13.侯爵令嬢と騎士団
インゼル王国に存在する騎士団は他国の騎士団とは少し違っている。
民や王族を守ることは他国とさして変わりがないが、入団は14歳から可能で、入団のためには厳しい試験を合格する必要があった。試験は年に一度。騎士は花形とあって人気が高い職業だったが、試験に合格できるのは毎年2~5人と非常に狭き門である。
さらに、入団後は1~4の隊に配属される。1番隊は火魔法の使役者。2番隊は水魔法の使役者。3番隊は風魔法の使役者。4番隊は土魔法の使役者と己の属性魔法によって入隊する隊が分けられていた。魔力の量によって魔法が使役できない者は適性診断によって配属先が決められるシステムで、攻撃魔法・剣技・体術・戦術をバランスよく訓練して騎士団全体の強化に努めていた。
そんな騎士団の中で0番隊と呼ばれる隊が存在する。
他の隊と比べて所属している騎士の人数は半分以下。騎士団では唯一女性の入隊が認められている0番隊は負傷者の治療を目的とした「救護隊」だ。
0番隊への配属希望者は、入団試験後さらに、医療と薬学の筆記試験と実技試験を受ける必要があり他の隊と比べてかなりの狭き門である。そして配属後は、攻撃魔法・剣技・体術・戦術の他に医療技術と知識をたたき込まれる。そして、0番隊の隊長・副隊長はアールツト一族と定められており、アールツト侯爵家に生まれた者は10歳から仮入団し14歳から3年間の本入隊が義務付けられていた。
アヤメ・アールツト 10歳
「お父様、お母様、お兄様。本日より、騎士団へ入団することになりました。自分にできることを精一杯取り組み、多くの事を学習してまいります。」
朝食後、談話室で家族に挨拶をする。
お父様は少し目に涙をにじませて。お母様は優しくほほ笑んで。お兄様は嬉しそうに目を細めて、私の挨拶に頷いてくれた。
「アヤメ、クエルトによろしくな。決して無茶をするな。自分の技量を見極め最善と思う行動を心がげるように。」
「はい、お父様。」
「体に気を付けて騎士としての務めをしっかりと果しなさい。…今晩帰って来たら話を聞かせてね。」
「ふふ。はい、お母様。」
「入団おめでとう。今日からアヤメと一緒だと思うとうれしいよ。無理はしないで、困ったことがあればいつでも言っていいからね。」
「ありがとうございます。お兄様。今日から、よろしくお願いします。」
三人に笑顔で返事をして胸を張る。
アールツト侯爵令嬢として私にできることを精一杯やろう。私は気合を入れて、入団式の準備に取り掛かった。
「お嬢様…寝不足ですか?」
鏡越しに私を覗き込んだアリスが少し心配そうに言った。
「んー。昨日はなんか、興奮と緊張でよく眠れなったのよね。」
「大丈夫ですか?体調がすぐれないようでしたら、本日はお休みしてもよろしいと思いますが。」
「大丈夫よ。今日は仮入団の日ですもの。アールツト侯爵令嬢として叙任式に欠席することはできないわ。」
そう、今日は騎士団への仮入団の日だ。
今日から私は騎士団の一員となり、0番隊へ身を置くことになる。鏡に映ったのは、真新しい騎士の制服を着て、髪の毛を一つに結んだ私の姿。少し、目の下のクマが目立つような気もするがそこはご愛敬だ。
今日は騎士叙任式といって、新しく騎士団に入団する者たちが国王陛下から入団の許しを賜る式典が行わる。仮入団の私もそこで国王陛下から入団の許しと決表明の口上を述べる予定になっている。
騎士団に入れば平民も貴族も関係なくなるが、アールツト侯爵家の人間だけはやはり別格らしく、国王陛下への宣誓が慣例だった。
「それはそうですけど。…せめて入団式の前の、騎士団長殿への挨拶くらいは省かれては?」
「心配してくれてありがとう。でも、それもできないわ。これから先、長くお世話になる方だものきちんとご挨拶しないと。」
「承知いたしました。では、最後にこちらの腕章に手をお通しください。」
