11.侯爵令嬢と公爵令息
「失礼。レヒト・フェアファスングだ。アールツト侯爵令嬢とお見受けするが。」
銀髪碧眼の美少年は、まるで敵でも見るかのような強い瞳で私を見下ろした。
「ひえっ!」
余りの威圧感に声を漏らしてしまった私に彼はピクリと眉を動かすと、ゆっくりとその場に片膝をつく。
「すまない。怯えさせるつもりは無かったのだが…。」
先ほどとよりは幾分和らいだ声でフェアファスング様は私を見上げてきた。
もしかして気を使ってくれたのかしら?
「こちらにいらっしゃると聞いて、やってきたのだが、アールツト侯爵令嬢で間違いないだろうか?」
「は、はい。アールツト侯爵が娘アヤメ・アールツトです。」
自分より爵位が上の貴族に片膝をつかせてしまった事に慌てて私はベンチから立ち上がった。そして、丁寧に礼をする。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。」
「いや、かまわない。本来ならば真っ先にアールツト侯爵令嬢へ挨拶するべきだったのだが、少々もたついてしまった。」
フェアファスング様は片膝をついたまま言葉を続ける。
「馬車の事故では、私の命を救ってくれてありがとう。その知識と勇気、行動力に心から感謝する。」
日差しに照らされて輝く銀髪が目に痛い。射貫くような強い蒼の瞳に見つめられて一瞬動けなくなった。
「とんでもございません。どうぞお気になさらないでください。アールツトの人間として当たり前のことをしたまでです。」
「その気高い心に感謝する。」
華やかな見た目と反して、硬派なレヒトを促して私たちはベンチに座りなおした。
うーん、見た目で判断するなら完璧に物腰の柔らかな王子様なんだけど。人は見かけによらないものね。
フェアファスング様を見ると自然と傷口のあった部分に視線が動く。
額の傷は綺麗になっているし、右上腕部も不自由はなさそうだ。大腿部もきっと綺麗に治っているのだろう。
患者の順調な回復を目にして思わず安堵の息が出た。
「無事に傷も治ったようで安心いたしました。」
「アールツト侯爵令嬢の初期治療が適切だったおかげだ。あのままでは命を落としていたかもしれないと聞いた時、どれほど感謝したことか。」
「いえ、私はできることをしただけです。一番努力なさったのはフェアファスング様ですよ。」
あの時、私が駆け付けたのは事故からある程度時間がたってからだった。もし、その時心肺が停止していたら、一命を取り留めたとしても、脳に障害が残っていたかもしれない。あの時、かすかながらに心臓を動かし、呼吸を取り戻してくれたのは外ならぬ、彼本人なのだから。
「それに、素敵なドレスもありがとうございました。お気遣いいただき申し訳ないです。」
「いや、そんなことは…。あの時一緒にいた執事に聞いた。私の血でドレスを汚してしまったと…。申し訳ない。ドレスなど女性に贈るのは初めてだったので母の意見を参考にしたのだが、気に入ってもらえただろうか?」
「はい。侍女も大興奮でした。本当にありがとうございます。」
「ああ。気に入ってくれたのならよかった。」
とはいっても、男性からもらったドレスはさすがにホイホイと着ることはできないよね。しかも、普段使いにはもったいないし…。しばらくは箪笥の肥やしかな?
「その…先ほどはサーチェス殿といたようだが…。」
「サーチェス様ですか?」
なぜここで突然サーチェス様が出てきたのか?
私が聞くと、フェアファスング様はクシャリと前髪をかき上げた。その仕草も、かき上げた前髪によって見えた綺麗な眉もすべてが麗しい。
ああ、眼福。
「いや、その、ずいぶんと親しげだったので…。アールツト侯爵令嬢と婚約でもしているのかと…。」
「へ?!婚約!!あ、いや違いますよ。なんていうか、よくわからないのですが、サーチェス様はその少し変わっていらっしゃるので。それに、私はまだ9歳ですし…。」
少し、気まずくなってなぜか私のほうがしどろもどろになる。
サーチェス様と婚約なんて…ないでしょ?年齢的にないでしょ。いや、待って、あの人幾つなの?多分20歳は越えているはずだから…違法です。前世では完全に犯罪です。
「そうか…。失礼なことを聞いてすまなかった。だが、アールツト侯爵令嬢はまだそんなに幼いのか。それで、私を助けるとは…。やはり、アールツト侯爵家は素晴らしい。」
「ははは。ありがとうございます。」
乾いた笑いが漏れてしまう。
アールツト侯爵家では私は落ちこぼれですけどね。
「それに、話していてもとても年齢と似つかないというか。私の従兄弟も9歳だが、貴女の様に…いや、君の様に落ちつた話などできない。私も15歳という年齢に恥じないように気を付けているつもりだが、君を見ると学ぶことが多い。」
私は中身が35歳ですからね。それよりフェアファスング様が15歳とか!こっちのほうが驚きよ!15歳でそのしゃべり方とか仕草とか…自分が15歳の時と比べるとずいぶん大人だよ。それに、どう見ても物語で出てくる王子様か騎士様に見える。
「…ありがとうございます。フェアファスング様は立ち居振る舞いもとてもご立派で、私のほうが学ばせていただくことが多いです。まる物語から抜け出た貴公子の様で素敵ですね。」
「!」
なぜかフェアファスング様の顔がほんのりと赤く染まる。
あれ?私なんか恥ずかしいこと言った?
