113.騎士隊長と訪問者
よろしくお願いいたします。
騎士団演習場には毎日複数の騎士たちが鍛錬に励んでいる。
各隊ごとに訓練をする部屋が与えられているが、合同訓練や戦闘演習などは全体で行うため他の隊にいる騎士たちの交流も盛んだった。
「なーテオ、今日の午後からアヤメ嬢が復帰するんだろう?」
一つに結わえた茶色の長髪を揺らしながら柔軟体操に励むレシが隣に立つ無表情の男に話しかけた。
「そうだ。」
一言だけ返したテオは表情を崩さぬまま模擬剣を点検している。訓練では真剣の使用は禁止されているため、模擬剣を使用しているがその点検を行うのがテオの日課だった。本来なら新兵の仕事だが、入団した時から毎回おこなってきたそれはもはやテオにとって欠かせないルーティンとなっている。
「流石に復帰初日からがっつり訓練に参加させる訳にはいかねーよな。じゃあ、会えるのはまだ先か。」
さらりと言ったレシの言葉に思わず模擬剣を握っていたテオの手に力が入った。
アールツト侯爵家を訪れた帰り。図らずもオッド騎士団長とフェアファスング宰相と一緒になったテオは騎士団長から今日見たこと聞いたこと全てに箝口令を命じられた。もちろん言われるまでもなく今回アヤメに起こったことは黙秘するつもりだったが、それを命じた時の騎士団長の視線の強さと、彼の大きな肩越しに見えたフェアファスング宰相の優雅な笑みに込められた圧力にジワリと嫌な汗が滲んたことは記憶に新しい。
「万事恙無く私が整えますので、時が来るまでくれぐれも…お願いしますね。」
そう言って馬車の中に消えた彼は今まで対峙してきた猛者とは違う圧倒的で独特の圧を放っていた。
オッド騎士団長とインブル副団長がアヤメの誘拐事件の責任を取る形で謹慎処分を受けてから、大人しく自室に籠っていると思ったが、どうやらフェアファスング宰相のもとで動いていたらしい。謹慎を受けた身としてそれはどうなんだ?と思う人間もいると思うが、そのことを口に出すようなバカはいないだろう。なにせ、二人を伴っているのはあの宰相なのだから。
「ああーあ、せっかくアヤメ嬢の元気な顔が見れると思ったんだけどな。」
「…。」
「このでくの坊はアヤメ嬢のことは何も話してくれねーし。」
「……。」
「ったく、俺にも何も言えねーとか…腹立つ。」
そう言ったレシがおもむろに横に立つテオの足を払った。次の瞬間、テオは態勢を崩すが、すぐさま手をついてバク転のような形で何事もないように体を戻した。
「何をする?」
鋭く睨めば、そこには好戦的な笑みを浮かべて両腕を構えるレシがいた。
「何も話してくれねーならかまわねーよ?ただ、腹が立つから一発殴らせろ。」
「…言っている意味が分からん。」
「じゃあ、そのまま何もわからずに俺の拳を受けろよっ!」
バシッ!と鋭く撃ち込まれた拳を掌で受け、そのまま反撃の為に反対側の手をレシの腹に打ち込むが、優雅に交わされ、代わりに素早く膝がテオの腹めがけて打ち込まれた。それを肘で受て後ろに飛び距離を取る。
「どうした?何か考え事か?拳が鈍ってんぞ?」
「…うるさい。少し…考えることがある。」
ため息とともに落とされたその言葉が珍しく感情を含んでいるような気がしたレシは、スッと構えを解いた。それに倣うようにテオも構えを解いたが、視線はどこか遠くを見ている。
「どうした?…何かあったのか?」
「…言えない。」
その時レシはハッとした。テオが「何でもない。」ではなく「言えない。」と言ったのだ。ということは本人の意思とは関係のないところで口止めされている可能性が高い。相手は「あの」アールツト侯爵家。他言できないような何かがあったとしてもおかしくは…
「申し上げます!」
その時、若い新兵が二人の前に走ってきて声を上げた。
「一番隊テオ隊長!二番隊レシ隊長!オッド騎士団長がお呼です。至急、団長室までお越しください。」