しぶしぶ了承してくれたアリスに言われるがまま、差し出された腕章を腕に通す。そのまま上に引き上げると肩の少し下の位置でアリスがピンで止めてくれた。
深紅の腕章に銀糸で刺繍されているのはアールツト侯爵家の家紋。この腕章はアールツト家の人間だけが付けることのできる特別なものだ。
鏡に映った自分の姿を改めて確認した、数年前お兄様が同じ腕章をつけた姿を羨ましく見ていたことを思い出し、知らずに頬が緩んだ。
「とてもお似合いです。」
嬉しそうに目を細めるアリスに礼を言って、そばに置いてあった特注の医療かばんを肩にかけた。先日、サーチェス様が作ってくれた医療器具や麻酔薬。私に必要なものが全部入ったそれはだいぶ重かったが一人で持てないこともない。
これから先、この荷物を背負って医療現場を駆け回るのだから、これくらいでへこたれてはいられないわ。
医療かばんの中身の予備としてまとめた荷物はバルコニーに待機していたアルの荷物バッグに詰め込んだ。今回の入団にはアルも一緒に参加する。
アルはもうすっかり成体となり、バルコニーに大型自動車が止まっているような体格だった。成体になってから、アルにサドルと荷物かばんをつけて移動手段として乗ることも多くなった。
馬車とは違い、早いし渋滞もない。家族は心配したけれど、自分たちの黒歴史と比べれば可愛いものだ。と最終的には許可を出してくれた。
医療器具の受け取りにサーチェス様の家にアルに乗って飛んで行ったら、目を丸くして驚いた後お腹を抱えるようにして笑い出したのは今でも記憶に新しい。
「本当に、アヤメは私の想像の上を行く。」
そういってどこか満足そうにしていたサーチェス様はアルに乗ろうとしたが、なぜかアルが断固拒否!の姿勢を示し乗ることは叶わなかった。
お兄様は乗せてくれるのに…なぜかしら?
「アルはサーチェス様が嫌いなの?」
なんとなく思い出したのでアルに聞いてみると、心底いやそうに大きな瞳を細めて「グゲェー」と鳴いた。…いったいなにがあったのか…?
気になるけど、今日はここまでにしておこう。いつもとは違い、サドルにつけられた深紅の飾り布に銀糸で刺繍されたアールツト家の家紋。そして、その下には私の名前が金糸で刺繍されている。その部分をそっと撫でながらアルに乗った。
「よし!行こう!」
「グギャー!」
大きく翼を広げて、アルが飛び立つ。
庭に出て見送ってくれた両親と使用人たちの上を一周旋回して騎士棟を目指した。
国王陛下が暮らす城は王都の見晴らしのいい高台に作られていて、その高台を含み周囲の広範囲が城の敷地内となっている。その広大な敷地内に王族が暮らす宮や使用人たちの寄宿舎、来賓のための宮、そして騎士団のいる棟や兵舎、演習場などが設けられている。
城の敷地内に入るには基本的に城門をくぐらなければならないが、アルの事は国王陛下や騎士、衛兵たちに事前に知らせていたので、特にとがめられることなく城壁の上を通過する。そして、私を乗せたアルはゆっくりと騎士棟の前に降り立った。
「ありがとう。アル。」
アルから降りて、その太い首を撫でると、嬉しそうな声が返ってくる。身だしなみを整えて、騎士棟の門へ入ろうとしたところで、入り口に人影を見つけた。
「アヤメ!」
黒髪をハーフアップで結い上げ、細身ながらしっかりとした体つきの男性がこちらに手を上げている。
「クエルト叔父様!?」
そのままこちらに歩み寄ってきたのは、お父様の弟で0番隊隊長のクエルト・アールツトだった。
あいさつ代わりの抱擁を終えるとそのまま私を観察するように視線を上下に動かした。
「大きくなったなー!それにますます義姉さんに似て美人になった。」
「ありがとうございます。叔父様もお元気そうで何よりです。父が叔父様によろしくと申していました。」
「そうか。兄さんも義姉さんも相変わらず元気か?」
「はい。」
「そうか。さて、今日からアヤメも騎士団の一員だ。俺は身内びいきをしないから覚悟するように。」
「はい。よろしくお願いいたします。」
