114.侯爵令嬢と翼の騎士
よろしくお願いいたします。
久しぶりに袖を通した騎士団の制服は、新しいものに変わっていた。前の制服はケインが私に成りすますために着用し、そのまま行方不明になっているため騎士団より新たに支給されたものだったが、その新品の手触りになんとなく気が引き締まった。
今日から騎士団に正式に復帰する。
0番隊の皆とは久しぶりに顔を合わせるし、誘拐事件の時にお世話になった騎士たちにもお礼を伝えなくてはいけない。初日から忙しそうだ…。騎士団についてからの予定を考えると少し肩が重くなるような気もしたが、グッと気合を入れば、足元に寛いでいたタケとウメが不思議そうに首をかしげた。
アリスを伴って玄関ホールに向かえスチュワートとブレッグが待っていてくれた。
「お忘れ物はございませんか、お嬢様。」
「大丈夫よ。全部持ったし、馬にも積んでくれたわよね?」
「もちろんです。万事恙無くご用意させていただいております。」
スチュワートは話を進めながら先を促せば、ブレッグが恭しく玄関ドアを開く。私よりも先にタケとウメが飛び出して、真っ先に向かったのは玄関前に用意された一頭の黒鹿毛の馬だった。アールツト侯爵家所有の山岳地帯で専門飼育員によって丁寧に育てられ調教をされたその馬はアンリ叔母様から10歳の誕生日に贈られたものだ。その当時はすでにアルがいたため乗馬の機会はほとんどなかったが、やきもち焼きのアルの目を盗んでは敷地内を駆けたり馬小屋でたびたび世話をしている。「カンナ」と名付けた牝馬は私の姿をとらえると少し興奮したようにブルブルと音を鳴らした。
「カンナ、今日はよろしくね。」
艶やかな鬣をそっと撫でれば私の手にすり寄うるように大きな顔が近づく。可愛い。
「お嬢様、カンナのほうにはアルと違いあまり大きな荷物を乗せられません。もし不足した場合はすぐにお知らせください。ゲンとタビに運ばせましょう。」
「わかったわ。ありがとうブレッグ。」
鐙に足をかけてカンナにまたがれば一気に視線が高くなった。カンナの音中をそっと撫でて、横に控えているスチュワートとブレッグ、アリスに笑みを送る。
「それじゃ、行ってきます。」
「行ってらっしゃいませ。どうぞお気をつけて。」
「「行ってらっしゃいませ。」」
三人が揃って礼を取るのを確認してカンナをゆっくりと進めた。
広い庭を抜けて、荘厳な門を潜れば目の前には街並みが広がる。思えば、こんなふうにカンナに乗って街を駆けるのは初めてだった。アルに乗っている時のような浮遊感も上空の風の冷たさも感じないが、代わりに心地いい速歩の二拍子のリズムが響いてくる。頬を撫でる風も冬の冷たさの中に街の匂いが混ざっていてどこか懐かしい気がした。
通行人たちは、一度私を見てからもう一度見直すようなそぶりを見せたり、隣の人と口元を寄せ合って何やらひそひそと話すような姿も見られたがほとんどの人は私の存在など気にも留めていない様子で心のどこかで安心した。自分が思っているよりも人々の関心はうつろいやすいのかもしれない。…もう、昔のように人の声に、視線に耐えることもしなくていいのかもしれない。
実はスチュワートは今日のように馬に乗って素顔をさらした状態で騎士団に行くことを反対していた。私が街の人々や世間からどう思われ、なんと言われて来たのか一番私の身近で見てきた彼だからこそ、私が自ら進んでそういう場に出ることを望まなかったのかもしれない。でも、それに待ったをかけたのはほかならぬ私自身だった。
こそこそすれば逆に目立つし、狙われやすくなる。私の誘拐事件は公には知られいないが、裏社会などでは有名になっているかもしれない。再び狙われる危険性があるなら、人眼の多いところで目立つくらいがちょうどいい。そう言ってスチュワートを説得して両親からも許可を取った。
