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98.侯爵令嬢とアルゲンタビウス………と騎士隊長

よろしくお願いします。

アールツト侯爵家の広大な敷地内には、研究や実験、製薬の為に何種類もの動植物が管理されている。

敷地内の一角、母屋と研究所の間に作られたその場所はアールツト侯爵家が管理する動物たちの飼育場だった。大小さまざまな形の建物が並ぶ中、ひときわ大きな大木の根元に作られた一軒家ともいえるほど大きな小屋はアールツト侯爵家で飼育しているアルゲンタビウスたち専用だ。中は壁で三つに仕切られていて三羽がのびのびと過ごせる十分なスペースが設けられていたが、アルの名前が書かれた札の下がるその場所は普段とは違い黒髪の少女と白銀のダイアウルフ二頭の姿があった。


「アル?今日も来たわよ。…調子はどう?」


アル専用の医療品が詰め込まれたバスケットを片手にそっと呼びかけるが、目の前の大きな体はピクリとも動かなかった。きつく閉じられた瞼も開くことはなく、ただ規則正しく腹部が上下しているだけで、昨日と変わらないその姿に小さく胸が痛んだ。

騎士団から長期休暇をもらっていた私は体調が回復して、ヒガサおじさんが帰国したその日から毎日アルのもとへと通っていた。元気だったころのアルは、彼らの為にしつらえられたこの小屋を嫌がりいつもわたしの部屋のバルコニーで寝食を行っていたが、凶刃に倒れてからは早い回復のためにこちらに移され、ゲンやタビと共に過ごしているが未だに目覚める気配はない。


「クゥー…。」


私の気持ちを察したのかウメが、慰めるように鳴いて手首をなめ上げた。その横のタケもどことなく心配そうな表情でこちらを見ている。


「…ありがとう。私は大丈夫よ。」


二匹に心配させまいと明るい顔を作って大きな頭をそれぞれ撫でる。普段なら、やきもちを妬いてグギャグギャと喚き散らすアルがいないことに一抹の寂しさを覚えながら、一つ息を吐いて気持ちを切り替えた。

悲しみや不安に浸るためにここに来たわけではない。一日でも早くアルが目覚めるために、目覚めたらまた、どこにでも飛んでいけるように私にはするべきことがある。


「アルー、体動かすよ?」


声をかけてゆっくりとアルの体に手を伸ばす。私一人ではびくともしない巨体だが、タケとウメの力添えでゆっくりとアルの体が側臥位になった。

人間も言える事だが、寝たきりになった場合は床ずれや筋肉の衰えが懸念される。ましてアルは大型飛行性鳥類ということもあり、翼周囲の筋肉の衰えは致命傷になりかねない。昔、アルが骨折したときの様に羽の開閉や可動域の確認など傷の具合を見ながら行っていけば、いつの間にか大汗をかいていた。幼かったアルとは違い成獣になった今は片翼だけでも重労働だ。


「痛くないー?」

「…。」

「こっちはどう?変な感じしない?」

「…。」

「傷はもう塞がってるけど、羽が抜けてる部分が目立つから早く生えてくるといいね。」

「…。」


一つ体を動かすたびに声をかけるが、返事はなく私の声が小屋に響く。それでもアルに話しかけることはやめようとは思わなかった。目を覚まさなくても、返事がなくてもきっと私の声はアルに聞こえているはずだと信じているから。


