99.騎士隊長の受難
騎士団の敷地内にある兵舎の上階。隊長格の部屋が並ぶそのフロアの一室では、一人の長身の男がクローゼットの両扉を開け広げた状態で呆然と立ち尽くしていた。
その男の性格を表したかのように整然と収納された衣類は半分以上が騎士の制服や練習着、各種式典用の騎士の正装などで埋まり、それ以外のわずかな私服はどれも長く着用しているもので、とてもじゃないが今回の目的の為には使用できそうもなかった。
テオはその現状に思わずため息を吐く。
もともと休息日に外出することも少なく服装にもそれほど興味がない為、ファッションやセンス云々より“相手を不快にさせない最低限の清潔さ”を気にかける程度だった。今まではそれで特に不便に感じることはなかったのだが………。
今回のような場合は非常に困る。
クエルトを通じてアールツト侯爵から昼食会への招待を受けてから、テオは気が気ではなった。自分の休息日にアールツト侯爵が日付を合わせ、夕食だと翌日に響くだろうからとわざわざ治療院を抜けて来るからと昼食会にしていただいた。それだけでも恐れ多いというのに、当日は兵舎に馬車をとまで言われてしまい、他の騎士の事もあると丁重にお断りした件は記憶に新しい。
シリュルは同席しないと言っていたが、我が国の薬学の権威である侯爵夫人が今から楽しみにもてなしを考えているとクエルト隊長から聞いた時は全身の血の気が引いていくようだった。テーブルマナーや礼儀作法は実家にいる時に叩き込まれているので大丈夫だとは思うが、幾らマナーができても身なりがこれでは面目が立たない。騎士の制服で、とも考えたが先程クエルト隊長にやんわりと制されてしまった。
「せっかく、私的な食事会に招かれるんだから騎士のテオではなく、ただのテオ・ノヴェリストを見てもらった方がいい。その方が今後にもいいだろう?」
「今後」という言葉に引っかかったが、それを気にする余裕などはもはや存在しない。クエルトの言葉を聞いて自分らしさとは?と疑問を抱えつつ、さっそく自室の衣類を確認したところだった。
これから街の服屋に赴いてもいいが、この国の男性の平均身長よりも大きな自分に似合う既製品があるとは思えない。仕立て屋で一式仕立てるには時間が足りない…。
さて、どうするか……。
テオはしばらく悩んだ後、何かを決意したように机に向かってペンを執った。
本来ならば頼りたくはないが…あそこならば…。
書き終えたテオが紙を筒状に小さく丸めて窓を開ければ、どこからともなく伝書鳩がやって来る。彼はなれたように紙を鳩の足に括り付けると鳩はひと鳴きして空に飛び立って行った。
その二日後。
「テオ隊長。門の前にノヴェリスト伯爵家の使用人の方がお見えです。」
「わかった。」
騎士からの報告を受けて足早に騎士団の敷地入り口の門に向かえば、質素な荷馬車が止まっていた。近くに居た御者と老婆がテオの姿を見て恭しく礼を取る。
「久しぶりだな。マーサ、ギル。」
「お久しぶりでございます、テオ様。」
「また一段とご立派になられましたな。」
マーサとギルと呼ばれた老人たちは嬉しそうにしわの刻まれた顔で笑みを作った。それにテオの眉が下がる。いつもの無表情とはかけ離れたその姿にそれを見た門兵は思わず目を丸くしたが当の本人は気にする事なく、老人2人と親しげに会話を始めていた。
「無理をさせてしまってすまない。」
「何をおっしゃいますか。テオ様のお荷物はすべて当時のまま私どもが保管しておりますのでいつでもお申し付けください。」
「ご所望の物をいくつか見繕い、今のお体に合わせて手直ししてまいりました。小物はドンが管理しておりましたので綺麗なままかと。」
「…そうか…助かる。……屋敷の皆は、変わりないか?」
「はい。お陰様で私たちのような古参の使用人たちも元気にやっております。」
「ジオ様がよくしてくださって…今回のテオ様の件でもお力添えをいただきました。」
「…そうか……兄上にも迷惑をかけたな。…よろしく伝えてくれ。」
「はい…。」
「承知しました。」
ジオという名前に一瞬だけ空気が暗くなった気がしたが、テオは会話を終わらせると荷台に積んであった大小の箱を下ろし始めた。ギルとマーサも手伝うが、明らかに一人で運ぶには量が多い。それを見ていた近くの門兵が手を貸そうかと声をかけようとした時
