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103.侯爵令嬢の決意と宰相の秘策

フェアファスング様の発言からしばらく貴賓室は静寂が満ちていた。

私の両サイドに座る両親もフェアファスング様の後ろに立つオッド騎士団長とテオ隊長も微動だにすることなくフェアファスング様の発言の真意を測りかねている。

そのうち、静寂に耐え切れなくなったお父様がゆっくりと口を開いた。


「ユスティ…お前、ネーソス帝国と戦争するつもりじゃないだろうな?」


お父様の物騒な発言にまさかっ!とオッド騎士団長とテオ隊長の方が揺れた。私も『戦争』という言葉に急速に不安が込み上げてくる。そんな私たちの不安を知っているのか、お父様の問いを受けたフェアファスング様は私達の不安を払うように穏やかに笑った。


「まさか。そんなバカげたことはしないさ。」

「だが、報復といったではないか?」

「ああ、言ったな。報復の手段は何も戦争だけではない。ヒルルク…相変わらず政には疎いな。」


カップをソーサーに戻したフェアファスング様はお父様を見てフッと鼻で笑う。それにムッとしたような表情を作ったお父様がいささか乱暴にソファに座りなおした。その振動で私とお母様の体も大きく揺れる。


「ならば、報復とはどのようなことをするのだ?それにアヤメの安全の確保とは?」

「報復の内容は経済的報復だ。」

「…経済的報復?」

「経済制裁、と言えばヒルルクでも理解できるか?」


経済制裁!

前世でも聞き覚えのある言葉に私はあぁ!と無意識に手を叩いた。


「おや、アヤメ嬢は私の言葉の意味を理解したようですね。医療一筋の解剖馬鹿の父親とは違い、しっかりと経済面も学ばれているようですね。」


いつもお優しく聡明で上品な印象を受けるフェアファスング様は長年の友人であるお父様にはなかなかに手厳しい。フェアファスング様の賞賛にぎこちなく笑みを返してそっとお父様を見上げれば、そこには悔しそうな表情があった。


「経済学と社交は苦手だ。そんなことをする暇があったら、解剖や医学書と向き合っている方が何倍も私には価値がある。」


悔しそうにボソリとつぶやいたお父様にフェアファスング様は盛大に肩を落とす。


「はぁ、もういい。今更同年代のお前に経済制裁を説明するつもりは無いからな。…まずは、第二皇子が贈って来た手紙に仕込まれていた催眠剤と暗示をかけるような文書について正式にインゼル王国としてネーソス帝国へ抗議し、そのうえで関税の引き上げと一部の輸出入禁止の措置をとるように陛下へ進言する。」


フェアファスング様の碧眼の瞳が一瞬だけ怪しく光った気がして、思わず背筋が伸びる。

砂漠の土地が多いネーソス帝国は気温の変化が激しく、また雨期が短い為作物が育ちにくく食物や原材料を隣国からの輸入に頼っている部分が大きい。さらに、ここ数年は軍事開発と実験のせいで環境破壊も進み地方では砂漠化が進行していると聞いたこともある。和議を結んでからは我が国からも多くの輸出をしているはずだし、そんな状態の帝国相手にこの経済制裁はとても厳しい物だろう。


「…陛下は納得するだろうか?それに上層部だって、我が娘の為だけにそれほどの大規模な経済制裁を可決するとは思えんが…。」


フェアファスング様の発言に苦い顔でお父様が告げる。

確かにそうだ。たかが侯爵家の娘の報復にそこまで大規模な…国の権力を使った経済制裁なんて…


「私を誰だと思っている?」


強い意志と自信を持った声が私の思考ごとお父様の不安も吹き飛ばした。その声につられるように視線を上げれば、そこには先ほどまでのお父様の友人ではなく、銀髪碧眼の優雅な笑みを携えた我が国の宰相がいた。


「アールツト侯爵家は我が国にとって王族に次ぐ重要貴族。我が国の至宝。その未来の玉に唾を付けようとしたのだ…これは我が国に刃を向けたのと同じこと。私はこの国を民を傷つけるものは何人たりとも許したりはしない。」


ハッキリと言い放ったフェアファスングはまっすぐとお父様を見て不敵に微笑んだ。


「私に任せろ。」


美中年の不敵な笑みと腰に来るいい声にハウッ!と心が撃ち抜かれる。いや、本当にこの国は美中年とか美丈夫とか無駄に良い男が多すぎるよ。フェアファスング様…お父様と同じ中年男性とは思えないほど…イイッ!前世のがアラフォーのせいか美中年とか、本当に大好ぶ…ゲフンゲフンッ…素敵です。

心の声と格闘しながらなんとか冷静を装っているとふと視線を感じて目を向ければ、バチッとテオ隊長と視線が重なった。その顔がなんとなく不満そうに見えて軽く首をかしげる。しかし、テオ隊長は私に何も答えることなくフイッと視線を外してしまった。

え?なに?テオ隊長怒ってるの?…なんで?