…両親が許してくれたのは、私が四大精霊と契約を交わした事が大きいのかもしれないけれど。
少しずつ騎士団の兵舎と塔が近くなり、微かな緊張と心の高揚を感じてぐっとお腹に力を入れる。
今日から、また新しい日々が始まるんだ。
気持ちを引き締めて前を見据えた私はカンナのわき腹に軽く圧をかけて足を速めた。
騎士団に到着した私は騎士団長に挨拶をするために団長室へ向かう。つい最近も会ったばかりではあるが、あの件は極秘の為、療養中は一度も騎士団長とお会いしたことはないことになっている。
入室の許可を待ってから扉を開ければ、オッド騎士団長とその横に控えるようにインブル副団長がいて…そこまではいつも通りだと思ったのに、オッド騎士団長を挟むようにしてインブル副団長の反対側に大きな獣人が目に入って思わず足を止めた。
…その人は、獣人の特徴と人間の特徴が見事に融合した方だった。
「…道中何もなかったようだな。」
その獣人を見て固まった私にオッド騎士団長の声がかかり弾かれたように視線を騎士団長に向けた。いけない!復帰の挨拶をしなくちゃいけないのに!!慌てて騎士の礼を取り、ふっくり深呼吸をしてから口を開いた。
「失礼しました。この度は長期にわたり療養期間をいただきましてありがとうございました。また、私の救出の為に数々のご尽力をいただき心より感謝申し上げるとともに、ご迷惑をお掛けしたことを心からお詫び申し上げます。」
ゆっくりと首を垂れて騎士団長からの返事を待つ。先ほどから物凄く視線を感じる。これは騎士団長や副団長からではなく、あの獣人の方からだ…。
「アールツト侯爵殿からは心身ともに回復していると伺っている。見たところ特に問題もなさそうだが、復帰初日から無理をして倒れることなどないように十分に気を付けるように。」
「はっ。」
「それから、アヤメに紹介したい方がいる。」
その言葉を合図にゆっくりと視線を映せば丸い瞳孔とバチッと重なった。
「紹介しよう。我が騎士団への訓練指導の為、フェアファスング宰相殿が特別講師としてイスラ王国よりお招き下さったクユル・ハツタ殿だ。」
騎士団長が言い終わるのと同時に、クユル様は片方の翼腕を優雅に胸の前に出して騎士の礼を取った。
「お初にお目にかかる。この度は、我が主の雛鳥であり我が隊長の珠玉であるアヤメ嬢にお会いできたことを心からお喜び申し上げる。」
そのままクユル様は私の右手を取ると恭しく手の甲に口を近づけた。決して触れることはなかったが微かに羽毛が手の甲を撫でてゾワリ、と背中が粟だった。されるがままの私に一つ笑みを落としたクユル様はゆっくりと姿勢を戻すと人間の口でニヤリと笑みを作った。
「これからしばらく、アヤメ嬢の護衛をするように拝命仕った。」
「え…?」
クユル様の発言を聞いて、ゴホンッとオッド騎士団長が重い咳を一つ落とす。
「表向きは騎士団の訓練指導となっているが、クユル殿はフェアファスング宰相殿が正式にイスラ王国へ依頼して、イズミ参謀長の案により護衛として派遣された。今日から我が国に滞在し、アヤメのイスラ王国留学に合わせて帰国することになっている。」
重々しいため息と共にそう告げたオッド騎士団長の眉間には深いしわが刻まれ、反対にインブル副団長は眉を下げて笑っていた。
「我が隊長からは『傷一つ付けたら八つ裂きにしてやる』と言われ、我が主からは『髪の毛一本でも守り抜け』と脅されていてる。私自身の安寧の為にも全身全霊で守らせていただこう。」
え?我が隊長って…ヒガサおじさんの事?じゃあ、我が主ってイズミ様?