「あれ!?マーサ!ギル爺さん!」
騎士棟の方から頭の高い位置で括った茶髪を揺らしながらレシがこちらに向かって手を上げていた。そして、瞬く間に門の所までかけてくる。
「あんた、ロマンシェの倅かい?」
「ああ、レシだ。なんだよ、ギル爺さんは忘れたのかよー。マーサは覚えてんだろ?」
「え、あ、あぁ、覚えているよ。あんなに小さかったのにいつの間にこんなに…。あんたも立派になったね。」
「まぁな。それよりもすげぇ荷物だな。俺も運ぶの手伝うぜ。」
「すまない、頼む。」
「おお、任せとけ。」
テオとレシが二人でどんどん荷物を下ろしていく。途中で憎まれ口をたたき合いながら、それでも仲良く作業を進める二人の姿にマーサは思わず涙ぐんだ。見上げるほど体も大きくなり立派に成長し、騎士団の隊長という名誉ある役職に就いた二人の今も変わらない関係がただただ嬉しかった。そして、その横にいたギルの目には大人になった二人の姿が自分の知る少年時代の二人に重なっていた。
『こらぁっ!!レシ!テオ様!!』
『やべっ!見つかった!!逃げろテオ!』
『待ってっ!レシ!!ギル、ごめんねー!!』
『待てっ!悪ガキどもーー!!』
『やーい、お尻ぺんぺん!』
『レシ、早く!!』
しょうもない悪戯ばかりを繰り返して、捕まえる気もないのに二人を追い回して屋敷をかけていた記憶が鮮明によみがえる。レシが屋敷に来るようになってテオ様はよく外に出るようになった。笑うことも増えて、少しずつレシと一緒に『子供らしさ』を身に着けていった。そうやって変わっていくテオ様を見るのが当時の使用人たちの楽しみだった。
テオ様が騎士団に入団し、屋敷に帰らなくなったからしばらくは使用人たちも落ち込んでいたが、騎士団での活躍が聞こえるたびにみんな自分の事のように喜んでいた。もう、当時を知る使用人たちは少なくなったが、せめて自分が元気でいるうちは、テオ様の帰る場所を作っておいてやりたい。たとえ、本人が帰るつもりは無くても、今回の様に困った際に頼れるところを一つでも多く残しておいてやりたい。ギルをはじめとした古参の使用人たちはみんなそう思って今もノヴェリスト伯爵家に残っている。皆年老いているし人数も多くはないけれど、彼にとっては監獄でしかないだろうあの屋敷にも味方はいるということを知ってもらいたかった。
あっという間に荷物を下ろし終えた二人にギルとマーサはゆっくりと頭を下げた。
「また、御用の際は何なりとお申し付けください。」
「私たちは、いつでも…いつまでもテオ様の味方ですよ。」
穏やかな声で告げた二人の言葉に一瞬だけテオの瞼が見開いた。幼い頃は前髪が目の下まで伸びて表情と言えるものが皆無だった人形のような顔が、驚きに染まっている。そんなことすらギルとマーサには嬉しくてたまらなかった。
そして、十分な間を置いた後テオの大きな手がギルとマーサの肩に乗った。テオは記憶にあるよりもずっと細く、小さく、脆いその体に驚きながらもそっと力を籠める。
「ありがとう。二人がいてくれてよかった。…体を大切に。俺にできることは少ないかもしれないが、何かあった時はいつでも連絡してくれ。必ず力になる。」
そう言って笑ったテオの肩にドサッとレシの腕が乗った。
「俺も力になるぜ。だから、ギル爺さんもマーサも長生きしろよ。」
「…どけろ。ギルとマーサの負担になったらどうする?」
「そこはお前が気を付けろよ。」
「……。」
レシとテオの掛け合いを見てギルとマーサは笑った。しわをさらに深くするように、顔をクシャッと歪めて笑った後、一瞬だけ袖口で目元を拭ったギルはマーサと共に馬車に乗り込んで騎士団を後にした。屋敷に残してきた使用人たちにいい土産話ができたと頬をほころばせながら……。
「うっわ…すげぇな…!」
ギルとマーサと別れた後、とりあえず荷物をテオの部屋に運び込んですぐに業務に戻ったレシは、夜、再び訪れたテオの部屋のベッドに並べられた衣類と装飾品を見て思わず声を上げた。
一目見て上質とわかる濃紺の礼服が一着。貴族の男性の定番と言えるフロックコートの三つ揃いとチェスターコートの三つ揃い。白いシャツはウィングカラーやフリル付きなど数枚、そして磨き込まれた飴色とブラックの革靴が2足、他にもカフスにタイピン、温かそうな外套とストールなどが整然と並べられ、必要最低限の物しか置かれていなかったテオの部屋が高級紳士服店を思わせるような室内に様変わりしている。
