの。アヤメ・アールツト。どう?読める?」

「ええ。もちろん読めますよ。この間は書けなかった文字もちゃんと正しくかけているし、間違いもありません。たくさん練習したのね。偉いわ。よく頑張りました。」


母は私をその豊満な胸に押し当てると優しく頭を撫でてくれた。


「んふふふ。」


私は母にこうされるのが大好きで。35歳まで生きていた記憶があるとはいえ素直に子供に戻って甘えられるのが幸せだった。まぁ、今はどう見ても5歳児なんだけどね。


「ただいま戻りました。」


母と二人でじゃれあっていると、お兄様が部屋に入ってきた。

私のお兄様・シリュルジャンは母とよく似た栗色の髪と新緑の瞳が似合う少年だった。私よりも3歳上の兄は家庭教師に勉強や魔法を見てもらっていた。


「おかえりなさいお兄さま!私もうこんな字が上手にかけ書けるようになったのよ!」


母の膝から降りてお兄様に紙を見せると、とても嬉しそうにそして優しい笑顔で私の頭を撫でてくれた。


「よく頑張ったね。とても上手だよ。アヤメは本当に何でもできる子だね。僕の自慢の妹だ。」


母とよく似た顔で私をほめてくれる。そんな優しいお兄様が私は大好きだ。しかも、将来は絶対にイケメンになること間違い無し。変な女に引っかからないように、今のうちにしっかり注意してあげないといけないわ。


「お兄さま大好きよ。」

「僕もアヤメが大好きだよ。可愛い僕の宝ものさん。」


小さな手を回してお兄様に抱き着くとそのまま私を抱き上げて、頬に口付けを落としてくれる。くすぐったくて暖かくて。前世では久しく感じていなかったこの温もりが何よりも大好きだ。



お兄様は時間があるときはいつも私に付き合ってあってくれた。まだ字が読むのが得意ではない私に、屋敷の図書室で本を読んでくれたり、母が育てている薬草畑で虫取りをしたりといつも私の喜ぶことやたくさんの知識を教えてくれた。

そして、お父様も、時間のある時はいつも私に治癒魔法の使い方を教えてくれていた。


「アヤメ、さぁ手をおいて。」


お父様に言われて、私は目の前の腐りかけたリンゴに手をかざした。真っ赤なリンゴはその表面の半分を黒く変色させ、皮が破れて、中身が茶色く変色している。


「そう、そのまま。今度は目の前のリンゴが真っ赤な状態に再生するように頭の中で想像するんだ。」

「はい!」


お父様に言われるまま、目の前の腐ったリンゴが元の綺麗なリンゴに戻る様を想像する。するとポワーっと私の手が光りだした。


「いいぞ。そのまま、そのまま、ゆっくりでいい。元のリンゴに戻るように念を込めてごらん。」

「はい!」


リンゴ…元の赤いリンゴに戻れ。心で念じたまま手をかざし続けると、腐っていたリンゴの中身の茶色い部分が徐々に白く変色し、破けていた皮が閉じ、黒ずんでいた色がゆっくりと赤く変わっていった。


「よし!できた!」


お父様の声に私は手を放した。しかし、その瞬間、急に血の気が引くような感覚に襲われて、フラッと体が後ろに傾く。


「アヤメ!?」


お父様が慌てて私の背中に手を回して体を支えてくれる。


「大丈夫か?」

「…はい。大丈夫です。ごめんなさい、なんか疲れてしまったみたいです。」


心配そうに除き込むお父様に、力なく微笑むと、お父様はその凛々しい眉を下げて笑みを返してくれる。


「気にするな。魔力は術者の生命とつながっている。魔法を使いすぎれば、術者の生命が危険になるのは当然のこと。アヤメは他の者より魔力が少ないから、無理せず、少しずつ自分の魔力の限界と使い方を覚えていこう。」


肩をさすりながら、安心させるように言い聞かせるお父様に、少し心が痛む。自分の魔力が人より少ないのは分かっていた。しかし、治癒魔法の初歩の初歩ですら、魔力切れを起こして倒れかけるなんて…。治癒魔法一族に生まれたのに、情けない。


お父様もお母様もお兄様も、屋敷に使用人たちや親族に至るまで、私の魔力が少ないことは知っていた。しかし、だれも私を責めることも、さげすむこともせず、温かい言葉で見守ってくれていた。それがうれしい反面、一族の恥さらしのような気がして悔しくもあり悲しくもなった。


「ごめんなさい。」

「いいんだ。気にするな。それに、初めてなのに治癒魔法はちゃんと使役できたではないか。リンゴの再生は治癒魔法の始まりといわれる、大事な訓練だ。それを一回で達成できるなんて、シリュルでもできなかったぞ?お前は天才だ、アヤメ。きっとフェルも喜んでくれる。さぁ、疲れただろう、夕食まで少し休むといい。」

「はい、お父様。ありがとうございました。」


お父様と別れて自室へ戻った私は、そのままベットに飛び込んだ。国民のすべてが魔力を持ち、魔法を使えるのに、私の魔力の少なさは結構やばいかもしれない…。

心にできた黒い鉛のような痛みが少しずつ大きくなっていく。どれでも、せっかく授かった人生…何もせずに諦めたくはない。

こうなったら、魔力が無くても治療ができるように徹底的に医学と薬学の知識を学んで、前世の医療知識と合わせてアールツト一族で初めての治癒魔法を使役しない医師になってやるわ!


そう決意したところで、私は疲労感からゆっくりと意識を手放した。


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