112.侯爵令嬢と家族と精霊
よろしくお願いします。
四大精霊と契約を交わしてから、彼らは私に三つの規則を教えてくれた。
1.契約した四大精霊の真名では呼ばない事。
2.精霊たちの元になる物がない場所では精霊の力が弱まる事。
3.契約は双方が同意、又は契約者の人間が死亡した場合にのみ解除できる事。
制約はつきものだと思っていたが、思っていた以上にその数が少なくて内心驚いた。小さい頃は遊びに行く所も、友達もなく、テレビばかり見て過ごしていたからアニメのような設定や呪文にあこがれていたが、現実は私が思うよりも簡潔らしい。
朝食を済ませて、少し寝不足の顔をアリスに指摘されたが、明日から騎士団へ復帰する事になっているため、早々寝てばかりもいられない。まずは落ちてしまった体力を取り戻すために、何か運動をしようかと考えた私は動きやすい服装に着替えて庭に繰り出した。
「あー気持ちいいなぁー。」
そよそよと頬を撫でる風も昨日までとは違って優しさを感じることができる。これも精霊と契約したお陰なのかしら?そんなことを想いながら、前世のラジオ体操にいそしむ。初めてこの体操を見た時、使用人や両親はその奇抜な運動に驚きもしたが、私がことさら真剣にラジオ体操のすばらしさを説明してから、何も言わなくなった。国民の体力向上を健康保持や増進を目的としたラジオ体操は日本の誇るべき文化だ。
「まだその体操を続けていたんだね。」
背伸びの運動の所に差しか勝った所で後ろから声がかかった。よく知っているこの声は、ここ数年余り聞くことがなくなった大好きな…
「お兄様!」
私の兄、シリュルジャンのものだった。
振り返った視線の先には最後に会った時よりもずいぶんと身長が伸びて、男の人らしい体つきになったお兄様がいた。声もグンッと低くなり、青年から男性へと成長しているその姿が眩しい。そして、
「ただいま、アヤメ。」
そう言ってお母さんによく似た顔で私に微笑む姿はどこをどうみてもイケメンだった。前から、整った顔をしていたけど、いやぁ、これはさらに磨きがかかった気がする。テオ隊長の様に男の人を感じさせる美丈夫ではないが、アイドルグループにいそうな爽やかなイケメンだ。これは学園でもさぞかしモテるのでは?どこかの悪い女に引っかからないように注意しなければと幼い時に誓ったのに、騎士団を退団して学園に編入してからお兄様と会う機会はめっきり減ってしまっていた。
ううん…これは何とか手を打つべきなのでは?
「お帰りなさいお兄様。…少し痩せましたか?」
寮生活ということもあるが、授業や部活。学校行事に友達との付き合い。たまに来る手紙にはい毎日忙しくしている内容が多かった。学生の頃は家には寝に帰る様なもので食事も二の次にしていた前世の私が言える事ではないけれど…。実家暮らしの妹としては兄の食生活も気になってしまう。
「ちゃんと食べているのですか?寮食や学食が口に会わないのでは?」
久しぶりに会った親戚のおばちゃんのように口早に質問すればお兄様はクスクスと肩を揺らして笑った。
「大丈夫だよ。ちゃんと食事はしてるし、食が合わないことはないさ。ただ、このところ部活が忙しくてね。新種の植物の苗を育てているんだけれど、これがなかなかに難しくて、手が離せないんだ。」
そう言えば、お兄様は「植物化学研究部」なるものを立ち上げたと入学後の手紙で読んだことがある。
「そうなんですか!どんな植物なのか気になりますね!お兄様が手こずるなんて、相当気難しい植物でしょうか?」
「ふふ、そうだね。大分気難しいと思うよ。今日もその資料がないかと思って外泊届を出してきたんだ。」
