16.侯爵令嬢と騎士
騎士隊に配属されてから半年。
私は、毎日屋敷からアルとお兄様とともに騎士棟に通っていた。
午前中は医学や薬学の座学と実技。午後は体術と剣術の訓練とみっちりやることが詰まっているが、私は楽しくて仕方がなかった。
やはり、屋敷の本で勉強するより実際に現場で働いている人間からの講義は数倍役に立つし面白い。知識としては知っていることも多かったが、実際に現場での使用方法や体験談を交えて教えてもらえるので、使用方法も想像しやすいし応用などの質問もできる。
医大よりも楽しいかもしれない…。
何気なく、隣を見ると髪を後ろで一本に編み込んだ、少女が真剣な表情でノートにメモを書き込んでいた。
彼女はミール・システーマ。
私と同じ時に0番入隊した同期だ。年齢こそは14と上だが同期のよしみですぐに仲良くなれた。ミールは平民だったが、騎士団に入れば貴族や平民は関係なくみな平等なので私にも気軽に声をかけてくれるのがうれしかった。
「ねぇ、聞いた今日の体術と剣術の訓練は1~4番隊と合同だって。」
演習場へ向かう道を歩きながらミールが言う。
訓練は基本的に隊ごとに行うのだが、今日は珍しく合同訓練になったらしい。少し先を歩くほかの0番隊の騎士に遅れないように足を動かしながら、私は声を潜めた。
「聞いたよ。ほかの隊の人達ってほとんど接触したことないから、楽しみ。」
「楽しみなの?私はいやだなー。だって女ってだけで見下す人もいるし、0番隊だから剣術も体術もどうせ適当だろ?みたいな雰囲気あるじゃん。腹立つよねー。」
騎士団で唯一女性の入隊が認められている0番隊は剣術や体術において他の隊から揶揄われることも少なからずある。隊長の叔父様と副隊長のカミーユさんは他の隊にも引けを取らない剣術と体術の使い手なので0番隊に表立って喧嘩を吹っかけてくる騎士はいないが、やはり陰で言ってくる人間はどこにでもいる。
「おい、見ろよ。あの0番隊のちっこい女。」
「ああ、噂のアールツト侯爵令嬢だろ?」
「あんなにちっさくて剣なんか振れるのかよ。」
「無理でしょー。体術だってあんな細い腕じゃすぐに怪我して終わりじゃない?」
「でも、治癒魔法が使えないから、自分で治せないじゃん。」
「そこはほら、兄貴と0番隊の隊長が世話すんだろうよ。」
「うわー羨ましい。アールツト侯爵家の七光り。」
案の定、演習場が近づくにつれて私の姿を見た他の騎士たちからひそひそと声が上がっていた。長年騎士団にいるものからは仲間を見下すような発言は聞かれないが、入団して間もない者はそうもいかないらしい。
聞こえてきた声にミールが言い返そうと声のするほうへ視線を向けたので慌てて止める。
「言わせてよ!アヤメ、あんなふうに言われて悔しくないの?隊長だって、シリュルさんだってアヤメを身内びいきしたことは一度もないのに!」
「悔しくないって言ったら嘘になるけど…。騎士同士の喧嘩はご法度だよ。私のために怒ってくれたのはうれしいけど、とりあえずここは怒りを収めて。ね?」
「んん―――!もう、わかったわよ。」
ほとんど納得していないながらも怒りを収めて声を静めてくれたミールに改めて礼を言う。騎士団に入る時点でこうなることは分かっていた。陰でどんな風に言われているかも想像がつく。でも、いちいち気にしていたら身が持たないしもったいないしもったいない。せっかくの現場研修の場なのだから。
「…アヤメ、よく言ったな。そしてミールはよく我慢した。二人ともえらいぞ。」
今まで無言だったカミーユさんが私の方を振り返って言った。
カミーユさんは顎のラインで綺麗に揃えられたボブヘアがとても似合う美人だ。しかも私のはとこになる。
副隊長という地位にありながら、騎士たちを差別することなく、面倒見がよくて姉御肌で、困ったときはいつも助言をくれる。決して助けてはくれないが自分自身で解決できるようにヒントを与え導いてくれる。私にとっては年の離れた姉の様だった。
「ああいう奴らには、口で言ってもらちが明かないから、力をもって示してやればいい。自分の間違いに気づくための授業料だ、血管の一本や二本切ったところでおつりがくるだろうよ。」
飛び切りの笑顔で物騒なことを言ったカミーユさんはまた前を向いた。
いや、その血管って多分太めの奴の事ですよね?下手したら出血性ショックで死亡しますけど!?
