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12.錬金術師は見た

「本当に、貴殿は変わっていますね。」


高級なレストランで手袋をはめた手でワイングラスを揺らしながら目の前の夫人は、綺麗に紅の惹かれた唇に弧を描いた。


「それは、誉め言葉として受け取っておきましょう。」


うわべだけの笑みを返して、さして好きでもないワインを口に含む。


「もう、相変わらず読めない人ね。」

「簡単にお互いがわかりあえたらつまらないでしょう?相手が何を考えているのか、引き出して、駆け引きして…手に入れる。そのほうが何倍も面白い。」

「…ずるい人。…でも嫌いじゃないわ。」

「ふふ。私も伯爵夫人は嫌いじゃないですよ。」


好きでもないですけどね。

あえて最後の言葉は飲み込んで、わざと妖艶な笑みを見せれば夫人の白い頬がうっすらと紅色に染まった。


私の研究には金がかかる。その為には後援者は必要不可欠な存在だ。高位貴族から豪商まであらゆる後援者たちを常に私に飽きさせないように、離れていかないように、定期的に会うようにしているが…反吐が出る。


地べたを這いずり回り、泥水を飲んで幼少期を過ごし。錬金術師の弟子になってからは言われるがままに労働や研究に徹した。資金が必要な時は法に触れることも手を付け、自分を売ったこともある。

そうしているうちに、いつの間にか話術を覚え。いつの間にか知識と技術を得て。いつの間にか師を超えた錬金術師になった。


ある程度資金がたまってからは、自分の興味のあるものを想いのままに研究し作り上げた。名声も富も興味はない。ただ、思うままに研究し物を作りたい。


それを続けることはこんなにも私に苦痛をもたらす。


「ねぇ、このあと私の屋敷へ来ない?」


すらりとしなやかな手が私の手に重なった。その意図を間違いなく汲み取って、重ねられた手をそっと握る。

この絹の手袋の中にあるのは白く美しい肌だろう。

苦労も知らず傷つくこともなく、守られて大切に育てられて、「自分は美しくどんな男でも手に入る」と思い込んでいる高慢な女の手。


…反吐が出る。


私が手を握り返したことを了承ととったのか夫人の顔に勝者の笑みが宿る。反対に私の心はひどく冷え込んだ。


「美しき伯爵夫人。…お忘れですか?資金援助をしていただいてはおりますが、貴女と私はそれだけの関係。…それ以上の事は互いに望まぬと誓約書にて誓い合いましたでしょう?私は、貴女との初めての二人だけの誓いを大切にしたのです。」


少しだけ、夫人を見つめる瞳に哀愁を混ぜて。握った手の甲を親指の腹でゆっくりと撫でる。すると、夫人が頬を染めて悔し気に唇を引き絞った。


「…ずるい人。」

「花のように美しいあなたにそんなふうに言っていただけるなんて、光栄です。」


にこりとほほ笑んで手を放す。

自分の容姿が男にも女にも受けがいいのはずいぶん前から分かっていた。貴族も豪商もみな同じ。服や地位を脱ぎ去れば皆色欲にまみれたただの人間だ。


反吐が出る。


だったらそれを利用するまで。使えるものはなんでもつかう。

全ては安定な資金収入のために。そして、研究のために。



伯爵夫人と別れて、早々に身軽な服に着替える。礼服は街を歩くには目立ちすぎる。そのまま、少し買い物をして帰ろうと市場方面へ足を向けると広場に人だかりができていた。


さして興味がなかったので、よけて行こうと踵を返したが


「アールツト侯爵家のご令嬢だよ。」

「ああ、あの治癒魔法が使えないっていう?」


聞こえてきた言葉に思わず足を止めた。

思い出したのは、黒髪に紫色の瞳が印象的な幼い少女だ。先日交渉に呼ばれたが、さして興味がないので依頼を断った。ステンレスという素材には興味を少し惹かれたが、貴族のお嬢様の御遊びに付き合うのはごめんだ。