叔父様に案内されて、そのまま騎士団長に挨拶をすることになった。アルはそのまま待機してもらうことにする。
騎士棟の中を歩き重厚な扉の前で叔父様が止まる。姿勢を正した叔父様に倣って私もグッと背筋を伸ばした。
「失礼いたします。騎士団長、アールツト侯爵令嬢をお連れいたしました。」
ノックをして声をかける姿は、私の知っている叔父様ではなく一人の騎士の様で思わず目を奪われる。
アールツト侯爵家の次男として生を受けた叔父様は家督がお父様に継がれることを知っていたからか、10歳で仮入団してからずっと騎士団に身を置いていた。私が小さい時から、よく屋敷にきて遊んでくれていたが、そのたびに増える傷を見るのは少し怖かったのを覚えている。傷は治癒魔法で消さないのかと聞いた私に「これは騎士の誇りと戒めだ。」と教えてくれた叔父の顔は、貴族ではなく立派な騎士だった。
家督は兄に継がれるから、私もいずれはアールツト侯爵の名を離れただの「アールツト一族」として平民に下る事になる。貴族の爵位に興味はないので平民になることに抵抗はないが私も…叔父様の様に医療の最前線で働く人間になりたい。と叔父様の大きな背中を見て漠然と思った。
「入れ。」
中から聞こえた声に「失礼いたします。」と声を掛けてから叔父様がドアを開ける。私も叔父様に続いて挨拶をして入室し、いつもの淑女の礼ではなく、こぶしを握った手を胸に当てて騎士の礼を取った。
「アールツト侯爵令嬢殿、面を上げてください。」
威厳のある低めの声に少しドキドキしながらゆっくりと顔を上げる。視線の先には笑顔を向ける赤毛の短髪がよく似合う逞しい男性だった。
「お初にお目にかかります。騎士団長を務めておりますオッド・ナンバーと申します。ようこそ我が騎士団へ。誉れ高きアールツト侯爵家のご令嬢を心より歓迎いたします。」
私がした騎士の礼よりも美しい所作で礼をとるオッド騎士団長は叔父様より幾分若く感じられが、右のこめかみから顔面を斜めに走るように左のあご先まで走る傷跡が騎士団長としての威厳と強さを表している様だった。
「ご丁寧なあいさつありがとうございます。アールツト侯爵が娘アヤメ・アールツトと申します。本日より騎士団へ入団することとなりました。誇り高き王国騎士団の名に恥じぬよう、アールツト家の一員として、精進いたします。ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。」
私の言葉にオッド団長は短く返事をする。するとオッド団長の横に癖のある栗色の髪をハーフアップで前髪ごと結い上げた騎士が並んだ。
「お初にお目にかかります。副団長のインブル・アンペールと申します。以後お見知りおきください。」
物腰の柔らかな印象のインブル副団長は騎士というよりはモデルのような体格だった。
「よろしくお願いいたします。」
2人に挨拶を返すと、オッド団長がソファを進めてくれた。はじめは上官の手前ということもあって断ったが、インブル副団長の有無を言わせぬ圧に負けてしぶしぶ腰を下ろした。
もちろん、一般の騎士である叔父様は騎士団長と副団長の前ということもあって私の横にたったままである。
…うん、すごく気まずい…。
私とテーブルをはさんで向かい合うように座ったオッド団長とインブル副団長は神妙な面持ちで口を開いた。
「失礼なことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
急に変わった空気に戸惑いながらも首を縦に振る。するとオッド団長は少し言いにくそうに数度視線を叔父様とインブル副団長に向けた後何かを決意したかのように口を開いた。
「アールツト侯爵令嬢殿が…治癒魔法を使えないというのは誠でしょうか?」
一瞬だけ、ピリッと空気が張り詰めた気がした。後ろにいる叔父様から、冷たい覇気がビリビリと伝わってくる。何か…怒っているのかしら?