突然の呼び出しに一瞬顔を見合わせた二人は速やかにその場を片付けて団長室へと向かった。今日から謹慎が解けて騎士団に復帰した団長からの急な呼び出しに無意識に鼓動が早くなる。伝令で騎士団全体ではなく、隊長格の自分たちだけ呼ばれているという事に緊急を要する物なのか。それとも重要な命令なのかと様々な思考と、緊張が張り詰めていく。
アンモスやストーリアも呼ばれているのか?それとも自分たちだけ?様々な思考を巡らせながら足を進めると、ついに目の前に団長室の扉が現れた。
ドアの前に二人で並びながら、ノックをして声を上げる。
「一番隊隊長テオ、ただいま参りました。」
「二番隊隊長レシ、ただいま参りました。」
「入れ。」
入室の許可を得て「失礼します。」と二人で一礼して団長室へ入れば、そこには異様な光景が広がっていた。
さかのぼる事数時間前。
インゼル王国東国門
「身分証と出身国、お名前をお教えください。」
国門を守る衛兵に言われた男はフード付きのマントからスッと腕をだした。それに驚いた衛兵が思わず息を飲む。深くかぶったフードのせいで顔は確認できないが、マントから伸びた赤味のある黄褐色の羽と不規則な斑はどうみても人間のものではない。羽に覆われた翼腕の先に着いた鋭い爪のある指に摘ままれた紙を何とか受け取った衛兵は中を確認した途端に弾かれたように片膝を着いた。
「失礼いたしました!」
突然跪き、声を上げた衛兵にフードの男は小さく舌打ちし、衛兵が持っていた紙を素早く奪い取り翼腕をマントに戻した。
「我が主から貴国の宰相殿へ話は通っている。傅かれるのも貴族のような待遇をされるのも望まない。俺の身が保証されたのなら通るぞ。」
「はっ!」
低く言い放たれた不機嫌そうな男の声に衛兵は慌てて立ち上がり道を開けた。それにフンッと鼻を鳴らした男は次の瞬間、一陣の風を残して衛兵の前から消えた。
「!な、なんだよ今の!!?おい、今の男、本当に入国させて大丈夫な奴だったのか?!」
男が消える瞬間を見ていた同僚が立ち尽くす衛兵に駆けよれば、未だに惚けた様に男が消えた場所を見つめていた衛兵はゆっくりと頷いた。
「問題ない。…あのお方は素性も身分もしっかりとした方だ。」
そう言った衛兵はゆっくりと大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
生まれて始めて見た…あのお方が…。
男がいなくなった空を未だに見つめながら、衛兵はグッと興奮を抑えるかのように胸の前で拳を握った。
そして現在
騎士団長室
「急に呼び出してすまない。本日イスラ王国から御客人が到着された。」
重厚なテーブルに両肘をついて真剣な表情で告げたオッド騎士団長は視線だけを目の前に立つフードをかぶった男へ向けた。
「…。」
「…。」
団長室は隊長格の二人であってもドアの前から一歩も動けない、気を抜けばふらついてしまいそうなほどの圧で満たされていた。
そしてこの圧は前に立つフードをかぶった人物から放たれている。ここが団長室でなければ即座に剣を抜いて構えていたかもしれない。そうテオが考えるほどフードをかぶった人物の圧は凄まじい物だった。背筋をツッ…と汗が一筋流れ落ちる。
「ほう…お前たちが今代の騎士団隊長か…。」
そう言ったフードの男が下から品定めをするようにレシを見る。ゴクリとレシの唾を飲む音がテオに響いた。そして、男が視線をテオに移した瞬間、フッと男が纏っていた圧が消えた。
「お前が、我が隊長が言っていた…テオ・ノヴェリストだな。」
次の瞬間、ギラッとフードの奥で男の目が光り、シュッ!と何かがテオめがけて飛んできた。テオはそれをサッと躱し投げられたものを受け止める。指先で受け止めたそれは細い棒状の太い針だった。それを確認した瞬間一気にテオとレシの緊張が張り詰める。
「ほぉ。中々いい動きをするじゃないか。」
気だるそうに言った男から視線を外せない。
この男は明らかに戦い慣れた者だとこれまでの経験が二人に告げている。しかも、かなりの強者に分類される。テオは次の攻撃に備えて意識を集中するが、男はそんなテオを揶揄うように肩を揺らした。
「安心しろ、もう攻撃はしない。それに、今渡したのは我が隊長からお前への手紙だ。」
手紙?