うわぁぁ…私の為に超ブラック企業みたいな無茶ぶりされている…。私に護衛が付いたことにも驚きだが、その過激な内容にドン引けば、クスッと彼が笑った。
「隊長と同じ色の髪に、主の愛弟子とよく似た造形…。なるほど、これではあの二人が躍起になるわけだな。」
先ほどとは違い力の抜けたような笑みに罪悪感が込み上げて頭を下げる。
「あ、あの…この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
ヒガサおじさんやイズミ様に言われてわざわざインゼル王国まで来るなんて。私なんてそこまでしてもらう価値はないのに。
頭を下げた私の肩に一拍の間をおいて大きな手が乗った。それはぐっと力を入れると半ば強制的に私の頭を上げさせる。そして、猛禽類独特の瞳と再び視線が重なった。
「君に謝られるようなことはない。俺は与えられた命に従うまでだ。…ただ、護衛任務に入る前にこれだけは言わせてほしい。」
丸い瞳孔が目立つオレンジ色の瞳。そして、そこから角のように左右に伸びた鶏冠のような羽毛がビッ…と逆立ったように力が籠められるのを感じた。
「我がイスラ王国を…その身を犠牲にしてまで守ってくれた事、心より感謝する。」
「…ッ!?」
静かに紡がれた言葉に強い感情が乗っていて思わず息をつめた。
「あの時、君が我が国に来てくれなければ…ワクチンを投与してくれなければ、間違いなく我が国は地図から消えていただろう。…そして、俺は大切な者を失っていただろう。」
「…あ、あの…私だけの力じゃなく、騎士団や現地の人の協力もあったからで…。」
「君が自ら回ってくれた町のひとつに俺の妻と子がいた。」
「えっ…!?」
あの時私が回った町はどこもひどい状態だった。膨大な死体を焼くために細い煙がいくつも上がり、建物は半壊している所が多く壁には血が飛び散っていた。集会所は感染者が並べられ、巨大な檻の中には獣化して狂暴化した民たちが傷つけあっていた。
あの悲惨な状態の町に奥さんと子供が…。
「当時俺は地方の狂犬病調査と狂暴化した獣人の制圧に出ていて、家族に会う事すらかなわなった。…急速に広がる狂犬病が、ついに家族の暮らす町でも発症したと聞いた時は…妻と我が子を失う恐怖に襲われたが、軍人として任務を放棄することはできなかった。…ようやく任務が終わって帰宅を許された俺はすぐさまに家族に会いに行った。当たり前の日常は突然奪われ、戦場よりも酷い町の変わりはてた姿に愕然としながら集会所を目指して、妻と子を失うかもしれないという恐怖に襲われながらたどり着いた先で、無事だった二人の姿を見た時…どれほどの安堵が込み上げたのか…。言葉では言い表せないくらいだった。…妻は君から直接ワクチンを投与してもらったようでね『アールツト侯爵家のご令嬢が。』と何度も教えてくれたよ。そして、その翌日…死者の埋められたところで静かに手を合わせる君を見た。」
私をまっすぐに見つめるオレンジの瞳がかすかに揺れた気がした。
「小さな花を添えて、幼い君の従者たちと共に顔も知らない他国の獣人の死を偲姿を俺は一生忘れないだろう。…誰が何を言おうと、君は我が国を救った英雄だ。今回の任務、俺は内容を聞いて自ら志願したのだ。」
「え…クユル様、自ら…?」
「そうだ。だから、私の任務に君が負い目を感じることなど一つもない。むしろ、俺はとんでもない栄誉を賜ったと思っているからな。」
自分のせいでと感じていた罪悪感が強制的にストンッと納得させられる。不思議な感覚に戸惑っていればクユル様は器用に翼腕を胸の前で組んで首を傾けた。人間ではありえない180度近く傾いたそれに驚けば
「と、いう訳で、俺の全身全霊で守らせていただこう。」
どこか得意げに言ってクユル様は笑った。
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