「よしっ!終わりー!!もー、アルまた太ったんじゃない?このまま太り続けたらおやつ禁止にするからね?」

「…。」


何とか残った片翼も運動を終わらせて私はドサリとアルの横に腰を下ろした。そして、そのままそっとアルに寄りかかる。

…ここはちょうどアルの心臓がある位置で、柔らかな羽に耳を当てれば小さくだがしっかりとした心音が聞こえてくる。


…生きている…。


アルの生命を感じさせるその心音が、今は何よりも私の心を安心させた。


「アル…大好きよ。」


そっと呟き、大きな体に顔を埋める。

初めての私の相棒。


「アルがいたから、私は一人じゃなったよ。」


同年代の友達がいない私にとって大切な友達。


「いつも、守ってくれてありがとう。」


我がままで、甘えん坊で、手の掛かることもあったけど…。いつだって私を守って戦ってくれた、大事な戦友。


「アル……ゆっくり回復していいからね…。私は何時までも、アルが目覚めるのを待っているよ。どこにも行かないで、ちゃんとアルを待ってるから。」


私に置いて行かれることをひどく嫌がる、やきもち妬きで、寂しがり屋の大きな弟。


「だから、…っ……ちゃんと、目を覚ましてねっ……!」


込み上げたものが溢れそうになり、大きな体にグリッと少し強く顔を押し付けた。アルの匂いを胸いっぱいに吸い込んで深呼吸をする。いつものお日様と干し草の匂いに混ざって薬品と消毒液の匂いがしたが、それでもかまわず何度か繰り返す。


…待ってるから。


最後にそう心の中で告げてゆっくりとアルから離れた。そのままバスケットをもって立ち上がりアルに視線を向けるが、そこにあるのは来た時と変わらない目を閉じたままの姿だった。それでも、努めて明るく声を出した。


「じゃあ、また明日ね。」


もちろん返ってくる返事はない。それでも私は笑顔で小屋を後にした。





「テオ隊長!お疲れ様です!」

「お疲れ様です!!」


騎士棟内演習場。

一日の業務を終えた騎士たちが、騎士棟へ向かう一番隊隊長に敬礼と共に挨拶をするなか、それに視線だけで返したテオ・ノヴェリストは無表情を崩さぬまま足を進めた。

この後の隊長会議ではアヤメの誘拐事件について騎士団長のオッドと副団長のインブルの処遇が告げられることになっていた為、テオの頭の中はそのことでいっぱいだった。


あのお二人に非があるとは思えないが…ご本人達が望まれ、上層部からも正式に通達が来たということは…

そこまで考えていたテオは、突如向けられた鋭い殺気にとっさに身をひるがえした。次の瞬間、トトッとつい先ほどまでたっていた地面にナイフが突き刺さる。

なんだ?敵襲…か…!?

と思った瞬間今度は頭上からファルシオンが振り下ろされ上体を大きく仰け反らせてかわし、そのまま長い手で床のナイフを引き抜き反動を利用して気配の場所へ投げた。すると、テオが投げたナイフは一陣の風と共に弾き飛ばされ、代わりに大きな黒い烏が姿を現す。


「…流石だな…。」

「っ!?ヒガサ殿っ!!」


突然のヒガサの登場に驚いたテオに躊躇することなくヒガサはファルシオンを構えた。


「帰国されたのでは…。」

「少し、私と手合わせをしてくれないか?」

「は?」


テオの言葉を遮るように言い放ったヒガサはそのまま呆然としているテオに切りかかった。驚きながらもすぐさま剣を抜き凌いだテオは続くヒガサの攻撃を受け止めながら防戦する。


「なんだ?守ってばかりでは私には勝てんぞ?」

「お待ちください。なぜ、私がヒガサ殿と?それに、帰国されたはずでは…ッ!?」

「帰国して、あることを思い出しまた戻ったのだ。」

「ある事?」


聞き返したテオの剣を凄まじい力で弾いたヒガサは十分な間合いを空けて、手にしたファルシオンの切っ先をまっすぐにテオに向けた。


「それは…お前の事だ。ノヴェリスト伯爵家次男、インゼル王国騎士団一番隊隊長テオ・ノヴェリスト。」

「!!」


鋭い視線と共に告げられた自分の名に思わずテオの動きが止まった。


「…私は、なにか気に障るようなことを…?」

「気に障る、か…。まぁ、そうとも言えるし、そうではないとも言えるな。」

「…?」

「お前と…我が国の黒将軍。どちらがアヤメの隣にふさわしい雄かその力量を図りに来たのだ。」

「!!?ッ、それは…!」


ヒガサの言葉にテオの瞼が無くなるほど驚き見開かれる。

自分が婚約者候補になっていることはクエルト隊長しか知らないはず。それを、なぜヒガサ殿が…?それに、我が国の黒将軍ということは…やはりユザキ将軍もアヤメの……?