その言葉にテオが男から視線を外した瞬間、シュッ!と再び何かが飛んできた。一瞬の隙を突いたそれにテオの反応が僅かに遅れてしまい、受け止めようと体制を帰る直前、ピチャッという水音共に飛んできたものが水の膜につつまれる。揺蕩う水膜に包まれたのは小さなナイフだった。それを確認してレシが鋭く男を睨む。
「いきなり何の真似でしょうか?」
「テオ・ノヴェリスト。お前は人の言葉を簡単に信じ過ぎるところがあるな。すぐに視線をを外す事も減点だ。」
そうレシの言葉を無視して告げた男は、声もなく笑うと鋭く睨むレシに視線を向けた。
「そしてお前だが…魔法の密度が低い。瞬間的に魔法を形成できたとしても、この程度では簡単に破られてしまうぞ。」
男がそう告げた瞬間、パンっという音と共にレシの水膜が弾け、バシャッと床にナイフと共に水が流れ落ちた。
「なっ!?」
今まで誰かに魔法を破られたことのないレシが驚愕し、瞼を失くすほど濡れた床を凝視する。
「…嘘だろ…?」
「信じられないか?ならもう一度やって見せよう。ほら…。」
挑発するようにフードの男がレシに向かって指をクイクイッと動かす。それに煽られるようにしてレシが再び男に向かって魔法を放とうとした時
「それまでっ!!」
オッド騎士団長の鋭い声が飛んだ。
「このお方は国賓としてフェアファスング宰相殿より我が国に招かれている。それ以上の無礼は控えろ。」
睨みつけるような強い視線と鋭い声にレシは殺意を消す。それを確認して大きなため息を吐いたオッド騎士団長が苦々しげにフードの男に視線を向けた。
「あなたも、これ以上、我が騎士を試すのはお止めいただきたい。」
「…ただ今の騎士の強さを知りたかっただけだ。そう怒るな、オッド…騎士団長殿。」
「…呼びにくければ昔のように名前で呼んでいただいてもかまいませんよ、クユル殿。」
「…それは…遠慮しておこう。」
軽いため息と共に首を横に振った、男が気だるそうにフードを脱ぎ、マントを取る。
その瞬間、テオとレシが同時に息をのんだ。
一番に目についたのは丸い瞳孔が目立つオレンジ色の瞳。そして、そこから角のように左右に伸びた鶏冠のような羽毛。顔の上半分は明らかに猛禽類…ミミズクのそれだったが、男の顔下半分は人間の鼻と唇、そして顎があった。そのまま羽毛がまばらに生えた人間の首があり、その下は長衣に覆われていたがどうみても体型は人間に近い。さらに翼腕の腕の先には人間を思わせるような五本指の生えた掌があった。下は長衣とそろいのズボンをはいていたが、彼らのよく知る獣人のように獣の足ではなく、布靴を履いている。
イスラ王国空の客人と聞いた時点で獣人であることは想像できていたが、まさか…これほどまでに人間に近しい姿をしているとは…。
二人がクユルから目を離せないでいると、その思考を読み取ったようにクユルの人間の口の口角が上がった。
「お前たちが驚くのも無理はない。俺は、インゼル王国で生まれた人間とワシミミズクの獣人の混血だ。」
そう言ったクユルの首が人間では不可能なほど右に倒れた。
「反応が薄いな…。ああ、お前たちは騎士だったな。ならばこういえばわかるか?元インゼル王国騎士団副団長・クユル・ハツタだ。」
そう言ったクユルは、今度こそはっきりと驚愕を浮かべたテオとレシに満足して丸い瞳孔をゆっくりと細めた。
インゼル王国騎士団は建国から数年後に発足し、長い歴史と伝統がある。
騎士団に入団することは剣を志す者たちの憧れであり、その頂点に立つ騎士団長とその補佐をする副団長は騎士たちの憧れと尊敬を一身に集めるている。さらに国の守りの最高責任者として各国の要人や王族の警護にも就くなど重役を任されることも多い。その為、歴代の騎士団長、副団長は強さだけではなく、叙任式で国王から告げられる騎士としての志、すべてを兼ね備え、騎士たちからの信頼が最も強いものが選ばれている。
そしてそんな長い歴史を持つ騎士団の中で唯一、人間と獣人の混血で騎士団副団長に選ばれた人物…それがクユル・ハツタだった。
「まさか…あの…翼の騎士…?!」
ぽつりとこぼれたレシの言葉にクユルはバサリと羽を鳴らした。
「懐かしい名だな。」
「言葉を慎めレシ。クユル殿は今、イスラ王国にてヒガサ殿の部下としてイズミ参謀総長殿のもとにいらっしゃる。」
!!
オッド騎士団長の言葉にレシだけではなくテオもグッと口を結んだ。
先の大戦の「黒将軍」と並ぶインゼル王国の英雄。前線で死闘を繰り広げ、幾多の勝利をつかみ取った翼の騎士。終戦後は退団しイスラ王国へ移ったと入団直後に先輩騎士たちの思い出話の中で聞いていたが…まさか…イスラ王国の中枢にいたとは…。
テオはそこまで考えて、ふとアールツト侯爵家での事を思い出した。
この時期にイスラ王国から、元インゼル王国騎士団副団長であり、今はヒガサ殿の部下であるクユル殿の入国。…これは、やはり…。
「本日より数週間、我が騎士団への訓練指導の為、フェアファスング宰相殿が特別に我が国へお招き下さった方だ。丁重におもてなしをするように。」
オッド騎士団長とは違い、穏やかな声でインブル副団長がテオとレシに伝える。それに小さく二人揃って返事をするとクユルはグリンと首を180度回して後ろに立つインブルを見た。
「丁重におもてなしとか言われると違和感を感じるな。」
「申し訳ありません。しかし、今は他国の重鎮であらせられる為、我々としても身内のような真似は出来ません。」
「…お前も変わらんな、インブル副団長殿。」
「恐れ入ります、クユル殿。」
クユルの鋭い視線を受けても穏やかな笑みを浮かべたまま軽く頭を下げたインブルに、クユルは少し不機嫌そうに目を細めると再びグリンと首を180度回して正面にいるテオとレシに視線を向けた。
「というわけだ。しばらく世話になる。」
言葉を受けたテオとレシは再び短い返事をして騎士の礼を取った。
騎士団に「翼の騎士」が帰って来たと激震が走るのはこの数時間後の事だった。
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