心の中で盛大に抗議すると、斜め前を歩いていたセブンさんが肩を揺らした。
「血管じゃなくて神経を切ってやればいいんじゃない。あ、筋膜ごと剥がして痛覚の神経をつまんでやればいいよ。その時はぜひ手伝わせてね…ふふ…。」
長い前髪で口元しか見えないが、その薄い唇は口角が歪んでいる。
笑っている?セブンさんが笑っている?!セブンさんは0番隊の中でも少し変わっていて、解剖や実験が大好きな人だ。顔を口元まで覆うように伸びた前髪のせいで素顔は見たことがないが、こんなふうに笑う?のは初めて見た。
「みんな物騒なこと言うなよ。仮にも騎士団の仲間だぞ。こういう時は正々堂々訓練の時に完膚なきまでに急所をたたき込めばいいだろ。それなら、万が一に何か重大な欠損を起こしてそいつの騎士生命が絶たれても、演習中の事故だし、そいつの不甲斐なさがもたらした結果だから、こちらも後味もいいだろ。な?」
一番怖いことをさらといったのは赤毛の短髪に片耳だけのピアスが印象的なヴァイスさんだ。私は頷くことも肯定することもできずに視線がさまよう。見た目はガテン系のお兄さんでとてもいい人なのだが、いうことが時々ぶっ飛んでいる。
「皆さん、我が妹のためにありがとうごいます。妹は素敵な先輩方がいて幸せ者ですね。」
ミーユと反対側の私の隣にいたお兄様がご機嫌そうに言う。しかし、体からはどす黒いオーラがあふれ出ているのでお兄様のいるほうだけ心なしか寒い気がした。
お兄様は騎士団に入られてから少し変わられた気がする。優しいところは変わらないが、何だろう…少し腹黒くなったというか…。
まぁ、私にも少し意地悪なようなところは出てきたが変わらず優しいからいいのだけれど…。
体術や剣術の訓練をするようになって私はあることを知った。
一番初めにそれに気が付いたのは、入団してから初めての訓練だった。
隊ごとに訓練をするが、ベテランと新人の騎士はさすがにメニューも異なるため初回の訓練は先輩騎士たちの訓練の見学からだった。
筋トレや基礎練習に始まり、組手や素手での体術訓練。さらには模擬剣をつかった剣の打ち込みなど、前世では映画とかでしか見る機会がなかった騎士の訓練風景に思わず見入ってしまった。
その後、私たちも実際も訓練を受ける場面になる。二人一組で組み手を取り、上官に指導を受けながら指示通りに体を動かすだけのはずが、自分の体をどう動かせばいいのか、相手をどうやって倒せばいいのかが勝手に頭の中に浮かんできた。
驚きながらも自分の頭に浮かんだとおりに手足を動かすと、あっという間に組手相手は地面に臥せっていた。慌てて、臥せった相手を起こし謝罪をするが私の身のこなしを見た叔父様やお兄様をはじめとした他の騎士たちは驚きを隠せなかったようすで、呆然とこちらを見ている。
17歳の青年が10歳の少女に体術で地面に沈まされたら驚くのは当然だろう。
なぜこんなことが…?今までこんなことはなったし、別段体力があるわけでも力が強いわけでもない。誰かと組み手をするのも、本格的に体を動かすのも騎士団に入団したからだったから気が付かなかったが、いつからこんなことができるようになったのだろう。
…もしかして…特殊能力?…転生時に神様がおまけしてくれたのかしら?
でも、手術とか勉学には使えない能力なので、騎士団にいなければまったく役に立たない力かもしれない。
神様…おまけとかいらないから魔力が欲しかったです…切実に…。
ちなみに、その後の剣術でも対戦相手だった年上の騎士の剣を吹っ飛ばすという失態を犯してしまった。
そんな私を見ていた叔父様には、すごい勢いで詰め寄られたが私自身どうしてこんなことができるのかわからないので、明確な理由をこたえることもできずとりあえずそれ以降私は新人訓練から外れ、体術と剣術に関しては一般騎士と同じ訓練をすることになった。
もちろん、体力や筋力は10歳の少女なので基礎訓練は他の騎士よりもはるかに軽いメニューになっている。
演習場について各隊に整列する。
0番隊以外は隊の人数が多いので二つの班に分かれて、体術と剣術を交互に訓練するらしい。
まず初めに、騎士団長の号令の下始まったのは障害物走だった。障害物と言っても運動会で見るような簡単なものではなく、演習場の一角に再現された市街地の建物の中を走り抜けるものだ。もちろん、平坦なコースはない。壁のぼりや、屋根の上、手すりの上などを鎧を付けた状態で走り抜けていく。
隊長や副隊長格の人達はまるで障害物などないかのように、すいすいと走り抜けていく。
やっぱり、叔父様もカミーユさんもすごいわねー。
あっという間にゴールしてしまった二人は、後続を走るセブンさんとヴァイスさんに声援を送っている。次に走り出したお兄様も難なく街中を走り抜けていった。
「次、新入団者!」
騎士団長の号令で、私と同期の新入団者たちがスタートラインに立つ。ミールと私そして、先ほど私の話をしていた何人かのうちの一人が私たちの横に立った。
なんとなく、私が見るとこちらに視線を合わせたその男は小ばかにしたように鼻で笑っていた。お兄様と同じ歳くらいだろうか。
パンっ!