「治癒魔法が使えない落ちこぼれ。」

「アールツト侯爵家のポンコツ令嬢。」


彼女に関するうわさは巷では有名だった。

建国の時から存在する、名門のアールツト侯爵家。そこに生まれた人間として絶対的に必要な「治癒魔法」。しかし、それを使えない幼い令嬢。

アールツト侯爵家の絶対的な力を知っているからこそ、それを持たない彼女は民衆の格好の餌食だった。

しかし、それに対しても私は特に思うことはなかった。「治癒魔法」など自分には関係ない。アールツト侯爵家の名前も興味はない。そして、物珍しい医療器具をわざわざ私に依頼してきた彼女にも興味はない。


はずだったのに。

気が付けば、彼女がよく見える場所まで移動していた。無意識にとった行動に驚きながらも視線は血だらけで倒れている男のそばにしゃがみ込み、声をかける彼女にくぎ付けだった。


「あなたは…?」

「アールツト家の者です。こちらの男性を診察しますので下がってください。」

「アールツト侯爵家の!?…では、治癒魔法で!」

「っ…申し訳ありませんが、私は治癒魔法を使えません。」

「そんなっ!?」


彼女と話していた男の顔に悲壮と落胆の色が浮かぶ。会話を聞いていた野次馬の間にもざわりと驚愕が広がっていった。それでも、彼女は声をはった。


「ですが、この方を助けることはできます。どうか私を信じてください。」


その言葉に私は驚きを隠せなかった。

治癒魔法がないのに、けが人を助けることができるのか?まだ、幼い少女が?

ただの思い上がりか?


様々な疑問が浮かび上がる私が見つめる中、彼女は迷うことなく指示を出し、血に汚れながら処置を進めていく。

ガーゼ越しとは言え、男の口に自分の口を付けて直接息を吹き込む。嫁入り前の娘がこんな公衆の面前で。通常であれば、はしたないと罵られる場面だが、彼女の表情とその姿からは卑猥さなど一切感じることができなかった。


そこから、彼女は近くにいた男を捕まえて指示を出し、侍女と一緒に腕に木を添わせ包帯で巻いていく。その鮮やかな手つきは素人目に見ても美しく、手慣れているのがわかった。

血が溢れて肉が見えている部分でも、彼女は躊躇なく触れて処置をしていく。


「頑張って。」


男に声をかけながら、小さな体で懸命に処置をしていくその姿に私は何も考えられず、ただ彼女を見ることしかできなかった。


男が運ばれて、彼女とその従者たちが馬車に戻っていく。

その姿を見ながら聞こえてきたハッと我に返った。


「今のみた?」

「見た!あれがアールツト侯爵家の令嬢ね。」

「アールツト侯爵家の人間なのに、治癒魔法が使えないんだって?」

「本当だよ。さっき本人が言ってたぜ。」

「じゃあ、噂通りの落ちこぼれじゃねーか。」


心無い民衆の言葉。

つい先ほどまでは何も感じなかったはずなのに、知らずにこぶしを握り締めていた。そして思い出したのは先日の商談での彼女の言葉。


「私が巷ではなんといわれているか知っています。」

「そして、その噂は、ほとんど真実です。」


紫の瞳に確かな意思をもって彼女は言った。


「私は他の人達と同じ方法では戦えません。私の目標とする医療を実現するためにはこの世界には無いものが多すぎます。でも、無いからと言って私は諦めたくないのです。」


目の前のこれが、彼女の目指す医療。

お遊びではない。そこには確かな技術と知識があった。

あの小さな背中に「アールツト侯爵家の落ちこぼれ」という重荷を背負い、心無い噂の中をたった一人の命を助けるために駆けていく。


血まみれのドレスで馬車に乗り込む姿を見ながら、ぶわり…と全身に力が宿った。怒りのような、喜びのようなそれは私の中で、どんどん大きくなってやがて興味につながった。


「アールツト侯爵家令嬢…いや、アヤメ・アールツト。」


人知れず口の中で呟きながら、動き出した民衆の中に身を紛れ込ませる。この私がこんなにも一人の人間の事を考えるなんて。


…面白い。


彼女に対する興味が次から次に溢れ尽きることがない。


…作ってやろう。

彼女の望む医療器具を。

彼女が戦うための武器を。

私が作った武器を手にして、次はどんな姿を見せてくれるのか…どれほど私の心を踊らせてくれるのか。


ああ…楽しみだ。


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