叔父様は私と初めて会った時から、私の魔力の量の少なさを知っていた。そして、私の魔力量では満足に治癒魔法を使役できないことも当然承知しているはずなのに…。
「はい。全くという訳ではありませんが、他のアールツト一族のような治癒魔法は使えません。」
私の答えにかすかに誰かの息をのむ音が聞こえた。
インブル副団長が気まずそうに口を開く。
「…兄上のシリュルジャン殿は治癒魔法を使役できるようですが…?」
「はい。お兄様は魔力量も多く、治癒魔法を使役することも可能です。ですが、私は生まれつき魔力量が少なく、治癒魔法を使役することが困難な状況にあります。」
「失礼ですか、魔力の測定は定期的に行っておりますでしょうか。」
「…毎日、魔力を測定して記録を付けています。生まれてからの10年間ずっと記録していますが、魔力の量はほとんど変わりません。」
私の言葉に「なんと…。」とオッド団長が声を詰まらせた。
生まれてから毎日魔力量を測定して記録を付けている。それはお母様が始めたことだ。私が記憶に残すもっとも古い映像は、測定後の悲しそうなお母様の顔と抱きしめてくれた温かな温もり。背中に回された手の震える感触。
…そしてそのことを思い出すたびに胸に浮かぶ言葉。
生まれてきてごめんなさい。
小さい頃は治癒魔法の測定や練習をするたびに、悲しそうな両親の顔を見るとそんなことを思うようになった。メスを手にできるようになってからはそんなことを思うことも少なくなったが、幼いころの記憶にはすべてその思いが付いてくる。
「治癒魔法が使えないのであれば、今回の仮入団はいくら「義務」とはいえ…その、お辛くなるのではないかと思いますが…。」
「お言葉ですが、我が姪は治癒魔法など使えなくとも立派に騎士団の一員として活躍することができます。」
オッド団長の言葉に畳みかけるように叔父様の声が響いた。
上官の会話中に話をしたことをすぐに詫びたが、叔父様の臙脂色の瞳には強い怒りが浮かんでいる。
オッド団長の言いたいことは分かる。
治癒魔法が使えるからこそアールツト侯爵家の人間の入団が義務付けられているこの制度。入団する意味が私にはあるとしても、騎士団側からすれば治癒魔法が使えない幼い少女が入団したところで何の利益もない。それどころか、名門貴族の令嬢をむやみに戦場へ連れていくというリスクが増えるだけだ。
でも…それは、私がただの侯爵令嬢だった場合の話。
今の私はただの侯爵令嬢ではない。この日のためにたくさんの準備と勉強をしてきたのだから。それに、前世でも野戦病院や軍の船医も経験している。
私は、ただの貴族令嬢ではない。誇り高きアールツト侯爵家の娘。
ひとりでも多くの命を救うために、私できること全てで戦うと決めて、初めてメスを握ったあの日に…
生まれてきたことを後悔する事も、謝る事も置いてきたのだから。
「騎士団長の御心遣いに感謝いたします。…騎士団長のお考えもよくわかりますが、私は治癒魔法が使えなくても、騎士団でお役に立つことができる。とお約束いたします。」
自信をもって言い放った私の言葉にオッド団長とインブル副団長が驚き、叔父様が満足げに頷いた。