騎士団長が手を叩いたのを合図に私たちは一斉に走り出した。
最初は壁のぼり。わずかな窪みを探し出し手や足をかけていく。他の騎士が苦戦する中、私はスルスルと壁を登り切った。そして、次の屋根に飛び移る。衝撃を膝で殺して、回転を加えて、屋根から屋根へかけていく。
「いいぞー!がんばれ!」
0番隊からの声援を聞きながら、私は全力で駆ける。走る速度は同年代の子供と比べたら決して遅くはないと思うが、ここは騎士団のなか。新人騎士とは言えど私以外はみんな14歳以上なので、どんなに全力で駆けても少しずつ集団との距離は離れていく。
それでもなんとかくらいついて、目の前には障害物。先についていた騎士たちがもたもたと壁を登る中、私は走るスピードを緩めない。なぜなら、この障害物のどこに手をかけどのように攻略するかが見えていたからだ。私の特殊能力?は体術や剣術だけにとどまらなかった。
「いうなれば、「攻略」の能力という事かな?」
最初にわたしのこの能力を知った時にお兄様が優雅に微笑んで言っていた言葉を借りるなら、私は対人対物への攻略の能力を持っていた。
この国には魔力を持つ人は数多といるが、私のような特殊能力を持つものは一人も存在しなかったので、この力は騎士団長と副団長、0番隊と私の家族のみに共有されることになった。
…確かに物凄く役に立ちそうだし、使い方によってはかなりヤバそうな能力だけど私は魔力が欲しかった。神様はなぜ、この力を与えてくれたのかしら…?
3位でゴールし息を切らしながらその場にしゃがみ込む。いくら、障害物の攻略法が得ていたとしても、まだ10歳の体で重い鎧を身に着けて長距離を走り抜けるのはかなりキツイ。私から少し遅れるようにしてミールがゴールした。私の横に腰を下ろした彼女と手をたたき合いお互いの健闘をたたえる。
「あ―…くそっ!」
悪態をつきながらゴールしたのは先ほど私を馬鹿にしていた男性だった。肩で息をして、だいぶ辛そうな様子だ。彼はふらふらと歩いて自分の隊のほうへ帰っていく。もちろん、去り際に私への睨みも忘れない。…面倒くさっ…。
次の体術訓練では新入団者の模擬戦が行われた。
剣は使わず素手での対決で、どちらかが負けを認めるか戦闘不能になるかまでやるらしい。各隊から新入団者と言われる今年と去年入団の者たちが集まる。数は10人程度。
「これから、名前を呼ぶ者たちは前に出て模擬戦を始めるように。」
オッド騎士団長の言葉に集まった騎士たちから短く返事が返る。そして次々と名前が呼ばれ模擬戦が始まった。
騎士たちは次々と技を繰り出し戦っていく。騎士団の入団試験では体術も剣術も必須なので、それに備えて幼い頃から鍛錬をしているから、新人とは言えある程度は体の使い方を心得ている様だった。
「1番隊フォルス・グラビティー!0番隊アヤメ・アールツト!」
「「はい!」」
ゆっくりと前に歩み出る。対戦相手は私よりも体格も年も明らかに上の男性だった。
「おい、手加減はしないからな。」
にらみつけるように私を見据えるフォルスはスっと拳を構えた。それに対して私は大きく足を一歩引いて腰を落とす。昔映画で見たカンフーのポーズだ。ヌンチャクはないが手のひらを相手の前に付きだし、クイクイとこちらに来るように挑発する。
…一度やってみたかったのよね。
「お気遣いありがとうございます。でも、負ける気もありませんので。」
私が言うとフォルスはギラリと目を光らせた。今にも飛び掛かってきそうな彼を冷静に見返す。お前の顔も声も忘れてない。さっきさんっざん私を馬鹿にした集団の一人。負けてたまるものか。
「始め!」
騎士の声と同時にフォルスが私のほうに踏み込み間合いを詰めた。
一瞬反応が遅れてしまうが、彼の突き出した拳が私にあたる寸前でその腕に私の腕を絡ませ、突き出された力と勢いを利用して体をひねる。そのまま、勢いと反動を利用してフォルスに絡ませた腕を引き寄せながら彼の背中に抜けた。
「なに!?」
突き出された腕をひかれた勢いのままフォルスがくるりと状態をひねりバランスを崩す。私は手を放して、もつれたフォルスの両足を払った。
ドサッ!