テオ隊長が視線を外したことになんとなくショックを受けていると、フェアファスング様が私を呼んだ。


「アヤメ嬢…しばらく国を出る気はありませんか?」

「は?……え?」


突然の問いにうまく答えられないでいるとフェアファスング様が長い脚を組みなおした。


「実は数日前にイスラ王国のコウカ国王陛下から、アヤメ嬢を建国祭に招待したいとの書状が届いています。」

「コウカ国王陛下からですか?」

「ええ。さらに、アヤメ嬢が誘拐される前にイズミ殿からはアヤメ嬢のさらなる躍進の為に自らの元で薬学を学んでみないかとのお誘いもいただいています。」

「えぇ?!イズミ様からもっ!!」


イズミ様からのお誘いにふとお母様を見れば先ほどまでの不安な表情とは違い、どこか楽し気に目を細めていた。


「ふふふ、私の時はあんなに拒んだのに、アヤメには自ら誘うなんて。師は本当にアヤメが可愛くて仕方がないようですわね。あなた。」

「ああ、そうだな。しかし、ユスティ、なぜ今まで黙っていたんだ?」

「すぐに話そうと思ったが、アヤメ嬢の誘拐事件とその事後処理で多忙だった。それにアヤメ嬢の体調回復を優先したかったからだ。もちろん陛下もアヤメ嬢が望むならとすでにイスラ王国への訪問と留学の件を認めている。」


ええっ!!もう陛下は認めちゃったの!?ネーソス帝国だと断固拒否なのにイスラ王国だとこうもあっさり認めるとか…不公平だとか言われないかしら?


「アヤメ嬢はどうですか?」


再び話を振られて、私は思い切って先ほどから抱いている不安を聞いてみる。


「ネーソス帝国の誘いは断るのにイスラ王国にだけ赴くのは、ネーソス帝国から不公平だと言われませんか?」


もちろんネーソス帝国へは行きたくない。絶対に行きたくない。でも、このことで変にネーソス帝国へつけ入る隙を与えてしまうのではないか?

そう尋ねた私にフェアファスング様は何度か頷いて目を細めた。


「本当に、あなたは幼いながらに聡明で外交センスも素晴らしいですね。どこぞの解剖馬鹿に似なくてよかったと心から思います。ああ、そこは侯爵夫人に感謝するべきでしょうか。」

「ふふふ、フェアファスング公爵閣下はお上手です事。」


フェアファスング様の言葉に嬉しそうに微笑んだお母様を見てフンッと息をついたお父様は不貞腐れたように紅茶を飲み始めた。


「アヤメ嬢の懸念はもっともです。確かに、二つの国から誘われてどちらか一つにのみ赴くのは得策ではないかもしれません。しかし、相手は十数年前に和議を結んだだけの帝国の第二皇子。片や古くから続く同盟国の国王と摂政。しかも、アヤメ嬢はその国王自ら褒章として敬称を賜るほどに信頼され、摂政は名付け親。我が国にとって、アヤメ嬢にとってもどちらが優先すべきなのか…考える必要もありません。その点はネーソス帝国もわかっているでしょうから余計な口出しはしてこないでしょう。そして、留学の件は陛下と私からの願いでもあります。」

「願い…ですか…?」

「ええ。残念なことですがこの間の誘拐犯が我が国の貴族だったことで、国内にはアヤメ嬢を狙う自国民がいるという事が明確になりました。今回は無事に救出されケガもありませんでしたが今後も絶対に同じことがない、とは言い切れません。さらにアヤメ嬢の功績と知識を知った者たちは国内外問わず、騎士団内、貴族内からもアヤメ嬢を狙ってくる可能性があります。そうなった場合、力不足で申し訳ありませんが、今の私たちではアヤメ嬢の絶対的な安全を約束でないでしょう。」


フェアファスング様の肩の向こうでオッド騎士団長がグッとこぶしを握っていた。


「しかし、イスラ王国ならば狂犬病から国を救った英雄であるアヤメ嬢を国民たちが守ってくれるはずです。さらに獣人たちは仲間意識が強く、嗅覚や聴覚も鋭い。それはアヤメ嬢を守るうえで強力な武器となります。そしてあなたはイスラ王国に留学中、コウカ国王陛下とイズミ殿の庇護下に置かれることになります。これほど心強い守りは他にありません。ヤーコブ男爵とつながりのあったネーソス帝国の上層部の人間の調査やアールツト侯爵家の警備体制などが組み直されることになった今は、絶対的な安全が確立されるまでイスラ王国にいるほうが良いと陛下は判断されました。そして私も陛下と同意見です。」


そう告げたフェアファスング様もオッド団長と同じように口惜しさを滲ませていた。


「半年ほどになるかと思いますが、イスラ王国へ留学をしてみませんか?」


自分たちの力不足を素直に認めたうえで、より私にとって安全なほうへと促してくれる…。この方たちは本当に優しい。アールツトという名を持つだけの治癒魔法が使えないただの少女の私にここまでしてくれるなんて。

フェアファスング様と陛下への感謝を何度も心の中で伝えながら私はまっすぐに碧眼を見つめた。

これから言おうとしていることを考えればわずかに手が震えるが、それをごまかすようにグッと拳を握りお腹に力を入れる。そして、ゆっくりと息を吸いこんで口を開く。


「国王陛下とフェアファスング様の格別のご配慮に心より感謝いたします。しかし、申し訳ありません。…私はイスラ王国へは行けません。」


そして私は深々と頭を下げた。


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