「お前、いったい何着頼んだんだよ?」
「…何着も何も、高位貴族の屋敷で食事に招かれたから相応しい服を見繕ってほしいとしか言っていない。…ノヴェリスト家に何着か残っていたとは思ったが、こんなに来るとは思わなかった。」
騎士団に入団してから十年ちょっと、一度も屋敷には帰っていない事もあり、少しでも着られるようなものがあればと思っていたが、まさかこれほどまでに大量に、しかも新品と見間違うほどよく手入れされた状態で届くとは思っていなかった。テオは、試しにフロックコートを手に取った。これは、成人の祝いにと兄上が仕立ててくれたものだ。決して派手ではないが、袖口や襟などに上品な刺繍が施されて、ボタンにはいやらしくない程度に宝石が輝いている。
「流行に関係なく長く着られるものを一着は持っていた方がいいぞ?」
そう言って母上とよく似た顔で笑っていた姿が思い浮かんで思わず頬が緩んだ。屋敷にいた時とは体格が変わった自分に合うようにすべての衣類が調整されていたが、とてもマーサ一人でできたものとは思えない。ギルとマーサに負担をかけたと思っていたが、どうやら今回一番尽力してくれたのは兄上らしい。
「こうしてみると、お前の実家が貴族だってことを嫌でも思い出すな。」
「…まぁ、腐っても伯爵家だからな。…ところで、どれを着ればいい?」
「何でもいいんじゃね?礼服はさすがにないだろうけど、他のなら何でも問題ないだろう?」
この前は意気込んでいたのに、ここにきて突然投げやりになったレシにテオの眉間にしわがよる。
「ふざけるな。お前が選んでやると言ったんだろう。」
「いや、言ったけどさ。…流石にこんなに高級なもんばっかりだったら俺もどうしていいかわからねーよ。俺平民だし。」
ガタガタとテーブルセットの椅子を引き出してドカッと座ったレシはフンッと息を吐いた。テオのクローゼット事情を知っていたレシは突然アールツト侯爵家に呼ばれた彼の為に、内緒で貸衣裳屋の主人に相談していた。今日か明日に連れて行ったやろうと思っていたのに…。そう思えば小さな苛立ちが沸々と浮かんでくる。テオの幸せを願う気持ちは誰にも負けないと自負しているレシは自分の知らないところで、自分が用意した物よりも上質な衣装を手にしていたことが少なからず気に入らなかった。
そんなレシの気持ちも知らず、一つため息を吐いたテオは仕方なく衣装を選び始めた。社交界とは無縁だった為に相手に好感を持たれる方法や好印象を与える服装などは全くわからないが、こうしている間にも時間は過ぎている。
明日はアールツト侯爵家との約束の日だ。いっときの時間も無駄にできない。
コンコンコン
「クエルトだ。今いいか?」
取り合えず、とフロックコートを手に取ったところで、ノックの音と共にクエルトの声が聞こえた。すぐさま応答し、ドアを開ければクエルトが入室してきてレシが弾かれたように立ち上がった。
「お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
「ああ、レシも来ていたのか。…それにしてもすごいことになっているな。」
クエルトもテオの部屋の変わりように一瞬だけ目を見張ったが、すぐに何点か見繕いテオの体に押し当て始めた。
「兄上は、あまり派手な衣装を好まんからな。フロックコートとウィングカラーに…ああ、この色はアヤメの好きな色だな。これを合わせたらいいだろう。」
そうして、瞬く間に明日の衣装を選び終えたクエルトはそのままテオを促し試着させる。上官ということもあるが、アールツト侯爵家に誰よりも詳しいクエルトにおとなしく従ったテオは数分後、騎士隊長から貴族へと見事な変貌を遂げた。
「おお、いいじゃないか。な、レシ?」
「はい、なんか、もう貴族っていうか…どっかの王族みたいですね…。」
「…おかしくはないでしょうか?こういった衣装は着用した回数が少ないので、自分ではどうしても違和感があるのですが。」
襟元を苦しそうにしながら身なりを見回すテオはどこからどう見ても麗しの貴族男子だった。街に出れば視線だけで婦女子を卒倒させかねないほどに。
しかし、鏡などおいていないこの部屋では、自分の姿を確認できないテオの不安は拭えず、そんな表情にクエルトが安心させるように笑ってみせた。