重い音と少しの土煙が上がり、フォルスは地面に倒れた。
「勝負あり!勝者、アヤメ・アールツト。」
審判役の騎士の声に見守っていた0番隊から歓声が上がる。あまりにも早すぎる決着に、他の組手を見ていた騎士たちも驚きの声を上げていた。0番隊以外の騎士たちは誰もこの勝負にアヤメが勝つとは思っていなかっただろう。
歓声に応えてから、私は力なくしゃがみ込んだままのフォルスに手を差し出した。
「立てますか?」
「…。」
私の声に何の反応も起こさない。どこか打ちどころが悪かったのだろうかと少し覗き込んだところで、彼の右手から炎が上がった。
「クソがぁっ!」
フォルスの声と一緒に炎を纏った拳が私の顔に向かってくる。至近距離でかわすこともできずに、チリっとした熱を肌で感じた。
くそっ…!
衝撃に備えて目をつむった。…が来るはずの衝撃は来なかった。
「そこまでだ。」
その代わり聞こえてきたのはお腹に響くような低い声。
ゆっくりと目を開けると、目の前には騎士の制服を纏った長い腕。そのすこしうえにあるのは装飾が施された紫の腕章。
フォルスから繰り出された炎の拳から私をかばうように腕を出していたのは、一番隊隊長のテオ・ノヴェリストだった。他の騎士よりも頭一つ大きい彼は深い藍色の髪がよく似合う美丈夫だ。
「テオ隊長…?!」
直属の上官の登場にフォルスは明らかに動揺している。そのせいか、テオにしっかりと握られた腕はもう炎を纏ってはいない。さらにフォルスの後ろには叔父様とお兄様が物凄い剣幕で彼の首に剣先を当てていた。
「フォルス・グラビティー。お前の行いは騎士として、人間として恥ずべきものだ。事実を受け入れ己を顧みることができなればここにいる価値はない。即刻立ち去れ。」
「隊長…。」
「黙れ。今この場でお前に発言の権利はない。一番隊、フォルス・グラビティーを兵舎へ。今後の事が決まるまで謹慎処分とする。部屋から一歩も出すな。」
「っ!!?」
地を這うような低い声と凍り付くような覇気に加えて、有無を言わせぬテオの圧力にフォルスは成すすべなく一番隊の騎士に囲まれて連れていかれた。そして、未だに剣を抜いたまま凄まじい覇気を飛ばず叔父様とお兄様に向き合い騎士の礼をとった。
「クエルト殿。シリュルジャン。我が隊員の失態でご迷惑をおかけしたことを深謝する。」
隊長格であるテオの突然の謝罪に私は驚いて声も出せないでいると、叔父様とお兄様は不機嫌さを残しながらも剣を鞘に戻した。そして2人で一瞬だけアイコンタクトを取ってテオに視線を戻す。
「その謝罪、受け入れよう。あの者の言動は最近目に余るものが多かった。特定の個人に対する悪評を広めるような輩は我々騎士団にはいないと私は思っている。今後は、二度とこのようなことが起こらないように徹底してほしい。」
叔父様の重苦しい言葉にお兄様は全面的な同意を示して大きく頷いた。
「承知した。その言葉肝に銘じ、二度この様な事が起きることのないように万策を尽くそう。」
テオ隊長は、言い終わるとそのまま私のほうへ振り返り再び騎士の礼をとり、そのままあろう事か跪いた。ふわりと目の前に揺れた藍色の髪。そして射貫くように向けられた漆黒の瞳に思わず背中が仰け反った。圧倒的な美丈夫の無表情は殺傷能力が高すぎる!しかも、騎士団の隊長格が私のような新人に膝をつくなんて!
長身のテオ隊長と比べると私の身長は腰ほどくらいまでしかないから、視線を合わせるために膝をついてくれたのかもしれないけど、恐れ多すぎる!