お兄様は昔から、外科的療法よりも内科的療法や、病理学・薬学を好んでいた。希望する部活がないからと部を立ち上げたと聞いた時は驚きもしたが、お母様とそっくりなお兄様の行動力と決断力、知性なら簡単だっただろう。
余談ではあるが、学園時代にお母様は「薬物研究部」という危険な香りが漂う部を設立したらしい。毒物や劇薬を扱い、常に部室からは異臭が漂っていたためお母様が卒業と同時に廃部になったらしい。うん、やっぱり血は争えない。
「まぁ、早めに連絡をしてくれれば、色々お兄様の好きなものも用意できたのに。外泊の予定は何日ですか?」
「明日の夕方には帰るよ。もうすぐで定期テストだしね。…連絡をしようと思ったんだけど、アヤメが大変な事になっている時に屋敷を騒がしくしたくなかった。」
そう言ったお兄様の手がそっと私の右頬に触れた。
「不審船の事も。フォンダ大叔父様の事も。…誘拐の事も…。全部知っていたのに何もできなくてすまなかった。本当なら一番傍でアヤメを支え、守らなければいけなかったのに。」
ギリッとお兄様の奥歯が鳴る。お母様によく似た顔は、口惜しさと悲しさで歪んでいた。それを見て私はそっときつく寄せられた眉間に着いた皴に触れる。
「眉間に皴が入ると一生取れないんですよ?そんな事になったらお兄様の美しいお顔が台無しです。」
務めて明るい声で言えば、フッとお兄様の顔から力が抜けた。それに合わせる様にゆっくりと刻まれた皴を撫でる。
「私は、いつまでもお兄様に守られる存在ではなくて、お兄様を守り、支えられる存在になりたいと思っています。ですから、お兄様はご自身をもっと大切にしてください。」
「アヤメ…。」
幼い頃から、お兄様は私を優先してくれた。自分よりもいつも私を考えて行動してくれた。それは私が治癒魔法が使えない事で周囲からぞんざいに扱われて、傷つけられて来たからだ。でも、もう、あの時のようなお兄様は見たくない。私を庇ってフォンダ大叔父様に殴られる、小さな震える背中はもう見たくないの。
「私は強くなります。お父様のような医術とお母様のような薬学、そして、お兄様のような勇気と知性を持って、今よりももっと強くなります。だから、お兄様も…私を信じてくれませんか?」
私の言葉にお兄様は小さく体を震わせた。そして、しばらく私を見つめた後、ゆっくりと頷いてくれる。
「もう、俺の後をついてきた、大きなリボンの小さなアヤメはいないんだったね。…大きくなった…もうこんなにも大きくなったのか…。」
眩しい物でも見るように目を細めたお兄様は泣いているような顔で笑った。涙もろいところはお父様に似たのかしら?そう考えれば、私も自然と笑みがこぼれる。
不審船の事件の後、フォンダ大叔父様の件があった時、スチュワートに頼んでお兄様に私は大丈夫だから心配しないで欲しいという手紙を送っていた。誘拐事件の時も、自らの身の危険も顧みず今にも学園を飛び出して屋敷に飛んで帰ってくる勢いのお兄様を説得してくれたのはお父様だった。
全ては何時だって私を優先し、時にはその身を犠牲にしてまで守ろうとしてくれるお兄様の為。お兄様はアールツト公爵家の嫡子。時期アールツト侯爵であり、この国も未来の医療を担う重要人物なのだ。私なんかよりも遥かに価値のある尊い人。だから、成人を迎えたお兄様にはこれからは自分を大切に、自分の幸せの為に生きて行って欲しかった。
「そうだ、お兄様、実はお兄様にお伝えしたいことがあったのです!」
しんみりした空気を変えたくて、明るく言えば、突然の話の切り替えなのにお兄様は笑って頷いてくれた。
「実は私、四大精霊の方々と契約を結びました。」
「えッ!?」
「それは本当なのか!!!」
お兄様にこっそり打ち明けた秘密はちょうど庭に出てきたお父様にも聞かれたようで、大きな声が屋敷に響いた。
「お父様!?」
「父上!?」