「考え事とは余裕だな?」


一瞬思考にとらわれた瞬間、目の前に聞こえた低い声に体を逸らすも繰り出された拳をよけることができずにテオはその衝撃で弾きとぶ。激痛に耐え何とか地面に膝をつくことなく体勢を立て直したところで今度はナイフがテオの頬をかすめた。


「アヤメに対して、ずいぶんと大層なことを言っていたがその程度の実力では私は、お前を認めんぞ。…まだ、黒将軍のほうが筋がある。」


最後の言葉が……テオの心にゆっくりと炎を宿した。


ズグリ…と腹の底から熱いものが込み上げてやがて青い炎となりテオの体を駆け巡った。


アヤメの隣に立つ事は…誰にも譲れない。

譲りたくは無い。

例え、それが先の大戦の英雄だとしても……。


「魔法でも使うのか?」

「いえ。ヒガサ殿は魔法をお使いになりませんので私も使用しません。」


いつもよりも数段引く声で言い放ったテオはゆっくりと剣を構えて低く腰を落とす。


「ほぉ、この私に魔術なしで挑むか?ククク、…面白い。」

「私はまだ実力不足で、ユザキ将軍やヒガサ殿には劣る部分のほうが多いです。ですが…それでも、譲れないものがあるっ…!」


言い切るのと同時に地面を蹴ったテオが一瞬でヒガサとの間合いを詰め、剣を突き出した。しかし、ヒガサはそれをヒラリと柳の様に揺れていなすとそのままテオの鳩尾に重い拳をねじ込む。


「っガハッ…!!」

「どうした?口だけか?」


そのまま容赦なく肘をわき腹に打ち込もうとしたヒガサの足を払いテオが烏の顔面を殴りつけた。バキッ!と小気味いい音と共にヒガサの右頬に打ち当てられたテオの拳だったが、ヒガサの頬はケガ一つなく、逆にテオの手首を掴みブンッ!と尋常では考えられない力で長身のテオを上空へ放り投げた。


「いい拳だったが、鋭さと力の使い方がなっていない。力で打ち込むのではなく背中、肩甲骨、肩の流れを使って打ち込むんだ。相手の中に波動の波を与えて内臓を掻きまわしてやれ。…こんなふうにな?」


上空で姿勢を保とうとしたテオの真上に高速で飛び上がったヒガサは先ほどと同じ鳩尾にトンッと拳を当てた。その瞬間、ヒガサの拳を当てられたところから衝撃がまるで波の様に腹部に広がり鋭くは無いが重い痛みで内臓を巻き込んでいく。


「グッ!っ…まだっ、だっ!」


しかし、テオはその痛みを堪え打ち付けられたヒガサの拳ごと翼腕を掴み背負い投げた。そして、間髪入れずに剣技を繰り出す。ヒガサは背負い投げられた体制のままテオの切っ先を全てかわしていたが、ほんの一瞬わずかな隙を付いて、テオの剣がヒガサの左翼腕をかすめ数枚の羽根が散った。