「アヤメ嬢。先ほどの我が隊員の愚かな行いを謝罪する。怪我はないだろうか?」
「お気遣いありがとうございます。どうぞお気になさらないでください。かばっていただいたおかげで怪我はありませんでした。ありがとうございました。」
「礼には及ばない。我が隊員の失態は私の失態でもある。…しかし、君の身のこなしは素晴らしいな。体格差や体重差を考慮し、それをうまく利用した良い立ち回りだった。」
私に促され、立ち上がりながら、話し出したテオ隊長は私を褒めてくれる。その顔は先ほどと同様無表情に近いが、目元は穏やかに感じられる。特殊能力の事は言えないので笑みを作りながらあいまいに頷く私は、ふとテオ隊長の指先が赤くなっていることに気が付いた。
「テオ隊長、指先にけがを?」
私の問いに、今初めて気が付いたとばかりにテオ隊長は自分の指先を確認する。
「ああ、先ほど少し炎にかすめたのだろう。この程度の火傷なんともない。」
テオ隊長はさして気にしない様子で軽く振って見せるが、その指先は明らかに水ぶくれができている。さっき私をかばって出来た火傷だと思うと何となく放っては置けなくなった。しかも、火傷のしている指先は右手である。騎士として剣を握る利き手は何よりも大切なものだと昔叔父様が言っていたのを思い出す。
「失礼します。」
そこまで考えて、気が付いた時には体が勝手に動いていた。
「なにをっ!?」と驚くテオ隊長の手をとり、指先に右手をかざす。「アヤメ!?」お兄様が私を呼ぶ声が聞こえたが、それを無視して私はテオ隊長の指先にかざした右手に集中した。
柔らかな小さい光が私の右手から溢れ、ゆっくりとテオ隊長の指先の火傷を癒していく。テオ隊長の息をのむ音が聞こえてきた。本当にゆっくり、それでも確実に手を隊長の指先は回復し元の通りになった。
「よかった…。」
元通りの指先に戻った事を確認して安堵した。少し、ふらつく気がしたが何とか足に力を入れて、私の手が三つ分くらいの大きなテオ隊長の手を解放する。
「…これは…治癒魔法か…?アヤメ嬢は…治癒魔法を使役できないと聞いていたのだが…?」
火傷の傷が綺麗になくなった指先と私を交互に見るテオ隊長に私は柔らかく笑みを作った。
「全く使役できないという訳ではないのです。ただ、お恥ずかしい話ですが、魔力量が少ないので大きな怪我を治すことは出来ません。お兄様や叔父…いえ、クエルト隊長が治したほうが私よりも早く、的確に治療できるのですが、私のせいで出来た怪我なので、私が治療したいと思いました。勝手なことをして申し訳ありません。」
謝罪を述べて軽く頭を下げる。するとテオ隊長は私の肩に手を置き、大きな体をかがめて私の目線に合わせてくれた。
「謝罪は必要ない。わざわざ貴重な魔力を使ってまで治療してくれたこと感謝する。君は素晴らしい騎士であり、間違いなくアールツト侯爵家の血を引く高潔な存在だ。胸を張れ。今後、アヤメ・アールツトの名を汚すものがいたら私は全力で阻止することを約束しよう。」
今まで無表情だったテオ隊長は、微笑んで私の肩を優しく叩くと小さな挨拶とともに騎士団長のほうへ歩いて行った。きっと先ほどの事とフォルスの今後を相談するのだろう。
…笑った…テオ隊長が…笑ってくれた。その殺人的な色気と美しさに一瞬思考が止まる。
呆然と見送っていた私にお兄様と叔父様が駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「体調は?めまいは無い?」
叔父様とお兄様に声をかけられ、大丈夫。と答えながらも私の心の中は先ほどのテオ隊長の言葉とほほ笑みでいっぱいだった。
『間違いなくアールツト侯爵家の血を引く高潔な存在だ。』
『胸を張れ。』
私を…アールツト侯爵令嬢としての存在を認めてくれた…。
初めて人に治癒魔法を使った。
本当に初歩的で、治療した程度も最も軽い小さな火傷…。
前世の医療知識無しで…初めて…認められた。
認められた!!
その事実が、嬉しくて、嬉しくて、嬉しい!!
生まれてきてから10年間。ずっとずっと私に絡みついていたもの一部がバリバリとはがれていくような感覚だった。
あいまいに返事を返す私に、いよいよ本格的に心配しだしたお兄様と叔父様の声が大きくなっているのがわかるが、今は…今だけはこの余韻に浸りたかった。