お兄様と二人で振り返ればずんずんと大股で興奮した様子のお父様がこちらへ向かってくる。
「いつ契約したのだ!?昨夜か!?昨日の今日だというのに…!」
「ちょっと説明してくれアヤメ!いったい何がどうなっているんだ?!なんで精霊の話が!!??」
「え…?!あ、あいや、その、とりあえずお二人とも落ち着いて…。」
「「これが落ち着いてなどいられるか!!!」」
流石、親子。見事なユニゾンで私に叫んだ後、騒ぎを聞きつけてきたお母様が事態を収集して、庭のガゼボに席を用意し、そこでお兄様にはプルシアンの事から、お父様には昨夜のことを順を追って説明した。途中で細かい質問が入るが、それは全てお母様によって叩き落とさ…げふんっ…却下され、何とか全てを話し終えることができた私は、スチュワートが淹れてくれた紅茶で喉の渇きを潤した。
「…そんなことがあったのか…。」
話を聞き終わったお兄様は考えるように、顎に指を置くと真剣な表情でぽつりとこぼした。
「四大精霊の全員と契約を結んでしまうとは…、アヤメ、体は大丈夫なのか?」
一番い私の体を心配してくれるお父様にほっこりしながら、首を振る。
「大丈夫です。むしろ、目に映る全てが美しく見えるというか、風が優しく感じるというか…心地良い感覚です。」
私が答えるとお母様が首に下げられた、透明な球を見つめた。
「これが、精霊の力の塊なのね。失くしたり、壊したりしないように、肌身離さず身につける様にしないといけないわね。あなたを守ってくれる物でしょうから。」
お父様同様に、お母様も私の安全を一番に考えてくれることに嬉しくなって、私は初めて精霊を呼び出してみることにした。私の提案を聞いたお父様が子供のように目をキラキラと指せている事に若干引いてしまったが。
幸いにもガゼボは庭の泉の傍にあり、ここなら水の精霊を呼び出せるかもしれない。水の精霊の長ヴァサンディ改めヴァサンの話では水の精霊は人間好きって言っていたしね。
…というか、精霊ってどうやって呼び出せばいいのかしら?
私、呼び出し方知らないんだけど?!どうしようか?悩んでいる間も、キラキラと向けられるお父様の視線が痛い…。うーん…どうしよう…。
…えぇい!ままよっ!
「Splirit,answer my voice. Water!(精霊よ私の声に応えよ。水!)」
考えようにも案が浮かばず半ば投げやりで言葉を紡ぐ。その瞬間、ボコッ!という水音と共に泉の中から何かが水しぶきと共に無数に飛び出した。
「うわぁ!すごい!」
キラキラと輝く水しぶきがやがてそれぞれ形を成し、人魚のような姿に変わった。数にしておよそ10体ほど。彼らは皆一様に私を見つめニコニコと微笑んでいる。
「あ、あの、こんにちは。突然呼び出してごめんなさい。」
とりあえず言葉をかけるが、彼らは首を振るだけで言葉を返してはくれなかった。もしかしたら言葉を話す事が出来ないのかもしれない。
「す、すごいな…。」
「これが…精霊…。」
「なんて、可愛いのかしら。」
お父様に続いて、お兄様、お母様がそれぞれ言葉を漏らす。感嘆のようなそれは、水の精霊の彼らにも届いたようで、ニコニコと嬉しそうに笑うと空を楽しそうに泳ぎ出した。
凄い…これが精霊…。
無理やり呼び出したかと心配になったけど、呼ばれた事に喜んでいるようで安心した。…これが私の…新しい…力。
お兄様もお母様もお父様も精霊達に驚きながら楽しそうにしている姿を見ると嬉しくて、心が温かくなった。
大切で、優しい、私の家族。私はぜったにこの人たちを守ってみせる。
そして…この小さな精霊たちの仲間を助けてみせる。
私は目の雨で泳ぐ小さな精霊を見ながらそう強く思った。
久しぶりのシリュルジャン:通称シリュル。