「フェアファスング様?」
今日は日差しが強いし気温も高いから熱中症かな?一応噴水の近くだから涼しいはずだけど。彼は飲み物も持ってないし…。
顔色を見ようと覗き込むと、フェアファスング様は右手で顔を覆って反対側を向いてしまった。
え?もしかして吐き気?頭痛?
「大丈夫ですか?お気分がすぐれないとか…頭痛や吐き気はありますか?」
「いや、大丈夫だ。これは…その、気にしないでくれ。」
いくらか頬に赤みを残しながらフェアファスング様はようやく顔を見せてくれた。
うん、顔が赤い以外は特におかしなところはない。きっちりと着こまれた礼服が暑そうだけど…。
「フェアファスング様、もし熱いのであれば室内に戻られたほうがいいのではないでしょうか?冷たい飲み物でもいかがですか?」
「…レヒトだ。」
「はい?」
「私の事はレヒトでいい。」
「あ…はい。…では、私のこともアヤメとお呼びください。私だけお名前でお呼びしては失礼ですから。それに、私のほうが年下ですし。」
ね?とレヒト様に微笑むとされはさらに頬を赤く染めた。
やっぱり、熱中症なんじゃないだろうか?
「わかった。…アヤメ嬢。」
「はい。レヒト様。」
「っ…!」
とうとうレヒトは両手で顔を覆ってうつむいてしまった。
「え?レヒト様…」
「アールツト侯爵令嬢殿!」
「はい?」
レヒト様に手を伸ばそうとしたところに声がかかる。振り返ると、馬車の事故の際にレヒト様と一緒にいた青年が立っていた。
「あの時の!」
「はい。レヒト様付き執事のカイルと申します。その節は誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。」
優雅に頭を下げるカイルは事故現場で見た時よりもしっかりとしていた。彼も軽い擦り傷等があったはずだが、見たところすべて治っているようだ。
「いえ、とんでもありません。あの時はお手伝いいただき感謝いています。少しお怪我をされていたようですが、お加減はいかがですか?」
「はい。もうすっかり良くなりました。手伝いといえるようなことは私はしておりません。…それに、あの時はご令嬢殿に失礼なことをしてしまいました。」
失礼なこと…?
カイルの言葉に思い出されたのはあの事故現場でのやり取りだった。
『アールツト侯爵家の!?…では、治癒魔法で!』
『っ…申し訳ありませんが、私は治癒魔法を使えません。』
『そんなっ!?』
あの時の彼の落胆の表情を思い出し、少し…心に影が差す。
「いえ、気にしないでください。あなたは何も悪くないのですから。」
なるべく表情に出さないように。気にしないように。笑顔を作ってカイルに告げる。
そう…彼の気持ちはよくわかる。
もしあそこに居合わせたのが治癒魔法を使える医師だったら…。
きっと私がした方法よりも早くあの傷を処置し治療していたはず。
きっと私より…。
考えてしまうと、笑顔がつらくなりそうで、私はそこでやめた。
「申し訳ありませんでした。」
「私からも謝罪する。うちの執事がアヤメ嬢にしたことは許されるものではない。」
いつの間にか、レヒト様もカイルと一緒に私に頭を下げた。
「いや、本当に!お気になさらず!頭を上げてください。」
慌てて告げるとレヒト様が綺麗な眉を寄せて私の右手を取った。
「え?!」
「幼い君に…そんなに悲しい顔をさせてしまってすまない。無理をして笑わせてしまってすまない。」
「!っ…。」
気が付かれた。
必死で隠したつもりだったのに…。レヒト様の言葉がズクズクと心を侵食して瞼が震える。
ダメ…笑って。私はこんなことでくじけたりしないのだから!
「…アヤメ嬢は私の命を救ってくれた。これだけは変わらない事実だ。どうかそのことを忘れないで欲しい。」
「…ありがとうございます。…は、母が呼んでいる様なので、これで失礼します。」
少し強引に彼の手を外した。レヒト様の言葉が耳に残る。
それでも彼の顔を見ることはできなかった。
これ以上ここにいたら自分が必死になって纏っていたものが崩れそうで…私は逃げるように立ち去った。