「大丈夫だ。俺が太鼓判を押してやるよ。どこからどうみても立派な貴族の青年だぞ。」
「…はい…。」
貴族という言葉に若干テオの顔が曇るが、それでもかまうことなくクエルトは言葉を続ける。
「さて、衣装はいいとして、手土産は用意したのか?」
「それは…。」
「それなら俺の方で用意してますよ。妹が王都で有名な洋菓子店に勤めてるので、そのつてで、明日の朝いちばんに焼き立ての菓子を持ってきてくれる手筈です。」
「そうか。それはいいな。兄上も姉上もアヤメも焼き菓子は好きだからな。…で。アヤメには?」
意味ありげに向けられた視線にテオは少し言いづらそうにためらった後、ゆっくり口を開いた。
「…花束を…注文しました。」
手ぶらでいいと侯爵家からは言われていたが、それを額面通り受け入れるつもりは無かったテオはすぐさまレシに頼んで菓子折りを注文し、アヤメには花束をあの日と同じ花屋で頼んでいた。「大切な女性に贈る花束を。値段は気にしなくていい。」そう店主に伝えていたので、どのようなものが来るのかはわからないが、花屋が選んだ花なら間違いはないはずだし、自分が選ぶよりはマシだろう。情けないとは思うが、下手な見栄を張って自分を誇張するよりも、身の丈に合った行いをアヤメに知ってもらいたかった。きっとそんな自分でも彼女は受け入れてくれる優しい人だから。
そんなテオを見てクエルトは破顔と言っていいほどの顔で笑い、レシはニカッと笑った。
「そうか。お前らしくていいじゃないか。」
「はい。」
「おっしゃ、じゃあ片付けて飲もうぜ!明日の前祝いだ。クエルト隊長もどうですか?」
「いや、私は遠慮しておく。まだ、仕事が残っているからな。」
そう言ってドアに向かったクエルトを見送るためにレシとテオが続けばクエルトは思い出したように振り返った。
「そう言えば、明日はなにで侯爵家に行くか決めたか?」
「…はい、馬で行こうかと思っておりますが…何か問題でも?」
クエルトに答えたテオは不思議に思い首をかしげる。騎士団で飼育している軍馬は自身で買い付けたものだし、そこらの馬より見栄えもいいはずだが。やはり、馬車の方が…?
「馬か。ならば、遠乗りにでもアヤメを連れて行ってやってくれ。屋敷の敷地内にある湖は今の時期、白鳥が飛来しているから見ものだぞ。少し寒いが、毎日アルの看病と論文作成ではさすがにあの子の体に悪いからな。スチュワートに声をかければ問題はないはずだ。」
「はい。…善処します。」
アヤメと2人で遠乗り……!?
突然のクエルトの提案にグイッと今回の昼食会のハードルが上がった気がしたテオは知らずと拳を握って、動揺と緊張を抑える。それを見て穏やかに笑ったクエルトはポンッとテオの肩を一つ叩いてそのまま部屋を出て行った。
しっかりとドアが閉まり、足音が聞こえなくなってからテオとレシはドアから離れた。
「遠乗りだってよ。」
「…ああ。」
「屋敷の敷地内なのに森とか湖とか、本当にアールツト侯爵家は全部が規格外だよな。」
「…ああ、そうだな。」
「まぁ、明日もあるし、とりあえず片付けて飲もうぜ。俺つまみ持ってきたからよ。」
「何がとりあえずなんだ?…どうして酒が明日に関係ある?明日を考えればあまり酒を飲みたくはないのだが…。」
ブチブチと文句を言い始めたテオをさして気にする事なくレシは片づけを始めた。
アヤメとかかわるようになってから、テオは感情の起伏が強くなった気がする。今の様にブチブチ文句を言う姿など昔は考えられなかったし、表情も豊かになった。他者との会話も増えている。
それがレシには嬉しかった。
今回の用意については苛立つ部分もあったが、アヤメとの関わりが増えるきっかけになりえるであろう明日の昼食会は是が非でも大成功で終わらせてほしい。悔しいがテオをこれから変えていくのは、きっと自分ではなく…彼女なのだから。
「…頑張れよ。」
「?…なんだ?なにか言ったか?」
聞き返してきたテオに笑みを作って見せたレシは、少しの寂しさを隠すように酒を飲んだ。
いつもお読みいただきありがとうございます。また、誤字脱字報告もありがとうございます。お手数をお掛けします。
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