「そこまでだっ!!」


その瞬間、大きな怒声が響きピタリと二人の動きが止まる。


「何をやっているんだ!お前たちはッッ!!」


そして、騎士棟の方からクエルトを先頭にアンモスとストーリア、レシが一目散にこちらへかけてくる。見れば、二人の周りには騎士たちが集まり大きな輪が出来上がっていた。


「ちっ…うるさいのに見つかったな。テオ・ノヴェリスト、今日のところはここで引き上げる。」


クエルトの姿を見たヒガサはばさりと大きな羽を羽ばたかせ空に舞い上がった。そして、呆然とこちらを見上げるテオを鋭く見下ろして口を開いた。


「今のお前ではアヤメを任せる気にはなれん。正直、今のままでは我が国の将軍には歯が立たないだろう。」

「……。」


圧倒的な実力の差を見せつけられただけでなく、はっきりと告げられて地面に向けられたテオの顔が悔しさに歪む。しかし、それを見たヒガサはフッとその漆黒の瞳を細めた。


「……だか…良い剣だった。」

「!!?」


そして小さく紡がれた言葉にバッと上を見上げれば、ヒガサが挑発的な笑みを向ける。


「お前の熱意と思いは認めよう。………早くここまで登って来い、テオ・ノヴェリスト。」


そう言ったヒガサはそのまま大空へ飛び立って行った。テオはその小さくなる黒い背中を暫く見ていた後姿勢を正し、静かに頭を下げる。それはテオの感謝と新たなる誓いだった。


いつか……必ず……。



「ヒガサー!!ったく、あのバカ烏は何をしに来たんだ!テオも騎士団の敷地内での乱闘は禁止されているのを知っているだろう?」

「…申し訳ありません。」


ようやくテオの隣にやって来たクエルトが空をにらんだ後テオに詰め寄るがテオは頭を下げるだけでヒガサが来た理由はしゃべろうとはしなかった。


「ふん。…まぁ、いいさ。あいつの考えそうなことはある程度想像がつく。」

「…。」

「…鍛錬しろよテオ。ヒガサもアレでお前の事は結構気に入ってるんだぞ?」

「…はい…。」


ストーリアとアンモスが騎士たちを帰し、レシが2番隊と二人の戦闘によって散らかった演習場を片付ける中、落とされたクエルトの言葉に彼は人知れずこぶしを握った。そんなテオの姿に笑みを作ったクエルトは腫れあがった頬と口角からの出血に治癒魔法を施しながら思い出したように口を開いた。


「とにかく、今は傷を治せ。そのままでは初めてのアールツト侯爵家訪問が台無しだ。」

「………ーーーーは…?」


クエルトの言葉にテオの動きが止まる。


「今朝、兄上からテオを招いて食事をしたいと連絡があった。」


ギッギッと急に動きが鈍くなった首を動かしてクエルトのほうに顔を向けたテオにクエルトは笑いを堪えながら声を潜める。


「イスラ王国での件や私がアヤメの婚約者推薦状を渡した事、そして今回の誘拐事件での活躍で兄上もテオに興味を持ったのだろう。ぜひ、今までの礼も兼ねて屋敷で食事をとのことだ。ちょうどアヤメは今長期休養中で在宅しているしな。…よかったな!」


治癒魔法で治療したばかりの背中をバンバンと叩かれて痛みを感じるはずが、それを聞いたテオはそんな余裕すらなく一度呼吸を止めた後「クエルト隊長は…?」と尋ねた。


「悪いが俺は同席できない。オッド騎士団長とインブル副団長が三日間の謹慎処分となった以上、二人から騎士団を任せられている身としてここを離れることはできないだろう。」


その言葉にテオの顔色がどんどん悪くなってく。


「心配するな。屋敷に行くまではいくらでも相談に乗ってやるさ。それに、さっきから手伝いたくてしょうがないってやつもいるみたいだしな。」


クエルトに顎で指されたほうを見れば、レシが満面の笑みでこちらに手を振っていた。


「お前っ…!」

「いくらでも手伝うぜ、テオ。」

「うるさい。お前はいい。」

「なんでだよ?俺だって役に立てるって!」

「黙れ。付いてくるな。」

「仕方ねーだろ、同じ騎士棟に帰るんだし。照れんなってー。」

「………チッ…」


こうして、テオの受難は幕を開けたのだった。


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